第百七章:倉科君
あれから数日後の事。
姫華も大分学校に慣れたらしく、教室でも自分の席から移動することが多くなった。
昼休みはいつも教室を出ているから、多分羽谷さんの教室へ行っているんだと思う。
相変わらず登校だけは、梨花と姫華に挟まれる。という日常を保っているけど、駅までたどり着く頃には、大抵姫華は他の女の子に声をかけられ。
人混みや他人をあまり好まない梨花がいつの間にか離れており、梨花を追って姫華から遠ざかる――というのが、ここ最近の登校スタイルである。
梨花は何事も無かったよう普通に接してくれているが、やっぱり高垣君なる男子生徒の視線は結構感じるのだ。
休み時間や昼休み。梨花と一緒に行動することは、先月と比べてかなり増えたのだけど。
それが気に入らないのか。高垣君は、私がお弁当を食べているあいだ中、ずっとこちらへ視線を送っている。
その内九割程度は多分、梨花への愛情が込もった熱っぽい視線なのだろうが、時折向けられる敵意丸出しの視線は勘弁して欲しい。
独占欲が強いのか知らないけど。普段通り梨花と談笑してても、突然背筋に氷水でもぶっかけられたかのような寒気を感じたり。
灯には『高垣君、たまに裕海の事すっごく見てるけど……。裕海、何かしたの?』などと心配された。
私はあまり詳しく無かったのだが。高垣君とは比較的大人しめで、あまり目立たないタイプらしい。
灯曰く。話しかけても、頷く程度しか反応が無くてつまらない。とのことだった。
そんなある日の授業中。
私がボサッと高垣君を眺めていると、不意に遠川さんの席が目に入った。
倉橋君が言うには、遠川さんは新学期に一度来たきり、身体を壊して学校に来れていないらしい。
先週は毎日お見舞いに行っていたらしいけど。その話を聞いていた灯が『流石に毎日は、お互いに疲れるんじゃないの?』と、卵焼きを口に入れながら面倒くさそうに答え。
倉橋君もその言葉に半ば納得していたので、週末からはどうだかは知らない。
結局。ガラッと変わった遠川さん。は、まだこの目で見ておらず。私から倉橋君に話しかけるなど、物体運動が光速を超える以上に不可能なことなので、どんな風に変わったのか、実を言うと凄く気になっているのだが。
「あの、蒔菜さん」
「ん」
ボーっと高垣君と遠川さんの席を交互に眺めていると、隣から男の子に名前を呼ばれた。
隣の席だから――あ、倉科君だったっけか。
確か、高垣君ともよく一緒にいたり……。結構仲良いんじゃなかったっけ。
倉科君は彼自身の口元にソっと手を添えて、辺りを目だけで伺いながら私に顔を近づける。
ちょっぴり顔が赤いけど……。まさか、私にも願っていない春が来ましたか!?
「蒔菜さん、さっきからずっと高垣のこと見てない?」
「え、えー……。そうかなぁ……?」
鋭いな倉科君。
普通こういう時って、女の子の方が観察眼とか“勘”とかは優れているとばかり思ってたけど。案外男の子も、そういうこと気にしたりするんだ。
倉科君はチラリと高垣君の方を眺め、そっと私を一瞥すると。
おっとりとした大人しめの口調で。
「高垣のこと気になってるんだったら、やめたほうが賢明だと思うな。なんかあいつ、この間『好きな人ができた』ってはしゃいでたし。ま、誰とは言わないけど、俺は高嶺の花だと思ったね」
ほぅ……。やはり男の子たちの中でも梨花はそういう扱いか。
お高くとまっててツンとした行動。それでいて整った顔立ちに、真面目で静かで実は優しい。
確かにモテる要素を持ち合わせているわ。
「そっか。ありがと、倉科君。……でも、別に私は高垣君のことをそう言う風には見てないよ?」
「そっか。まぁ……蒔菜さんのお相手は、あちらで飄々と授業受けていますしね」
倉科君が目で合図した先では、倉橋君(一文字違いでややこしいな)が、真剣な面持ちで黒板を眺め、集中して授業を受けている。
横顔だけだけど、ヤバい。超眩しい。
「ふはぁ……。いつ見ても、やっぱ格好いいものは格好いいんだなぁ」
「俺には良く分からないけど、やっぱ倉橋って女子の人気高いのか?」
倉科君はちょっぴり首を傾げ、倉橋君と私を交互に一瞥する。
「ん~……。まぁ、そこそこ?」
「そんなもんか」
何となく残念そうに遠い目をする倉科君の顔を見て、私は何となく一つの事象が頭の中で描かれた。
「ねぇ、もしかして倉科君。誰か好きな娘がいたりするのかな?」
「……んな!」
フッと目を逸らして頬を赤らめた。……分かり易い。すっごく分かり易い。
何かもう。お腹が空いた小動物が拗ねてるみたいで、何となく可愛げを感じてしまう。
……意外と、リボンとか付けて女子生徒用の制服着せれば、似合ったりするんじゃないか?
「……何かさぁ。蒔菜さん、心の中で俺のことバカにしてない?」
ヤバい。顔に出てたかもしれない。
私は辺りに気づかれないよう「コホン」と小さく咳払いをしてから、ズイと顔を近づける。
恋バナとお菓子の話は女の子の専売特許だ。
ここで訊かずにどこで訊くか! 男の子が興味を持つ女子って、いったいどんな娘なんだろうか。
「……絶対、言うなよ。あと、叶わないからって笑ったりするな」
唇を尖らせてそっぽを向く。ああ。倉科君が“倉科さん”で無いことが非常に残念だ。
「――咲さん……」
「んぇ?」
口の中でモゴモゴと言うもんだから、全然聞き取れない。
誰だって? ヤバい。精一杯の照れ隠なのか、“ツン”とした感じの表情が可愛い。ヤバい。
「宮、咲さん……。可愛いし、何かこう……色っぽいし? 行動とか」
「おぉぅ……」
ここにも被害者が! 身近にいましたよ。何なんですかこれ。
つい先日危惧したことが目の前で起こりました。
姫華の事が好きな子とか、その事実知ったら可哀想だなぁ……。とか確かに思ったよ。
うわぁ。こんな身近にいたんだ。へぇー……。
思わず『私なんて、もう姫華とキスしたこともあるよ』とか心無い一言をぶちまけそうになったが。
顔を赤らめ俯く倉科君の顔を見て、冗談では無く“本気”なんだ……。と、グッと喉の奥に押し込んだ。
「姫華かぁ……」
さっき倉科君本人が、梨花は高嶺の花だと言っていたけど。姫華も十分手が届かない娘じゃないかな。
別に倉科君が女子にモテなさそうとかじゃなく、(実際、倉科君のことを好きだという女子は確かにいた)姫華は多分、競争率が激しい部類の娘だと思うのだ。
だけど、ここまで考えて私は胸の奥がキュゥと痛む。
新学期とは。確かに異性の良い面に気づいたりして、思わぬ出会いや恋心が弾け合う時期ではある。
実際梨花も姫華もそんな状況下に置かれているわけだし、その言葉は間違って無いと思う。
でもね。
「何でそれを私に言う……?」
「……ぁ」
別に私は倉科君と仲が良いわけでは無い。
とりあえず席が隣なので、筆記用具の貸し借り程度は時偶行うけど。……って言うか、こんな向き合って話すことさえ、初めてかもしれない。
私が色々と頭の中で考えていると、しきりに首を傾げる倉橋君と目が合った。
「うん。……何でかな、今まで全然気にもしてなかったのに。何か最近、蒔菜さんの存在感があるって言うか」
存在感……。
太ったか? と、腹回りを確認するが。……大丈夫、正月太りはしっかりと回避したのだ。見よこの努力の結晶を。
心の中でアイドルポーズを見せてみるが、もちろん倉科君は全くの無反応。
制服からはみ出たカーディガンが萌え袖になっており、それで口元を押さえているのが何とも可愛らしい。
思わず目を細め、女の子に向けるような微笑みを見せてしまう。
「……あぁ、そうだ。蒔菜さん、最近何か話しかけやすくなったんだよ」
突如発せられた言葉に思わず面食らってしまった。
試験の終わり付近にようやく答えが分かったときのような顔をして、倉科君は私の顔をじっと見つめる。
「何か今までは、何ていうか“話しかけるなオーラ”みたいな? そういうのが出てたように感じたんだよな、うん。……あと、倉橋のこと好きって言ってたから、他の男子に話しかけられても嫌かなって」
「え、私そんなオーラ出てた?」
と、聞いたと同時に、私は原因を理解した。
――背後霊のせいか。
ピタリとパズルのピースが合ったような感覚に、喜びとも嬉しさとも違う、妙な達成感のようなものがこみ上げてくる。
自分以外の人たちにまで被害を与えていた背後霊の呪力。
いつから発せられていたのか分からないけど、確かにそうなのかもしれない。
背後霊が、男の子からの接触を拒んでいたのか。
――まぁ。霊の性別も男性だったしなぁ……。
嫉妬深い霊なのか、単なる嫌がらせなのか分からないけど。とりあえず目に見える変化を実感できて、やっと肩の荷が下りたような気がする。
「と、とりあえず。蒔菜さん、新学期から何か変わった気がして……うん。まぁ、それでかな」
「ありがとう、倉科君」
「え、いや。俺は何もしてないって言うか」
私は目をつむり、小さく首を横に振る。
ううん。倉科君のおかげで、私は霊がいなくなったことをやっと実感できた。
逆に言うと、今までこんな普通のこと(クラスメートと話すこと)が無いことに気がつかなかった自分が恨めしい。
そういや倉橋君に告った時だって、それまで全然話したことさえ無かったし。……うわ。何か思い返すと凄く情けない。
戸惑った様子でこちらを凝視する倉科君を見て、私は精一杯の笑顔を作り。
「ありがとう。お礼と言っては何ですが、姫華にアドレスとか教えてくれないかどうか訊いてあげよう」
「いや。それは良いよ。……好きだってバレると恥ずいし」
私としては見返りも求めない。ただただ厚意で言っただけなのだけど。
何故か倉科君は、それ以上その話はせずに前を向いて授業に集中し始めた。
――男の子って、良く分からないなぁ……。
――と。余計なことを考えたせいか、溜息混じりに黒板を見たと同時に教科担当の教師とバッチリ目が合ってしまい。
全くもって聞いていなかった問題を、前に出て解かなければならなくなった。