105 金色の乱入者
ズシャァァァン
ビヒーモスの衝撃波は、地上でもがき苦しむ魔物たちに、とどめをさした。
まるで容赦がない一撃は、俺のところまで迫ってくる。
今度の壁は高さが高さだ、一刻も早く飛ばないと回避が間に合わない。
俺はもう一度真上にジャンプし、なんとか雪の壁を跳び越えた。
白く煙っている部分をギリギリで交わしても、見えないほど小さな氷礫や、冷気がさらに10メートルも上に吹き上がっている。
片足にしびれるような痛みを感じながら、俺は壁を飛び越え、その向こうへと着地した。
類人猿もどきは、一匹残らず被害を免れなかったようだ。
狼など、すでに原型を留めていない。
掘り返され、蹂躙されつくした雪原の中で、俺は俺を助けた勇者の姿を捜す。
早くしないと、ガチで間に合わない。
バラバラに砕けた樹氷の間に、誰か倒れているのを発見した。
もう絶望的だというのは、そいつのライフゲージを見れば分かる。
俺が見つけたのは、体の至る所が凍傷で青くなった勇者クレゾールだった。
冷たい体をしている。もう虫の息だというのは、ひと目で分かった。
俺が抱え上げると、半身がべっとりと血まみれになっていた。
「……何考えてるんだよ、お前。なんで俺みたいなクズを助けるんだよ」
礼なんて言ってる場合じゃない。
こいつは何度も俺を助けてきた。
何度も、何度も。
「……仕方ないだろ、目の前に、お前しかいなかったんだから」
勇者クレゾールは、かすれるような声で返事をした。
遠くに見えるビヒーモスの動きに、俺は注意を払う。
どうやら、あらかたの魔物は倒したようだ。
今はむやみに足踏みをしたりせず、仲間と向き直ってうなだれている。
「メリッサを、助けるんじゃなかったのかよ?」
「仕方ないだろ……通話が通じなかったんだから」
勇者クレゾールは、小さな声で言った。
「どうするか考えていたら、さっき、メリッサからいきなり文章が届いたんだ……お前を外におびき出したから、今のうちに王宮に来いとかなんとか……ガチで焦ったぜ、案の定、死にかけてるじゃねぇか」
「ああ……やっぱこれメリッサの策略だったのか」
……そうだと思った。
軍に通話が制限されている、という事だったのに、勇者クレゾールの方からメリッサに通話をかけて、外で落ち合う約束を取り付けられた、と言うのは、ちょっと矛盾している気がした。
「本当にドジな奴だよ……あいつ、俺が居なくなった後の世話を、お前に任せてあるの、ぜんぜん知らないんだ」
うろ覚えだが、魔力炉でそういう約束をしたような覚えがある。
俺はあのままだと誰にも行方が分からなくなって、蘇生まで何ヶ月もかかる重大なBADENDだったそうだ。
基本的に誰のサポートも無しに、1人で外に出るもんじゃない。
今は休憩中なので、軍の監視も俺から外れている。門の所に居る勇者達も、そこまでは気が回らなかったみたいだ。
だが、勇者クレゾールは、そこで自分が助かるよりも、俺を助ける方を選択をした。
結果的に、メリッサは兄貴の手を焼かせてしまった。
なんかもう、怒る気もしない。
「……かみあわねぇな、お前ら」
本当に、かみ合わない。
お互いにお互いを不幸にしている。
「このままこの世界で、お前と一緒にやっていけるのか不安だよ……じゃあ、後の事は任せたぜ」
「無理です、丁重にお断りします」
「即答かよ……あの時みたいに、もう少し言葉を濁して、俺を気遣ってくれても良かったんじゃないのか?」
「あのな……あの時、本当は俺、めちゃくちゃ腹黒い事かんがえてたんだよ」
俺は頭をかいた。
交渉を忘れて、無駄な雑談に逃げていたのを思い出す。
「……今だから言えるけどな。本当は戦うつもりなんか全然なかったのに、一応メリッサと戦うって、建前だけ約束をしておこうと思ってたんだよ。とりあえず、お前に戦線復帰してもらって、元の世界に帰還したら、お前たぶんもう2度と召喚されないじゃん?」
「そいつは腹黒いな……メリッサに首刎ねられるぞ?」
「そうならないように、メリッサも説得して、お前と結婚して、一生側で助けてやれって言うんだ。……ほら、そうしたら、お前らどっちも、もうこの世界に召喚されないじゃないか?
俺はお役御免だし、晴れて自由の身だ。バカみたいだろ。お前の世界が、どんなに苦しい所か知らないくせに……」
「ああ……そうか」
勇者クレゾールは、暗黒の太陽に目を細めて、小さく呻いた。
「いいんだよ、結局お前は言わなかっただろ……」
この世界に帰化してしまったメリッサを助けるには、どうしたらいいのだろうか。
少なくとも、勇者クレゾールにはもう無理だろう。
じゃあ俺か。けっきょく俺がやるしかないのか。
俺みたいなクズが、いずれすべてを台無しにするリスクを負いながら。
つくづくこの世界には、絶望しか存在しない。
勇者クレゾールは、やがて大きく息をついた。
「悪かったな、勇者マキヒロ……。お前を無理に戦わせようとして。お前には、お前の戦いがあるはずなのに……」
役目を取り上げられたのに、なぜか肩の荷が下りたような気が、しなかった。
違う。
俺はそういう事を言って欲しかったんじゃない。
「目に映る全員を助けようとして、結局俺は、誰ひとり救う事ができなかった。……故郷を救う事も、兄妹を救うことも……だから、せめて、お前だけでも……」
俺は、大きくため息をついた。
本当にどうしようもない奴だ。
だから、お前は何もかも、自分一人で背負い込みすぎているんだ。
「いいかげんにしろよッ! そんな少年漫画にありがちな、『希望』臭いセリフ吐いてんじゃねぇよ……ッ!」
俺は大声で、勇者クレゾールを罵った。
そもそも目に映る全員を助ける事なんて、出来るはずがない。
「世界を変えるだとか、全員を救うだとか……弱い奴が何をやったところで、けっきょくは犠牲になるしか方法なんてないんだよッ! それが現実だろ、意味の無い犠牲を積み重ねなきゃ、何一つ動かないんだよッ! お前一人の犠牲で、そんな事が出来る訳がないだろうがッ! 大体……!」
俺は、はっと息を呑んだ。
俺の手の中で、勇者クレゾールはもう冷たくなっていた。
違う――。
違うんだ。
俺は最後に、こんな事を言いたかったんじゃなかったんだ。
こいつには、もっと言わなければならない事があったのに。
俺は、肩を落として、冷たくなった手を握った。
「……大体、お前は、なんで俺を頼ろうとしないんだ、勇者クレゾール」
そんなのは分かりきっている。
俺が戦いたくない事を、こいつは分かっていたからだ。
この世界には、戦いたくない奴を無理矢理戦わせようとする奴が居て。
戦いたくない奴を無理矢理戦わせたくない奴がいる。
勇者クレゾールは、後者だった。
そして俺は、貴重なその後者を失った。
この世界には、復活によって取り返しのつく傷と、取り返しのつかない傷がある。
俺には、どちらの傷も、回復させる力など無かった。
血の気が失せた顔の痣に、雪が降っていた。瞼一つ動かない。
勇者クレゾールの表情と一緒に、俺の心も凍結してしまったみたいだった。
しばらく氷像のようになっていた俺の耳に、遠くから不気味な羽音が響いてきた。
周囲に散らばった魔物の死骸を狙って、ハゲワシでも飛んできたのか。
そんな風に思っていると、目の前に、金色のドラゴンが現れた。
大きな翼をはためかせて、俺に鼻面を向ける。
天敵のビヒーモスが遠ざかるまで、待っていたのだろう。
ずしん、と地鳴りを響かせたそのドラゴンは、俺の目をじっと覗き込んで、小さくうなり声をあげた。
俺を食うなら、ひと思いに食われても構わない。蘇生が何ヶ月後になるかは分からないが、ドラゴンに食われるのは、もう経験済みだった。
それとも、こいつは何か、俺に伝えたい事でもあるのだろうか。
そんな風に思っていると、ドラゴンは皮肉げに口の端を吊り上げ、にやり、と笑い、俺の顔に熱い鼻息を吹き付けてきた。
「ふぅ――――――はははははぁ――――――ッ! 久しぶりに会ったら、相変わらずくだらんことで感傷にひたっておるのか、勇者マキヒロよッ! 青臭い奴め、さあ、茶番はそのくらいでもうお開きにして、我と共に、伝説を築く戦いをはじめるのだーッ!」
その雄々しい笑い声に、自分以外の人間をみなちっぽけなものと笑い飛ばすような口調に。
俺は、激しいデジャヴを覚えた。
……飛竜だ。はじめて、目の前に現れた。




