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第百十六章:甘い空間

 二月、当日だ。

 梨花に悟られると、せっかくのサプライズが半減しそうなので、カバンは普段通り一つだけ。

 何か小物とか付けようかと思ったのだけど、月末に梨花の誕生日という一大イベントがあるので、お財布のためにもそれは却下した。


 あの後、顔が上気して俯いていることを姫華に悟られ、精一杯の愛情を込めてギュッと抱きしめてもらった。

 別に恋愛感情が爆発したとかじゃ無く。

 頑張ったね、って感じに、誰かに褒めてもらいたかったのだ。

 柔らかくてぬくぬくしてて、姫華の胸の中は凄く心地よかった。

 せっかくだから、今日梨花に無事渡すことができたら、梨花のことも抱きしめてみようかな。




 教室に入ると、確実に普段と空気が違っていた。

 今季最大の冷え込みが予想される、とか天気予報で言っていたからか、普段より高温に設定されたエアコンが唸っていたが。

 それとは違う。

 熱っぽい視線が交錯し合い、カバンを開ける手元に物凄い数の視線を感じる。

 別段寒いわけでも無いのに、手が震えてしまう。


「あ、雨宮さん。はいこれ」

「あら、ありがとう。はい、これ私から」


 サラサラのポニーテールを振りまく女子にすれ違いざまに渡して、ホッと吐息を漏らす。

 と、同時に、辺りから溜息の八重奏。

 うん、分かるよ。分かるけど、すっごく分かりやすくて何だか少し面白い。

 女子が包を取り出す度に、辺りから感嘆の声や息を呑む声が奏でられ、渡す相手が同性だと分かると、溜息が連なる。

 いや、もし誰かの分持ってきてたとしても、こんな皆さんの目の前では渡さないでしょ――。


「はい、これ」


 渡してた。

 名前も顔も知らないけど、他クラスからわざわざ来て渡してるよ。勇気あるなぁ。

 猫毛でツンとした感じの小柄な娘だった。

 多分もう私とは会わないだろうな。



 ---



 エアコンが強い教室にカバンを置いておくと溶けてしまいそうなので、私は仕方なく、廊下に設置された鍵付きの個人ロッカーへと包みを仕舞い込む。

 これがまた頑丈なロッカーであり、石とか椅子をぶつけても、傷一つ付かない優れものだ。

 鍵はしっかりと、お財布のキーホルダーに編み込んでいる。

 盗難なんてことになったら、洒落にならない。


「……あれ、裕海もなの?」


 普段誰も使わないロッカーだったが、流石に今日は数人の女子生徒が密集している。

 隣に視線を送ると、灯も何かしらの包をせっせと仕舞いこんでいた。

 文田君に渡すのかな。

 部活一緒らしいし、終わった後に時間たっぷりあるだろうし。


「うん、梨花の分」

「ああ、そっか。私のは銀士のだけど……。はぁ、でもこれやってる時点で、持ってきてるのバレバレなんだよね」


 面倒くさそうに溜息を吐き、灯は流し目を送るような色っぽい視線で廊下の隅を見やる。

 私もそちらへこっそり視線を送ると、数人の男子生徒が廊下を駆けていった。


「私は別に、渡す相手は学年違うし彼氏だからいいけどさ。ああやって、こそこそ見に来るんだったら、いっそのこと『俺にください!』とでも言えばいいのに」

「あー。うん、そうだよねー」


 言いながらも、先ほど駆けていった男の子を思い出してみたが。

 ううん、無理だよ。皆が皆、灯みたいに堂々としているわけじゃ無いんだから。

 自分の好きな相手が、誰かの分を持ってきているか、だけでも結構違うんだろうなぁ……。あれ?


 そういえば姫華がいない。

 確かに羽谷さんの分作ってたし、多分ここに来ると思ったんだけど――。


「ほら裕海、早く戻ろう。あまりいると、裕海とか倉橋君の分だーとか変な噂流されるよ」


 ……それは困る。二重の意味で。

 私がまだ倉橋君を想っているなどと思われては非常に困る、遠川さんとの関係を知っている人たちから見たら、下手すると泥棒猫とか言われるかもしれない。

 しかももしそんな根も葉もない噂が梨花の耳に入ったら――考えただけで戦慄する。


「ほら、早く」


 灯に手を引かれ、私は足早にその場を去った。



 ---



 そして放課後である。

 私は梨花用件だけを簡潔にまとめたメールを一通送り、普段以上にざわめいている人の波に紛れ込みながら、さりげなくロッカーを通って空き教室へと向かう。

 カバンも持ってるし、多分普通に帰宅生徒にしか見えないはず。


 私は悠々とした面持ちで平然と廊下を歩き、なるべく人けの少ない場所を通り、いつもの空き教室へと到達した。

 幸い誰かが使用している形跡は無く、私は包をカバンから出すと、埃の積もった黒板に向かって、ちょっぴり予行練習をしてみることにする。


「……えっと。何て言って渡せば良いんだろ。普通に『はい、これ』じゃ、ダメだし――」


 何か特別感が欲しい。

 イベントだから――と言うよりは、梨花にあげたいから、頑張ったんだよ。ってことを伝えたい。

 趣旨からはズレるけど、うん、褒めて欲しい。

 梨花も確か調理系統は苦手だったはずだけど、私だって頑張ったんだし。

 お礼を求める、とはちょっと違うけど、頑張ったのを大好きな恋人さんに評価してもらえるのは――。


 想像してみる。うん、凄く嬉しい。


「裕海、どうしたの? 突然こんなところに呼び出して」


 私は咄嗟に包をポケットに仕舞い、なるべく自然な動作で振り返った。――はずなんだけど。


「……裕海大丈夫? 顔真っ赤だよ。この部屋締め切ってて暑いかな」

「あ、大丈夫。大丈夫だよ」


 喜んで欲しかったのに、心配そうにオロオロされた。

 落ち着いて、梨花が来るまでゆっくりと深呼吸でもするつもりだったけど、そんな時間無くなった。

 ここは予定変更で、いかにも自然な様子を見せて――。


「あ、そうそう。これ渡し損なってたけど――。はい、裕海」


 梨花は花が咲くように愛らしい笑みを見せながら、綺麗に包装された小さな包を丁寧に差し出してくれた。

 赤い包に、鮮やかな桃色をしたリボン。

 手が込んでる――っていうか、まさかこれ、デパートかどこかでしてもらった?


「どう、かな? 自分で包んでみたんだけど。……ちょっとリボンの結び目が汚くなっちゃって」


 いえ。パッと見てプロの技だと錯覚しました。

 本当に、梨花は料理系以外完璧だなぁ……。


「凄い。私に? ありがとう!」


 もちろん心のどこかでは、貰えるんだろうなぁ、とか思ってたけど。

 違うでしょ、裕海!

 ここは、私からもあるんだ。とか、渡す方向に繋げるのよ。


「……えっとね、梨花」

「うん」


 頬をちょっぴり染めた梨花が顔を向ける。

 可愛らしく首を傾げて、熱っぽい視線を私に送り、ネコのように優しく目を細めて見せた。

 若干見とれてから、私は顔が上気する感覚を味わい、ポケットに仕舞いこんだ包を梨花へと差し出す。


「これ、梨花に」

「わー、ありがとう。裕海」


 梨花は普通に渡せてるのに、何でこんなにドキドキしちゃうんだろう。

 ……うぅ。前はもっと凄いこととかしてたのに。


「包とか凄く綺麗。こういう色、私好きなんだぁ。包装とか凄く丁寧だけど、やっぱデパートとかで頼んだの?」

「ううん、自分で包んだよ」


 おぉ。お世辞かもしれないけど、梨花にプロの技だと錯覚してもらった。

 しかも色合いも気に入ってもらえた。これは凄く嬉しい。

 これで中身まで、『どこのメーカー?』なーんて……言われるわけは無いか。


「あ、開けてもいい? ――って言うか、食べて良い?」

「良いよ。私も開けるね」


 梨花はお腹が減っているのだろうか。

 お昼休みは普通にお弁当を突っついていたと思うけど。

 何てことを考えながらリボンを解いていると、梨花の歓声のような嬉しそうな声が響いた。


「え、待って。……裕海、これってもしかして」


 驚嘆するような表情を浮かべ、まるで宝物でも見つけたかのように、幸せそうな声を漏らしながら、箱の中から黒い塊を取り出して、じっと見つめる。

 瞳はキラキラと輝き、新しいおもちゃを買い与えられた少女のような期待に満ちた面持ちで、私とチョコレートへと交互に視線を送る。


「これ、裕海が作ったの?」

「う、うん。ちょっと手伝ってもらったり、教わったりはしたけど……、あ! でもそれは全くの自作だよ」

「すごーい!」


 純正純粋な感嘆の言葉。

 何もかも完璧で私よりも優れている梨花。

 でも、確かお料理系統は苦手だった。

 だから多分、今梨花が発した言葉と、休みなく注がれる暖かな羨望の眼差しはきっと、


「凄い、ねぇ、食べて良い? きゃぁ、イチゴまで入ってる!」


 二人きりの時でも見せないほどにはしゃぎ、梨花は私が作った黒い塊を口に含み、幸福感溢れる表情を浮かべる。

 私は暫しの間その笑顔を見つめてから、梨花から贈られた包の包装を解くと、ふんわりと甘い香りが鼻先をくすぐった。


「私の大好きなトリュフチョコだー」

「前から好きって言ってたもんね、裕海」


 梨花は幸せに顔をとろけさせながら、私に『早く食べて?』とちょっぴり照れた様子で勧める。

 勧められなくとも、もちろん今すぐに食べるって。


 ココアパウダーのかかったチョコレートを口に含むと、とろけるように甘美な風味が口腔内を幸せに彩る。

 流石梨花、私の好みをちゃんと覚えてくれていた。


「梨花には適わないなぁ」

「ええ! そんな私こそ……。裕海が手作りだって教えてくれてたら、私だって頑張って……。やっては、みたと思う。成功したかどうかはその、」


 不甲斐ない自分を嫌悪するように指先を突っ付き合いだしたので、負のスパイラルに飲み込まれる前に、話題を振った。


「それより、さ。……どうかな? 味の方は」


 梨花の笑顔を見ても、梨花のチョコを味わっていても。

 さっきからそのことばかりが、ずっと頭の中をグルグルと渦巻いていた。

 自分でもどうかとは思うけど、仕方ない、実際こんな手の込んだもの初めて作ったんだし。


 少し俯いて、視線だけを梨花に送って表情を確かめる。

 梨花はもう一個チョコを口に入れると、目をつむり、しっかりと味わってから喉を鳴らして飲み込むと。

 頬を両手で包み込み、とろけるような笑みを零しながら、


「凄く美味しい。今までもらったチョコの中で、一番甘くて優しい味がしたよ」


 頬を桜色に染めながら、嬉しそうにこちらへと視線を送る。

 先ほどまで感じていた妙な焦燥感は、まるで洗い流されたかのように清々しく浄化される。

 その言葉が、凄く嬉しい。

 梨花が発した言葉を咀嚼し、何とも言えない幸福感に浸っていると、突如顔の前に黒い塊を差し出された。


「はい、裕海、あーん」

「あ――」


 昼休みにもたまに行っている行動なため、躊躇いなく思わず受け取ってしまったが。

 よくよく考えると、これ作ったの私だし、味見と称して結構食べたんだけど――。


「……美味しい」


 自分で言うのも何だが、確かに美味しい、甘い。

 自分の手作りを他人から食べさせてもらう、というのも何だかおかしな話ではあるが。

 私も梨花のくれたトリュフチョコを指で挟み、梨花の唇に宛てがった。


「はい、あ~んだよ?」

「ん、ぁ――」


 私のように大口を開けるようなことはせず、小さく口元を開いてチョコレートを口に含む。

 幸せそうに頬を緩め、喉を鳴らして吐息を漏らす。


 暫しの間見つめ合っていたが、この状況で、見つめ合うだけで済むはずが無い。

 お互いに贈り物を机の上に乗せると、双方肩から首筋にかけて腕をまわし合い、身体の全面を密着させる。

 幸福感溢れる温もりを感じながら、私は精一杯背伸びをして、梨花の唇を味わった。

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