到神飛翔編 第1話
◇ WORLD・EYES ◇
黄金の五十年。
光魔大戦を終結させた「降臨」より、50年余り。
後世に伝説として語られる、神話としか思えない、理想の時代があったという。
魔王アルバキンが、神なる者が、アルバキア大陸に存在していた時代。
戦争なく、疫病なく、飢餓なく。
親は誇り、子は笑い、草木は萌ゆ。
多種族が親和し、文化が発展し、大陸が歓喜に満ち満ちる。
ただ、在るだけで。
それだけで世界は祝福されるのだ。
変化するのだ。
急激なことではない。
徐々に、緩やかに……しかし確実に、世界は変化していく。
戦乱の大陸が平和の大陸に。人々の営みが、神代の営みに。
抽象的な、象徴的な意味ではない。世界は具体的に変わっていく。
その例を挙げればきりがなく、どれも後世からすれば空想の極みと言ってよい。
試みに、1つだけ例を示そう。たった1つだけ。
人は老いなくなった。
成長はする。
しかし壮年期に止まる。その心身が充実したその時を、長く維持するようになった。
既に老いしも、若返ったかのように力を取り戻した。誰もが生命を漲らせた。
それはもはや、人が人でなくなることを意味していた。
楽土へ。
アルバキア大陸は楽土へと変容していく。
人は神の在るを狂喜し、酔いしれた。
そして終わる。唐突に。
始まりの緩やかさとは打って変わって、一夜にして。
ある夜、黄金の時代は終わった。
理由はわかっていない。しかしその夜を境に、人は老いはじめた。
身体に満ちていた力は失われ、作物の実りもかつてと同様のものへ落ち込んだ。
魔王城は在る。荒野の先に在りつづけるというのに。
人々は震えた。まるで毛布を奪われたかのように。
世界を肌寒いと感じた。心細く感じた。
神は去ったのだ。
そう悟るまでに、長い時間を必要とはしなかった。
世界を巡り伝道する者たちが現れたからだ。
不安にかられる人々に、混乱しようとする社会に、説く。説いてまわる。
人々よ、自立せよ。
戦乱に喘ぐ世界を哀れみ、魔王は神として降臨された。
世界はその翼の下で憩うた。充分に。力を取り戻した。充分に。
人々よ、自律せよ。
暖かく見守られる時代は終わり、世界は再び試されるのだ。
調律せよ、己の力で。維持せよ、己の力で。発展せよ、己の力で。
人々よ、心せよ。
世界とは「そう在るべき」ものに非ず。「そう在らんと欲する」ものなり。
既得に胡坐するなかれ。歩け。不断の努力のみが我らを援けるだろう。
説く者たちの首には、青き襟巻。翼のペンダント。
かつて大陸中の危険を打ち払った、英雄たる者たちである。
使徒だ。魔王の使徒なのだ。彼らは。
黄金の五十年、それに続くは……銀翼の千年。
立ち上がったのだ、世界は。
子が親の庇護を離れて立つように、力強い在り様で。
自負があった。
この繁栄は、決して、全てを与えられたものではないのだ。
護られてはいただろう。しかし、今の全ては自らの努力でもって成したもの。
今も大陸の中心に栄える都、即ち、試都。
そこから広がっていった、多種族が融和する社会の在り方。
与えられていない。教えられていない。考え出したものだ、それは。
かつて1つの都の中で行われたこと。
希望を胸に、あらゆる困難を乗り越えて、和を勝ち取った試み。
今度は大陸で。不安と緊張の凍えに挫けず、前へ。先へ。
銀翼の千年。
歴史はそれが「発展の時代」であったことを証明している。
多くの混乱を越えて、人の営みは栄えたのだ。勝利したのだ。
後世に残る多くの遺跡は、それが大陸文化の頂点であったことを示している。
その後に訪れるは、黄昏の千年。
停滞し衰退する時代。貴重な何かが失われつづける時代。
勝利し続けることはできないのだと、時が宝玉を磨耗していく時代。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
無くなる。忘れられていく。尊い何かが。
その時代にも踏みとどまろうと戦う者たちはいたのだ。
しかし……ああ……それは多くない。少なくなっていく。徐々に。
誰もが強く在れるわけではない。
寧ろ、誰もが本質的には弱いのだ。強さは後天的なのだから。
弱きに陥らず、再起し、勇気の一歩を踏み出すためには何が必要か。
健康か? 財か? あるいは魔力か?
自分だ。
自分が必要なのだ。自分を信じ、自分を認める自分が。
自分を肯定すること無しには、立ち向かえないのだ。何に対しても。
自信を失っていったのだ、世界は。
そして自身の貴重なることを忘れ、滅び去っていく。
大自然の営みへと、その輝きは静かに消えていくのだ。
魔王降臨に端を発するアルバキア大陸の繁栄。
2000年余りの時をもって、それは失われることとなる。
後世、大陸各所に散在する遺跡に、その痕跡を残すのみだ。
しかし……それは敗北だろうか?
永遠ならざるをもって、それを失敗と断じてよいものだろうか?
花の散ることをもって、花の美しさを否定できるだろうか?
人の死するをもって、人の生の素晴らしさを否定できるだろうか?
アルバキアの栄華は1つの金字塔ではないだろうか?
魔王降臨から5000年先の未来。
大陸のアルバキアという名称が、魔王の名に由来することすら忘れられた後世。
慢性的な戦争が続く、荒廃と退廃の世界において。
海辺の寒村を駆ける子がいる。
マーマルだ。その手には白い小鉢が幾つか握られている。
向かった先は、日の当たる涼やかな岩場。
子は岩の上に丁寧に小鉢を並べていく。
その数、10と1。
並べ終えると、皮の容器から水を注いでいく。1つ1つ丁寧に。
満足げな笑顔を浮かべ、子は空を仰いだ。
晴天に向かって何事かを身振り手振りで話し、二カッと笑う。
皮袋の水を自分でも飲み、そして片付けはじめた。
伝承として残っているのだ。
魔王に生涯を捧げた女性たちがいたという。
彼女たちは心を込めた汁物を献じていたと伝承にある。
その数は11杯。魔王は日々それらを平らげていたのだとか。
マーマルの子は、それを旅人に聞いたようだ。
魔王教徒であろう。ヒュームやエルフに迫害される彼らであるが。
マーマルは歓迎するのだ。「まおー様」の使徒であると大歓迎するのだ。
魔王へ11杯の汁物を捧げる祈り。
作法を知り、その上で、子は思ったのであろう。
どうせなら気持ちの良い場所で飲んでもらおう、まおー様に……と。
どんな時代にも、人の営みがある。
世界は絶え間ない変化に揉まれ、しなやかに、在り続ける。
魔王よ。
黄金の五十年の、その最後の夜に去りし魔王よ。
どこへ向かったのか。この世界を後に残し。
魔王よ。
無垢なる祈りも、決意の祈りも、未だに空へ放たれているぞ。
どこへ居るのか。届いているのか。魔王アルバキンよ。
それを知るためには。
時を遡行し、知らなければならない。
あの夜の真相を。黄金の五十年の、最後の一夜。
なぜ、魔王が荒野から去ったのかを。
◆ アルバキンEYES ◆
いよいよマズイ。
膨張に膨張を重ねた俺の魔力。
もはや《魔力隠蔽》など効果を発揮しなくなって久しいが。
ここへ来て更に自己発展の速度が増してきた。抑え切れん。
現世界が不老不死の世界になっちまう。
一方で産まれ続けるからな。
どう考えても生態系のバランスブレイカーだ。この俺が。
くそ……まだ完成してないってのに。
「天界へ行くしかなかろ?」
バゼタクシアか。
相変わらずゴテゴテしてんなぁ。花魁とかってこんな感じなんだよな。
「我が夫は喜ぶ仕儀かもしれんがの。魔王よ、お主ならわかっておろ?」
「まあな。だが天界ったってなぁ……」
移住することは容易だ。
今の俺は散歩感覚で全ての世界を回れる。
だがなぁ……所詮は『この世界』の内側なんだ。
現世界、魔界、天界、精霊界……同じ家の部屋の違いに過ぎない。
移住したところで、効果はゼロにはならないだろうな。
「天界はの、深海に次いで近いのじゃ。あそこにの」
「ほぅ」
『深淵』。
目下のところ、俺の目的はあそこへ再び赴くことだ。
あそこは『この世界』の外側。普通に行けるところじゃない。
《存在抹消》って訳にもいかない。危険過ぎる。
俺の身体がって意味じゃない。仮に直撃食らっても平気な自信がある。
危険なのは世界だ。
今の俺を『深淵』に送り込もうとしたら……規模がやばい。
それに必要な「夜」は世界を覆い尽くすだろうな。『破界』だよソレ。
大きくなり過ぎた、俺は。
海底神殿の門なんてのも無理無理。
感覚的にはアレだな、指輪をくぐれって言われるようなもんだ。
我ながら非常識なこったよ。育ち盛りにも程がある。
だから、ハイパーイース族に研究開発させていたんだ。門の拡大版を。
門造ったの連中だからな。越界人って異名は伊達じゃない。
世界脱走の名人芸でもって、頼む、俺を『深淵』にってな。
それが間に合いそうもない。
いや、違うな……施設の拡張速度が、俺の成長速度に抜かれちまったんだ。
全ては遅きに失したってことだ。何ともはや。
「世界間の壁もないよりはマシじゃ。そこへ我らが結界を敷けば……」
「稼げるか。時間が」
「うむ。あそこが近ければ……圧も、逃せよう?」
「……だな。確かに」
圧。
俺が存在することによって世界全体に掛かる、圧力。
もう閉塞感なんてもんじゃない。窮屈なほどだ。気を使うレベルだ。
壊してしまう。
確信をもって断言できる。
俺は、このままでは遠からず、世界を壊す。内側から。
大陸を焦土にとかって意味じゃない。世界そのものを破壊しちまう。
そう、あの『深淵』に漂う欠片たちのように。
だから逃す。
ガス抜きするように、圧力を世界の外へ。少しずつ。
バゼタクシアと密かに話し合っていた次善策だ。
巨大なる俺。
もしもハイパーイースの越界技術が間に合わなかったならば。
その時は、止むを得ない。世界を壊したくないのならば。
分解しよう。俺自身を。
死ぬわけじゃない。パケット通信みたいなもんだ。
生気と星気を分離して、細分化して、1つ1つを極小化する。
そして流し出す。現状の拡大越界門で。
かかる時間は……500年……いや、もっとかかるか……。
自分が2ヶ所にいる不思議体験だよな。
自我の在り所は、まあ、基本的には量に比例するだろう。
ある時点を越えれば、俺の主体は『深淵』に在ることになる。
しかも……元の俺じゃない。多分。
自分を組み立て直すんだからな。否応無く存在が純化される。
かつて俺は涙を失ったが、今回は何を失うのかな?
力だって、ある程度は失う。
割合を減らすべく全力を尽くすが……無理やりな方法だからなぁ。
『無空』を探し、それを打倒することを考えると、リスキーな話だ。
「避けたかったがなぁ……」
「ならば、もう1つの選択肢を選ぶかえ? 出るだけなら簡単じゃぞ?」
「馬鹿言うな。それが曾孫のいるヤツの台詞か」
「お主も爺じゃろが。孫も仰山おることだしのぅ」
……あー、まぁ……そういうことだ。
皆まで言わないぞ。察しろ察しろ。
ちなみに子供だけで両手では数え切れない人数だ。孫は凄い数だよ。
「俺はこの世界が好きだよ。壊せるはずがない」
世界。
有馬勤が、あの『魂の蟲毒』を経て、培養エルフに転生した世界。
理不尽もあれば奇跡も起こる、ファンタジックな世界。
初めは嫌いだった。
あの地下に目覚めた時、そこは地獄の第2ラウンドに思えた。
誰もいない。昼も夜もない。死のような静謐が埃と舞う……まるで牢獄。
長かったよ、あの150年以上の孤独は。
辛かったよ、復讐心で心を満たして、そうと気付かないようにしていたけど。
……召喚術に力を注いだのは、果たして戦力のためだけだったのか。
クリリンを喚び出して以降は、少しずつ楽しかったのかもしれない。
凝固まった心は動かなかったが、少しずつ、楽しかったのかもしれない。
ドラゴンを倒し、迷宮を攻略し、魔境を越えて……。
全てが戦いだったし、全てが復讐への道程だった。
だが俺は、孤独じゃなかった。あの「白」でさえ随伴者がいたしな。
気付いたら魔王だ。
そして大陸の戦争が流れてきて……多くを殺し、やがて俺も消し飛んだ。
だが帰ってこれた。
母さんが俺を再び産んでくれた……大魔王として。
そこからは一気に楽しくなった。
いや……俺が楽しむことをしはじめたんだ。
本当はもっと前から楽しさはあったんだ。それに気付いていなかっただけで。
この50年なんて、本当に楽しかった。
飲食できるようになったし、何というか、まぁ……親にもなったしな。
楽しかったとだけまとめるには少々きつい、女戦記じみた過程もあったが。
いいもんだよ、親って。
なって初めて母さんの気持ちが理解できたかもしれない。
嬉しいんだ。子が在るだけで、とても嬉しく思える。
例えば美味しいスープがあったとして。
自分が食べるよりも、子が食べて喜ぶ顔が見たくなる。
自己犠牲とかじゃない。純粋に嬉しいんだ。そっちの方が。むしろ利己さ。
ちょっと予想以上の人数になったが……誰もが可愛い。
育つ様が誇らしい。祝福して止まない。
育てる義務と、育つ様を見守れる権利と。親ってのはそーゆーもんだ。
……母さんは、きっと今も見守っているんだろうな。
理屈でなくそう思える。俺は母さんの子だ。例え神になっても。
そう、俺はきっと神に至る。
っていうか、この世界的には、既にして神様扱いだ。
この世界に生まれた俺は……何もかも無い無いづくしだった俺は。
今や、この世界に産まれる命全部の親みたいなもんだ。神ってソレだろ?
その俺が、世界を壊せるわけがない。
だから消えなきゃ。上手く。
十分に俺は楽しかった。幸せだった。
夢のような時間を味わった。本当に満足したんだ。
産まれて良かった。
生きてきて良かった。
断言できる。俺は転生して良かったんだ。
行こう。先へ。
俺が俺である最大の理由を証明するために。
この世界を弄んでいるとしか思えないアイツを倒すために。
『無空』を打倒するために。
行こう。先へ。
上手にだ。そっとだ。大事なものを壊しちゃいけない。
例え力を失っても、自分が変わってしまっても。
それでも……その方がいいと俺は判断した。
さぁ、待たせたな。皆。
今や我がアルバキン軍は2000万将兵どころの騒ぎじゃないぜ?
この世界は俺たちをこんなにも大きくしてくれた。やれる。やってやるさ。
当然のように滅ぼしてやるぞ、『無空』。
そのために。
そのために……まずは……アレだ。
「お主が天界へ行くのは決定として……妻たちはどうするのじゃ?」
「ここへ置いて……いかれるような奴らじゃないよなぁ」
やるとしますか。
ゆっくりと、大事に大事に……お別れの用意をな。




