82 勇気を持たない勇者は
この世界には、立てこもり勇者たちの気持ちを一つにした、もうひとつの『希望』があった。
それは勇者クレゾールの兄妹達だ。
いま、その『希望』が危機にあるのを感じて、俺は焦燥感を禁じ得なかった。
俺はもう一度、勇者クレゾールを見やった。
……言えない。
おい、お前、ひょっとして妹に嫌われてるかもしれないぞ。
なんて……俺の口から、言える訳がない。
俺は『希望』が大っ嫌いだ。
人をすがらせて不幸に追い込む『希望』が嫌いだ。
最後には『絶望』に転化するしかない『希望』が大嫌いだ。
だから、事前に『希望』を打ち砕いていたはずだ。
けれど、どうしても『希望』にすがるしかない時がある。
ひょっとすると、3人のメリッサの中に、いるかもしれない。
そんな『希望』。
「勇者リリー……」
勇者リリーは、俺の声を待っていた。
『なんだ?』
「3人の勇者番号を、教えてくれ……あ、アルファベットだけでいいから」
女の子の個人情報だし。
女の子を保護する立場の勇者リリーが、俺に勇者番号をぜんぶ教えるはずがない。
しかも勇者アリスの問題で、俺に対する信頼は、無惨にも打ち砕かれているし。
なんていうのは詭弁だ。
そんな時と場合を考えない可能性に、俺はすがっていた。
ひょっとしたら、アルファベットだけなら被るかも知れない。
しかし……。
『PHT-33560、DOT-74329、DKT-66097……3人とも名前はメリッサだ』
俺の身勝手な『希望』を、勇者リリーが打ち砕いてくれた。
「えっ」
俺の会話ログに、3つの完全な勇者番号が残された。
向こうには、俺の漏らした間抜けな声のログも残っているはずだ。
勇者リリーはため息をつく。
『貴様がこれから何をやろうとしているか、それくらいは分かるつもりだ』
……俺は、とんでもない事をやろうとしていた。
ぞっとするくらいの、非情な事だった。
せっかく奇跡的な運びで、上手く行った交渉。
それが俺のひと言で台無しになるかもしれないという恐れから、俺は真実に近づくのを恐れていた。
その巨大な『希望』のスパイラルは、さっそく邪な影を俺の心に落とし始めていたのだ。
『本物のメリッサ』よりも、俺たちの『想像上のメリッサ』が少しでも生き延びる可能性を高める為、みっともなく『希望』にすがっていた。
……けっきょく、人間は『希望』なしでは生きていけない。
『まだ『希望』を捨てるな、勇者マキヒロ』
勇者リリーの意志の強い声が響いて、通話は途絶えた。
違う……。
だから、俺は……『希望』を。
この『希望』を、打ち砕かなきゃならない。
「勇者クレゾール」
俺は、軍からの報告を待ちわびている勇者達に声をかけた。
しかし、彼らは俺に気づかなかった。
勇者達と歓談して、彼は笑顔をこぼしている。
俺がこの絶望の世界で一度も見た事も無い、精一杯の笑顔だ。
……あいつ、あんな風に笑うのか。初めて知った。
俺の声が小さかったのか、腹から出ていなかったのか、それとも『どうか聞こえませんように』と小心者の俺が念じた願いが、神に通じてしまったのか。
騒がしいパーティ会場でも自分に向かって呼びかける声は気づくもの、という法則が打ち砕かれた。
……こういう要らん『希望』だけは叶うのが常だ。
「勇者クレゾール!」
俺の出した声に、勇者クレゾールはきょとんとした顔で振り返った。
俺の口から漏れたのは、「あ……」という声だった。
おい待てよ、俺はなんで後悔してんだ?
なんで躊躇ってるんだ? 早く言えよ?
「……メリッサって名前の奴が、何人かみつかったらしいんだ……その」
結局俺は、『これで戦場にいるのは全員見つかった』という事実を、隠蔽する事にした。
答えを先延ばしにする卑怯者。小心者。
『希望』を打ち砕くとか言っておきながら、俺は『想像上のメリッサ』をまだ延命させようとする。
ちくしょう、だから俺みたいなクズに重大な役を任せると、ろくな事がないんだ。
「メリッサの、勇者番号を、教えてくれないか……確認を取りたいから」
勇者クレゾールは、ああ、と肯くと、手元でなにか処理していた。
耳の奥で、心臓がばくばく鳴っているのを感じた。
勇者達が俺に向けている何気ない視線が、ナイフのように冷たい。
「通話」
「……へ?」
「通話出ろよ、ログが残るだろ?」
……さっきから通話申請が届いているのに、まったく気づいてなかった。
俺は一体何をやっているんだ。本当にどうしようもない奴だ。
視界の隅の会話ログを、俺はじっと睨みつけていた。
『PHT-33560、DOT-74329、DKT-66097……3人とも名前はメリッサだ』
無論、すぐにでも対応できるようにだ。
……蹴躓きまくりで、すでに出遅れた感が満載だが。
こんなみみっちい事で最善を尽くした気になんて、到底なれそうにない。
勇者クレゾールは、すぐに勇者番号を送ってきた。
たぶん、何度も何度も、通話していたんだろう。
ログを辿る仕草さえなかった。
『RYU-08920だ。……変な事に使うなよ』
「………………」
俺は、返答する事すら忘れて、そのログをじっと見つめていた。
視界の隅に浮かんだそのログと、柔らかい笑みを浮かべる勇者クレゾールの姿が重なった。
何度も何度も、放心したように、その先に進む事すら忘れて、番号を、じっと見つめた。
希望その1:『3人のメリッサ』→絶望。
希望その2:『メリッサが戦場にいる』→絶望。
希望その3:『メリッサがまだこの世界にいる』New!
……どうやら人間という生き物は、『希望』がないと、前に進めないものらしい。
俺は、ログをしっかり記憶に焼き付けると、ようやく口の端を吊り上げ、ぎこちない笑みを返した。
「……ああ、使わないよ。ていうか、俺、女の子番号を手に入れても、こっちからかけられない、小心者だからさ……」
……俺が女の子の番号を手に入れた事があるなんて、もちろん真っ赤な嘘だ。
兄貴じゃない番号からかかってきた通話申請を、拒否られない事を祈るしかなかった。
俺はこの世界に集められた25万人の勇者の中で、唯一、勇気を持たない勇者かもしれない。
こうして、俺はまた余計な『希望』を生み出して、『絶望』しては次の『希望』を生み出して。
いつまでこうやって、ずるずる、ずるずると『希望』にすがって落ちていくんだろう。
この絶望の世界の絶望の底は、俺には計り知れないほど深い。
その一番底まで飛び込んで行く勇気が、俺には、出せなかった。




