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71 兄と弟

 勇者クレゾールには、この世界の戦いで精神を病んでしまった妹の勇者が居ると聞いた。

 ひょっとすると、彼女の様態が悪くて、帰りを急いでいるのかもしれない。

 妹のために焦っているのでは。そんな風に思って聞いたのだが。


 ぴくり、と俺は恐怖に身を強ばらせた。

 彼が身を強ばらせた瞬間、急に息苦しくなったような気がした。


 勇者クレゾールの感情にあわせて、空気が震え、質感を変えている。

 まるで窒息させる意志を持っているみたいに、白い煙が俺の首回りに集まっていた。


 俺は、げほ、げほ、と咳き込んだ。タバコの煙を吸い込んだみたいに、いがらっぽい。


「ま、まて、勇者クレゾール、俺のHP9しかないんだから、もっと丁重に扱ってくれないと死ぬぞ」


「………………」


 煙は、消えた。案外、HPが低いというのも交渉に有利な条件なのかも知れない。


「勇者マキヒロ……実は、お前に黙っていた事があるんだ」


「な、なんだよ?」


「あいつは俺の本当の妹じゃないんだ」


「な……なんだって? この流れで妹自慢かよ?」


 俺の妹、実は血が繋がっていないんだ、と告白されても。

 へー、としか言いようがない。

 場合が場合なら、聞いている男をうらやましさで激怒させ、正常な判断力を奪おうとしているかのような発言ともとれる。

 義妹など邪道、真妹こそ正義、と謳う妹物スキーの俺でさえ怒りに震えてしまったほどである。

 うらやまけしからん。

 勇者クレゾールの告白は、俺の怒りを買うには充分すぎる内容だった。場の異常な雰囲気のせいで、それ以上の怒りは出てこなかったが。


「特に自慢するつもりは無いが……まあ、お前が嫌がるなら妹の話は飛ばすよ。

 要するに俺と妹は、貧民街で群れていた同じような仲間で集まって、お互いに6人兄妹を名乗ってた仲なんだ。

 ……俺が召喚された時に願ったのは、あいつらが全員幸せになれますようにって事だった」


 ……勇者クレゾールの生い立ちを考えると、羨ましいなんて言っている場合ではないのかもしれない。

 超人的な勇者達のいる世界だからといって、物質的に豊かだとは限らないのだ。そもそも強い勇者がいると言うことは、翻せば、それだけ平和とは無縁という事でもある。強くなければ、生き残れないのだ。

 貧民街……。6人兄妹……。ひょっとすると、と俺は考え始めた。

 もし、飛竜が俺の称号に書き加えたのが、勇者クレゾールの経歴そのものだったのだとしたら。

 彼は想像以上に、文化水準の低い世界から来た事になる。


「バラバラになってしまった兄妹達を、もう一度ひとつにして貰いたかった。次は毎日のパンとスープが欲しかった、次はちゃんとした仕事が欲しかった。

 絶望の世界の苦痛は想像を絶する物だったし、行くたびにもうこりごりだと思うんだけど、生きている限り欲望は尽きないし、なんせ6人兄妹だ、手もかかる。

 俺が召喚される度に、兄弟が次第に裕福になっていくのが、俺の唯一の救いだった」


「お前、仲間もいなかったしな」


「まあな。いわゆる仲間っぽい連中はいたにはいたが。……けど、そいつらは自分の世界に帰っていったきり、二度と再召喚されなかった」


「本当の仲間じゃないんじゃないのか、それ」


「いや、あいつらは俺よりもずっと強い勇者だったからな。強いから再召喚されにくいんだ。

 ビヒーモス戦じゃ、強い勇者も弱い勇者も戦いで得られる成果はほとんど変わらない。変わるのは、強い勇者ほど召喚の対価が大きくなっていくってことだ。

 だったら召喚師も弱い勇者の方を召喚しようとするのは道理だろう。

 それに、本当に強い勇者なら、起こして欲しい奇跡をひとつ起こしてもらったら、あとは自力でも何とか生きていけるじゃないか。だから、勇者の側にも何回も召喚される理由がない。

 俺みたいに何度も死ぬ思いをして戦っているやつらは、他の世界からどう見えても、そいつらの世界の基準で言えば、弱い勇者ばかりなんだよ。

 どんどん武器は強くなっていったけれど、それに反比例して、どんどん弱い勇者が増えていった。……そのうち今回の戦いで、とうとう妹まで召喚されてきてさ……あいつ俺の顔見るとボロボロ泣きやがった。どうして来たのか聞いたら、故郷で戦争が起きて、兄妹の行方が分からなくなったって言うんだ」


「………………」


「妹の願いは、俺たちの家を直すのに使ってしまったらしい。本当にドジだよな、家を護ったって、住む奴が居なきゃ意味が無いのに。しかも家の鍵閉め忘れてきたらしいぜ。

 野党の巣窟になってたらどうするんだって言ったら、また兄妹が増えるのって抜かしやがった。そこ疑問形で返すところじゃないだろ。ふざけんな、俺がひとつの奇跡起こすのにどんだけ苦労していると思ってやがるんだ、あいつは、だいたい……」


「続けて」


「後はお前の知ってのとおりだよ。……妹も俺も、もう何度も死んだ。何度も手を繋いだまま死んで、離ればなれになったらあちこち探し回って、相手の死体を拾って死んだ、そのうちお互いを殺すようになって、妹はついにこの戦いで精神を病むようになって……帰ったらどうなるか、正直不安だ。今はお互いに離ればなれで、何時間かおきに通話するけど、様子もよく分からない。


 軍に彼女の帰還を頼み込んだけど、まるで話にならなかった。

 ちゃんと本人の意志で来ただとか、正当な対価を支払っただとか、本人に戦う実力は備わっているだとか、来る前に確認したとか、しなかったとか、自分たちがいかに正当な手続きを踏んだかを俺に納得させようとする理屈ばっかりが帰ってくる。

 問題はそこじゃない。本来戦うべき強い勇者が他の世界にたくさん召喚されずにいる。そして弱い勇者が召喚されて戦わされているんだ。それは客観的に見ておかしいけれど、こうして現実にまかり通ってしまっている現象だ。

 こういうのはシステムが限りなく公平だからこそ起こる不平等だ。異世界召喚そのものが内包している、致命的な欠陥なんだ。


 こんな不毛な戦いは、とっとと止めるのが正解だったんだ。そもそも異世界に奇跡を求めるなんて発想そのものが間違っていたんだよ。俺たちは最初から、ただひたすら、それぞれに与えられた世界の中で辛苦を噛みしめながら生きるべきだったんだ。

 ……俺はあいつを連れて、一刻も早く元の世界に戻る。戻ったら、まずはバラバラになった兄妹を、探さないといけないからな。……あいつらが自分たちの世界に絶望して、この世界に逃避する前に、せめて護ってやりたいんだ……俺の願いは、そうする事だけだ、勇者マキヒロ」


 勇者クレゾールの告白の意味を、俺は半分も理解できていなかったと思う。

 俺は貧民街になんて生まれていないし、貧民街なんて近寄った事すらない。6人兄妹で生活するのは一体どんな感じなのかもしらないし、戦争で家族が離散したりもしてない。奴隷になった事もない。妹と手を繋いで異世界で戦った事もない。


 ただ、俺は勇者グルツの言った言葉を思い出していた。


 ――お前、ひょっとして勇者クレゾールの『弟』じゃないよな?


 あいつらは多分、その可能性が充分にある事を警戒していたんだ。

 つまり、軍が交渉役として、勇者クレゾールの弟をこの世界に召喚してこないとも限らない。

 そういう可能性を考えていたからこそ、本人に通す前に、まず勇者グルツが確認を取ったんだ。


 勇者クレゾールの行動原理は、一貫して兄妹を護る事だ。

 俺との通話中に、妹の名を出しただけであれだけ狼狽えたんだ。

 あと4人いる他の兄弟までこの世界に呼ばれたら、そうなったら、こいつは多分、もう立っていられない。崩れてしまう。

 軍が彼らを人質に取るぐらい冷酷な態度で迫ったら……もうお仕舞いだったんだ。


 しかし、家族を盾にするようなまねは、さすがに軍の対面が悪くなるだろう……。

 それはあまりに卑怯だし、そうなれば他の勇者達からも反感を買って、別のボイコットが起きる恐れがある……。

 そうなれば、立てこもり勇者達の思うつぼだ。


 軍は選ぶ事が出来なかった。考え得る、最も効果的な交渉役を。

 いや、だからって、なにも俺みたいなクズを呼ぶ必要はないじゃないか。


 勇者クレゾールの気持ちなんて俺に理解できる訳が無いし、交渉スキルもないし、そもそもやる気がない。不適格が服を着て歩いているような存在だった。

 なんで俺なんだ。

 どうして俺なんだ。

 交渉なんて重大極まりない事を、俺みたいな身元も知れないクズに任せるという事が、どう言う事か、どれほど危険か、それが一体、どういう結末を呼ぶか……。

 まあ、連中が絶望したところで、知ったことじゃないが。

 俺は交渉が出来るなんて、ひと言も言っていないし、言わされてもいない。出来ると思い込んで勝手に俺を利用したんだから、まさしく自業自得だ。


 俺は瞑目して、大きく息を吸い込んだ。

 とうとうやるべき事を、自分の役割を理解し、酸素と共に細胞の隅々にまでその思いを行き渡らせ、腹をすえた。


 リズムを整え、きりっと、物思いにふける勇者クレゾールの、やつれた横顔に向き直る。


 家族を背に戦い、家族を護る為に戦う覚悟を決めた、その男の横顔を見て、俺は一瞬、言いかけた言葉を飲み込んだ。


『正直に言うと……勇者クレゾール、俺もだいたい同じ事考えていたよ。俺と一緒に戦おう』


 なんて、俺みたいなクズに、軽々しく、言えるわけが……。

 言えるわけが……。


「俺も……だいたい同じ事考えてたよ……勇者クレゾール」


 言った。とんでもねー戯れ言を言った。

 勇者クレゾールは、聞いていたのかいなかったのか。

 俺の決意を込めたひと言に対する反応は、なかった。

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