アルバキア宣言編 第2話
◇ WORLD・EYES ◇
その日、旧光都に1つの布告がなされた。
後の世に「アルバキア宣言」と呼ばれるそれの詳細は伝わっていない。
しかしその内容が瞬く間に大陸中へ伝播したことは事実である。
そしてその影響は世界を大きく変化させた。
恒久的とも思われた戦争はなくなり、各種族の間に交流が生まれた。
産業は徐々に軍需中心から民需中心へと構造を変えていった。
人口は増加し、文化は深まり発展し、社会全体がかつてなく隆盛する。
アルバキア大陸は、2000年以上の長きに渡り、栄えたのだ。
全ての先駆けとなったのは、大陸の中心部の1都市。
帝都と呼ばれ、次いで光都と呼ばれたその都。
「アルバキア宣言」が布告された、正にその地である。
光都はその名を「試都」とされた。
それは魔王が人の英知を試すための都。
人間族4種の他にも亜人が数種移り住み、合議の元に政治を行う。
魔王軍は荒野へと去り、誰も指導者などいない。
しかしその名は「試都」。常に絶対者が天よりその行いを見ている。
天の下での平等。恐る恐る、お互いの立場を伝え合い、知り合う。
不安、緊張、衝突。
弱者同士という平等の生む妥結は、次第に人々に気付かせる。
ここは大陸の縮図なのだ。この都が失敗すれば、大陸は滅ぶのだと。
そう、滅ぶのだ。
アルバキア宣言とは、この大陸が魔王アルバキンの大地であるという宣告。
神に等しき彼が一度怒りを発したならば、容易く全てが滅ぼされる。
しかし、栄えもするのだ。
彼は言ったという。「子が大人になれる世界であるといい」と。
マーマルを見よ。亜人たちを見よ。弱きは……子は既に笑っているぞ。
天に恥じない生き方をしなければならない。
大人たちが迷い、苦しみ、切磋琢磨するその姿を子らが見る。
その背に誇りを見たとき、子は、そんな大人に恥じない生き方を志すだろう。
天たる魔王軍は、万事に渡って試都を放置したわけではない。
巡察は頻繁になされ、大規模な魔物・凶賊についてはそれも討伐された。
幾つかの技術供与もあった。疾病対策がそれである。
都市整備における上下水道の整備。疫病への対処法の確立。公衆衛生の向上。
全てが幼子への祝福であった。赤子よ育て。早世の魔手は遠ざけよう。
親たちは感謝した。魔王はやはり子らを寿いでいるのだ。
その意図が明らかになった時より、子は授かり物と認知されていく。
魔王から、天から育成を任されたのだ。崇高な行為だ。子育ては。
試都においてそれらを教導した一団がある。
魔王軍の人間であるが、母たちや子らからの支持は絶大であった。
特に一団の長たる女性の人気は凄まじい。子らが十重二十重と囲み遊ぶ。
一団がヒュームの都市に請われて赴いた時、その女性の正体が知れる。
カルパチア皇国皇帝リンペリール。荒野へ消えた社稷の長、その人である。
仕え奉っていたのだ。彼女はいち早く、天たる魔王へ。神へ。
彼女を中心に、エルフが、ドワーフが、マーマルが、亜人が。
団の部下や、試都からの協力者である大人たちが。
ついてきた子らが、集まった子らが。
笑う。
健やかに。
理想がそこにあった。
種族の垣根なく、命を賛美し、生きる喜びを歌う。
魔王という天の下で、そこには小さな理想郷が生まれていたのだ。
それは象徴ですらあった。
それは希望ですらあった。
大人たちよ、見るがいい。
子らは生まれながらに知っているぞ。協調の秘訣を。心の寄り添い方を。
原因も結果もなく、過去も未来もなく、この今を無心に笑い、遊んでいるぞ。
失敗もあろう。衝突もあろう。
それぞれが違う。その違いは、しかし自らの在り方を揺るがしはしない。
相手を否定しないと自らで在れない……そんな悲しみは原初には無かったのだ。
種族も、生い立ちも、考え方も、全てが違う子ら。
そっと導かれる先にあるものは「和」だ。「同」ではない。
違うからこそ和する意味がある。価値がある。同じになる必要はないのだ。
彼女らの一団を平和の象徴とするならば。
一方では挑戦と探求の象徴とも言える存在があった。
大陸の各所で見られるようになった者たちがいる。
その首には青い襟巻き。胸には翼を象ったペンダント。
年齢も種族もまちまちだが、おしなべて戦士の目をした者たちだ。
街で、平原で、森で、山で。
塔で、遺跡で、迷宮で、魔境で。
彼らは何かを探り、世界中を巡っていく。
時に単独で、時に集団で、時に冒険者を雇って、時に灰色驃騎兵を伴って。
現世界の全てを確認していくかのような、その広範なる探索行。
戦いもあった。
世界には未だ禍根は多く、そもそも魔物は闘争を専らとする。
その持てる力を振るって道を切り開き、尚も先へと歩みを止めない者たち。
『青の旅団』と呼ばれる者たちである。
その旅には、必ずと言っていいほど、猫がお供をしていた。
単独者にも、集団にも、1匹の猫が共に在る。
ああ……それは偶然なのか、それとも必然なのか。
思わせやしないか。その有様は、あの巡礼の旅を想起させやしないか。
マーマルの子を、ヒュームの女性を。
そして……魔炎を。魔王の母と成り、消えた、彼女の姿を。
では、青たる彼らもまた巡礼者なのか。
違う。彼らはやはり挑戦者だ。
その雄々しい歩みはどこまでも己の自負に寄る。
切り開くのだ、未踏を。詳らかにするのだ、未開を。己の手で。
時に、その探求は甚大な危険を伴うこともある。
遺跡の奥底で、塔の頂で、魔境の深みで。
人の手に余る大妖に遭遇したその時、死の刹那に、しかし彼らは散りはしない。
彼らは魔王の使徒。
その身命をもって魔王に仕える。
それは同時に、彼らの身命が魔王のモノであり、守護されることを意味する。
甘えではない。安全網でもない。
魔王とは大なる釣鐘。小さく打って鳴るものではない。
死力を尽くした先にしか、その加護は得られないのだ。依存は破滅を意味する。
だから行け。己の全てを燃焼させて。
進むのだ、誇り高き「青」をその首に巻きし戦士たちよ。
胸に光る「翼」は鼓舞しているぞ。勇気こそが力。先へ。その先へ!
彼らの冒険は多くの伝説を、英雄譚を生むことになる。
吟遊詩人が歌い、絵物語に語られ、人々の心を奮わせる物語群だ。
時を越え、彼らの在り様は数千年の先までも残るのだ。
それらに共通する描写。
即ち、青の襟巻き、翼のペンダント、お供の猫。
大陸が再びの戦乱に疲弊する、遥かな未来において。
邪教と蔑まれ、世界の片隅に追いやられる集団がある。
魔王教の信徒たちだ。迫害を受け、大衆に殺されても、頑に在る集団。
彼らはその首に巻く。青き布を。
首に下げる。翼の飾りを。
そして愛でる。猫を。
赤き下地に黒鳥が片翼を掲げる旗を見上げ、祈る。
その胸に遥かな過去の伝説を思い、勇気を新たにするために。
伝説が正に生まれ続ける今。
魔王在りし日の今。遠くない未来に失われてしまう、掛け替えの無い今。
この今において。
魔王はかつてない苦境に陥っていた。
◆ アルバキンEYES ◆
「……以上の理由から、この度、主任女官を選抜する次第となったわけです」
クリリンが何か言ってる。え、何て言った?
その隣では同じ背丈の眼鏡少女が、重々しい表情で軽々しく頷いてる。
魔将ハルド・ロクシィ。人型名はハル。お前ら双子みたいだな。
「お前、妻も娶っちぇなかっちゃのか。魔王の癖にみゃらしねーな」
うるせーよファイぼん。生後三ヶ月レベルで偉そうなんだよ。
いや、筆頭魔将のファイ・フィステンなんだけどね。マグに抱っこされてるけど。
強制力のね、加減間違えちゃったの。赤ちゃんになっちゃったの。ははは。
「主のことです。妻とは言いません。ですがこれ以上の問題先送りは危険です」
ごめん意味がわかんない。妻? 問題? 危険?
ひとっつも理解できん。理解できんが、今俺が危険なのはわかってる。
「アタシ……いつかこの日が来ると思ってたよ」とマグ。
「これもまた戦いであるなぁ……我輩も緊張してきましたぞ!」とドンキ。
「わかっとったが、何とも暇な話じゃのぅ」とポンデ。
は? これが……この状況が予想されたモノだってか??
マジで? え、あれ、また俺だけよくわかってない系なのか??
「さあ、主よ。選んでください。誰にしますか?」
ここは中央宮殿の謁見の間。
玉座に座る俺の眼下には……えーと、1列5人で10列だから、50人。
50人の人間が並んでいる。いや、亜人も混じってるか。全部が女性。
あのね、目が怖い。
何かオーラも禍々しい。この俺にプレッシャーを与えるなど……ってオイ。
おい、コラ待て、おい。先頭に並んでる奴ら、どうして女官候補だよ!?
トットちゃん、お前なんでそこにいる。お前魔将だろ! 何してんだ!
『骨の軍楽団』どーしてんだ……って、後ろでメッチャ盛り上げてやがる。
待て、やめろ。そのドラムロール超やめろ! プレッシャー半端ないぞ!?
フォルナもだ! お前だって『鱗の兵団』の団長だろうが!
っていうか、鎧姿じゃないところは久々に見たな。いやそうじゃなくて。
しきりに下っ腹をさすってるが……おい、何がヒッヒッフーだ、コラ。
いや、何よりさ……キュザン何やってんの? お前、龍王なんだろ?
何をモジモジしてんの? やめてくんない、こっちも照れてくるだろ!
っつーかさ、お前の姉妹、何で一緒に並んでんの!? 龍王なんでしょ!?
龍王ってさ、俺除けば世界最強の生き物だろ!? それが女官だぁ!?
おいぃぃぃい、エイエン! 龍親父エイエン! 説明しろ!
「フルイもクアートも一目惚れのようでしてな。はっはっは」じゃねーよ!
あーあー、お前らもそこにいるのか。ディヤーナ、ビオランテ。
『青の旅団』には探索を……って、そうか、こいつら成果挙げて休暇だっけか。
いや、でも、女官て。顔真っ赤だけども。ものっそい眼力だけども。
眼力が一番凄いのはお前だな、ジステア。『巡察騎兵隊』はどうした……。
何で涙目だ。瞬きしろ瞬きしろ。プルプル震えてるけど、力抜け力抜け。
こっちはもう、何か脱力してきたんだから。歯軋りもやめろ。
ランベラ、お前もか。何をニヤニヤしてんだ。くそう、俺が面白いか。
スープコンペ事件のときも思ったが、お前は俺で遊ぶの大好きだよな!
閃くものがあるぞ。今回のことも一枚噛んでるだろ、お前!
そして……誰よりも、それこそ魔将や龍王よりも迫力のある奴がいる。
リリル。怖い。その満面の笑顔が怖い。何か地鳴りが聞こえてきそうだ……!
後ろの連中もチラチラお前を見てるぞ。くっ、喉がひりつくだと!?
「おや、生唾を飲み込みましたね。主よ、リリルがお好みですか?」
「ちょっ、おまっ!!」
ほらあああああ、プレッシャーが超増し増しになったじゃねえかあああ!
何考えてんだコイツら、マジでわけがわからんぞ!? 何この修羅場!!
後ろの連中はともかくとして、先頭の10人は駄目だコイツら。洒落にならん。
トット、フォルナ、キュザン、フルイ、クアート、ディヤーナ、ビオランテ。
ジステア、ランベラ、リリル。お前ら全員が、成程、危険だ!
「綺麗みょころばかりみゃ。全員囲えばいいみゃろうが」
「か、囲うとか馬鹿か! 固形物もまともに食えん俺に何を期待している!?」
「それが問題なのです、主よ。先ほども言いました通り」
クリリン……シリアスぶってもよぉ、口の端が震えてんぞ?
明らかにお前も面白がってるじゃねーか。絶対、後であの本に書くんだろ!
俺はもう知ってるんだぞ。あの本が俺を題材にした面白おかしい伝記だって!
「主の食事として出されるスープ。そのための競争は激化の一途を辿っています」
「……は!?」
「順番は勿論のこと、台所や食材の確保、研究内容の秘匿と強奪……」
「え……え?」
「早晩、血を見ます。龍王すら居る現状、被害も甚大なものとなるでしょう」
「は……いぃ?」
「主任女官の選抜は、この争いに秩序を与えるための施策なのです。主よ」
だ、駄目だ……何か俺が悪いような気がしてきた。
いや、でも、流されてるだけだよね!? 俺、悪くないよね!?
「「「ご決断を」」」
ダララララララララララ……!
おいいいぃぃぃ!! ど、どないせいっちゅーの!? え、選ぶの!?
正直誰だっていいじゃねーかよ、そんなの! でも誰選ぶのも怖ぇよ!
お。
おお、奇跡! やはりこの世界には奇跡が起こる!!
「悪ぃ、ちょっと呼ばれたから、行くわ!」
即効魔法を発動! 俺をどこかへ《瞬間移動》!
ふむ、どこぞの山岳地帯か。瘴気が凄いな。さっきと比べると寧ろ安らぐが。
目の前には軍装の戦士が3人。その内の1人が『青の旅団』団員か。
「お、おお……魔王様……!」
その手には翼の形をしたペンダントが握り締められている。
氷結の翼馬たる魔将ピゴー・セミコルの分身端末だ。
本体を持つ俺と連絡し、そこへ俺を瞬間移動させる。そういう特殊能力だ。
振り返れば、おぞましい化け物がこちらを睨め付けている。
イソギンチャクを巨大化させて、ホラーにしたらこんな感じだろうか。
鋭利な牙の並んだ口腔は何重にもなっていて、触手は吸盤に毒が滑っている。
ああ……でも心安らぐ風景だ。わかりやすいよね。
キシャアアアアアアアアァァァ!!!
おっと、動いちゃ駄目だろ。《重力変化》《慣性変化》。
自らの触手で縛られ、そのままにいるがいい。
退くなら追わないが……無理か。ならば死ぬがいい。《虚数封殺》。
「おお……あ、あの混沌獣が、かくも呆気なく……」
「ん? 怪我はないか、お前たち」
随分とボロボロだ。ここは魔境のようだからな。
人の身で至るには苦難も多かったろうに、頑張ったな。《生命回復》。
「お、おお……おおお!」
「ご苦労だった。ここには他に何もないようだ。無事の帰還を待っているぞ」
さあ、魔王城へまた《瞬間移動》を……したくないなぁ。
たまにはさ、ほら、少し同道してもいいんじゃね? 山下りるまでとかさ?
「「……」」
……駄目だ。祈ってる。俺が居なくなるまで、絶対に頭上げない気配。
昔を思い出すよね。電話もさ、どっちが切るかとかタイミングあったよね。
はい。わかりました、わかりましたよ。消えるよ……くそぉ。
戻れるところは、来る前の地点だけだからなぁ……覚悟を決めるか。
あの場で味方につけられるとしたら、恐らくマグだ。マグ以外は面白がってる。
摂食訓練兄妹として、コンビとして立ち向かおうぜ! 頼む!
よし……行くか。
第一声は「マグ、お前は誰のスープが一番美味しかった?」だ。コレだ!
後は臨機応変に、あの馬鹿げた騒ぎを収束させ……られるか? いや、勇気!
《瞬間移動》
いざ戦地へ。




