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76 交渉の行方は雲の上へ

「……何を言ってるか、よく、分からないんだけど」


 俺はたどたどしく言った。まさかこいつ、本当に俺の事を、交渉役と見なしていないんじゃなかろうか。


 なにかの冗談じゃないよな。お互いに顔をあわせたときから、交渉はもう始まっているんだぜ?


 だって交渉って、お互いの要求を出し合って、お互いの話を聞いて、お互いが納得いく形にすり合わせていく物だろう。

 立てこもり勇者達の要求が、勇者達の帰還と召喚の限定的な停止。これは俺がさっき聞いた通り。

 そして、それに対する軍からの要求が、勇者達の戦闘復帰……である、筈だ。


 さっき俺と勇者クレゾールが話し合っていたのは、まさしくお互いの話を聞いている段階じゃなかったのか。

 少なくとも、軍から責任を背負わされている俺はそう思っていた。

 まあ、途中で見捨てられたけど、俺に課せられた交渉役というのは、そういう役割だと思っている。


 だが、勇者クレゾールは、目の前の俺に対して、軍は交渉に応じていないと言い切っている。

 冗談にしてもほどがある。

 ……どこかで行き違いがあったとしか思えない。


「待て……軍との交渉が、始まっていないって、そこから矛盾してるぞ。……だって、俺は、交渉役に選ばれて……お前と、交渉に、来たんだし……」


 俺のたどたどしい言葉に対して、勇者クレゾールは顎を引き、射るように俺を見た。


「お前は自分の事を交渉役だと言ったが、それを証明するようなものはあるのか? ……まだ軍に確認が取れていない」


 その一言で、俺ははっきりと、自分の中のどうしようもない間違いを打ち砕かれた。

 俺を交渉役だと信じていない。

 ふざけてる。軍に確認を取るまでもなく、俺は軍から交渉を任された人間だ。確かに一勇者でしかないけど、そんなに俺が信用ならないっていうのか。

 いや、確かに俺も最初は自分みたいなクズが交渉役なんて、ちょっと信じられなかったけどさ。

 そこはお前、他の勇者みたいにころっと騙されちゃってる所だろ?

 さらにトドメのように、勇者クレゾールは俺に言った。


「というか、お前に出来るのはせいぜいが説得だろう、交渉でもなんでもない」


「なッ……」


 ……おいおい、なんだそれ、一体どういう事だ。

 てか、なんでお前だけは俺の適正な実力を見抜けているんだよ。

 正論だけど侮辱がすぎる。

 まあ、確かに意見のすり合わせというより、こっちの意見の一方的な押しつけしかしてなかったけどさ。

 あと、雑談しかしてなかったか。

 けれど、お前の悩みのひとつ、妹の相談に乗ってやったじゃないか。

 勇者リリーに頼み事するの、恐いんだからな、マジで。


 忘れようとしていた自分の欠点を指摘され、図星を指された怒りが、ふつふつとこみあげてくる。

 けれど、俺は何も言い返せなかった。

 ただひたすら唇を噛んでこらえる。

 自分の評価が低かった事に腹を立てるというのは、ひどく虚しい気がした。

 しかも、信頼できる人物からの評価が、一番低かったというのは。

 けれど、それで俺たちが終わるんじゃ、あんまりだ。今までの話し合いは、一体なんの意味があったっていうんだ。


 勇者クレゾールは、俺の動揺を見透かすように、さらに言葉を続けた。


「一応、お前を確保した後に確認は取った。勇者マキヒロにこの交渉の全権が移譲されているので間違いないかと」


「俺を、確保した後……?」


 つまり、見張りの勇者達が俺を魔力炉に連れ込んだ後。

 ゴシップ・トード退治が始まって、軍が勇者達の視界の情報を盗めなくなったあたりの事だ。

 はっきりいって、軍が俺にどこまでの権限を預けているのか、俺にもいまいちよく分からない。

 俺に交渉の全権が移譲されているとしたら、こいつらに拉致された俺がもし寝返って、こいつらの要求、全部聞いてやってくれよ、などと言い出したら、本当に軍はそれに従うのか、という事だ。

 常時繋いでいるはずだった連絡もぶった切ったままになっている。一体どうするつもりなんだ?


「これに対する返答がまだ来ていない……ということは、今のお前は、この返答次第で交渉役にもなれるし、それ以外の第三者にもなれる。

 要はただの当て馬か……あるいは結果を見た後で、与えられた権利の範囲を自在に切り替えできる、都合のいい中間的な存在でしかない」


「そんなこと……ただ、忙しくて連絡が取れないだけかもしれないだろ。だってビヒーモス戦の最中なんだぜ?」


 ……いや、けど、その手もあるのかと思う。

 俺をただの当て馬にしてみる、という手だ。

 こいつらは単純な立てこもり勇者じゃない、軍の意表をついて、交渉を有利に進めようとする賢い勇者たちだ。

 俺を当て馬にして、相手の手の内をある程度探らせ、油断させてから、次に本格的な交渉用の勇者を送る、という段取りもあるかもしれない。

 しかし――。

 それではもう、時間がない。

 せっかくここまでやった事が、全部無駄になってしまう。


「だったら……勇者マキヒロ、お前が交渉役で間違いないんだな? 交渉の全権を任されていて、お前とここで話し合って、交渉して決まった事には、軍も従う。この考えで、本当に間違いはないんだな?」


 勇者クレゾールが、目に悲哀の色を込めて追求してくる。

 俺は、その目に次第に追い込まれているような気がした。

 もう彼にも時間が残されていないのだ。


「ああ……俺が交渉役だ。間違いない」俺は、ゆっくりと肯いた。


「そうか、ついでに言うと……俺たちの交渉の権利は、全て勇者グルツにある」


 勇者クレゾールが首を向ける方向に、俺も首を向けた。

 奥に居た鬼の顔をした勇者が、黙って顎を引いた。


「交渉役の確認が取れたときに話すつもりだったが、結局返事がないので言わずじまいだった。すまんな」


「おま……マジで……」


 開いた口が塞がらなかった。

 誰だ、勇者クレゾールを説得すれば攻略できるなんて言ったのは。

 ……まさか、勇者クレゾールも『当て馬』だったのか。

 どうやら、俺が『当て馬』だった場合の保険だったらしい。


「交渉苦手だからな俺は。というか、俺と1対1で話し合いたいと言ってきたのはお前の方だと聞いているが?」


「ああ、言った……確かに言った……けど……」


「じゃあもう充分話したからいいよな。30分ほど時間を伸ばすから、その間に交渉をまとめて貰おうか」


 ……なるほど、そうくる訳か。

 軍が勇者クレゾールと親しい勇者を送り込んでくるってのは、事前に読んでた訳だな……。

 しかも、本命は勇者グルツ。真っ赤な肉体の威圧感が凄まじい、どうやって話せばいいんだ。


 制限時間があるといきなり切り出して、焦らせて、困らせて、怒らせて。

 優しい勇者から恐い勇者にバトンタッチ。

 詐欺師の手口かよ……。

 どうしよう、どう頑張っても、俺じゃこの交渉に勝ち目はないぞ……。

 こっちの手札も完全にバラしてしまった状態だ。


 しかも、さっきかなり慌てさせられたせいで、俺は大分動揺してテンパっている。

 しまった、なんて卑怯な質問をしやがるんだ、『軍が俺に交渉の全権を預けてある』って迂闊に言った時点で、もう詰んでたわけじゃねぇか……。


 勇者グルツが前に出て、鬼のような顔を動かして言った。


「我々の軍に対する要求に、変更点は一切ない。特定の勇者の帰還、そして、召喚の限定的な禁止だ」


 ウソ、なにこいつ、しかもキャラ変わってんぞ……。

 筋肉バカっぽいキャラから一転、理性的な交渉役に変貌だ。

 軍もこいつは交渉に向かないだろうって思ってたから、完全にノーマークだったはずだ。

 最初から小さすぎて見えなかった勝ち目が今、完膚なきまでに叩きのめされてる……。


「勇者クレゾールは、今すぐにでも帰還しなくてはならない事情があるが、他の連中は違う。

 彼が居なくなった後、ここにいる勇者達が跡を引き継ぎ、『立てこもり勇者』の再結成を行う」


 背後にいる勇者たちが、顎を引いて肯いた。

 ていうか、こいつら、まだ立てこもるつもりなのか……。


 どうしよう、このままだと、俺は黙って肯く事しか出来ないぞ。


 その時、ぴりり、ぴりり、という、無機質な電子音が鳴った。


 通話申請だ。

 相手を見ると、円卓の勇者からだった……。

 通話に出ると、相手は『いかにも連絡がつかなくて慌てていたかのような』口ぶりで、俺に言い募った。


『勇者マキヒロ、交渉はどうなっている?』


「……今、ボスだと思ってた奴がひっこんで真ボス出て来たとこ」


『なるほど。うん、わかった。相手は恐らく、交渉の延期と次回の交渉の機会の約束を取り付けてくるはずだよ。それは認めてかまわないから、なるべく早くそこから出てくるんだ。ありがとう、助かった。今回は惜しかった、また次回に期待しよう』


 俺はがっくりと項垂れた。

 この場合は、戦略的撤退すべき、という事だろうけど。

 ……なに、このタイミング……。

 ずっと見てたとしか思えない……。

 もう、軍も勇者達も、どっちもキツネとタヌキにしか見えない……。


 軍も勇者達も、お互いに優位な条件下で交渉を始めるための、駆け引きをしていただけにすぎない。

 俺はただ単に、それに巻き込まれてテンパっていた『第三者』に過ぎなかったんだ。

 結果として、軍はこれ以上俺に任せられないと判断。時間切れで、俺は舞台上から退く事を余儀なくされた。


 俺は文字通り『人形』となって、その後の軍と勇者グルツとの話し合いの仲介役を、ぼんやりと続けて居た。

 ようやく俺の望んだ立ち位置になったのに、なんだか無性に悔しい気がする。

 俺と同じく、舞台袖に退いた勇者クレゾールは、立てこもり勇者達の側に立って、真剣に俺たちの交渉を眺めていた。

 その姿を見ながら、あいつに戦う決意を与える機会があったのに、それができなかった自分の無力さを歯がゆく思った。

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