第百十三章:計画
二月だ。
新年やら新学期とかで元から忙しい一月は、梨花のデート騒動とか姫華の恋人騒動(別に騒いで無いけど)でいっぱいいっぱいであり、凄い勢いで終わった気がする。
何とも忙しない一ヶ月だった。
あれから高垣君は梨花に付きまとうことも無くなったし、倉科君は姫華にちょっぴりアプローチを仕掛けてきたらしい。
授業中とかに隣の席を一瞥すると、時折倉科君は心ここにあらずといった様子で姫華を見据え、恋煩いでもしたかのように小さく溜息をついている。
実際恋をしているのだが。
双方の結果を知っているのは、多分私と梨花だけだろうと思う。
倉科君の気持ちを灯は知っているけど、灯は姫華と羽谷さんの関係を知らない。
まぁ。姫華は私よりかは世渡り上手っぽいし、きっと悪い方向へと転がるようなことにはならないだろう。
さてと。そんな色々なことがあった一月だけど、二月もいくつか規定事項の予定があるのだ。
確か梨花の誕生日は二月二十七日だったはず。
前にサプライズでマフラー編んでくれたから、私からも何か差し上げたい。
市販の何かしらだけでは何となく寂しいので、編み物――は苦手だし、自作記念品――は小学生の工作レベルだし。
まさか粘土に手形付けて、『これが私の気持ちです』なんて言うわけにもいかないし。
うへぇ……。序盤から最難航だ。
しかも今月は、もう一日梨花に贈り物をするべき日があるのだ。
実際は男の子が甘い勝利と寂しい敗北のどちらかを掴み取る、という言い方次第では少年漫画的なイベントごとであって。
普通なら友人同士で渡し合うなんて、別にそこまで特別な日では無いのだけれど。
恋人さんに差し上げるそれは、やっぱり心を込めたいわけだ。
もちろん私は台所仕事は大の苦手分野であり、包丁を持った日など、何をしでかすか分からない。
さて、どうするか。
「ねぇ……。姫華、羽谷さんにチョコレートあげないの?」
「いつもながら突然ね。裕海ちゃん」
二月の一週目。
私は姫華の家に唐突に訪問し、姫華本人の部屋にてお菓子をポリポリとかじっていた。
姫華ならそういうこと得意そうだし、サプライズで作ってても、ちゃんと黙っててくれそうだし。
余ったのあげたら喜びそうだし――。
「裕海ちゃん、もしかして今すっごく失礼な事考えてない?」
丁度今考えていたことをピタリと当てられ、私は思わず大仰に否定のアクションをとりそうになったが。
あまり大袈裟な否定を見せても逆に怪しまれるだろうと見越し、私はなるべく落ち着いた様子で首を左右に振る。
「そんなことよりさ、姫華はどうするの?」
姫華は袋に入った棒状のお菓子を口に入れ、何かを考えている表情を見せながら無心に飲み込み。
小さく吐息を漏らした後。
「作らないかな。……市販ので良いっていうか」
ダメか。
想いを寄せた恋人さんには激甘状態で接するような姫華でも、流石にそこまで手が込んだことはしないか。
どうしよう。
灯にも相談しようとしたけど、この間簡素な板チョコを適当に漁ってたから、文田君にあげるのは大体想像がつく。
――って言うか、先日灯にそれとなく贈り物の話をしてみたところ、『情熱的な贈り物は時折夜にあげてるから大丈夫』って言われた。
ああ。何かすごく置いていかれた気分。
――まあ、それはいいんだけど。
「――でも」
姫華はベッドの上にうつ伏せに寝転がると、猫のように目を細めて愛らしい微笑みを見せる。
「裕海ちゃんが作りたいんだったら、一緒に作ってみようか?」
流石姫華。私の気持ちをちゃんと分かってくれている。
姫華はベッドから身体を起こすと、絨毯の上でだらしなく寝そべっていた私に優しく手を差し伸べた。
差し出された手を握り締め、口にくわえたお菓子を飲み込んだところで、姫華は少しだけ困ったような顔をして首を傾げる。
「でも裕海ちゃん、お菓子作れたっけ?」
「私? 一人で作ろう。――って、思ったことさえ無いよ」
私の中では、そんなこと当たり前だ。
私は小学校時代の工作から絵に至るまで、何かを作るという分野に関しては本当にダメダメだった。
もちろん私より下手な人も何人かいたけど、個人的に何かを作るのが特別好きというわけでも無い。
去年だって倉橋君にこっそりチョコレートを渡そうと計画を立てたものの、作るのが面倒で後回しにしているうちに二月が終わっていた。
市販でも良いから渡しておけば――。と、それから一ヶ月近く倉橋君を見るたびに悶えていたが、今回はそうやってうやむやにするわけにはいかない。
想いを伝えるために渡すのでは無く、大切な恋人さんに心からの贈り物をするために作るのである。
去年のは、渡せなかったら次があるさ(結局次は無かった)だったけど、今年も忘れるようなことがあれば、それは梨花を大切に思っていないということになってしまう。
普段から結構いい加減な私でも、こういう時くらい頑張ってみたいのだ。
「――だから、姫華に作り方を教わりながら一緒に作りたいの」
「最初からそれが狙いかいっ!」
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茶色がかった綺麗な髪をまとめ、春っぽい雰囲気のライトグリーンなバンダナを付け、実に慣れた動きで姫華はテキパキと台所の用意をこなす。
とりあえず、私がまず思い出さなければならないのはバンダナの結び方からだ。
小学時代の掃除とか中学の家庭科以外でこんな布切れを頭に巻くことなど無いので、何度結んでも滑って解けてしまい、無意味な焦燥感が募る。
姫華はもう量りや材料など、必要なものを綺麗に揃え始め、暇そうにお菓子作りの雑誌をパラパラと捲っている。
私はまだ身支度さえ調えて無いっていうのに。
これが凡人と英才の違いか、くっ……!
「……裕海ちゃん。そんな怖い顔してると、チョコレートが苦くなっちゃうよ」
「――え、ごめん。そんな怖い顔してた?」
バンダナを巻くという手順を一旦停止させ、私は頬や顎を揉みほぐす。
いけないいけない。ヤケになっても何もならないの。ここは落ち着いて、精神の安定をもって行動するのよ。
深呼吸をして、高ぶった心を落ち着かせる。
うん。少し穏やかな心が戻ってきた。これで大丈夫。
「さて! 姫華、やろっか?」
「待って。んもぅ……バンダナくらいちゃんと結べるようになろうね?」
姫華は背後にまわり、手際良くバンダナを結んでくれた。
最初からこうすれば良かった、などという向上心の全く見られない解釈とともに、情けなさに苛まれて軽く自棄になりかける。
ダメよ。……甘い物を作るってのに、何作る前から後悔してるのよ。
――っと。
背後から姫華の甘い香りが漂い、暗い感情に陥っていた心が若干浄化された感じがする。
「はい。結び終わったよ」
「……頭が髪でチクチクする」
「それくらい我慢しなさい! 恋人さんに上げるチョコレートに髪の毛が入った方が困るでしょ!」
確かにそうだけど。
でもくすぐったくて集中できない。
普段髪を結んでないからか、この感覚はどうしても慣れないんだよなぁ……。
口の中でブツブツ文句を言う私は気にせず、姫華はテキパキと材料やら何やらを並べると、量りに乗せて重量をメモし始めた。
量りは一つしか無いので、今現在することは無く。
普段暇な時にするように髪を触ったりすることもできず、真剣な面持ちで量りとにらめっこをする姫華に、何の気無しに問いかけてみる。
「姫華は、さ……。羽谷さん以外の人には、あげたりしないの?」
「んー? 一応市販のだったら、裕海ちゃんとか氷室さんとかにもあげないことは無いけど、」
「違う。男の子にあげるやつ」
「――!」
間一髪で顔を背け、姫華は盛大にむせた。
暫しの間、女の子が出すにはふさわしくないと思われる声を出しながら咳き込み、落ち着いたのか、「ふぅ……」と吐息を漏らして胸を撫でた。
「突然どうしたのよ。危うく砂糖が吹き飛ぶところだったわ、もしそんなことになったら、掃除押し付けるわよ」
珍しく本気で怒りを顕にしている様子だったので、一応誠意を持って謝っておく。
淡々と低い声で告げられる、というのは結構恐い。
とくに端正な顔立ちをしてると余計怖いよね、うん。
「……ごめん。だって、ほら姫華って男女問わず人気あるじゃん? だから、その」
「私は別に、恋愛感情的な意味では男の子からの人気は無いわよ」
平然とした口調で答えられる。
謙遜か、とも思ったが、姫華は私にそんな謙虚な面を見せることは無い。
私や梨花に対してのみだろうけど、どちらかと言えば、聞いてもいないのに話してくる方だと思う。
学校ではおしとやかで高嶺の花で通っているらしいけど。
しかも、倉科君のアプローチがまるで通用していない、だと。――って言うか、倉科君、姫華に何したんだろう。
この間の授業中にこそっと『宮咲さんと、ちょっとお近づきになれました』とか言ってたけど。
まさか、事務的な内容の会話が出来た。とかその程度のことでは無いだろうな。
だとしたら、純粋かつ純情な心を持った倉科君が非常に不憫だ。
「それよりも、ほら。もう怒ってないから、一緒にチョコレート作ってみよう?」
姫華に声をかけられ、私は旅に出ていた心を引き戻した。