第百一章:新年初デート
一月五日の朝である。
昨日はとくに何事も無く一日が終わった。
強いて言えば志央ちゃん一家が一日だけ泊まって帰って行ったということ
くらいだろうか。
志央ちゃんが帰るときは、愛理ちゃんと姫華も家から出てきてお別れして
た。
凄く名残惜しそうに手を振っていたけど、そこまで遠く無いんだから会お
うと思えばいつでも会えるんだよね。
「あら裕海、今日は出かけるの?」
玄関で靴を履いていると後ろから母に呼び止められた。
「友達とちょっと……」
「もしかしたら男の子?」
入りかけていた足がスポッと靴から抜ける。
突然何を言い出すんですかこの親は……。
振り返るとニマニマ笑った母がうっとりと目を細めている。
「だって裕海、最近おしゃれしてよく出かけるでしょう?」
梨花と付き合い始めてから、確かに身なりには結構気を使うようになった。
なにせ梨花がキチッと着てくるから、私だけ普段通りだと見劣りしちゃう
んだよね。
――でも確かにこれはちょっとやりすぎかなぁ。
「ブーツも新しくなってるし、あなた普段カーディガンなんて着なかったで
しょ?」
普段なら「うるさいなー」で済むんだけど、小中学生と彼氏どころか男の
子の友達一人として連れてきたことの無い私にちょっと期待しているんじゃ
ないかと思い。
――完全否定するのもなぁ。
いくつになっても女の子は恋愛系の話は好きらしい。
社長秘書の仕事してるんだから、三角関係とか略奪愛とかそういうのは母
のほうが視覚的な意味では経験豊富だと思う。
でもやっぱり、娘の恋愛事情は気になったりするのだろうか。
「え~、内緒」
これが私の口から飛び出した言葉だった。
屁理屈かもしれないけど、嘘もついてないし母の期待を裏切っているわけ
でも無いし――これで良いよね?
私は靴を履き直して、ようやく『さあ行こう!』と意気込んだところで、
「今度連れてきて見せてねっ」
「……行ってきます」
嬉しそうに手を振る母の姿を見てから、私は玄関を出てからそっと溜息を
つく。
「いつか言わなきゃならないのかなぁ……」
---
「裕海っ!」
南町駅を出ると、黒を基調とした落ち着いた雰囲気の服を着た梨花が小さ
く手を振っていた。
端麗な容姿だからか梨花は何を着ても大体似合う。
ただロリータ系の服を着ているところは見たこと無いし、想像もできない
ので、何を着ても似合うのでは無く似合う服を見つけるのがうまいんだと思
う――って何失礼なこと考えてるんだ私は。
「お待たせっ! ところで梨花ぁ、どこに行くの?」
「まずはそこ」
梨花に連れられて向かった先は小さな喫茶店だった。
とくに特別なメニューがあるわけでも無く、私と梨花は小さめのケーキと
カフェモカを注文する。
注文の品を待つ間、私はお冷を少々飲みながら梨花の顔を見た。
何だかそわそわしているような、何かを言い出そうとしているような感じ
で――
「裕海、携帯見して」
「はへ? 良いよ、ほら」
予期せぬ言葉を突然言われて若干戸惑ってしまう。
私は普通に使っていたガラケーを梨花に手渡す。
確か梨花もガラケーだったはずだ。
前にアドレス交換したとき携帯の背中同士を合わせあって通信したし。
「そっか……裕海はこれだっけ」
ブツブツと呟いてから『ありがと』と丁寧に両手で包み込むようにして返
される。
「どうかしたの?」
「んー……。タッチパネル式の携帯買おうと思って――」
「スマホデビュー!?」
思わずテーブルに手を突いてドンと立ち上がってしまった。
梨花がちょっぴり俯いて、座るように促す。
「ちょっとこれだと不便になってきて、ね」
「待って待って、そしたらガラケー使ってるの私だけになっちゃうよ」
灯もかなり前からタッチパネルを指で触れていたし、姫華のも多分そうだ
った気がする。
本当はそうじゃ無いんだろうけど、自分だけガラケーなのは何か時代にと
り残されている感が拭えない。
――失礼かもしれないけど。
「だから今日誘ったのは……」
「携帯買う付き添い?」
思わず攻撃的な口調になってしまい、梨花はシュンと小さくなる。
「ダメだよね」
そんなことは無い。
――そんなことは無いんだけど。
日付指定で地元デートって言うから、何か少し期待しただけ。
単にそれだけだから!
「良いけど、でも――」
「失礼しまーす」
無愛想なウェイトレスにお皿を並べられ、とりあえず話し合いは一旦終了
した。
「――でね」
ケーキを食べ終わり、ゆっくりとカフェモカを飲んでいると梨花がフォー
クを持ったまま真剣な眼差しを向けた。
「一緒に携帯を選んで欲しいの」
分かった。
分かったんだけど、何で一緒になのかな。
「私はまだ買い替え時じゃ無いけど、それでも良いの?」
「良いよ!」
今日の梨花は何か別の意味で積極的な気がする。
やりたいソシャゲでも見つかったのかな。
――と、ここまで考えたところで首を振る。
まさか、そんなはず無いよね。
正面に座る愛しの恋人さんの顔をチラリと見てみる。
普段通り大人っぽい表情を見せているけど、直接心を凍らせるような冷徹
な感情を出していない。
「裕海?」
少し見つめすぎたみたい。
梨花に心配そうな目を向けられ、私は「大丈夫」と言ってヒラヒラと手を
振る。
「そこに携帯ショップがあるから――一緒に行こ?」
梨花から差し伸べられる柔らかな手。
温かくてなめらかな指先に触れ、若干照れながらレジまで行くと大学生く
らいの店員さんに微笑ましそうな目線を向けられた。
『仲良しで良いわぁ~』
とでも思ってるのかなぁ。なんて事を考え、私は梨花の手をもっと強く握
り返した。
---
携帯ショップで梨花は店員さんとマンツーマンで商品の説明を受けている
ので、何故ここにいるのか自分でも分からなくなった私は、棚に並べられた
新機種を手にとって眺めていた。
――今度買う時は薄くて画面が大きいやつが良いなぁ。
しばらく店内をウロウロしていると、店員に向けての梨花の大人びた声が
耳に入り、後ろから肩をポンと叩かれた。
「お待たせっ!」
見ているだけで楽しくなるような笑顔を見せ、私の可愛い可愛い恋人さん
は紙袋を顔の前に持ち上げ「えへへ」と笑う。
こんな嬉しそうな梨花を見るのは初めてなので、ちょっぴりドキッとする。
「今からね~、スマホを使ってみるんだけど~」
梱包を外して真新しい携帯を手のひらに出し、何故か充電がしてあるスマ
ホの電源を入れた。
「初めてのメールは……裕海からのがいいなって……」
キュンとしそうな可愛らしい顔で、申し訳無さそうに私の顔を覗き込む。
頬を柔らかく染め、凛としたツリ目を緩めて上目遣いでちょこっと首を傾
げる。
もう何ていうか行動の一つ一つが可愛すぎるっ!
「わ、私からで良いの?」
「裕海からが良い」
断言された。
ドキドキと凄い音をたてる鼓動を抑えながら、私は自分の携帯を取り出し
て梨花のアドレスを選び――
「…………」
期待の眼差しを向けられながら、私は梨花へと一言のメールを送信した。
「――――」
ちょっとの間。
梨花の手のひらでスマホが着信を知らせ、梨花は嬉しそうにメールを開き
――メールの内容と私の顔を交互に見比べてから「クスっ」と笑った。
「裕海ったら~! 何かもう、嬉しいやら恥ずかしいやら――んもぅ……♡」
梨花は頬を手で包み込んでニヤニヤしている。
メールには『今日も可愛いよ♡』とだけ書いて送った。
どこのバカップルだ! って感じだけど、せっかく記念のメールになるん
だから『おはよう』とか『初メールおめ!』とかの在り来りな文章じゃつま
らないもん。
スマホは受信メールをいくつまで自動保存するのかは分からないけど、不
意に「一番古いメールを見よう」とかなって『今日も可愛いよ♡』なんて出
てきたら嬉しいと思いません?
――あれ、私だけ?
梨花はしばらく嬉しそうにメール画面を凝視していたが、ふっと笑顔を見
せてスマホを持ち替えた。
「よ~し、それじゃ今から裕海のメールよりもっと激甘なメールを送ってあ
げよう」
親に隠れて初めてのイタズラを計画した少年のような顔を見せ、梨花は人
差し指を画面を滑らせたが――
「あれ? 反応しない、ってかメール作成ってどうやるの?」
辺りをキョロキョロして焦る梨花。
おもちゃ売り場を駆け巡るうち、母親とはぐれたことに気がついた少女の
ようにオロオロとする。
「裕海、教えて!」
「私が分かるわけ無いでしょ」
幸いここが携帯ショップだということに気がつき、大人な行動を思い出し
た梨花は「コホン」と咳払いをしてから悠々とショップ店員さんにもう一度
説明を受けていた。
---
「ああ、恥ずかしかった」
近くのファーストフード店で黙々とハンバーグの挟まったパンを食べてい
る。
梨花は赤くなった頬に冷たくなったジュースの容器を宛てがい、私は温か
いコーヒーにクリームをたっぷり入れてカップに口を付ける。
――実を言うと私は割と甘党なのです。
「外出中にあんなに焦ったの初めてだわ」
冷やしすぎたのか、梨花はちょっぴり身体をゾクッと震わせる。
私は甘くなったコーヒーを飲み干し、フゥっと溜息をつく。
「梨花……そのさ、今日でギリギリなんだ」
「何が?」
可愛らしくちょっぴり首を傾げる。
私は辺りを見渡してから、そっと梨花の耳元で囁いた。
「背後霊のあれ……」
「え、だって……宮咲さんがいるのに――」
と、そこまで言って梨花はハッとして口を押さえる。
驚愕の表情を浮かべ、まるで珍獣でも見つけたかのような視線を向け、椅
子を後方へと退かせた。
「裕海、あなたはもしかして」
芝居がかった演技をする梨花の額をペシっとひっぱたく。
――まったく。人のこと何だと思ってるのよ。……確かに最初浮気まがい
のことをしたのは私だけど。
「そっか、うん分かった」
もう何度もしていることなのに、梨花は何となくよそよそしく顔を赤らめ
る。
――そんな反応されるとこっちまで照れちゃうよ……。
初めてキスの約束をした恋人のようにガチガチに緊張してしまい、私は気
を紛らわそうと、ポテトに手を伸ばした――が。
「あ、」
丁度指先同士が梨花のと触れ合う。
突然の柔らかい感触に思わず手を引っ込めようとしたけど、伸ばした手を
ガッシリと梨花に握られた。
「裕海、裕海ぃ……」
指先を愛らしい恋人さんの両手に包まれる。
ちょっぴり赤らめた顔が妙に色っぽく、普段以上にドキドキと胸が高鳴る。
――マズイ。
ただでさえ私は流されやすい性格をしていると思う。
こんなにも可愛い恋人さんから熱い視線を送られ、ムードは最高潮。
ここが人気の少ない路地裏などであれば、迷うことなく梨花の唇を奪った
だろう。
でもダメ。
こんな人がたくさんいるところでするのは絶対無理。
女同士だからとかそういうんじゃ無くて、単純に恥ずかしい。
「梨花、ダメよ。ここではダメなの」
「裕海……。私、私……」
徐々に顔が近づき、梨花の熱っぽい視線が目の前に現れ――
「あっ……んぅ」
唇同士が一瞬だけ触れ合った。
まさに『顔から火が出る』を文字通り体感したような気分だ。
「外でするって言うのも、何かいいね……」
「バカ……」
普段とは逆の会話に、何だか私はちょっぴり嬉しく、新鮮な気持ちを感じ
た。