第百十九章:思い出の場所
二月二十七日。
大抵の方々にとって、この日は何の変哲もない平日でしか無い。
私は制服に着替えてカバンを手に持つと、綺麗にラッピングされたプレゼント用の袋を丁寧に仕舞い込む。
幸いカバンがギチギチしたり、不自然な膨らみが出たりしなかった。
多分梨花は心のどこかで期待しているのだろうけど、なるべくその時までプレゼントの存在は隠しておきたい。
サプライズってやつだ。
もちろん祝辞は朝一番で告げる。
気づかない素振りから始まるサプライズも結構だけど、大抵そういうことをすると、決行する頃には相手が冷めてしまっていて上手くいかない。
よくドラマとかで、一人の子を無視してる――と思ったら、誕生日パーティの準備をしてたのでした――めでたしめでたし、ってあるけど。
前にクリスマスさえも忘却の彼方へと吹き飛ばしていた私が、そんな臭い
芝居でもすれば、梨花は下手すると、私が本当に忘れてしまったかと思って、絶望してしまうかもしれない。
流石にそんなことは無いだろうけど、それが出来ない理由は、もう一つある。
はっきり言って、私は嘘や隠し事が苦手なのだ。
点数の悪いテストを、母親の目から隠し通せたことなど一度たりとも無い。
小学時代、初めて男の子を好きになったときも、翌日にはバレていた。
相手の子曰く、分かり易い、らしい。
小学生なのに。
裏表が無くて誠実、と言えば聞こえは良いけどね。
とりあえず。
今日の予定を頭の中で反芻する。
普段通り姫華と駅まで向かって、梨花と合流。
姫華は他の友達に連れられて、私と梨花は二人きり。
通学中にさりげなく、誕生日おめでとう、と伝える。
放課後になったら一緒に空き教室へと向かって、そこでプレゼントを渡す。
うん、完璧ね。
これで相手が想いを伝えていない相手とかだったら、緊張して予定通りいかないだろうけど。
梨花と私は恋人同士、話すことには慣れてるし、何も心配することは無い。
ただ普段通り顔を合わせて、会話に織り交ぜて言えば良いのだ。
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家の外に出ると、姫華も丁度玄関から出てきたところだった。
二月も終わりということで、若干寒さも和らいできて、そろそろ春の訪れが待ち遠しくなる季節だ。
姫華はチェック模様のマフラーを口元まで巻いて、柔らかい微笑みを見せると、私の傍に歩み寄る。
碧町駅まではそう遠くない。
だけど、途中気を引くようなものも無く、他にここから行く人はいないので、姫華と話す時間はたっぷりあるのだ。
「裕海ちゃん、ちゃんとプレゼント持った?」
「持ったよ。梨花、気に入ってくれるかな……?」
私はカバンを持つ手に力を込め、ギュッと握り締める。
正直言うと、少しだけ心配なのだ。
渡したプレゼントが期待外れだったとしたら。――梨花はもしそう思っても、表情とか声には出さないと思う。
でも、一瞬でも梨花が悲しそうな顔を見せたら、きっとそれは、嬉しくなかったということだろうし――。
負のスパイラルに巻かれていると、不意に柔らかな温もりが頬に触れた。
手袋越しの、姫華の体温。
姫華は私の頬を優しく撫でると、そのまま頭まで移動させて優しく髪を梳かす。
「気に入ってもらえるよ、きっと」
姫華に頭を撫でられ、私は思わず姫華の肩に頭を預ける。
そうだよね。梨花なら、気に入ってくれるよね。
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すし詰めにされた電車から降りると、駅の外に佇む黒髪の少女が視界に入った。
怜悧な視線を向ける、凛とした女の子。
美麗な黒髪を烟らせ、透き通るような冬の外気を玲瓏に撫でる。
端整な顔立ちに、細めの銀縁メガネを乗せたスラリとした魅力的な容姿。
その姿を見つけた刹那、私は姫華を置いて駆け出し、静かに佇む黒髪少女へと飛びついた。
「おはよ、梨花! 誕生日おめでとう」
「わ、わわっ……。裕海ったら、もう……。ありがと」
凛然とした表情を崩し、切れ長な双眸を可愛らしく見開いた。
眼鏡越しの瞳が柔らかく煌き、ネコのように細まる。
喜んでいるみたい、良かった。
「裕海ちゃん! 突然走ったら危ないでしょ」
梨花の胸に飛び込み、普段じゃれあうような感覚で抱きしめていると、後方から姫華が怒ったように歩み寄ってきた。
そしていつも通り梨花と姫華は目と仕草で挨拶をして、私を挟んで歩き出す。
右手を姫華に握られ、梨花は私の左腕に自身の腕を絡めている。
左手はカバンを持ってるから、両手を繋ぐことはできないのだ。
実際お二方とも私より背が高いので、両側から手を握られると、家族みたいになってしまうから、という理由もあるのだけど。
暫しの間、三人で他愛も無い話をしていると、顔が広く交友関係のある姫華は、他の生徒に連れられて私たちから離れていく。
普段は若干寂しく感じる瞬間だけど、今日は違う。
おめでとう、は言えた。
だからこれで、梨花の誕生日をちゃんと憶えている、という事実を伝えたことになる。
梨花の距離が少しだけ普段より近い気がする。
流し目に梨花の顔を見ると、頬を若干染め、メガネ越しの双眸を柔らかく細めていた。
普段は凛然とした瞳を真っ直ぐ虚空に向けているのに――。
その表情が可愛らしく、私は思わず梨花の手を握り締める。
時折そうすると、梨花は照れ隠しか怯えのためか、すぐに手を離してしまうのだけど、今日は離さない。
手袋をしていないので、外気に触れて多少ヒンヤリしているけど、今の私にはその感覚も温かい。
登校中にちょっと指を絡め合っているだけなのに、何だか凄くドキドキする。
拒まれないというのが嬉しい。
肩を寄せて、ちょっとだけ顔を肩に乗せてみる。
「……梨花」
心なしか、普段よりも梨花が温かく感じた。
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何事も変わらない、普通の平日として他者の一日は過ぎていった。
半分微睡みながら授業を受けて、休み時間に姫華のノートを借りて、あっという間とは言えないけど、気がついたら昼休みになっていた。
本番は放課後だけど。
だからと言って、他の時間を無駄にしたり梨花を避けるようなことはしない。
私は灯に一言ことわり、それとなく教室を出る。
暫しの間一人で廊下を歩んでいると、不意に黒髪が烟られ、ふんわりとした感覚が舞い上がった。
梨花は凛然とした双眸の内に、期待の篭った瞳孔を潜めて私に視線を送る。
言葉を交わさなくても分かる。
きっと、屋上に行くんじゃないよね? とでも聞こうとしているんだろう。
流石の私でも、二月の末に屋上へ呼び出そうなんて考えて無い。
私が向かうのは、思い出の場所――梨花との楽しい思い出が、いっぱい詰まっている空間。
「今日はここで食べよっか」
「……うん」
空き教室だ。
梨花と何度も抱きしめ合って、除霊という名のキスをして、二人っきりの空間を体感した場所。
本当は放課後に連れてこようと思っていたのだけど、あと二時間も待ってられない。
生徒たちが普段使用している教室と違って誰もいないため、外気が若干冷えている。
だが、柔らかく差し込んだ日光のためか、冷え込みはそこまで酷いわけではない。
日当たりの良い箇所に腰を下ろし、いつもと何ら変わらぬお弁当箱を開ける。
慎ましく手を合わせてから、箱の中身にお箸を伸ばしたところで、不意に隣に暖かい感覚が降り立った。
ふわりと漂う甘い香り。
私の隣に姿勢良く腰を下ろした梨花は、肩を並べて体躯の側面をピタリと密着させる。
梨花の甘い息遣い。
全身が心臓になったかのように、バクバクと力強く鼓動が伝達される。
「……でも良かった」
梨花は吐息のように呟くと、包を解いて桃色のお弁当箱を取り出した。
――あれ? 梨花のお弁当箱って、確か落ち着いた感じの黒いやつじゃなかったっけ。
箸を止め、思わず視線を送る。
日差しを受けて煌く、長く流れるような黒髪の影に映る梨花の頬が、ほんのりと淡い桜色に染まった。
「誕生日だからって、普段と違うお弁当を作ってくれたんだ。……もう、子供じゃないのに」
照れくさそうにはにかみ笑いを見せると、梨花はお弁当箱の蓋を開けた。
普段からジロジロと見ているわけでは無いけど、いつもよりもカラフルで、若干豪勢にも見える。
梨花はその中から缶詰の桃を箸で取ると、口に含んで嬉しそうに笑みを浮かべた。
「果物の中で一番好きだからって……わざわざ缶詰買ってくれてたみたい」
「桃、好きなの?」
「甘いから」
幸せそうに口元で弧を描き、端に詰められた桃の欠片を大事そうに口腔内へと運ぶ。
天使のように愛らしい笑顔を見せながら、喉を鳴らして桃を飲み込む。
あまりの可愛らしさに、自分の弁当を食べることも忘れて、私は暫しの間その様子に見とれてしまった。
「……どうしたの?」
口に運びかけた黄色の破片を戻し、梨花が心配そうに私の顔を覗き込んだ。
ちょっぴり湿った唇から、淡い吐息がふんわりとこぼれる。
「甘いの好きなの?」
「うん、だーい好き」
花が咲いたような可愛らしい笑顔。
私は弁当箱を床に置くと、梨花の体躯を抱きしめた。
温かくてドキドキする。しかも、凄い安心感。
背中に腕を回し、ちょっぴり上目遣いをして梨花の顔を見つめる。
少し前まで何度もしてたことなのに、いざしようとすると凄く緊張する。
「もっと甘いの、あげるから」
私は顔を上げると、自身の体躯を梨花の胸に預ける。
柔らかい鼓動がお互いの身体を弾き、トクトクと波打つ。
温かくて安心感のある吐息。
私は一瞬逡巡した後、玲瓏な微笑みを浮かべる梨花の唇を奪った。
久しぶりに触れ合った愛しい恋人さんとのキスは、とろけるような甘いミルクのような味がした。