アルバキア宣言編 第3話
◆ バゼタクシアEYES ◆
我は龍王八仙が母龍、地のバゼタクシア。
3男3女の親であるがゆえ、親の何たるかを理解するものなり。
我が前にはアルテイシア。そしてその内に潜むは、その母エスメラルダ。
その顔は、焦燥。無表情を装うも我を欺くこと叶わじ。
気持ちはわからぬでもないがのぅ……潮時じゃ。エスメラルダよ。
「こんなところまで何をしに来たのかしら?」
「ふむ、お主を救いにの」
見渡す風景は寂しいものじゃ。
ここは風の精霊界。豪なる風が吹き荒れ、刹那も凪ぐことなき世界。
何もないのぅ……風が全てを薙ぎ払い、形あるものの何もない世界。
「何を言っているのかしら? そもそも貴女、力を失ったのではなくて?」
「息子の力を借り受けておる。地と山の力ぞ? 金剛不動のものよな」
龍身の我の纏う《金剛力場》は地属の究極。精霊王すら破れぬ。
これを破れるとしたら……あの魔王くらいのものよ。
アルテイシアの方は《風王結界》で身を護っておるが。
衰弱しておるの。例えエスメラルダが魔法を駆使しようとも、体力はのぅ。
この世界は生身がおれる環境ではないのじゃ。わからぬわけもなかろうが、の。
「このままでは死ぬぞ? アルテイシアが」
「ならば魔王を滅ぼしてきなさい。そうすれば娘も救われます」
「流石に勝てぬと見定めたか。さもありなん」
「あれは……化物」
エスメラルダをして化物と言わしめたか。天晴れじゃな。
恐怖しておる。不老不死の化物である、この者が。
それはお主の恐怖か……それとも、彼奴めの驚きか。
エルフの女王、エスメラルダ。
この者の正体は、風の精霊王の出来損ない。
彼奴めが世界の材料として四大精霊王を創造した際の、失敗作。
エルフではなく、精霊でもない。中途半端な存在。
生きるでも死ぬでもなく、ただ在り続ける風の人形。
心無きことが救いであったろうに、怯えるとは……哀れなことじゃ。
「どうしてあのような化物を蘇らせたのです。世界を滅ぼすつもりですか?」
「我の行ったは僅かなことぞ。多くは『魔炎』の力じゃ」
「『魔炎』……何ということ」
この世に存在する全ては、彼奴の創造物。
彼奴が創った諸々の中で生じたものに過ぎぬ。この我もまた、の。
しかして『魔炎』は違う。あれだけは別じゃ。
『魔炎』とは言わば虚空の熱量。
彼奴が振るう『創世力』と『破界力』の狭間に生じた、歪みの摩擦熱。
神の如き力が副次的な現象として生みだした力。恐るべき呪詛。
彼奴が意図せざる存在。『魔炎』。
それゆえに運命を凌駕する。魔王は『深淵』より帰還しおった。
「それにの、魔王はお主ら親子など眼中にないぞ? 狙うは彼奴じゃ」
「まさか……それでは……」
「うむ。奴こそは我らの悲願に最も近かろうて。追い抜かれたのぅ」
悲願。彼奴を滅ぼすという願い。
隠れ城にての魔王との面会は、実に心躍るものであったわ。
我らを歯牙にもかけぬ存在がおり、しかも我らと同じ目的を追っておるとは!
正直、力の抜ける思いだの。
長き長き来し方が、まるで走馬灯のように思い出されたわ。
「我もお主も様々に足掻いてきたがの、魔王には及ばぬようじゃ」
彼奴へ抗う歴史は敗北と汚辱、そして深き業に満ち満ちておる。
エスメラルダが対抗兵器を作るべく「材料」を収集してきたも罪深いが。
我も多くの罪科を負い、ここまで来た。否定はせぬ。
先ず何よりも、彼奴めの暴挙を止められなんだ罪。
『破界』を止められず、ただ『八卦陣』で虚空に難を逃れた。
我らが必死に存在を維持する数拍の間に、彼奴は次の世界を創りおった。
今に言う魔界。我らは藁にもすがる思いでそこへ避難した。
次なる罪は、その魔界を修羅の世界へ変じたこと。
我らの故郷が龍王八仙によって調和を管理された世界であったのに対して。
次なる世界は、誰が管理せずとも調和すべく設計された世界。
緩やかに万物が流転する、穏やかな世界。
しかし、しかしのぅ……!
彼奴は飽きる。飽きるとしか思えぬ。
自らその秩序を壊しにかかる。恐るべきモノを生み出し、世界を混乱させる。
我らの世界においては、邪龍が突如として生じた。
五行の理を体現し、万物を破壊する邪悪。我らは幽閉するのが精一杯じゃった。
世界を復興し、再びの調和を達成したる後に……『破界』。為す術もなく。
我らが避難した先の世界も、やがて『破界』の兆候が見え始める。
焦った。焦って我は、彼奴めの手法を模倣した。混乱を起こしたのじゃ。
管理できる規模の混乱を起こし、彼奴めの目を眩ませるために。
魔力という「格差の力」を与え、争いを誘発する。
龍王八仙の総意ではない。我の独断じゃ。
我が夫なぞは食物連鎖という秩序を嫌っておったから、歓迎しておったがの。
我の真意を察しておったのは……末男シディーソくらいかのぅ。
罪深きことじゃ……調和を管理していた我が、調和を乱す。
その結果こそは魔界。凄惨な喰らい合いの世界。修羅の坩堝。
じゃがのぅ……収まった。
収まったのじゃ。『破界』の兆しが。
動物が魔物となり、魔物が魔将となっていく、その闘争の歴史。
世界はその内容とは裏腹に、安定しておった。彼奴は……世界を認めておった。
魔将とは魔物の軍団を率いる将軍。
その大戦乱の壮絶さたるや、現世界の比ではない。風に血臭のせぬことなし。
無限に続くかと思われたそれは、しかし尻すぼみに戦火を小さきにしてゆく。
諦めたのじゃ。魔将たちは。
魔界の統一を、新たな秩序の確立を、諦めた。疲れきったのじゃ。
軍団は次々に解散され、魔将たちはそれぞれに引き篭もる。失意の内に。
熱意を失い、退廃の恣となった世界に空っ風の舞う。
来る。彼奴が来る。我らは警告を発した。警戒せよと。誰1人聞かぬ。
そら、『破界』の始まりじゃ。
我らにとっては2度目となる、あの恐るべき虚無の嵐。世界の終わり。
逃げた。逃げ慣れてしまうとはのぅ……この我ら龍王八仙が。業腹じゃ。
そして至ったのが、現世界。
しかしこの3度目の世界は、これまでとは大きく様相が異なる。
創世の素材庫たる精霊界が隣接している。
魔界においては遠く影響すらできなかったはずのものだ。
事実、魔界には元素魔法など存在し得なかった。現世界には加護すらある。
その魔界もまた完全に破棄はされず、近しい。
力ある魔将は出入りが出来るほどだ。召喚魔法すら存在する。
天界という世界まで上位に存在している。
侵入してみたところ、そこは彼奴めの試験場と知れた。
各種種族の原型たる者や、未だ形成らざる者の漂う、白雲の世界。
そして主な土地となる大陸においては。
反発する要素を分かち持つ種族が用意され、事の始まりから争いが起こる。
各種の魔法すら用いて、常態としての戦争を、戦いに戦う世界。
……彼奴めは、これまでの世界を総括させておる。この3度目で。
「私の足掻き……」
アルテイシアの姿をしたエスメラルダ。紛らわしいのぅ。
我と同じで、振り返っておるな。自らのこれまでを。道理じゃ。
魔王はそれをさせる存在じゃからな。自分の何たるかを映す鏡のようじゃ。
……このエスメラルダすら、彼奴めが意図して配置したものと我は見る。
エルフは本来、もうちいと大人しい種族のはずじゃ。
それが、女王にエスメラルダが在ることによって、狂猛に戦争などを起こす。
風の気まぐれなどなく、執念深く……女王に呪われておるとすら言えるのぅ。
そして、あの素っ頓狂女。大魔導師イリンメル。
一個人にして世界を大きく変化させ得る者。規格外の存在。
種族間の戦乱が下火となり、停滞の感じられたその時代に、現れおった。
我は直感した。
こやつこそが、現世界における邪龍であると。
世界を混乱に突き落とすべく派遣された、彼奴めの尖兵であると。
……何ぃもしなかったのぅ。
見事に何ぃもしなかったの、あの素っ頓狂女。
あれほどの凄まじき術……錬金術の創設者にして頂点でありながら。
一度だけチラと現れ、すぐに引き篭もったの。あの森の奥底に。
我はその理由を推察しておる。
カルパチア皇国初代皇帝カルパッチョ。
奴には可愛らしい娘がおったのぅ……丁度、我が娘クアートに似ておったの。
下心じゃ。あの素っ頓狂めが。下種な下心でカルパッチョに協力しおった。
そして、その娘が姫として貴族と結婚した日、消えおった。
失恋じゃ。ざまぁないのぅ。あれは痛快じゃったわ。
ひっ捕らえてやろうかと思えば、驚くべき速度で逃げたがの。
我ら龍王であっても油断が死に繋がる、あの大魔境『塵の森』へ。
あやつは鼻歌混じりで越えるからの。地這亜竜なぞ創りおって。
結果として、故郷世界と同じになったわけじゃな。
世界を破壊し混乱させ得る存在の幽閉……それが自主的であれ、の。
その後しばらくして、我らはエスメラルダの監視に乗り出した。
世界に『破界』の兆候はなく、不気味な安定がつづく日々。彼奴めは読めぬ。
不信に思っておったら、ひょっこり出てきおった。素っ頓狂女め。
あやつの弱点はわかっておる。餌を使えば容易かったの。捕獲じゃ。
その後の幽閉といい……クアートには苦労をかけたのぅ。いい子じゃ。
あやつへの尋問、調査は難航を極めた。
アレはあまりにも異質じゃの。邪龍とは別の意味で世界に危険じゃ。
絶対悪ならぬ、絶対異。他へ一方的に強烈に影響を与える、世界への毒。
「ちいと」というらしいの。
素っ頓狂女の物言いは極めて不可解だが、己の力をそう表現しておった。
用い方次第で世界を壊し、龍王すら屠る力。しかしあやつは馬鹿じゃからの。
状況は、故郷世界に似ておる。いつ『破界』が起こるとも知れぬ。
しかし何も起こらぬ。兆候もない。彼奴の気配が感じられぬ日々。
我が夫はアルテイシアに夢を見たようじゃの。
故郷世界の再現を、あの争いなき調和の世界を再現したかったようじゃ。
その夢追いを挫いた存在……それこそが、魔王。
「……魔王とは、何者なのでしょう?」
「本人に言わせれば、彼奴めに復讐すべく在る存在だそうじゃ」
「復讐の……ためだけに?」
複雑じゃろうのぅ、エスメラルダ。
お主は道具として創られた存在じゃ。しかも失敗作としてな。
彼奴めへ復讐心もあろうが、一方で、彼奴めに認められたいという思いもある。
使えるか、使えないか。
その価値観が多くを占めすぎておる、お主は。
自己肯定の根幹に、自らを「使えないモノ」とする失意、欠損があるからじゃな。
我が言うも面映いが、愛とはそういうものではないぞ?
お主が今、それこそ使い物にならなくなった娘を守護しておるように。
ただ在るだけで喜びとなる、そういった思いをして愛というのじゃろうて。
だがのぅ……子とは親の所有物ではないのじゃ。
子離れの時機じゃぞ、エスメラルダ。頃合じゃろうて。
「魔王はどこからきて……どこへいくのでしょう」
「我も同じ思いでおるよ。それを見定めることこそ、彼奴への対抗となろう」
さぁ、エスメラルダよ。
互いに来し方を振り返る時間は終わりのようじゃ。
時が迫っておる。否応なく、止め処なく、古きを押し流して新しきへと。
わかるぞ?
我が龍王を辞められぬように、お主もまた女王を辞められぬ。
反省し、頭を垂れ、身を清めて心新たにやり直すことなど……できぬわな?
お互い、己の道を深く遠くまで来過ぎてしまった。
もはや戻れぬ……そんな贅沢など許されぬ身。世界にその猶予など無きゆえに。
であるのなら、己の道の先に望みが絶えたのなら、救いは1つきりじゃ。
「私を救うために来たと言いましたね?」
「そうじゃ。もう救うても良いか?」
「……少しだけ、待ってください」
エスメラルダが、離れた。アルテイシアの身から。
その幽体のような身体で寄り添い、抱きしめ、頬を撫でておる。
愛おしいか。であろうの。お主の分身ではないが……お主の娘じゃ。
「お任せしてよろしいですね?」
「うむ。安心して憩うがよいぞ」
アルテイシアの身体を受け取り、力場で包む。
顎を鳴らし、身中の気を練りに練る。金剛の一撃を放つために。
エスメラルダはただ居り、じいとアルテイシアの寝顔を見ておる。
色々にかけたい言葉もあるが、言わぬが花じゃの。
お主はその最後もアルテイシアの母であった。それでよいのじゃろう。
言うまい。ただ送ってやろう。
「では」
「うむ、いずれまた」
風の精霊界にあっても、我が金剛の嵐は何物をも破砕して止まぬ。
何も残らぬ。何一つ。ただ風が吹き抜けてゆくのみ。
ここは本当に何もない。じゃが……相応しき場所よな?
さらばだ、エルフ・パルミュラ王権の女王、エスメラルダよ。
我もいずれ逝く。その時には語って聞かせようぞ。
お主の娘の行く末。
そしてお主の息子……であった男が、どこへ向かっていったのかを、の。




