第八十八章:年末の日常
しばらくして姫華は普通の私服に着替えて戻ってきた。
さっきのでも十分可愛かったのに。
姫華は荒くなった呼吸を整えてから、私の前に正座して座った。
「どうしたの? 突然、キスは……今日したよね」
「姫華、これなんだけど」
私は握り締めた手を広げ、姫華に緑色の石を見せた。
「それ……」
姫華は少し嬉しそうに見つめ、目を細めて微笑んだ。
「良かったぁ……裕海ちゃん、憶えててくれてたんだ。忘れられてたらどう
しようってずっと思ってたんだ……」
聞ける雰囲気じゃ無い!
「待ってて、私のも持ってくるから」
姫華は自身の机の鍵付きの引き出しを開け、大事そうに同じような石を持
って見せた。
艶のある綺麗な石。――駄目だ……どうしても思い出せない。
「もう十年以上も前の事なのに……なんか最近って感じがしちゃうな」
思い出せ私! 姫華との思い出なんだから……三、四歳くらいの頃?
そん
な昔の事憶えて無いよ!
でも姫華は憶えている――ってことは、姫華にとって大切な事だったって
ことで……
「これをこうするとさ……」
「あ……」
二つの石がくっついた姿を見て――私は記憶の深海から見つけ出すことが
できた。
「ほら、くっつけるとハートマークになるんだよ」
思い出した。――姫華が引っ越す前に私にくれたんだった。
今度もし会えたらくっつけ合おうって……
「あの頃は他意なんて無かったけど……今は裕海ちゃんの事好きだからなぁ
……」
「姫華……」
姫華は嬉しそうに――涙で目を潤ませ、
「だから……裕海ちゃんが憶えててくれて本当に――」
私は姫華を抱きしめ、胸の中で泣かせてあげた。
前みたいに同情心でキスをしたりはしない。
これは幼馴染――一人の親友として……
「ありがとう……裕海ちゃん」
泣きじゃくる姫華の頭を撫で、私はそっと溜息をついた。
あの後は特に何も無く次の日の朝を迎えた。
十二月二十七日。あ……梨花の誕生日のふた月前だ~……
くらいしか特に無い。別に予定などもとくに無いという、珍しく大掃除に
専念できる日だった。
午前中はグースカ寝ていたので、部屋の掃除は午後に一気に終わらせた。
――いえ凄くは無いです。パパッと終わらす、ハイスピード低クオリティ
が基本なんで。
――一応記述しておきますと、姫華とこっそり家の外で会って軽くキスは
しました。
そんな訳で何事も無く過ぎた二十七日と同じで、今日も多分気がついたら
終わっているんだろうなぁ……と思いながら年末ドラマを家族で見ていまし
た。
母が掃除の合間に作ったおむすびをもしゃもしゃと食べながら、ああこん
なドラマ秋頃にやっていたな――なんて考えながら総集編を何気なく見てい
ると――
「あらお姫様抱っこ……」
「あれは結構腰にくるんだよなぁ……」
と――両親の話を聞き流しながら、私はふと梨花にお姫様抱っこをしても
らった時の事を思い出した。
あの時はびっくりしちゃって、あまりちゃんとは憶えて無いんだけど――
梨花が凄く格好良かったのは憶えてる。
まるで王子様のようだったなぁ……♡
二階の窓ふきを手伝いながら、私はお姫様抱っこの事と今日のキスのタイ
ミングについて考えていた。
掃除手伝わなきゃならないし――今父さんが拭いてる窓からは、外丸見え
だからキスなんてできないし……
どうしようかなぁ……
「裕海ー! ちょっと来てくれる~」
まったく……私だって別に遊んでるんじゃ無いのに。
私は窓を拭いていた雑巾をバケツに放り込み、階段を降りて母のいる台所
まで向かった。
「何~?」
「これお隣に持って行ってくれる?」
母の手には黒豆が入ったお皿が乗っていた。
「どっちのお隣?」
「宮咲さんの方よ」
おせちくらい買えば良いのに――と言いかけたところで、この間母がおせ
ちの広告を見ながら「これなんか手頃な値段で良いんだけど、黒豆が少なす
ぎるわね~」とか言っていたのを思い出した。
――なるほど。作ることにしたのね……
私は黒豆のお皿を両手で持って姫華の家のチャイムを――どうやって押そ
う。
両手はふさがってるし――いっそのことこのお皿で――
「あれ? 裕海ちゃん」
丁度お皿に力を加えたところで姫華の家のドアが開いた。
――ああ、良かった。
冷静になって考えてみると、お皿で玄関のチャイムを押したらヒビがはい
ったりしちゃうもんね。
「どうしたの? ああ、黒豆? ありがと~」
姫華がお皿を掴んだが、私はお皿を持つ手を離さなかった。
「ん? どうしたの、裕海ちゃん」
「ちょっとお願いがあるんだけど……」
姫華は少し考える素振りを見せ、ハッとした表情をしてからパチンとウィ
ンクをして、
「分かった。じゃあお部屋で待っててね」
姫華に黒豆のお皿を渡して、私は姫華の部屋に向かった。




