第九十六章:女の子たちの長い買い物
うっとりするような幸せな時間が過ぎ、私たちは物陰からゆっくりと出てきた。
顔の紅潮や高鳴った鼓動。荒かった息遣いも落ち着き、お互いに手を握り合ってにっこりと笑い合う。
一月らしい冷たい風に煽られ、
どちらともなくお互いに身体を近づけ合う。
「寒いね」
「でも。裕海と一緒にいると温かい……♡」
ギュッと腕を抱きしめられ、身体同士が密着する。
確かに温かいかも。
もう神社に人はほとんどいなかった。
数人のカップルが楽しそうに笑い合ったり、ベンチに座って談笑していたり。
この雰囲気だったら……
私は梨花の手にそっと自分の手を重ねてみる。
梨花の手が一瞬ピクっと震え、優しく握り返してくれた。
寒空の下。
私たちは心から温かくなって神社の境内を歩く。
もう少しで階段――というところで、後ろから聞きなれた声の主に声をかけ
られた。
「裕海ちゃ~ん」
振り返ると私服姿に姫華がにこやかに手を振っている。
手には小さな紙袋を下げ、珍しく髪を結っている。
茶髪だから日本風……とは言えないけど、
前に見たポニテの時と同じく似合っていて可愛い。
私はポニーテールに結ぶほどの長さは無いので、
こういう風に後ろの髪を束ねたりできないからちょっと憧れる。
梨花くらいの髪の長さだったら結んだりできるかな……?
「あら宮咲さん」
梨花は静かに姿勢良く頭を下げる。
二人のメールとか電話を見たことは無いけど、
もしかして機械を挟んでもこんなふうに冷徹な感じに話しているのだろうか?
「あっ……もしかしてデート中だった? ごめんね邪魔しちゃって」
「別に大丈夫だけどさ……」
返事をしたのは梨花だった。
姫華とも普通に話せるんだ……良かった。
初めて話した時みたいにあんな感情を込めない梨花はもう見たく無いし。
表情豊かな方が……絶対可愛いし。
「そういえば。姫華のその紙袋って何入ってるの?」
「ああこれ? 頼まれもの。愛理とか親から」
紙袋の中を見せてもらうと、
中にはお守りや破魔矢などのお正月らしい物が入っている。
恋愛運。友情運――交通安全に……
「これは裕海ちゃんに」
勉強運と書かれているお守りをそっと渡してくれた。
隣で梨花がクスッと笑う。
「確かに裕海に一番合ってるわ」
「梨花ったら~……」
姫華は紙袋を抱え直し、私たちの顔を交互に見つめてから静かに訊く。
「ところで二人はお賽銭いくらにした?」
「四十五円よ」
「十円だけど……」
姫華はニンマリと笑い、
「私は五十五円よ」
「何でそんな中途半端な……」
私と梨花は始終ご縁の話と、二人でご縁ずつ――という意味での十円なのだ
という話をすると、
姫華はちょっぴり動きを停止させ、
「良いのよ! 四十肩よりも五十肩のほうが重いんだから」
どういう理屈よ……
姫華は顔を赤らめ照れながら怒っていたが、
ハッと思い出したように拳で手のひらをポンと叩いて。
「そうだ裕海ちゃん。福袋って買った?」
買ってないね。
もともと買う気は無かったし。
「姫華は福袋買うの?」
「私はあんまり興味無いんだけど、家族揃って福袋好きでさ……」
買って来いって言われたのかな。
「一緒に買いに行かない?」
別に良いけど。
でも今は梨花と一緒にいたい――
私が心の中でいろいろと葛藤していると、
梨花が私の顔を覗き込んでから姫華に向かってお願いするような口調で言った。
「私も一緒に行っていいかしら」
「氷室さんも福袋好きなの?」
姫華の問いの梨花は堂々と答える。
「私が好きなのは裕海だけよ」
梨花の遠まわしな愛の言葉に若干の熱を帯びながら、
私たち三人は駅前のデパートで福袋売り場へと来た。
かなり混んでおり、もしこの中に掘り出し物があったとしてももう無くなっているのでは無いかと思うほど売れている。
小さい子どもがこの光景を見れば、
十中八九「早く買わないと無くなっちゃうよ!」とでも言うだろう。
姫華は骨董屋の店主のように慎重に真剣な表情をして福袋を触っている。
――撫でている……かな?
犬とか猫を撫でるような手つきで表面を触り、
ごわごわと型崩れしない程度の力加減で袋を押す。
「慣れてるなぁ……」
「そうね」
梨花を見るとこっちはこっちで真剣な顔で福袋を凝視していた。
たまに持ち上げてはふってみたり、
ソ~っと目をずらして中を覗こうとしたり――
また梨花の新しい一面が見れて何となく嬉しい。
私は福袋は選ばず、真剣な顔をした梨花を見つめることにする。
一緒に勉強した時とかもこういう表情見たんだろうけど――
何か可愛いなぁ。
真面目で無感情がデフォな委員長さんだったから、
別に真面目な顔が珍しいってわけじゃ無いんだけど。
梨花と姫華はずっと福袋の厳選をしているし、
私は福袋には全く興味が無いので少々疲れてしまった。
私は梨花と姫華にちょっとグルリとまわってくると伝え、
デパートの食品売場をウロウロすることにする。
お正月らしい珍しい物とかがあるかもしれないしね。
デパートの食料品売り場をまわって分かったことがある。
試食品を断るだけの精神力と忍耐力が無い人間はまわってはいけない。
箱入りチョコレートの一ピースを口の中で転がしながら、
もうおしまい、もうおしまい!
――って思うんだけど、どうしてもやめられない。
一応売り場のほとんどはまわり終わったので二人にお菓子でも……
と何かを買っていこうと思ったのだけれど。
「高い……流石デパート料金」
外の店で買ったほうが安そうなので結局何も買わずに福袋売り場まで戻ってきた。
「梨――」
二人はまだせっせと福袋を漁っている。
私のことはガン無視か!
とか言おうかと思ったけど他にも人がいる店内で叫ぶ勇気も無く、
黙って二人の様子を眺めていることにした。
――はぁ……退屈だわ。
何となく女の子の買い物に振り回される男の子の気持ちが分かったような気がした。
携帯小説を眺めながらボーっとしていると、
姫華と梨花が同時に立ち上がってレジの方へと向かって行った。
レジも物凄い行列なのでしばらく時間がかかりそう……
私は読書をやめて灯へと電話をかけようと通話画面を開いたところで、
「ああ……灯は今日、文田君と一緒だったっけ」
灯が暇では無いことに気づき携帯を仕舞いぼんやりとレジを眺めていた。
意外と姫華と梨花も会話したりするんだなぁ……
なんて思いつつ二人を眺めているとやっと買い終わったらしく、
お互いに顔を見合わせながら私のところまで駆け寄って来た。
「お待たせっ」
「裕海ぃ……ごめんね? かなり待たせちゃって」
姫華は三つ、
梨花は二つの福袋を下げている。
どっちの袋も結構物が詰まっているように見え、
中身さえハズレでなければかなり得するのでは無いかと思えそうだった。
「いくらしたの?」
「一つ三千円よ」
高かった。
そんなするんだ! 私はまた千円ちょっとかと……
ううん……やっぱ私は買わなくていいや。
私は宝くじとかそういう「夢を買う」ような物は買わないんだぁ……
そりゃあ夢はあった方が楽しいけどね。
デパートを出たあと、私はてっきりここで梨花は帰るのかと思っていた。
だけど梨花は、
「福袋の中身、どっちが高級か勝負よ」
などと言い、姫華の家で開封することになったらしい。
珍しくテンションの高い梨花を長く見られるから私としても大歓迎なんだけど……
とりあえず火花を散らすのはやめようね。
家までの帰り道、二人はずっとお互いを見つめ合っていた。
こうして書くと梨花と姫華の間に新しい愛が芽生えたようにも見えるけど、
もしそうだったら凄く困る。
やめてよ?
突然お部屋に来て「私たち付き合うことになりましたっ」とか言わないでよ。
――まあそんな甘々な展開なのでは無く。
ただ単に火花を散らしながら睨み続けているだけです。
今回は私の取り合いでは無いし――
ってか私自身は関係無いから別に胃にきたりはしないけど、
こう、ずっと恐い顔してると良くないと思うんだよね。
楽しいから笑顔になるんじゃ無くて、笑顔だと楽しくなるでしょ?
だから恐い顔して睨みつけてると、本当にそう――
心の中では凄くたくさんの事を思うんだけど……言えない。
今の二人にこんな事言っても聞いてくれないだろうし、
二人同士のこういう意見の食い違い――みたいなのは第三者が口出しする事
じゃ無いからね。
姫華の家についても睨みあったまま。
姫華の部屋に着くまでずっと続いていた。
――話し相手がいなくて暇だったので私は梨花と姫華の百合妄想をちょっと
しながら歩きました。
お互いに見つめ合う二人。
そのまま指を絡め合い――
ただ途中で恋人さんと幼馴染だって事に気がついて、
何となく心の奥に虚しさが残ったので姫華の家の階段を登っているあたりでやめた。
姫華の部屋に着くとやっと二人とも頬の力を緩め溜息をついた。
胸を手で撫でながら深呼吸し、お互いにチラリと見合ってから自身の福袋の中身を出し始める。
まるで玉入れの最後に玉を数えるときのようにポンポンポンポンと床に散乱させる。
……多分後で片付け手伝わさせられるんだろうな。
そんな事を考えている間に姫華も梨花も福袋の中身を出し終わったらしい。
あちこちに散乱するガラクタ――中身。
ちょっと見てみたけどネクタイとか携帯灰皿とかの女子高生には不必要な物がゴロゴロ転がっている。
マニキュア! と思ったらおもちゃだし。
こんな田舎のデパートで売ってるような福袋じゃそんな物か……
梨花の福袋にはハサミやカッターなどの文房具が多かった。
どうやらずっしりと重みのある物を選んだらしく、
それが裏目に出たらしい。
姫華の方はと言うとハンドタオルや何だか分からないキャラクターのマスコ
ットが入っている。
なるべく重さの割にはかさのある物を選んだらしいけど。
どちらも必要といえば必要な物は入ってるし、
わざわざ自分のお金で買うものか? と思うものだけど三千円分は入ってたんじゃないかな?
「はぁ~……」
姫華と梨花は溜息をつきながら壁に寄りかかった。
まあね。
宝くじとかもそうだけど、こういうのって買ってから開けるまでが楽しい。
開けて中身を見ると、別に期待はずれとかじゃ無くても脱力しちゃうんだ。
姫華は未開封の福袋を二つ手に持ち「お茶でも淹れてくる~」と言って階下へと下りて行った。
姫華は家族に頼まれたって言ってたけど……
「梨花はそれ両方自腹?」
「ううん。片方両親のどちらかに売りつけるわ」
意外と策士なのですね。
梨花はいたずらっぽく微笑み私に向かってウィンクをする。
「それとも裕海が買ってくれる?」
ウィンクに騙されて一瞬オーケーしそうになったけど、
開封された方の散乱した中身を見ると、とても「買います!」なんて言えない。
つまらない人だと思うかもしれないけど、
夢を買う物の中身を見てしまった以上、もうこの袋に夢を感じることはできないよね。




