魔境踏破編 第2話
◇ WORLD・EYES ◇
「塵の森」。
大陸最東部に広がる森林地帯の、その果てに存在する魔境だ。
近づく者はいない。命知らずの冒険者すら、その探索を夢想だにしない。
地獄、半魔界、神の御加護の届かぬ所、断絶の先……呼び名は多々あれど、
つまるところ、世界は、その地を己の一部としてさえ認めたくないのだ。
忌まれ呪われた土地の最奥。
鈍色の石扉を開けて現れたのは、奇怪な一団であった。
灰色の武装に身を固めた兵馬が延々と、そして整然と隊列を組んでいく。
肌も晒さないその甲冑は、装飾こそないものの、冷徹な機能美で統一されている。
しわぶき1つない有様は厳粛というよりは無機的だ。
指揮官らしき1騎がいる。
黒い騎馬であることも異質だが、何より、身にまとう妖気が尋常ではない。
灰色の者たちの武器が薙刀1本なのに対し、こちらは剣、槍、斧、槌、盾と豊富だ。
改良を重ねたらしき黒い甲冑も、潜り抜けた修羅場の数を想起させて止まない。
兜の奥に覗く赤色の眼光……人外の者であろうか。
奇妙な1騎が現れた。
馬は大勢と変わらない灰色、しかし跨っている者の職業は定かでない。
魔術師に見えなくもないが、杖もなく、槍やサーベルが荷物と一緒に括りつけてある。
目深なフードで人相もわからないが……いや、それを払いのけて空を見上げた。
不確かだが強い感情に歪む、その絶世の美貌!
墨色の長髪をかき上げる手も、整いすぎていて目の眩むような顔も、透き通る白。
ああ、きっとこの若者は、伝説にある夜の妖精王に違いない。
黒と灰色たちの兵団も合点がいく。王が近衛を伴うのは当然なのだから。
そら、従者たちも現れた。
1人はきっと王の書記官だ。文官服を着込んだ綺麗な少年。
1人はもしや王の親族、姫だろうか。蒼のマントをまとう宝石のような美少女。
どちらも騎乗している。王の両側に侍るのだろう。
いや、もう1匹の側仕えがいた。
王の背には猫が張り付いている。豹柄の毛並みが優美だ。
次いで荷駄兵たちも現れる。それすら灰色の騎馬だ。
万緑の世界に整列する黒灰の軍集団……まるでそこだけは夜と主張するかのように。
色があるのは年少の2人と猫のみ。それは星の煌きか。
「進発」
王の命令が下った。
その手が指し示すは西方。
そちらには「ここ以外の全て」がある。
3000騎と4人と1匹、そして見えざる2影からなるこの出撃こそが、伝説。
天魔現精、四界に逃れる術なき戦火を拡大していく大戦の、はじまりの1歩。
後の世に「魔王軍」と呼ばれた勢力。
それが地上世界に現れ、出征を開始した瞬間であると明記せよ。
◆ アルバキンEYES ◆
忘れ物はないよな?
各種の触媒、それ自体で魔力を持つ書物、使えそうな魔法アイテム、研究器具。
俺の生命線たる栄養薬作成設備も分解して梱包済み。よし。
ほとんど根こそぎだが、悪く思うなよイリンメルさんとやら。留守なのが悪い。
ダンジョンの要所要所に《施鍵》もかけておいたし、戸締りも大丈夫。
いざとなったら篭城できる拠点だからな。中身すっからかんでも大事だ。
それにしても……むせ返るような空気だな。
土と植物と動物、あと魔物もか。全部ひっくるめて、生命の匂いって奴が凄い。
「息をすることが生きること」とは誰の言葉だったか。至言だな。
俺は今、生きているんだ……それがよくわかる。
さぁ、出発だ。
森を抜けて文明のあるところへ! この危険極まる魔境を越えて!
危険地帯を抜けるまでに、最短でも1か月。
最短距離を行くわけじゃない。
事前に調査した無数の縄張りを避け、その間を縫うように進む。
全員が騎馬で、しかも休息なしの駈足行軍をし続ける。
非常識を超えて非現実的な強行軍だが、様々な要素がそれを可能とするのだ。
まず、人造魔物である馬は疲労しない。
体力にあたる部分は魔力によって賄われる。その供給源は2つある。
第一に、俺の魔力。主力エンジンだな。俺が死ねば全軍が崩壊するわけだ。
第二に、敵の血。兵糧の現地調達に近いな。血から命の力を奪い、魔力とする。
何も吸血なんてする必要はない。口とかつけてないし。
兜の天辺から馬の鐙、ひいては薙刀の切っ先までもが特製の魔力還元物質。
騎馬ってのは見た目だけの話さ。
だから、切っ先からでも蹄鉄からでも、血にさえ触れれば魔力を得られる。
ちなみに3000騎ってのは、俺が1カ月間休みなく走らせられる数を超えてる。
消耗が前提だ。どこかで必ず戦闘が発生し、数が減る。
奇跡的に戦闘無しで推移するなら、適宜打ち捨てていけばいい。所詮は捨て駒だ。
いわゆる低燃費ってやつに仕上げてはあるが……3000はヤバいって。
あ、ドンキは自前ね?
っていうか、魔将たちは食事も休憩もなく1か月とか余裕ですから。
瞬発力では勝てても、あいつら、スタミナが人外だから。人外だけども。
俺とマグの休息は雷火で対処だ。
休む方の背後に出現し、対象に≪体重緩和≫をかけた上で姿勢補助。
これでかなり眠れる。文字通り体が軽くなるし、落馬の恐れもないしね。
まぁ、雷火の動力のことがあるから、俺に真の休息はあり得ないけど……
食事とトイレ? 何を今さら。
転生してからこっち、栄養薬を舐めて生きる俺は、糞尿とは無縁の160年だ。
アルバキンは食べない。そして排泄しない。
食べられないわけじゃないんだろうが……食べない。食べないんだ。
◆ クヴィク・リスリィEYES ◆
「灰の騎兵団」ですか。
1年数か月で急造した、主のための軍。
良いものです。その存在理由、存在機構が何とも美しい。
主によって、主の利益のためだけに、主の側に在る。
主の魔力の恩恵を受け、敵の魂の苦悶を喰い、心無く破壊を行う。
ふふ……世界は我らをどう見るでしょうね?
我らの帯びる気配は、主の霊格・霊性を受けて只ならぬものとなっていますよ?
血生臭いまでに陰惨。
恐れ慄くほどに狂猛。
ひれ伏すほどに豪然。
その実戦指揮官として……ふん……なかなかやるじゃないですか、ジジィも。
「黒の戦団長」という異名もハッタリではないようです。
あれでジジィも、かつては魔界大平原に30の軍団を率いた魔将ですからね。
ジジィが組んだのは、主を中心とした緩い菱形陣形。
単純ですが防御力と対応力に優れ、いざとなれば突破力も期待できます。
雪風という優秀な斥候がいるので、分隊を作ることもなく、速やかなる行軍ですね。
さて……予定ではそろそろ最初の難関。
「超巨大蟻」の縄張りを横断する地帯へ差し掛かります。
これを避けるとなると、10日の延長を覚悟しなければなりません。突破です。
む、雪風が戻りました。
この速度に平然と並走する辺りは流石です。
「11時・蟻1・接敵15分。0時・蟻3・接敵20分。2時・蟻2・接敵5分」
近い。2時方向の蟻は地下から出現しましたね?
先に撃破するか、いずれかに迂回するか……
「2時を叩くと進路調整は最小限、しかし正面が増量して塞ぐ危険がありますね」
「進路このままだと全部叩くことになっちゃわないかな?」
「2時を避けて11時方向へ向かうとして、蠍の巡回経路に接します」
主の判断を待ちます。
「マグは《地面陥没》を使えるな?」
「もっちろん」
「迂回して11時へ向かう。雪風、ドンキに伝達したのち先行しろ」
む。100騎が2隊、先駆けていきますね。
方針決定は主ですが、こういう細かい実行面はジジィの指揮です。
「マグ、いけ」
「はい! どっち?」
「左」
「蠍だけ?」
「ああ、それが済んだら一旦戻れ」
「了解!」
ジジィから雪風に打診があったのですね。
2隊のうち左の100騎を「御姫」の指揮下に置いて当たるようです。
魔炎殿すら惹きつけたこの御姫、今や重要な戦力となっています。ふふふ。
この征旅中、主は基本的に戦力外です。
3000騎を常に駆動させる魔力消費……これはとてつもないのですから。
魔将たる私にすら無理です。並みの魔術師なら1騎でも半日と保たないでしょう。
主の魔力は量といい質といい規格外。
それでも尚、現状ではギリギリの運用を強いられるのですから……
凄まじきはこの森の狂気。
魔界でも、ここまで脅威が圧縮された土地は類を見ません。
「塵の森」……塵……それは誰にとって?
◆ マグネシアEYES ◆
ええっと、今、何日目だったっけ?
生活習慣なんてあったもんじゃないから、把握しとくの無理だよね。
「灰の騎兵団」の下士官・マグネシアは戦い続けるのみでありまっす!
「マグは《岩石散弾》を使えるな?」
「もちのろん!」
「このまま蜂を牛鬼の群れにぶつけるが、漏れた蜂の迎撃は任せる」
「まーかせて!」
兄様はアタシに色々やらせてくれる。
できることを把握し、できることをできる範囲で、効率よく活躍させてくれる。
とても嬉しい!
お爺ちゃんの副官を拝命してたら、もっとやらせてもらえたのかな?
でも、すんごいからなぁ……本性のお爺ちゃん。
お髭のときのニコニコ顔も素敵だけど、黒甲冑のときの武者振りは鳥肌物。
鬼気迫るっていうのかな?
無駄に動かない。動くときは全ての挙動が「殺すこと」に繋がる。
こう……凶暴な黒熊がタキシード着て執事してる……みたいな?
くりっ、クリリンは……ぷっ、くく……何か笑っちゃうの、この名前……ゴホン!
クリリンは博識だし、精神魔法も巧妙だけど、本気出さないんだよね。
アタシとか兄様とかの行動を見るのが好きみたい。
「《岩石散弾》」
空気を唸らせながら飛来する白虎蜂を一撃粉砕。
アタシのは硬くて尖ってて、しかもたくさんだよ!
四本腕牛鬼を斬り捨てていく騎兵たちを援護。
ほらほらー、その距離だってアタシは殺せるよー?
岩石弾のまま射出して、目の前で爆砕させればいいだけだもん。撃滅終了!
ほら。
やっぱりクリリンが見てた。何かニヤニヤして。
危ない時は《魔力壁》で助けてくれたりもするけど、ホント手伝わない。
いい根性してるよねー。「御姫」って呼び方も何かひっかかるしさー?
兄様の第一の家臣って話だけど、大丈夫だよねぇ?
兄様のためにならないことしたり、企てたら、ニオちゃんに燃してもらうよ?
あ、雪風ちゃんだ。
「8時方向、鉄像鬼が2体、低空で急速接近中。接敵まで3分」
うわ、それマズくない?
あいつら超硬いから刃物効かないし、灰色驃騎兵じゃ勝てない相手だよ。
高速体当たりとかされたら、一気に何騎も潰されちゃう!
「2体か……雷火、クリリン、対処しろ」
「御意のままに」
はっはー、アンタも仕事の時間だよん。
本当は1人で戦うとこも見てみたいんだけどなぁ。
「何です、御姫。地霊系はお呼びじゃないからって」
「ち、違うよ! むくれてないよ!」
「こういう時のために、早く《接触劣化》を射撃できるようになって下さい」
「そんな魔法ないよ!? 接触って言ってるじゃん!」
「じゃあ、《塩化呪詛》を早く」
「禁呪じゃんか!! しかもそれ、名前しか伝わってないじゃん!!」
鼻で笑っていきやがった……
こ、このクリクリ坊主がああああああ!!
パチンッ
《魔力壁》が鉄像鬼を強制空中停止させ、
雷火ちゃんの《闇手》が2体とも瞬殺。はい終了-。
兄様って、ホント、適材適所の天才だよねぇ?
◆ アルバキンEYES ◆
酷い森だよ、ここは……
敵が敵を呼ぶというか、一度戦闘が始まっちゃうと連戦確定だもの。
連戦突破、襲足、駈足、居眠り、雪風連絡、緒戦、連戦、連戦突破……以下略。
そんな日々を過ごすこと、もう1ヶ月。
厄介な敵を避けたり、避けられなかったりしたせいでずれ込んでる。
正直、疲れた……わかっちゃいたが厳しい行程だぜ……
けど、意外や意外、割と魔力は余裕があるような?
このゆとりの原因は確定的に明らか。
灰色驃騎兵が予想以上に強かったこと。これに尽きる。
個々の戦闘力もそうなんだけど、集団としての戦闘力に目を見張るばかり。
3000騎が1個の生き物のように戦うってのは、かくも見事なものなんだな。
個々の武勲を追う気が皆無ってのは凄い。
50騎が全てすれ違いざまに斬りつけていって、51人目で切断とか普通。
ドンキの練兵、ここに極まれりだ。
想定以上の戦闘回数も相まって、戦果も想定外の規模に。
上手いこと戦ってくれるもんだから対費用効果も優秀。
戦闘機動に費やした魔力より、血から吸収した魔力の方が大きいなんてことも。
とはいえ、消耗はしている。
俺の魔力残量は、数珠にして20個中2個。
1個辺りの魔力量が増大しまくっている最近だが、それにしたってあと1割だ。
灰色驃騎兵の残存も2319騎。
中破以上のものは躊躇わず破棄してきたんだが……予定よりかなり残った。
荷駄隊の50騎も無傷だし、これ以上は望むべくもない。
強いて言うなら「巨大蚯蚓」の奇襲が痛かったか。
地中から直径5m級のやつが4匹。まるで間欠泉みたいに襲ってきやがった。
初撃だけで10騎以上。
その後の触手やら強酸やらも苦戦して、更に100騎近くも損耗。
地中相手、単純で強靭な生命力、巨体などやりにくい要素も多いが……
やはり「襲われる側」になると途端に被害がでかくなる。
あとはアレだな、まさかの「地這亜竜」。
翼無く8本脚で走るという、恐竜の妖怪みたいな強敵だ。衝撃の発見報告だった。
俺が戦えないからな……決死隊100騎を囮にすることで回避したよ。
あれは英断だったと思ってる。
ドンキでも危ない難敵だ。まともに当たれば被害の予想ができない。
さて……と。
次が最後にして最大の難所になるか。
遥か昔、世界制覇の志を胸に、森へと騎士団を派遣した国があった。
神聖エノク王国。御伽噺の国家だな。
そいつらは見事に全滅し、今なお、亡者として軍隊行動をとっているようだ。
紋章がそれを裏付けている。魔境の浅い部分って所は失笑だが。
かつて物量で切り開かれた大空間は、現在では高木の育たぬ丘陵となっている。
死者の騎士団が展開する戦場。ここを突破する。
正念場だ。
「灰の騎兵団」の真価が試されるだろう。