魔境踏破編 第1話
◆ キュザンEYES ◆
ここはとても息苦しい。
吸うと吐くとが、不可逆的に私を朦朧とさせていく。
(どうしてこうなったのだ?)
それは、私が弱かったからだ。
戦い、敗れた。
負けてばかりなんだ、私は………私たちは、最初から敗残兵なのだから。
(ここはどこだ?)
ここはどこだろう。
ダンジョンではない……森でもない……空でもない……城でもないな……
何処であろうと、どうせ私の世界ではない……私の故郷は……
(森はどういうところだった?)
魔物の巣というのも生ぬるい。魔境……この私が突破を諦めるほどの。
強力で、執拗で、膨大で、際限のない……縄張りの連続。魔物の坩堝。
止まれば戦闘。進んでも戦闘。間断なく続く修羅の巷。
(空は、どうだ?)
空もまた魔境……魔物の群れなすこと、雲霞の如し。
上空は万物を殺す毒の光の支配する虚無。
大陸に魔境は多々あれど、ここに勝るものなし。地獄。地獄。地獄。
(どうしてダンジョンに潜った?)
帰るため。帰る方法を探るため。城に。城に帰らなければ……報告を……?
報告、そうだ、任務を果たさなければならない!
私は、私は……!!
(眠れ。眠るがいい……安らぎ、放棄するのだ……これは夢なのだから)
わたし、は……夢を……嫌な夢だ……
ここはとても息苦しいんだ……それに、暗い……
◆ アルバキンEYES ◆
大した奴だよ、このねーちゃん。
危うく目覚めちまうところだった……まともに戦ったら勝てない相手なのかもな。
俺は今、地下60階にいる。またしても。
目の前には黒い球ころ。
封印した武士を尋問していたのだが、これが中々に難儀している。
魂を半凍結させて外界と遮断、俺の魔力を呼吸させることで意識を奪うわけだが……
この方、超強い。
魔力もそうだけど、意思力が凄い。
精神の年輪的なものも桁違い。一体、お幾つなんだろう。千歳どころじゃないよ。
聞きそびれたけど、その「父様」って、まさか万歳とかじゃ……?
はぁ。
テンションを高く持ってかないと、正直、やってられん。
得られた情報が救いようもないんだもの。どんだけだよ、畜生。
ダンジョンの外は森で、しかも超物騒な魔境であるとは……!
雪風の偵察もそれを裏付けている。
ダンジョンの出入り口を中心に半径20キロほどをステルス索敵させたんだが……
いるわいるわ。魔物。
「六本腕牛鬼」と「四本腕牛鬼」の群れ。
「蜥蜴皇帝」率いる蜥蜴人の大集落。
「超巨大蟻」、「白虎蜂」、「牛喰蜘蛛」の巣。
「地獄蠍」はあちらこちらを巡航してるし、
「巨魁戦鬼」は雄叫び上げて四股踏んでるし、
「三目巨人」は呆然とどこかを見つめてるし。
ざっと確認しただけでも、これだからね……どういうことなの……
単体なら余裕で勝てる。
集団でも、まぁ、対処できるだろう。
けど連戦は駄目だ。囲まれたら終わるし、魔力・体力が続かない。
付け加えるなら、空と地中も油断できない。これもまた非常にまずい。休めない。
いちいち休めたダンジョンが天国に思える。
階段とかあって文化的だったしね、ある意味において。
お外はもう、殆ど魔界だよね! イリンメルてめぇ何でこんなとこ住んでんだ!!
……森の先には、平和な世界、あるんだよね?
本で読んだのと違うんだけど。凄く。パフェ頼んだらマムシ酒出てきたみたく違う。
この60階が文明の最後の遺産とかじゃないよね?
読んだことのない本の1冊、俺以外の魔術師の1人も存在しないんじゃ……
「アイツ」に到達する手がかりが何もないってことになっちまう!!
くそっ!
最悪でも、あのねーちゃんの言う「城」はどこかにあるはずなんだ。
殺したわけでなし、この球持ってけば父様とやらと交渉の余地もあるだろう。
うん、よし、やはり何としてでも森を踏破しなければならない。
ここで引き篭もるくらいなら、また樽で寝腐ってるのと同じだ!
……ん?
そういや、樽って、もう1人いたんだよな。俺以外に。
俺と同じように目覚めるのかもと思って放置しといたが、すっかり忘れてた。
……いっそ起こしてみるか?
なぜなら。
侵入者が現れた現状、防衛力をゼロにしたダンジョンは拠点として不適格だ。
周囲の森はとんでもない地獄だが、ねーちゃんも空から堕ちてきたようだしなぁ。
最悪の想定として、俺が森を行く間にダンジョンが占拠されることも起こりうる。
そもそも。
森を抜けられたとして、再び戻ることは困難に違いない。
だからといって破壊するつもりはないが……資源を持ち出して放棄、が正解だろう。
貴重な触媒、使えるアイテム、オカルト辞典で代用できない書物……樽は含まない。
よし……起こしてみよう。
ある意味じゃ姉や妹みたいな存在だ。
そうでなくとも同じ樽の水を飲んだ仲間。無視して去ることもないだろう。
◆ ???EYES ◆
夢を見てたの。
たっくさんの夢。たっくさんの冒険。たっくさんの虐殺。
あるときアタシはお姫様で、兄上の偉業を継いで世界を征服したわ。
あるときアタシは町娘で、哀れ金持ちの慰み者、でもお兄ちゃんが仇をとってくれたわ。
あるときアタシは中学生で、記憶喪失のお兄ぃの為、毎日色んなお祭り騒ぎを起こしたわ。
あるときアタシは副官で、兄の指揮する宇宙艦隊で勤務、作戦失敗で戦死したわ。
たっくさんの夢。たっくさんの成功。たっくさんの失敗。
でも、どれも夢のまた夢。みんな本当じゃない。
でも、どれも素敵な夢。みんな兄の妹なんだもの。
きっと次の夢も面白い夢。
ほら、ワクワクしている。もうすぐ始まる。
次の冒険は何だろう。始まるよ始まるよ。
順番からいったら、多分失敗しちゃうけど、でもたくさん殺せる夢が!
見える、見えるよ! 血の風が世界を薙ぎ払う結末が!!
◆ クヴィク・リスリィEYES ◆
アルバキン様はここで誕生なさったのですか。
人造人間製造施設……いや、正確にはその「モドキ」ですね。
この設備では無から有を生じさせることは不可能でしょう。
既にある命を改造、改変といったところが精々ですかね。
まぁ、それでも十分に凄い技術なのですけど。
「これは……まるで成長していない!?」
主が驚いています。どういうことでしょうか?
「俺が幼児として這い出たときと、今と、こいつの姿が変わっていないんだ」
なるほど、この培養液には成長停止作用があるのかもしれません。
イリンメルという魔術師は錬金術師として相当の高みにあるようです。
生体実験をする際には重宝する霊薬でしょう。
ふむ。
このエルフの少女は、見たところ80歳から90歳くらいでしょうか。
「えへぇ!?」
主が奇声をあげました。どうしたのでしょう?
「あ、ああ、そうか……エルフの寿命って900歳とかだもんな……そうか、うん」
10で割ればいいのか、とか何とか呟いています。はて?
ともかくこの少女を覚醒させればいいわけですね。
ほらジジィ、やれよ。
あぁ? 何が「レディーの肌が」だ。顔赤いぞ、酒でも飲んだかジジィ。
あ、てめ……何だ、慌ててどっか行ったかと思ったら、拭くものを持ってきたのか。
おや、魔炎殿も興味津々といった様子ですね?
これは吉兆。
非力な存在であれば処分を進言するところですが、この少女、期待が持てそうです。
「ドンキホーテ、ニオ、この子が気がつくまで世話を頼む」
「御意にございます!」
「お、おう。気合い入ってるな……クリリン、ちょっと来てくれ。相談がある」
「かしこまりました」
主の目からチラリと圧力が漏れています。
これは……ふふふ……野望と企みの気配を感じますね!
◆ アルバキンEYES ◆
よし……よし!
森を抜ける為の方法を立案したぞ。
それに必要なものも用意できそうだ!
軍隊を作る。
数の暴力に対して逃げの一手で押し切れそうもない以上、こちらも数で勝負だよ。
どれだけ犠牲を払っても、俺さえ森を越えられたなら勝利なんだから。
打撃力と機動力を併せ持つ部隊を編成し、最小の敵を最小の犠牲で突破していく。
休憩時も進撃をやめない。
常に進むことで、常に「襲撃する側」でありつづけ、予測された犠牲だけを払う。
そういう軍隊を作り、その「王」として中央に在ればいいんだ。
無理だろうって?
いや、出来るんだよ。兵站も気にしなくてよくなるんだ。
クリリンと細かく相談した結果……
「灰色人造騎兵」という魔物がそれを可能とする!
大昔に狂気の錬金術師が作成したとされる魔物で、まぁ、並みの強さの奴だ。
造形はいい加減だが、魔力物質によって構成された軍馬と軽装兵士から成る。
魔界ではたまに見かけるらしいが、マイナーだ。
「骸骨騎士」より弱いからなぁ……弱者淘汰は世の常ってやつだな。
で、その狂気の錬金術師さん、当然ながら研究を記録しておりまして……
断章ながらクリリンは読んだことがあるときた。
つまり、俺にも「灰色人造騎兵」が作成・使役できるんだよ!
な、なんだってー!?
ま、冗談はさておき。
シリーズ最上位の「黒色人造天使」ならまだしも、下位派生の魔物だ。
触媒は単純かつ量が用意できるから問題ないとしても、強さが足りない。
魔改造ですよ。
幸いにして、ここは錬金術がお得意なイリンメルさんの秘密基地。
施設も材料も贅沢なほどにある。
まぁ、だってさ、ほら……下手すりゃ俺をすら作った場所だからね……
貴重な素材も使ってさ、作るともよ。
俺のために駆け、俺のために戦い、俺のために死ぬ兵隊を。
やるからには徹底的に!
上手くすれば、先々まで重宝する手駒になるかもしれないしな。
◆ ギ・ジュヨンロEYES ◆
マグネシア。
それが小さきレディの名である。
その意味するところは、この世に比肩する物無き超越的な輝き。殿の命名だ!
レディの世話役を任されて、早1年あまり。
目覚めた当初からサファイアの美貌と淑女の品格とを感じさせたレディ。
その聡明さたるや、言語の習得はおろか、元素魔法をも習得した程である。
兵法についても手斧を巧みに使う。これが実に強い!
「アタシは兄様の妹だからね!」
賞賛を受けるたびに、嬉しそうに言うその言葉。
初めは思い込みの類と聞いていたが、最近では真と響いてくる。不思議だのぉ。
殿も消極的ながら受け入れておられる。
さて、そろそろ殿のご用命である練兵の刻限だ!
「お爺ちゃん、アタシも行っていい?」
「おお、レディ。魔法の勉強はよいのか?」
「今日の課題は終わったもーん」
「はっは、ならば共に行くとしよう!」
まず向かうのは地下59階。
かつて殿がドラゴンとの死闘を演じた大広間だ。
現在は「灰の騎兵団」の保管庫となっておる。
見渡す限りに整然と並ぶ、灰色の騎兵たち……「灰色驃騎兵」である。
灰毛の精悍な軍馬に跨るは、細身ながら隙間無く鎧で身を包んだ、灰色の人造兵士。
その武装は薙刀のみだ。これは殿と我輩が熟慮を重ねた結果である。
何しろ多種多様の魔物と戦うのだ。応用力が肝要。
突き、斬り、払い、薙ぎ、叩ける武器でなくてはならん。
その数、3000騎。
今は休眠状態にあるが、殿の意を受ければ即座に起動する。
殿の魔力を糧として戦う無言・無感情・無恐怖・無疲労の兵士たちだ!
「来ていたか、ドンキ」
「ははっ、すぐにも始められますぞ!」
殿は騎兵団を眺めることがお好きなようだ。
手塩にかけた作品だからであろうか、どこか誇らしげな表情をなさる。
「ん? マグも来たのか」
「はい、兄様! お爺ちゃんの指揮を見学させてください!」
「今度はそれを学ぶつもりか。偉いじゃないか」
「えへへぇ……少しでもお役に立ちたいからぁ、頑張る頑張る!」
はっはっは、仲睦まじきことだ。
レディやニオ嬢と過ごすときの殿の様子、我輩は大好きである。
殿は遥かな先へと飛翔される御方であるが、何事も緩急が大事というもの。
抜き身の刃でなし、適度に脱力する時間もまた必要なのだ。
「では、本日は100騎による精密運用を行いますかな」
「少ないが?」
「状況によってはそれくらいの規模の方が小回りがきくものです。それに……」
「アタシ? もしかして??」
「わっはっは! 端からそのつもりがあったようだ、レディは!」
「なるほど……下士官って奴か」
「副官がいいなぁ」
「我輩と1500騎同士で引き分けられたら、殿に進言しようぞ?」
「目標きたよコレ!」
殿の軍は仕上がりつつある。
雪風による進軍経路の策定も順調のようだ。
今再びの進発が号令された暁には、次こそは、殿は地上に雄飛するのだ!
我輩、胸が躍るのである!!
◆ ニオ・ヨエンラEYES ◆
ニオ、幸せ。
アルバキンの妹、不思議、近くて遠い子。
ニオのこと、いっぱい撫でる。好き。
アルバキンの次に、好き。アルバキンは、特別。
「ニオちゃんはいい子だねー! 兄様のこと護ってるんだもの!」
そう、ニオ、アルバキンの守護者。
きっと、たくさんの死、アルバキンに集まる。これから、もっと。
強いけど、アルバキン、本当は泣いてる。
誰も知らない。アルバキンも知らない。でも、泣いてる。わかる、ニオ。
「アタシもね、護るよ? 前の夢は忘れちゃうんだけど、兄様は忘れないの!」
マグネシア、不思議な子。
遠いけど、ぼんやり。どこからでもない、どこかから来た子。
きっとアルバキンに、必要、そんな役割、ある。
アルバキンのために、来た子。きちんと死なないまま、生きていく子。
「ニオちゃん、一緒に頑張ろうね!」
「ん!」
ニオも、頑張る。アルバキンの、ために。