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第百二十二章:視線

 講堂の脇に設置された自販機で緑茶を二本購入した帰り道にて、倉科君とばったり出会った。


 制服の袖を捲りあげており、少し骨骨しい腕が外気に晒されている。

 積み重なっていた備品が無くなっているので、この数十分で自分たちの作業を終わらせたようだ。

 まだ屋内は全然終わってないのに、凄い。


「倉科君、そこ終わったの?」

「……え、ああ。終わった、よ。蒔菜さんとこの進み具合はどう?」


 またボーっと遠い目をしていた。

 叶わぬ想い人のことでも考えていたのだろうか。

 ふむぅ、これは早く姫華に会わせてあげたくなるな。


「屋内はまだ全然だよ。……姫華もまだ、中にいるみたいだけどっ」


 さりげなさを装い、姫華の名前を出してみる。

 だが倉科君は、「そっか」とだけ言うと、またボーっとした視線を虚空にさまよわせていた。


 あれ……? 反応悪いな。

 照れてる――にしては、何というか素っ気ないし。

 さりげなさすぎたかな。


「蒔菜さんところは、まだ大分残ってるの?」


 素っ気ない態度で、溜息をつくように呟かれた。

 別に気にしてはいないけど、聞かなきゃいけないのかな、って感じだ。


「残ってるけど、」

「じゃあ手伝う。俺も手が空いてて暇だったし」


 身体を起こして伸びをすると、ジャージの上着が捲れ上がり、腰の辺りが外気に露出する。

 腹筋でガチガチってことは無いみたい。倉科君、どちらかと言うと華奢な体格だし。


 私はとくに返事をすることは無く、ペットボトルの緑茶を抱えて梨花のもとへと赴いた。

 すぐ右隣に、倉科君が並んで同じペースで歩む。

 微風が体躯を撫で、ツンとするような汗の匂いが漂った。

 表情には出していないものの、倉科君もかなり頑張っていたらしい。

 涼やかな顔をしてたから、そこまで疲れてないのかと思ってた。


 手元のペットボトルを眺める。

 二本ある。梨花の分と、私の分だ。

 本来こういう状況であれば、女の子らしく「はい、疲れてるみたいだから」とか言って自分の分をあげたりするのだろうけど。

 あいにく、私のは飲みかけだ。

 倉科君は時折こちらに視線を送ってくるけど――ごめん、これはどっちもあなたのでは無いの。



 ---



「はい、梨花」

「ありがとう――裕海」


 疲弊の溜まったらしい表情を見せる梨花は、パイプ椅子に身体を預けたままペットボトルに口を付けて喉を鳴らす。

 ついでに私も自分の分を喉へと流し込む。

 一緒に来た倉科君が寂しそうな表情で私を見つめている。


 ――本当にごめんなさい。


 心の中で謝りながら、私は講堂を見渡してみる。

 先ほど私が退出したときから、大して景色は変貌を見せていない。

 意外とこういう仕事って、男の子の方が終わるの早いんだよね。


 空間の端へと視線を泳がせると、数人の女子とともに姫華が備品を片付けていた。

 傍には羽谷さんの姿もある。

 一年生もここの手伝うのか――それとも、自主的にここを志望したのか。

 分からないけど、楽しそうだから別にいいか。


「姫華も頑張ってるね」

「……え、ああ。うん」


 暴走気味な羽谷さんの愛情表現を華麗に躱しながら、姫華はテキパキと与えられた仕事を片付けている。

 時折他の人に何かを聞かれては、的確な指示を出している。

 普段は流している髪も、今日はポニーテールにしているようだ。

 うん、似合ってる。

 倉科君も、普段と違った姫華が見れてさぞ嬉しいことだろう――って。


 チラリと視線を泳がせると、倉科君と目が合ってしまった。

 てっきり姫華の姿に見とれているものだと思っていたのに、倉科君の視線は何故かまだ私を刺している。

 何? え、もしかして飲み物が無かったこと、まだ怒ってるの?


「倉科君、もしかして喉渇いた?」

「え、まあうん」


 虚空に視線を彷徨わせ、倉科君は不意に姫華の方を見た。


 よしよし、それでいいのだよ。

 ポニテな姫華なんて、学校じゃほとんど見れないもんね。



 ---



「はぁー! 終わった」


 校門前にて、私は盛大に伸びをした。

 燃えるような夕日が沈み、濃紺色の空が天を埋め尽くす。

 流石にまだ星は出ていないが、辺りは真っ暗で少々心もとない。


「せっかくの金曜なのに、明日が本番だから休日が一日少ないっていうのが、なんかね」

「でももう少しで春休みじゃない。裕海は進路どうす――」

「やめてー! 家でも言われてるのに、梨花までそんなこと言わないでよー」


 わざとらしく両手で耳を塞ぎ、姿勢良く歩を進める梨花にしなだれかかる。


「それより春休みどこか行こうよ、梨花どこがいい?」

「もぅ……。裕海ったら」


 満更でもないような表情を見せながら、梨花は私の肩を抱き寄せた。

 紫紺の影に、制服の上着は溶け込んでしまう。

 そのため、少し離れると他の人たちが何をしているのか視認できないのだ。

 現に、少し前を歩いている男女が何をしているのか、私の場所からは分からない。

 ……まあ、何もしてないのかもしれないけど。

 普段外では遠慮がちな梨花が積極的なのは、そういったわけ。


 冷たい微風を右腕に感じて、思わずゾクリと総身を震わせる。

 左側には梨花の体温を感じているけど、反対側はやっぱりまだ寒い。

 三月とは言っても、まだ気候は冬なんだよね。


「……ねえ、裕海?」


 学校から駅までの道のりを半分近く越えたところで、不意に梨花が甘い声音で囁いた。

 耳元で発せられた言葉は柔らかく中耳腔を叩き、耳朶を温める。

 歩きながら視線だけで辺りを見ると、時間も時間だからか人気が少なくなっており、すぐそばには誰もいない。

 電車が来るまでまだ時間もあるし、真っ直ぐ駅まで行く人は少ないようだ。


「――あっ」


 梨花の口元から、吐息のように柔らかな声音が小さく漏れる。

 眼鏡越しの梨花の瞳は、穏やかに細まり、前方の闇を見つめていた。


「……梨花?」

「前歩いてた二人、キスしてたよ?」


 その言葉に反応してすぐさま顔を前へと向ける。

 だが――残念、腕を絡め合っているのはギリギリ視認できたけど、顔まではよく見えなかった。

 見たところ、初々しい二人、といった様子だ。

 もしかすると、最近付き合った二人だったりして――って!


 街頭のミラーで反射した車のヘッドライトに照らされ、一瞬だけその二人の顔を拝むことができた。

 サラリとした猫毛に、ツンとした表情と凛然としたツリ目。

 小柄で華奢な体躯をしており、会ったことは無いのに、私は彼女のことを知っている。


 ――うちのクラスに堂々とチョコ持ってきた人だ。


 と、いうことは――と目を凝らしてよく見ると、隣で顔を赤らめながらその子を見つめている男子は――うちのクラスの人だった。

 まさか、こんなところで見かけることになるなんて……。


「…………」


 しかしもう、見ているこっちが恥ずかしくなるくらい初々しい二人だ。

 肩が触れ合っては、静電気のようにパッと離れ。

 どちらからともなく手を寄せては、指が触れ合って離れる。

 うぅん、なんか良いな、ああいうの。

 今だからこそ、梨花とは遠慮無くくっつきあってるけど――何故か私たちは出会って間もない頃から結構激しく接しあってたから。

 あんな風に、ちょっとした触れ合いを楽しめたら――なんて、やっぱり思ってしまう。


 人間……欲が出るものなんだなあ。

 半年前の私だったら、こうやって心から触れ合える相手がいるという

だけで満足だっただろうに。

 もちろん、今の日常が楽しく無い、というわけではないのだけど――。


「裕海?」


 梨花の腕が絡められ、上目遣いをする瞳に私の姿が映される。

 ふんわりと甘い香りが漂い、梨花の体躯をすぐ傍に感じる。


「ちょ、ちょっと梨花」


 流石の私でも、往来でここまで密着されるなど、動揺する。

 鼓動は速まり、顔が若干熱くなった。

 紅潮した頬を冷めた外気が優しく撫で、心地良い。


 私は視線を泳がせて辺りを見渡す。

 学校前で、しかも他の生徒たちが何人も歩いている。

 若干薄暗い、という状況が普段の梨花が持つ“慎重な行動”を濁しているのだろう。

 意外と梨花って、「誰も見てないよ」とか言えば、安心して心のタガを外しちゃうような人なのだろうか。


 ――じゃ、なくて!


 うっとりとした視線を向けて、梨花の手が私の肩を撫でる。

 顎をクイと擡げられ、梨花の瞳が目の前に現れた。

 そして、そのまま梨花に私の唇を――


「裕海ちゃーん、私も一緒に帰るー!」


 奪われかけた刹那、後方から奏でられた姫華の元気な声音によって、その淡い空間はかき消された。

 梨花は若干不機嫌そうな表情を見せていたけど――。

 私は、これでよかったと思うんだ。うん。


「新は用があって、先に帰っちゃったみたいなんだ。今日は遅くてちょっと暗いし、一人じゃ心もとないから、ね?」


 つまらなさそうにそっぽを向く梨花と、嬉しそうに頬を緩めて私に視線を送る姫華。

 そんな対照的な表情を浮かべる二人に挟まれながら、私たちは帰途についた。

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