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第百二十九章:新学期2

 まだ寒気の残る朝。

 眠気眼を擦りながら、私は制服の袖に腕を通していた。


 ダイヤモンドのような輝きを乱反射する窓を見て、期待とも不安ともとれる溜息をつく。

 ――新学期だ。

 とくに待ち合わせや予定を立てなくとも梨花に会えるのは嬉しいけど、それは同時に、高校生活最後の一年が開始することを意味する。

 将来を見据え、未来を思考し、これからのことを決定しなければならない大切な一年間――もとい、面倒な一年だ。


 胸の辺りがざわつく感覚を覚え、またしても溜息。

 私の心をこうも蝕む原因菌――クラス替えという決定事項を思い出す度に、ボーっとなって集中が続かない。


 たかがクラス替えともとれるが、されどクラス替え。

 意外とこの運命に任せたシャッフルが、今後一年を大きく変えると言っても過言では無い。

 クラスの雰囲気だとか、仲の良い友達がいるかとか、性の合わない人はいないだろうかとか。

 思い巡ることが多すぎて、私の心は先日からずっと霞がかかったようにどんよりとしている。


 自然と動作も緩慢になり、普段の倍近い時間をかけて、やっと準備が終了する。

 余裕をもって毎朝の行動を済ませているので、新学期早々遅刻するなどといったことにはならないのだけど。


「急がないと、姫華とか梨花がきっと待ってる」


 駅までの道のりが寸分違わぬ姫華はともかく、学校を挟んで正反対の方向から登校する梨花も、学校前の駅でいつも私のことを待ってくれている。

 梨花の性格上、私が多少早く来ても、私を待たせるような時間には来ていないと思う。

 きっと何本か早い電車で来て、ずっと待ってくれているのだろう。

 それを知っていて、わざわざ遅れて行くようなことはしたくない。


「――っと、準備万端、完璧」


 部屋から飛び出しかけたその身を翻し、姿見の前で本日の最終確認。

 髪の跳ねも制服の皺も、問題ない、大丈夫、完璧。


 そのままクルッとターンして、氷上を駆けるスケート選手のように軽やかな足取りで、私は階段を駆け下りて行った。



 ---



「おはよう、姫華」

「ん、おはよ、裕海」


 玄関から飛び出して左を向くと、塀に寄りかかりながら微風に髪を躍らせる姫華の姿が目に入った。

 両手で鞄を持ち、にこりと微笑みながら私の登場を迎えてくれる。


 肩を並べ、駅までの道のりを歩み始めたところで、両手を合わせて軽く謝罪。


「ごめん、ちょっと手間取った」

「大丈夫よ、私もいつもよりちょっと時間かかったし」


 春休み中何度も通った道筋だけど、時間帯が違うと、やはりその景色は何とも言えぬ新鮮味を帯びるものだ。

 鞄でじゃれあいながら駆け抜ける小学生とか、姫華を見て可愛らしく会釈する中学生とか。

 こういう景色を見ると、『ああ、新学期だなあ』という実感が湧いてくる。


 無機質な情景にも、人の姿が溶け込めば、一気に色彩豊かな光景へ変貌するものだ。

 それに――、


 隣を歩く姫華を捉え、思わず口元がニヨつく。

 こんな可愛くて綺麗な幼馴染と、一緒に肩を並べて登校できるなんて――!

 最高だ。今までも普通に過ごしてきていた、とくに変化の無い朝の一幕なのだが。

 春休みのとある一日、私が抱いていた本当の気持ちに気が付いてからというもの、もう近くにいる女の子が気になってしかたがない。


 テレビとか見てても、気が付けば女性アイドルを視線で追っており『あ、この人の目つき、梨花に似てる』とか、『この女優さんの髪、梨花のそっくり』などと、そればかりだ。

 今まで以上に、梨花のことが頭から離れない。


「ああ……一緒のクラスだといいな」

「そうだねー、最後の一年も裕海ちゃんと一緒だと、楽しいかも。去年は途中からだったから、あの学校でのイベントはほとんど出てないし」


 言いながら、姫華は私の肩を抱き寄せて顔を寄せる。

 朝日を受けて煌めく茶髪に首筋をくすぐられ、姫華はそっと私の耳元で囁いた。


「裕海ちゃんとペア組みたいな」

「もー、気が早い!」


 美麗な髪に肩を撫でられながら、私は冗談めかして言葉を紡ぐ。

 危ないから! 危ないから、やめてとは言わないけどちょっと控えて!

 確かに私は梨花第一だけど、姫華のことをどうとも想っていない、ってわけじゃないんだからね!


 無論それは、仲の良い幼馴染としてであり、それ以上の感情を姫華に抱くことは多分無いだろうけど。

 喩え心に決めた相手が現れたとしても、幼馴染属性とはいつになってもついてくる、迷った心を惑わすきっかけとなりうるのだ。

 とまあ、そこまで考えたわけでは無いけど。


「あんまり私にばかりベタベタしてると、羽谷さんが拗ねるよ」

「んー、大丈夫。新とは裕海のいないところで、もっとベタベタしてるから」


 他愛も無い冗談の延長線で発した言葉だったが、姫華はそれに対して的確な内容を返してきた。

 言葉は濁ってたけど、それはかなりセキララな。


「あ、うん、そうだね」

「ふふ、お返し」


 冗談か本心か分からない笑顔を返され、話を振った方であるはずの私は、何とも居心地が悪くなってしまった。



 ---



 新学期とは、普段登校時間を守らないような人や、時折学校を休む人など、通常より多く――数多の生徒たちが同じ時間に、同じ場所を目指して電車に乗り込む。

 乗り込む場所は多々あれど、到達するべき箇所が同じであれば、一つの空間を埋め尽くす高校生の数が増えることはあっても、減ることは無い。

 故に、停車駅を通過すれば通過するほど、電車内にて自分が使える空間とは狭まれていくわけであり。


「――中央駅、中央駅」


 何度その駅の名を呼ばれぬことを待ちわびたか、私は姫華と手を握り合いながら、人の波という名の奔流に幾度も飲み込まれそうになりながら、やっとこさホームへと降り立つことができた。


 プシュゥと音を立てながら電車のドアが閉まった時には、同じ色の制服で駅ホームが塗りつぶされていた。

 その流れに押し戻され、乗り損なったらしいおじさんは、行ってしまった電車の尻を茫然とした様子で見つめていたが。それはさておき。


「裕海ちゃっ、大丈夫?」

「私は大丈夫だけど、姫華、髪が絡まってる」

「あーもー! 面倒がらずにポニテにしてこれば良かった。裕海ちゃん、ヘアゴム持ってない?」


 あいにくだが、私はそう言ったものを持ち合わせていない。


 肩につかない程度の髪を手で遊ばせながら、私は「持ってない」と告げる。

 前髪をどける時とかに使う細いリボンならあるけど、多分姫華の髪を束ねて留めておくほどの強度は無いと思う。


「裕海ちゃんも髪伸ばせばいいのに。――昔みたいに」


 手入れさえ面倒でなければ、私だって伸ばしたい。美容院行くたびに、伸ばしても暴れない良い髪質って言われるし。

 でも私は姫華とか梨花みたいにスラリとしてないから、伸ばすとなんか不潔っぽくなるんだよね。


 小学校のとき、結んでた先端を男子に引っ張られたという過去も、私が髪を伸ばさない理由の一つになっている。

 まあ、それはそこまで気にしてはいないけど。


 姫華はさりげなく髪を梳きながら、私の後ろにピタリとくっついて改札まで。

 二人並んで定期券を見せながら通り抜け、やっと中央駅から出ることができた。


 学校に一番近い出入り口へ向かうと、駆け回る天使をモチーフにした銅像の前に、二つの人影が存在している。

 一つは長い髪を下ろしたスラリとした少女。そしてもう一人は――、


「宮咲せんぱぁーい!」


 両腕を大きく広げ、姫華の胸に飛び込む羽谷さん。クセっ毛では無いが、ふんわりとした髪を泳がせながら、幸せそうに擦り寄っている。

 よし、私も。


「梨花ぁぁ――――!」

「へ!? ちょっと、や、裕海!?」


 銅像前に佇む梨花めがけて、体当たりするような勢いでダイブ。久しぶりに会ったんだし、これくらいしても良いよね。

 大丈夫、前に灯をたまにやってたし。感動的な再開ごっことか言って。


 久しぶりとは言っても、数日前一緒にお出かけしたなーとか思いながら梨花を抱きしめていると、ふっと背中に温かい感覚が舞い降りた。


「裕海ちゃんったらー、新学期だからってはしゃぎすぎだよー」

「み、宮咲先輩! いくら冗談でも、他の子とくっつかないでください!」


 冗談めかした姫華の声音を追いかけるように、若干ヤンデレ風味の込もった羽谷さんの声が放たれる。

 わたわたと慌てる梨花の胸に私が飛び込み、背中には姫華、そしてその姫華の腕に、羽谷さんがギュッとしがみついている。


 よく分からない状況に困惑していると、不意に奏でられた姫華の柔らかな声音が、私の鼓膜を刺激した。


「ダメだよ、裕海ちゃん。氷室さんと久しぶりに会えてはしゃいじゃったのは分かるけど、氷室さんは、外でそういったことされるの苦手なんでしょ?」

「……裕海、」


 梨花の背中に手を回したままの状態で顔を上げる。映り込んだ情景は、私が望んでいたものとは違い、辛そうに顔を背ける梨花の顔。――それを見ていると、私まで何だか悲しい気分になってくる。


「ごめん梨花、はしゃぎ過ぎて……」

「別に、大丈夫よ」


 凛然とした声音で対応され、思わず私は目をしろくろさせる。

 新学期最初に梨花から欲しかった言葉は、聞けなかったな。


「ほら、裕海ちゃん。急がないと新学期早々遅刻しちゃうよ」


 そう言いながらも、姫華は私の背中にペッタリとくっついたままだ。

 もしかすると、梨花が目立たないようにカモフラージュしてくれているのかもしれない。


 本当に、姫華は優しくて色々なことに気が付く子だな、と思う。



 ---



 所々薄汚れた校舎の前には、数多の制服姿の少年少女たちが群がり、人だかりができていた。

 朝からうるさいし、梨花も人混みが嫌いなのでなるべく入りたく無いんだけど。

 こういうのはちゃんと自分の目で確認しないとアレだから、仕方ない。


 なるべく女子生徒の多い箇所をぬって、私は人の波をかいくぐって目指すべく奥へと進む。

 次いで羽谷さんに抱きしめられた姫華が身体を引っ張り出し、さっき整えたばかりの髪がまた絡まった――! と叫んでいた。

 そして、まるで姫華を盾にするような恰好で伏し目がちな梨花が現れ、ようやく四人とも人混みの先頭まで辿り着いた。


「……このシステム、どうにかならないものかしらね」

「私が前にいた学校だと、クラス毎に分けられて、教室の前に張ってあったわ」

「来年こそ、変わって欲しいなー」


 梨花、姫華、羽谷さんのそんな言葉を聞き流し、目の前に広がる壮大な張り紙を見つめ、凄まじい速度で書かれた文字の上にて視線を彷徨わせていた。


 いわゆる、クラス替えの発表ってやつだ。

 うちの学校はどうも面倒くさがりなのか、はたまた遥か昔から変えることの許されない決定事項として刻み込まれているのか知らないけど、クラス替えをするとき、全学年――全校生徒の名前をズラッと並べ、校庭のド真ん中にそれを記した看板を建てておくのだ。


 今回は二回目なので慣れたものだが、昨年はこの状況を目の当たりにして、思わず茫然と立ち尽くしたものだった。

 灯と肩を並べて、人がはけるまでただただその様子を見つめる始末。


 今年はそんなことには、ならずに済んだけど。


「――三年、一、二、三」


 指を走らせ、一クラス一クラス丁寧に、は行の箇所まで視線を向ける。

 梨花の名前の方が私より先にあるから、先に私の名前が見つかったら、その瞬間希望は断ち切られてしまう。


 ……氷室、梨花。

 …………双海、灯。


 目線を下ろす速度を緩め、瞑目して深く深呼吸。落ち着いて。時間かけたって、ここに書かれている内容が変わるわけじゃないんだから――。

 とは言っても、やっぱり現実と向き合うのは勇気がいる。

 瞳を開き、もう一度三年三組の列を上から見直した。


 ――氷室、梨花。双海、灯。


 ここまでは、さっきと同じだ。


 ……蒔菜、裕海。

 …………宮咲、姫華。

 

「あ、わ! あった、よに、四人とも一緒だよ!」


 梨花の名前も灯の名前も、姫華の名前も。私と同じ場所にある。見間違いかどうかもう一度――なんてことはしない。

 振り返った途端、吐息のかかる距離に姫華の顔が現れて、そのまま胸の中に飛び込んできた。ふわっとした香りとか感覚が舞って、ヤバい。高揚した感情を掻き立てるように、姫華の全てが私の全面を包み込んで――っと。


 冷徹な視線。悲壮と憎悪に塗れた視線。色彩も温度も違う二種類の瞳に刺され、私はそっと目線を向けられた先を見る。

 そこには冷たい双眸を向ける梨花と、凄まじい目で睨みつける羽谷さんの姿。双方から恨みを買うわけにもいかないので、私はそっと姫華の体躯を離した。


 梨花は『いつものこと』とでも言うように、玲瓏な瞳を閉じて溜息をついていたが、羽谷さんはまだ私のことをじっと見つめている。

 だって、抱きしめてきたのは姫華の方だし。――確かに、姫華に抱きしめられるのもちょっと心地いいなとは思ったけど。



 ---



 さて、そんなわけで無事クラス替えの結果を確認した私たち三人(羽谷さんは自分のクラス確認のため別れた)は、ヒンヤリとした三階の廊下を歩んでいる。


 窓が時折開いており、まだ若干寒気の残る風が廊下を冷やす。でも私にその風が直撃することは無い。

 何故って――。今私は、両側から女の子に挟まれているから。右側には梨花、左側には姫華が寄り添っている。繊細な髪が首筋を撫で、双方の体温が混ざり合う。


 新学期のためか、朝っぱらから廊下を歩いている生徒はほとんどいない。

 冷えた廊下を彩るのは、三人の足元から奏でられる不揃いな協奏曲コンチェルトと、適度な緊張がもたらす艶やかな吐息のみだ。


 会話はとくにない。普通なら、静寂に耐え切れなくなった私が二人に話しかけるのだけど、今はそれどころじゃない。

 両側から梨花と姫華に挟まれて、正常な精神状態を保てているはずがないのだ。


 手鏡が無いから確認できないけど、多分顔が赤いと思う。外気は冷たいのに、私の場合、顔はおろか耳まで熱い。

 痛いくらい鼓動が跳ねる。気を抜くと倒れそう。


「――あ、三年三組。ここだね」


 姫華の声が耳朶をじんわりと刺激し、左腕が温まる。姫華に連れられるように教室へと躍り込み、最初に目にしたもの――、


 私が最初に見たのは、黒板に書かれた担任教師の名前。昨年と一緒だった。割といい先生だったし、いざこざも無かったから、個人的には良かったと思う。

 梨花も同じくほっとしたように、黒板を見て自分の席を探していた。教室入った瞬間、私たちと他人の振りするのは少し寂しいけど、もう慣れっこだ。


「あれ、倉科くん。どうしたの?」


 黒板を見て、さて席はどこだと視線を彷徨わせた途端のこれだ。新学期初の姫華のコンタクトが倉科くんとは、またどうにも妙な因果律を思わせる。


「あ、宮咲さん。――と、蒔菜さん」


 ついでか。とちょっぴり拗ねてみる。


「――えと、高垣とかと違うクラスでさ」

「そっか、でもまた席近いみたいだし、仲良くしよ?」


 ずいと前に出て、出来る限りの愛想笑い。さっき見たところ、倉科くんとはまた席が隣同士だ。こういうのって、出席番号順とかじゃないのか、と思うんだけど、どうやら違うらしい。

 ちなみに梨花はまたしても窓際の席をゲットし、姫華に至っては教卓の目の前という残念地帯だ。「交換してー」と冗談交じりに泣き疲れたけど、冗談じゃない。いくら姫華の願いでも、それは譲れない。


「――――」


 倉科くんは黙ったまま目を逸らし、小さく首肯。

 む、せっかく花も恥じらうじょしこーせーさまが笑顔を振りまいてあげたのに、その反応は寂しいな。

 まあもっとも、倉科くんは私の笑顔なんて見たくないか。どうもこうも、灯含めて三人と一緒だからか、朝から妙にテンションが高くて仕方がない。



 自分の席に着いて、やっと一息ついた。間もなく倉科くんも隣の席に腰を下ろしたけど、ずっと黒板を眺めていた。何か面白いことが書いてあるわけでも無いのに。


 一応席順に並んだ名前を見て、かつての友人がいないかどうかのチェック――したのだけど。見事にバラけたらしい。遠川さんも、雨宮さんも。――倉橋くんまで、クラスが違ってしまったらしい。


 倉橋くんに関して恋心は抱いていないはずだけど、あの爽やかな笑顔を授業中とかにこっそり見れないと思うと。なんだか少しだけ、寂しかった。

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