第百章:新学期から本気出す
「んぅ……」
どのくらい寝たのか見当もつかないけど、堅い床の上で寝たからか身体中がちょっと痛い。
でも流石愛理ちゃんだ。
ピンク色の毛布で私の身体は綺麗に包まれている。
中学時代の私では、多分こんな気の利いたことはできなかっただろう。
「おはよう愛理ちゃん」
目をこすりながら声をかけるが返事は無い。
「だから分かるでしょ――」
「あーうんうん。分かる分かる――」
会話の断片だけを聞いたところによると、目の前の中学生と幼稚園児は、どうやら理想の男性像について熱心に討論を繰り広げていたらしい。
討論とは言っても、志央ちゃんの恋愛観を愛理ちゃんが頷いて聞いているだけにも見えるけど。
小学校入る前から彼氏さんがいるとは、これまたモテてよろしゅうございますね。
――幼稚園の時?
私は毎日行きたくなくて泣いてましたよ。
お恥ずかしいことですが。
恋愛経験豊富な二人の会話には入れず。
だからと言って年上である私が経験不足だとは感づかれたく無いので、私は狸寝入りを続け、黙って二人の会話を聞いていた。
「――だからね、シュン君にはもっと格好良さが欲しいの」
「へぇ~、志央ちゃんは面食いさんなんだ~」
「うどん? お蕎麦?」
思わず吹き出してしまい、二人に狸寝入りがバレた。
私はコホンと咳払いをして、姫華が起きたかどうか見てくる――と言ってガ
ールズトークな部屋から離脱する。
無理です。
私にはこの空気とても耐えられません。
「姫華!」
「ふぇ? ああ……裕海ちゃん~」
他人の布団で絶賛爆睡中だったお姫様は、幸せそうな表情を浮かべながらその身体を布団から起こす。
口元を可愛らしく手で隠しながら大きくあくびをして、気持ちよさそうに伸びをする。
さて……何から問いただしましょうかね。
「んん~!」
お姫様は私の身体をギュッと抱きしめ、猫のように甘えた声を出しながら顔をすり寄せてくる。
温かくて柔らかい……じゃなくって!
「姫華。何故いつもいつも私の布団で寝てるの?」
姫華はうっとりとした表情で「にへ~」と笑い。
「裕海ちゃんのお布団、いい匂いがする~」
若干引いた。
幼馴染でしかも寝ぼけているのかもしれないけど、本人を目の前にしてそんなこと……
それよりも。
「答えになってないよ!」
「だってぇ……氷室さんについてっちゃったでしょ?」
昨日の話かな。
そりゃあ梨花は大切な恋人さんだし。
――もちろん姫華も大切な幼馴染ですよ。
「だから何だか寂しくなっちゃって……」
子どもかー!
確かに私も両親が仕事に出てて寂しいときとか、母親の布団で寝落ちしちゃったこととかあるけど!
それ小学生の時だから!
「だから……裕海ちゃんを近くに感じたかったの」
「うぅん……」
分からないでも無い。
絶対に自分を振り向いてくれない相手のことが欲しくなってしまうのは、人としてしょうがない。
私も梨花と付き合う前は、倉橋君の気を引こうと結構いろいろしちゃった覚えがあるし。
姫華は私が嫌がることを絶対にしない娘だと信じてるから、多分姫華に言うとおりで間違い無いのだろう。
姫華の着替えが済み、私は姫華に再度問いてみる。
「姫華は男の子が嫌なんだっけ?」
「急にどうしたの~?」
柔らかく返してくれる姫華。
この感じから察するに多分トラウマか何かがあるってわけでは無さそうで、内心ちょっとホッとする。
これでまたトラウマ再始動なんてことになったら、私もう立ち直れないよ。
「いや、何で姫華は男の子と付き合ったりしないのかな~? って」
姫華はほっぺたに人差し指をくっつけてクリクリしながら何かを考えてい
るようだった。
実際姫華は中学時代に彼氏さんがいたらしいし、別に生まれつき――とか
じゃ無いよね。
――と、ここまで考えたところで、梨花も姫華も中学時代に男の子と青春
を送っているのに、何故自分には無いんだろう……と軽くブルーになった。
志央ちゃんも仲の良い男の子がいるらしい話をしていたし、愛理ちゃんは
現在進行形で惚れられまくってるし。
灯も遠川さんにも彼氏さんがいるし――
あれ? 何だか私だけ仲間はずれですか?
「私は――」
姫華はゆっくりと。
「どうせ男の子なら二次元が良いかな! ってだけだよ」
ひたすら考えた結果がそれですか。
姫華は真剣な表情で私を見た。
「でも……せっかくだからちょっと男の子とも接してみようかな……とは思
ってる」
「おお!」
新年早々良いこと言うじゃない!
「新学期から本気だす!」
「…………」
姫華はここしばらく学校行って無かったからなぁ……
「裕海ちゃん。何でそんな悲しそうな顔してるの?」
悲しいっていうか、情けなくて『はぁ……』って感じの表情をしているん
だと自分では思う。
人の布団で昼過ぎまで寝てて、しかもこの発言。
「頑張れ……」
「うん!」
大丈夫。姫華は今日も元気でした。
「あら、こんにちは」
姫華と連れ立って階段を下りていると、明美おばさんがちょうどリビング
から出てきたところだった。
「あぇ!? おは――こんにちは……」
姫華の素っ頓狂なあいさつ。
仕方が無いよね、姫華の体内時計ではまだ朝なんだし――
朝起きてすぐに知らない人にあいさつされたら、私だってびっくりする。
「いえね。うちの志央がいなくて困ってるんだけど、どこ行っちゃったのか
しら……?」
ヤバっ……忘れてた!
「えっと! 姫華の部屋にいます」
「え!? 何で私の部屋にいるの?」
「すぐ戻ります!」
私は颯爽と階段を駆け下りて玄関に向かったが――
「大丈夫よ、別に。どこにいるのか分かればいいから」
「そうですか」
明美おばさんは志央ちゃんを信用してるんだなぁ……
なんてほんわかした事を考えていると、
「裕海ちゃん! 早く戻らなきゃ」
自室に勝手に入られたことに驚愕している姫華が一足先に玄関のドアを開
けていた。
私はさっきまで、自分の部屋で勝手に姫華に寝られていたんだけど……
姫華は私のそんな表情に気づかなかったらしく、私がボサッと立ち尽くし
ているうちに自分の家へと戻って行った。
「若いって元気でいいわねぇ」
明美おばさんの声でハッと我に帰り、急いで姫華を追いかけることにした。
---
「愛理っ!」
「ふぁ! お姉ちゃん、何で?」
姫華を追いかけて階段を駆け上ると、姫華の部屋の前で両腰に手を当てて
仁王立ちする姫華の姿が見えた。
「姫華、違うの!」
私は「愛理ちゃんは悪く無い!」と言おうとしたのだけど、姫華はそれ以
上何も言うこと無く部屋の中を眺めていた。
「姫華……?」
「か……」
か?
「可愛い!」
姫華はそう言って部屋に飛び込むと、きょとんとした顔でドアの方を見る
志央ちゃんをギュッと抱きしめた。
――流石姫華、やることが大胆。
突然現れた高校生のお姉ちゃんに抱きしめられた志央ちゃんは、びっくり
した様子で、後から来た私を見つめている。
クリクリしたお目目で「え? え?」とでも言っているようで、何だか私
まで抱きしめたくなってきちゃった。
「この娘が志央ちゃん?」
「そうよ。私の親戚の子」
「可愛い……裕海ちゃんにそっくり」
複雑な気分。
可愛いのはどっちだから?
私に似てるから? それとも志央ちゃんが小さいから?
――とりあえず考えても始まらないので、私は姫華の部屋に入って彼女の
肩を叩く。
「志央ちゃん困ってるよ、離してあげて」
「ああ、ごめんつい……」
---
「ところで何の話してたの?」
四人でグルッと部屋に座り、お互いに向き合う形になる。
姫華はさっきから志央ちゃんの顔を見ては優しく微笑みかけ、志央ちゃん
もそんな姫華の微笑みに、優しく笑顔で応える。
幼稚園児なのにここまでとは……
やっぱり志央ちゃんは、愛理ちゃんとか灯系の子なのかな。
「えーと……」
「私は姫華――ねぇ、姫華お姉ちゃんって呼んでくれない?」
「姫華お姉ちゃん!」
「きゃわぁ!」
姫華は大袈裟にグタっと倒れ、
「マジでヤバい……」
お気に召されて光栄でございます。お姫様。
「――ってね。志央ちゃんを二人の男の子が取り合ってるんだって」
「でも私はユウ君が良いの」
私は溜息が出てきた。
今の子はそういうのに敏感で進んでる子が多いのか、それとも私が単に男
の子との交流が少ないだけなのか。
分からないけど――とりあえず志央ちゃんが幼稚園でモテてるってことだ
けははっきりと分かった。
「男の子……かぁ」
そう呟いたのは姫華だった。
今までは家で勉強するか気が向いた時にお出かけするだけの生活をしてた
姫華だけど、これから新学期になったら普通に学校で男の子とも女の子とも
出会う。
少し心配なのも分からないでも無いけど。
「姫華お姉ちゃんには彼氏さんいたー?」
「いたよ! 今はいないけどね~」
「えー! お話聞かせてー」
気がつくと三人のガールズトークから私だけハブられていた。
私だって恋愛経験が全く無いわけではないんですよ!
――ただ全部玉砕してるだけで……
宮咲姉妹と志央ちゃんは楽しそうに恋話に花を咲かせていたので、私は気
をきかせて(?)姫華の部屋を後にした。
――蒔菜裕海はクールに去るぜ。
とか言ってみたりして。
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リビングでは両親と明美おばさん、そして明美おばさんの旦那様(おじさ
んの名前はど忘れしてしまった)が楽しそうにお喋りしていた。
どこに行っても私は中に入れそうに無かったので、しばらく自室で勉強を
してみたけど。
思ったよりやる気も出ないので、少しやったところでベッドに身体を投げ
出した。
どうせテストもしばらく無いし、姫華も梨花も頭良いから分からなくなっ
たらどちらかに教わればいいや。
――どうせなら梨花が良いけど。
などと考えていると、突然携帯が着信を知らせた。
「もしもし、梨花?」
『裕海……昨日はごめんなさい』
電話の向こうで本当に頭を下げていそうな声。
そこまで気にしなくても良いのに……
「大丈夫だった?」
『私は大丈夫よ! これでも鋼の精神力だからっ』
きっと腕をブンブンと振り回しているんだろうなと。
「ところでどうしたの?」
『ああ、そのね。新学期前に二人でどこか行こうかなぁって』
「いいけど、どこ行く?」
私は電話口にそう言いながら指を折って数える。
今日が一月三日だから、二日キスしなくて平気として……
『じゃあ明後日! 南町駅に集合でいい?』
「ええ! あ、うん分かった」
…………?
電話を切ってからもしばらく疑問がグルグルと渦巻いていた。
第一梨花は地元で遊ぶのを嫌がっているし、しかも梨花の性格上大抵碧町
駅に集合ね! って言うのに。
何かあるんだろうか?
宝石を散りばめたようにキラキラと輝く星空が窓から見える。
雲一つ無い真っ暗な景色は冬らしい寒さを部屋の中まで伝えようと、吹き
込むように窓を揺らす。
綺麗な夜空をしばらく眺めていたかったけれど、今日はしっかりと寝てい
ないためか身体が疲れてしまい。
肩から重々しくぶら下がった腕を持ち上げ、ふかふかの楽園へと身をうず
めた。
布団に包まれると心から安心する。
二ヶ月前から毎日キスをしていたからか、していない今日は何となく口が
寂しく感じる。
でも……疲れて重たくなった身体を温かい布団で包み込むと、自然と心が
ほんわかとしてくる。
――明日もキスはお休み。明後日梨花と会ったらいっぱいするんだ。
明後日の事を考えると自然と頬が緩み顔が熱くなる。
早く明後日にならないかなぁ……
新学期が近づくのが嫌だという気持ちよりも、今の私には早く梨花に会い
たいという気持ちでいっぱいなのであった。