第五十四章:甘く、とろけそうな時間
駅でつっ立っているのも何なので、私は駅側の本屋で立ち読みをして時
間を潰していた。――電車が来るたび来るたび本を置いては駅を身に行く
私を見て、店員が少し迷惑そうな顔をしていた。
しばらくそれを続けていると、携帯片手に梨花が電車から降りてくるの
が見え、私はそっと駅まで行き……
「梨花っ!」
梨花は身体をビクッとさせ、目を見開いていたが――コホンと一回咳払
いをして、
「ごめんなさい、遅くなったわ」
私は普段通り梨花の手を握ろうとしたが――
「ごめん、後で」
梨花は冷徹な表情で、突き刺すような声色で手をポケットの中に仕舞っ
た。
私の家に来るときはあんなに話すのに、バスに乗ってからも梨花は黙っ
ていた。……一体何が、梨花をそうさせるの?
「ついたわ」
梨花は定期を見せ、私の分は梨花が払ってくれた。
「ねぇ、梨花ぁ……」
私は腕に抱きつこうとも思ったが、グッと我慢した。梨花が何かを恐れ
ているのは事実だし――私がそれを壊すわけにはいかない。
梨花は玄関を開け、私に先に入るよう促した。――私はそれに従い、梨
花がドアを閉めるのを玄関の中で待っていると、
「あら! まあ……! まあ……!」
家の中から出てきたのは――梨花のお母さん!? 若っ! どう見ても
三十代なんですけど……!
「あの……もしかして梨花のお友達?」
恋人です! と言うわけにもいかないし、
「初めまして、蒔菜裕海と申します」
私はできるだけ丁寧な口調で深く頭を下げた。――こう言うのは最初が
肝心だよね?
「まぁ……! 梨花がお友達を連れて来るなんて――何年ぶりかしら……」
梨花の母親の目が少し潤んで、光った。――え? 何で? 何で泣いて
るんですか!?
「お母さん! いいからあがらせてよ、裕海疲れちゃうじゃん」
こっちはこっちで何!? 梨花……? 私の前でも見せないような表情
で、しかもこんなくだけた言葉……梨花の口から聞いた事――
「そうね! いらっしゃい、裕海さん」
私が階段を登るまで、梨花の母親はずっと目を潤ませながら微笑んでい
た。――私、友達の家行ってこんな対応されたの初めてよ!? もちろん
良い意味で。
「ほら、上がって上がって~」
梨花は嬉しそうに座布団を敷き、向かい合って座った。さっきから梨花
の頬は緩みまくってるし――あの……何が起こってるのか聞いていいです
か……?
「あ……裕海ぃ……これな~んだっ!」
梨花が手に持っているのは――鍵?
「まさか……!」
「ピンポ~ン!」
梨花は嬉しそうに鍵のかかった戸棚を開けた。
「それでは、お花畑へようこそ!」
梨花が戸棚の中から大判の漫画を何冊も取り出した。――どれもブック
カバーがかかってる……
「どれでも読んで良いよ! ――それでその……もし何かして欲しいこと
があったら……♡」
梨花はモジモジと身体をくねらせた。――そんなに凄いのか……
私は未知への扉を開く事に、凄くドキドキしていた。この間読んだ漫画
は学校に持ってこれるレベル――今回のは、梨花の秘蔵の百合漫画……
これを読めば、梨花が普段何をして欲しいのかとかも解るのか! それ
は流石に無いか。
私はそのうちの一冊を手に取り、読み始めた。大学生の女の子二人が同
棲して、一緒に――あれ? これ前に読んだかも。
「これの続き無い?」
梨花は一冊一冊を慎重に探し、少し顔を赤らめ漫画をこっちに向け、
「あったけど……何も言わないでね?」
私はページをめくった瞬間、思わず漫画を閉じた。――あれ? これっ
てこう言う漫画だっけ?
「りん――」
「言わない約束」
梨花は真っ赤な顔で向こうを向いている。――ええ、何が描いてあった
かって? キャラ同士がベッドの上で、何も着ないで抱き合ってる絵が―
―カラーで冒頭にありました。――まあ、片方のキャラの妄想でしたけど。
読みすすめてみると、一巻より中身は濃かったけど――冒頭ほどぶっ飛
んでる展開も無く、最後まで興味津々で読めた。
「ふわぁ……♡ 最後はハッピーエンドかぁ……いいなぁ」
私は頭の中がホワホワしてきた。――梨花を見ると、少々顔を赤らめな
がら、真剣な表情で別の漫画を読んでいた。
「梨花っ! 次何か貸して――」
私は梨花の背後から抱きしめ、梨花が読んでいる漫画をのぞき込んだ。
熱心に見つめるその先には――
「…………♡」
別に過激なシーンでは無い、トーンを綺麗に散りばめ――キラキラふわ
ふわしているような演出によって描写されたそのコマは、綺麗なベッドの
上で……二人の女の子が幸せそうにキスしていると言う、別にさっきの漫
画にもそういうシュチュあるよ? と言う、特別目立ったシーンでは無い
のだけれど……
「このシーンさ……」
梨花は漫画を見たまま、
「お互いに凄く幸せそう――キスする前もずっと笑顔で……でも私はこん
な心からの笑顔が出来ない。だからちょっと羨ましくって……」
梨花は顔だけ振り返り、
「だから――んむぅ……!」
私はもう我慢出来なかった。百合漫画読んだせいで、早くしたい! っ
てのも少なからずあるけど――私は、寂しそうな表情をする梨花をこれ以
上見ていられなかった。
「んっ……んんっ……? んー……♡」
私は梨花の口内をかき回したが――違う、何か違う。
「ぷはぁっ……♡」
一旦、舌を抜き――私は梨花の耳元に口を寄せ、
「キスしてる時の梨花は――この漫画のシーンとは比べ物にならないくら
い、幸せそうな顔してるよ」
実を言うと、梨花は突然のキスにびっくりしていて、きょとんとした顔
をしていたのだが――
「裕海ぃ……本当?」
少し照れた後、梨花は本当に嬉しそうに笑った。
「えへへ……私も、笑えるようになったんだ……」
梨花は私の耳元で、
「ありがとう……裕海」
梨花の温かい吐息が耳に触れ――私は身体がゾクゾクした。
「梨花――」
「裕海……♡」
梨花の手を握り、半ば押し倒すような格好になっちゃったけど――私は
梨花を、梨花の部屋で――
「んっ……♡」
本日二度目のキス、今度は途中で止めない――心ゆくまで梨花とのキス
を堪能したい……
と、思った矢先。
「梨花~……入るわよ~」
ドアをノックする音と共に、梨花の母親の声がした。――ヤバい! こ
の状況……
「ぷはっ……待って! すぐ開けるから!」
梨花は必死に百合漫画を抱え込み、戸棚にしまい鍵をかけた。――その
時間、わずか二秒。
梨花は息を調え、ドアを開けた。
「これ……お口に合うか分からないけど……」
ケーキ! しかも、もしかしてこの箱――この間梨花が持ってきてくれ
た……!
「近所のケーキ屋さんで急いで買ってきたんだけど……どれが良いか分か
らなくて――」
梨花の母親は箱を開け、中身を見せた。――中にはいちごのショート、
紅茶ケーキ――そして……
「チョコレート!」
思わず叫んでしまった。――梨花の母親はクスりと笑い、お皿に乗せて
くれた。
「梨花はどっちが良い?」
梨花は少し顔を赤らめ、
「こ……いちごの方……」
梨花の母親はそっと微笑み、お皿に乗せると――
「では、私はこれを……」
と、紅茶ケーキの入った箱を持って部屋から出て行った。
「……ふぅ……」
梨花はホッとしたように溜息をつき、ケーキに手を伸ばした。
「梨花はいちごのショートが好きなの?」
梨花は首を振り、
「紅茶も好きよ、でも……安心出来る人の前でしかこっちは食べないわ」
梨花は嬉しそうにケーキにフォークを刺した。――? どうゆうこと?
「私はお堅いイメージで通ってるから――どうもね」
梨花はショートケーキの端っこを口に運び、顔を赤らめ、
「私は――本当に安心出来る人の前でしか素の自分を見せないのよ……正
直言うと、見せられない……かな?」
遠い目をしている梨花を見て、私は哀愁より――優越感を感じていた。
え? だって、私の前では素の梨花を出せるって事で――それは梨花が私
の前では安心できるってわけで。
「梨花ぁ……♡ もう! 可愛いなぁ」
私は思わず梨花を抱きしめた。ケーキを口に含んだ瞬間だった梨花は、
フォークを口に入れたまま少し驚いた様子を見せ――
「食べ終わったら、また……♡」
梨花と私は、ケーキより甘い――とろけるような時間をたっぷりと味わ
った。




