07 失われた逃げるコマンド
いつからそこに居たのか、
記憶は定かではなかったが、
気が付いたら、俺は蘇生の魔法陣の中に突っ立っていた。
目を開くと、俺は二本の足でぼけーっと立っていて、
周囲の法力兵たちが20人がかりで祈とうを捧げ、
青白い蘇生の光が足元から立ち上がっていく。
今回は、俺の他にも大勢の兵士達が魔法陣のあちこちに生まれていた。
光の柱が立ち昇って、俺と同じ鎧と剣を装備した勇者達が、次々と蘇生してくる。
蘇生する直前の俺の精神は、どん底に落ち込んでいた。
傷付き、疲れ果て、もはや生きる意味を見失っていた、
まるでニートに入る直前の暗黒時代の再来である。
崩壊気味の俺の精神は、ウィダーインゼリーの味を思い出していた。
冗談じゃない、こんな酷い思いを延々と繰り返せってのか。
どんな地獄だ。いっそ死んでいればよかった。
もう二度とあんな所に行きたくない。もう二度と。
死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない!
だが――復活した後の俺の精神は、
ひと晩ぐっすり寝た後のように爽快だった。
そういう、勇者の精神を安定させる魔法を使う勇者がいたのかもしれない。
目ざとい連中だ。
そのときの俺には、いい効果を発揮した。
大きく息を吸い、思い切り破顔しながら、決意した。
――よし、逃げよう。
逃げるコマンドがあったら連打していた。
ダメ元で逃げてやろう。
それが俺の出した結論だった。
魔法陣の部屋の出入り口は、ひとつしか無い。
飛竜のツメの柄をしっかり握り、ダッシュでそちらに向かった。
真正面の通路に飛び込んで行くと、幼女軍師の声が飛ぶ。
『ドラゴンが食べられ続けて居る! 総員、急いで格納庫Aに向かい、ビヒーモスとの交戦に入れ!』
俺はそいつを軽く聞き流した。
ドラゴンがどうしたって言うんだ。俺に一体なんの関係がある。
俺は大勢の勇者達が走って行く大きな通路へと流れ込んだ。
マップ上のちかちかと光る転移門の他に、どこか遠くへ逃げられそうな転移門はないか、探してみる。
『市街地入り口』と書かれた転移門を発見した俺は、それを目指す事にした。
周りの勇者達と同じ方向に進みながら、彼らの間を縫うように走り、徐々に徐々に『市街地入り口』の転移門へと近づいて行った。
――しかし、この時、周囲の勇者達は全員『格納庫A』へと向かっているらしかった。
転移門に近づいて行くにつれ、徐々に人と人の間隔が狭まってゆき、地下鉄のようにぎゅうぎゅう詰めになっていく。
さらに、飛竜のツメは浮く。
俺の体も風船みたいに僅かに浮いているから、風船みたいに周りの人の流れに簡単に流されてしまうのだった。
俺は身長2メートルはくだらないガタイのいい勇者達に囲まれ、
マップ上の光る転移門へと押し流されていった。
見覚えのある『格納庫A』の魔法陣の上に出現した俺は、
もうやけくそになっていた。
リセットボタンは無いが、死ねば簡単にリセットできる。
死に場所を求めて、そのままさらに奥へと猛ダッシュしていった。
巨大な地下空洞に到達した俺は、
そこにいるビヒーモスを見上げて、再び震えを覚えた。
しばらく振りに顔を見たビヒーモスは、
べっとりと顔中を血に染め、
手には金色のドラゴンを握りしめていた。
それは俺の救出する予定だった金色のドラゴンだった。
そいつは翼を折られて悲鳴を上げている。
俺は水をぶっかけられたような気分になった。
老齢のドラゴンたちが、果敢に立ち向かっていくアリみたいな勇者達を遠巻きにじっと見守っていた。
ハチに全身を刺されながらもハチミツを貪るのをやめられないクマみたいに、ビヒーモスは食事をやめない。
ビヒーモスの3本のライフゲージは、さっきよりさらに一割、ほんの気持ちだが削れている。
1本目の3割に突入するかしないか、と言うところだった。
勝てる見込みなんて、あるはずがない。
しかしドラゴンたちは、自分たちの役割を理解しているかのように、そこに留まり続けて居た。
25万人の勇者達が攻撃対象にならないように、自らエサになるという役割だ。
最強種のドラゴンが、楽な死に方は絶対に出来ないはずだ。
しかし、目の前で仲間を食われているのに、じっと耐えている。
そいつらの落ち着き払った態度を見ていると、なぜか死に急いでいた俺の気持ちも、急速に落ち着いてくるのだった。
「なんでお前ら……平気なんだよ」
俺には理解できない。
勝手に召喚されて、勝手に戦わされているのに、どうしてそれが義務みたいなしたり顔をしていられるのか。
自己満足なのか。自己陶酔に浸っているのか。
まるで俺が間違っているみたいではないか。
そのとき、ビヒーモスが俺の方にぐるりと目を向けた。
俺など眼中にないのはひと目でわかった、老齢のドラゴンを見ているのだ。
食事中の気分を害されたのか、その余裕の態度が気に食わない、とばかりに凄まじい咆吼を上げた。
その衝撃で崖が震え、天井からぼろぼろと鍾乳石や砂礫が降り注いだ。
立っている事さえできない、凄まじい超音波攻撃。
とうとう足元の崖がくずれ、俺は真っ逆さまに地面に叩きつけられて、死――。
――いや、死ななかった。
この世界は、簡単に俺を死なせてはくれなかったのだ。
俺は地面で軽く跳ね返ると、ビヒーモスの大ジャンプで出来たと思しき、深い深い亀裂へと落ちた。
しかも、地下には途方もないデカさの空洞があったらしい。
途方もない距離を落下していく。
「ま・じ・か・よぉぉぉぉ!」
俺はリセットボタンを押す事すら許されず、暗闇の中を延々と落下していった。