第三十七章:事故
「んむっ……」
振り向きざま、私は愛理ちゃんとキスをしてしまった。遠川さんと、初めて事故でキスをしてしまった時の事を思い出す。――苦い思い出よ……。
事故でキスして泣かれるなんて。――どうでもいいけど、泣かれた理由思い出したらなんかムカついてきたわ。
「はわっ……!」
愛理ちゃんはビクッとして離れたが、目には涙が浮かんでいた。泣くのを必死にこらえているようだが――この反応からするとマジなファーストキスだったのかなぁ……。
「……ごっ……ご、ごめんなさい」
まるで自分の死に様でも見たかのように怯えた表情を見せ、顔面蒼白で目が虚ろだった。
これだったら遠川さんの反応の方がマシだ……。なんて思っていると、
「愛理!」
姫華の家のドアが開き、彼女本人が走ってきた。今にも泡を吹いて気絶しそうな小さなメイドさんの姿を見て、次に凄い形相で私を睨みつけた。
「どう言う事?」
「事故……」
「はぁ!? 事故で済むと思ってんの!」
怖い。この間みたいな愛の込もった『怖~い』じゃ無く、これはマジに殺人でもしそうな表情だ。――殺されるとしたら私だな。
愛理ちゃんはブツブツと何かを呟き、フッと黙り、同時に道端に倒れ込んだ。
「ああー! アキバの店で二時間並んで買ったコスプレ衣装!」
あんたはどっちが大事なの、妹? それともこの洋服?
――なんて言える神経してれば、もっと人生楽しいんだろうな。
「愛理、行きましょう! それと裕海! 愛理を抱えるの手伝って」
普段の姫華と違い、立派なお姉さんって感じの彼女は、愛理ちゃんを家のリビングに運び込むと、階段を登った。
「裕海、ちょっと来て!」
普段の『ちゃん』が無くなってる。
――これは本気で怒ってるな……。
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私は姫華の部屋に入り、部屋のど真ん中に座らされた。……お説教かな?
それとも本当に殺されちゃったりするのかな……。
「裕海ちゃん、説明して」
『ちゃん』が付いた。……なんて分析してる場合じゃ無い、でも一応落ち着いてはいるのかな?
「あのね……」
小学校の先生が、悪い事をした子の言い訳を聞くように、姫華は真剣な
表情で私の弁解を聞いていた。時折頷き、言葉に詰まると溜息をつき、顔色をうかがうと早く続きを言えと促す。
「で――、偶然唇同士が当たっちゃったって言うか……」
姫華は真剣な顔のまま、右手を振り上げた。
「ひぅっ……!」
平手打ちをされるのを覚悟し、私は咄嗟に身構えたが、
「ふぅっ……」
溜まった息を口から吐き、ストンと振り上げた手を下ろした。
「あの子には私と同じ道は辿って欲しく無い」
姫華は悲しそうな顔で淡々としゃべりだした。
「私が初めて男の子が女の子を本能的に好きになる理由を知った時……私は今まで大好きだった『男の子』って生物が大嫌いになった」
姫華の瞳に涙が浮かんだ。
「怖い、汚い、恐ろしい……この三つに心を支配された私は、中学時代の彼が好んでいた、オタク系の趣味に現実逃避した」
姫華が顔をあげた。
「これ以上は暗い話になるから省くけど、私はあの子――愛理には、そうなって欲しく無いの。キスとかが怖い物って思って欲しく無いの。だから、本当に好きな人以外とはキスして欲しく無かった」
「姫華……」
「愛理もまだ中学生でしょ? 本気で好きな人とキスした事無いのよ。だからびっくりしちゃったんだと思う」
「愛理ちゃんのファーストキスを……」
姫華の暗い顔がきょとんとした顔になった。
「え? ファースト……?」
「んぇ? だって今!」
姫華は遠い目をした。
「私は妹にいつまでも純粋でいて欲しかったわ、でもあの子、勝手に私の部屋入って、危ない漫画とか普通に見て育ったから、男の子とキスしたことはあると思うわ」
「姫華……?」
「理想と現実って違うのよ」
私はなんとなく理解してきた。この微妙に辻褄が合わない長話、無駄に
空気を重くして、私を同情させて……。
「愛理ちゃんはただびっくりしただけだよね?」
「はい、そうでござります」
「愛理ちゃんはファーストキスは済ませたのよね?」
「知らないけど、多分……。よく男女グループでカラオケとか行ってるんで」
姫華の目がどんどん泳いでいく、このまま太平洋まで泳がせてあげようか?
攻めに入った私は強いよ。
「でも愛理は同性でキスするのは初めてよ! 百合系の同人誌とかは鍵かけてしまってたし!」
「私は凄~く今、心を痛めたんだけどな~……」
こうなったらトコトンいじめてあげよう、本当怖かったんだから。
「でも! 愛理が気を失うくらいショック受けたのは本当よ!」
そりゃあ……まぁ、そうか。
「もしかしたら初めてかもしれないし……」
うっ……。
「ファーストキスが女の子なんて、ノーマルの女子中学生にしては、かなりのショックだと思うな~」
この子は本当……! 私の良心をチクチクと……。
「でも、私とキスしてくれるなら……、許してあげても」
やっぱりそれが狙いかー!
「痛っ!?」
私はそばにあった薄い本で姫華を叩いた。
「これでおあいこよ」
「裕海ちゃぁん……」
「一応、愛理ちゃんには謝っといて……顔合わせ辛いから」
姫華はにっこりと笑い、
「その代わり、今度愛理とキスしたら許さないからね!」




