58 全力逃走
……なんだろう、とてつもない居心地の悪さを感じる。
座り込んでいる俺に、その場にいる全員の容赦ない視線が集中していた。
俺の隣で、勇者アリスはしくしく泣きじゃくっていた。
ヴィヴィッド・ポーションの継続効果か、HP2しかなかったのが、今は少しずつ体力が回復してきているようだった。HP低いと回復が安いな。
さらに、遠くから勇者ドバルの容赦ない好奇の目が注がれている。
主に居心地の悪さの原因はこいつだった。
「勇者マキヒロ、貴殿の教育方針がどうであれ、いきなりはさすがに酷だと思うぞ。彼女ははじめてだったんだ、言うならば汚れを知らない処女だ」
勇者リリーは、周りをまったく憚らない、よく通る声で言った。
リリーお姉様のセクハラは堂々としすぎていて、訴える気がしない。
彼女の世界ではセクハラに当たる言葉でもなんでもないのかも知れない。
「女性が無闇に傷つけられるのを、騎士として黙って見過す訳にはいかん。
もう私が口出しする義理はないのかも知れないが、今でも彼女の仲間なのには変わりない。
事前に連絡ぐらいくれても良かったんじゃないか。そうすれば、私たちも手ぐらい貸したものを」
「いや、今回は連絡している場合じゃなかったって言うか……」
勇者アリスがひとりで突っ走ってしまったんだが、本人の前でもあるし、それを言っていいものか迷ってしまう。
勇者ドバルは、眉間に皺を寄せて、よく聞こえなかったという風に首をひねっていた。
お前は何も聞かなくていいから。
迷っていると、勇者アリス自身が話してくれた。
「……違うんです、先輩は、私がこの世界で活躍する必要はないなんて言って、戦い方を教えてくれなかったんです……。
それで私、ムキになっちゃって、ひとりで勝手に飛び出していったんです……ごめんなさい」
「そうなのか? 勇者マキヒロ」
勇者アリスが言った事は、割と事実だ。
俺がすこし間を溜めて肯くと、勇者リリーはため息をついた。
「そうか……勇者マキヒロがそう判断したのだったら、それに従った方が賢明だろうな」
「けど、そんなの私は納得いきません、召喚師さまが、せっかく私を信じてこの世界に召喚してくださったのに、満足に戦わせてもらえないなんて、不本意ですッ!
先輩が本気になってくれないなら、せめて自分の力で、強くなりたかったんですッ!」
「勇者アリス、お前の気持ちは分からないでもない。だが、この世界の魔物は何もビヒーモスだけではあるまい?」
勇者リリーは、古参らしい鷹揚さで彼女をたしなめた。
「勇者マキヒロが、せっかくお前を一人前にするために付き合ってくれると約束してくれたのだ……いきなりビヒーモスは無理でも、弱い魔物から少しずつ挑戦してゆけばいい。ここで学んだことを無駄にせず、次回に生かせばいいだろう」
うんうん、さすが勇者リリー、そうだ、何もいきなりビヒーモスと戦えるぐらい、鍛える必要はないじゃないか。
最初は弱い魔物を相手に、徐々にレベルアップしていくのが当たり前だろう……。
えっ……次回?
それって、俺がビヒーモス戦後もこの世界に残って、戦い続けなきゃならないって事だよな?
勇者アリスは、俺の方を期待を込めた眼差しでちらちら見ていた。
い、嫌だ、俺は残りたくねぇ……せめて、自分の血が流れることのない世界に無事帰らせてくれ。
「お、俺は、ビヒーモス戦終わったら帰る予定なんですが……うがふっ!」
「どうしてですか、先輩ッ! あんまりです、私を一人前の勇者に育ててくれる約束じゃなかったんですかッ!」
「約束してねぇよ! 服掴むな!」
「ん? 私は貴殿と約束したような気がするが? なあ皆、勇者マキヒロは確か、勇者アリスを立派な勇者にしてくれると、我々の前でそういう約束をしたであろう?」
「数の暴力を行使すんな!? 弱い立場を護るのが騎士さまじゃなかったの!?」
やがて勇者ドバルから、通話機能を応用した短い文章が送られてきた。
勇者マキヒロ、修羅場なう。
いや、ちがうちがう。
知り合いに拡散すんな。俺にも届いてるぞ。
ていうかそのLINEっぽい機能どうやるんだ、後で教えてくれ。
参ったな、一刻もはやく勇者アリスを一人前にしてやらないと、俺はこのままだとビヒーモス戦後も戦わされる事になりそうだ。
本当に面倒な後輩を手に入れてしまった……勇者リリーは敵に回すと恐ろしいし、一体どうすればいい。
「ふむ……ではこうしようか」
勇者リリーは、うむ、と肯き、ある提案を出した。
「今、私の仲間の一部が、ビヒーモスによって破壊された侵入口の封鎖作業に回されている。
その付近では、外部から小さな魔物が何体か侵入していて、それらとの交戦も時々起こるそうだ。
このクエストが終わった後で、そちらのクエストを受ける、というのはどうだ?」
「えっ、クエストを選ぶ事が出来るんですか?」
「出来るか出来ないかは分からないが、一応、軍部に掛け合ってみよう。こう見えても私は軍部に顔が利くのでな。特にロリ軍師の何人かは私のペットも同然だからな」
自慢になる事をしれっと言ってしまう。
さすがリリーお姉様、セレブ感がパネェ……。
最後の一言さえなければ良かったのに……。
「どうする? 勇者マキヒロ。貴殿が勇者アリスを鍛えるには、絶好のクエストだと思うが」
そう言ってリリーお姉様は、Sっ気が内面からにじみ出るような、素敵な笑みを浮かべた。
なんだろう、この罠満載っぷりな感じは……。
怪しすぎる……。
外から侵入した『小さな魔物』との戦闘って所がミソだよな……。
ビヒーモス第二形態と真正面からぶつかるより、確かに楽な響きではある……。
それに上手くやれば、魔物と戦わずにけっこう時間がつぶせるかもしれない。
……素敵な『希望』を抱かせてくれる提案じゃないか。
けど、この世界、そこまで甘くないから、結局魔物と戦う羽目になるんだろうな……。
しかもこういう時に限って、超強い魔物とかが、うじゃうじゃ出現してさ……。
そして俺はクズだからあっという間にピンチに陥って、『余計な事しなきゃよかった』ってネガってヘタレているんだ。
何が起こるか分からない恐さがある。ビヒーモスと真正面からやり合ってた方が、まだ安心できるような気がする……。
「いや、申し出はありがたいんだけど……俺は俺のやり方で、勇者アリスを鍛えてみせます」
「ほう、なんだか急に男らしくなったな、勇者マキヒロ」
良く分からない任務は、軽々しく受けるべきじゃ無い。
危険なにおいがぷんぷんする。
君子危うきに近寄らず、だ。
様々な利害関係を考えた上で、俺は丁寧にその申し出を断った。
そして、勇者アリスを全力で鍛える……ふりをして、時間稼ぎをする。
「先輩……!」
「曖昧な態度をしてごめん。もう大丈夫、俺に任せてくれ」
俺は勇者アリスの方に向き直った。
全力で逃げていると、逆に何かに立ち向かっているように見えるってのは不思議である。
「俺は彼女をこれから、一人前の勇者に育てて見せる。……それまで、彼女の身柄を俺に任せてくれ」
***
ようやくやる気になった俺がやってきたのは、格納庫Bの隣、格納庫Aだった。
そこは破壊されたまま放置されており、修繕作業などは進められていなかった。
まあ、事態が事態だ、そこまでする余裕はないんだろう。
格納庫Aは薄暗く、格納庫Bより少し手狭に感じる。
ビヒーモスの破壊活動の音が、壁に空いた大穴から響いてきていた。
俺は勇者アリスを後ろに連れたまま、そんな場所を歩いていた。
ダッシュ機能を使って、うっかり見落としてはいけないからだ。
マップを確認しながら歩いて、ある場所で立ち止まる。
よし、この辺だな。
俺がぐるりと振り返ると、勇者アリスがびくりと肩を震わせた。
薄暗いのに、すげぇ緊張しているのが伝わってくる。
怯えている。
何をするか言っていないので、無理もないか。
俺と通話するよう言ってから、説明を始める。
「これから、お前を特別な修行場に案内する。そんなに緊張する必要は無い、リラックスしろ」
「あ……は、はい」
「ここで今から30分……いや、再召還されるまで何時間かかるか分からんが、飛竜のツメで自由に空中を移動出来るよう、練習をしてもらう。
それが出来たら、また次の段階に行ってもらう。いいか、飛竜のツメは、何があってもぜったいに手放すなよ」
飛竜のツメを、ぎゅっと胸に抱え、
勇者アリスは、きょろきょろと不安げに辺りを見回した。
「あ、あの……修行場って、どこにあるんです?」
「すぐそこにある」
「へっ?」
俺は勇者アリスの肩を、どん、と突いて、地面にぽっかり空いた亀裂に落とした。
勇者アリスの悲鳴が、静まり返った格納庫Aに木霊した。
「きいゃあああああぁぁぁぁぁ………………!!!」
そこは俺がかつてはまった、無限落下ループの亀裂だった。
練習場というのもあながちウソではない。
俺もここで暫くホバリングの練習してたからな。
さあ、這い上がってこい、勇者アリス……!
みたいな偉そうな事を言っている場合じゃなかった。
次の訓練なんてまだ考えてないからな。
今のうちに、俺の方もパワーアップして準備しなくてはならない。
延々と落下し続ける勇者アリスの悲鳴を聞きながら、
俺は格納庫Aを後にした。




