龍魔決闘編 第3話
◆ ガイクEYES ◆
さて、困りました。
血気盛んな父と兄に従っていたら、まさかの決闘ですよ。
私の相手はこの少年ということですが……魔将とはまた。
要はあれでしょう? 魔界の元草食獣でしょう?
食べたり食べられたりしながら、よくぞここまで育ちました。
立派じゃないですか。殺すのは惜しい気がしたのです。
事の最初では。
「龍王とはまた、珍しい蛇がいますね」
少し挨拶がなっていませんでしたね。彼は。
「はは、吠えますねぇ。草食みなのに」
「そちらは気喰らいでしたっけ? お高くプカプカ浮くのがお好きなようで」
「ははは。掛詞ですか? 随分と挑発的ですねぇ」
「ふふふ。主と一緒で蛇が嫌いなのです。気持ち悪いので」
何とも微笑ましい会話でした。
お互いに相手の力を探りつつの罵り合いです。
静穏な心は効果的な実力隠蔽。怒ればそれが隙になりますからねぇ。
「魔界出身を恥じたらどうです? あそこ汚染されてますよ?」
「大陸では龍王崇拝が寂れて久しいですね。寂しいですか?」
などと、心温まる言葉を交えたり。
「何か臭いますね。草臭っ。草臭っ」
「そうヘビか? 鼻が良いのヘビね」
などと、心潤う言葉を応酬させたり。
慎重な性格もお互い様のようで。
お隣に比べると、何ともゆっくりと開戦したものです。
「暑いなら水を浴びますか?」と水球を飛ばしたことが初めでした。
それは透明な壁に阻まれました。もう1球。それも弾く。
気付けば私の水流攻撃と、彼の《魔力壁》との合戦となっていました。
私としては、彼の顔に水をかけたかっただけなのですがねぇ。
興に乗ってしまいました。次第に魔力を開放していって。
つい、圧倒してしまいましたよ。
「どうです、そろそろ降伏しますか?」
私の周囲には渦巻く水の輪。
そこから水流を錐にして伸ばし、彼を貫かんとしています。
数にして85本。暇で数えてしまいました。
長引いているのです。
彼は自らの周囲へ球形の《魔力壁》を張っています。
水錐が全方位から圧迫しているのですが……なかなかに硬く、しぶとい。
突き方を変えたり、地中から突いたりと工夫もしたのですが。
一時的に歪みつつも辛うじて持ち直したり、地中にもきっちりと張っていたり。
健気に頑張っています。苛めている気分ですよ。
「だんまりですか。少し緩めましょうか?」
言葉通りに軽めてあげると、障壁がその分だけ広がりました。
強力ではあります。しかし亀が甲羅に籠っているようなもの。
もう少し工夫してみましょうか。
「それとも、もう少し攻めましょうか?」
水錐を十数本ずつ束ね、より密に、より細く、より速く仕立てます。
鋼も紙のように貫く威力です。それも複数。さあどうです?
ほう! 惜しい!
あと少しで突破できそうでしたが、止められました。
本当にしぶとい。ついつい、夢中になってしまいますよ。
……夢中に?
「おや、もうお終いですか?」
彼の言葉を彩る、偽りなしの嘲り。
成程……そういうことですか。
「どうしたのです? 次は貫けるかもしれませんよ?」
「……止めておきましょう。十分に遊ばせて貰いましたから」
文字通りの、遊びでしたか。これはしてやられましたねぇ。
あと少し、もう少しと演出し、私に水遊びをさせていたのですか。
まんまと乗せられてしまいました。困ったものです。
しかし、何の狙いが?
水龍たる私が、この程度で消耗するわけもなし。
徒に時間が引き延ばされていくだけだと思うのですが。
「1本取られた罰として、今度は私が守りましょう。攻めていいですよ?」
少々侮っていたかもしれません。出方を伺いたいところです。
負けるはずもありませんが……その余裕が気になりますねぇ。
どうしてそこまで落ち着いていられるのでしょう?
状況は彼に、彼らに不利ではないですか?
私たちの雷に耐えるほどの、驚くべき動く城。
都を守るために敢えて受けたとはいえ、攻撃力も凄まじいものがある城。
そこから出てしまっています。もはや戻れません。
光都に放たれた暗黒魔法も、時が経つにつれて弱まり、解けるでしょう。
威力も規模も尋常ではありませんが、恐らくは《影縛》。
攻城戦の切り札であろうそれも失われるのですよ? 焦らないのですか?
演じているのであれば見事です。
その態度は正に余裕綽々。私をして少し小憎らしく感じられるほどです。
力があるとも思えません。乗せられていた私の隙を突けないのですし。
「罰、ですか」
「はい。遠慮はいりませんよ?」
少し表情が変わりましたか。
何事も、相手を起こしてみて初めて見えるものがあります。
どういう攻め方をしてくるのでしょうねぇ。
「龍王八仙よ。その罪を罰して欲しいのならば、滅びるがいい。自らの首を絞め」
「おやおや。欲張りに過ぎませんか? それは」
この気配……姿も少々歪んできましたか?
人の形は本来の姿ではないのでしょうねぇ。
全力を出すためには元の姿に戻る必要があるのでしょうか。
「自滅で恥を雪がないのであれば、そこで、ただ見ているといい」
何を言っているやらわかりません。
わからないというのも、少々と言わず、面白くありませんねぇ。
彼が狂人でないことを確信しているだけに。
「恥とは? まさか、乗せられた事実をもって大仰に批難してはいませんよね?」
「わからぬ無知を恥というのです。滑稽ですよ。ふ、ふははっ、ははははは!」
困りましたねぇ。
少し、ほんの少しですけども……怒気を覚えました。
全てを退屈に眺めてきた、この私としたことが。
柄ではないのですが、動物には躾けも必要です。
脅かすくらいでは済まないかもしれませんが、喰らいなさい。
水龍の、何物をも貫かずにおかない、神槍たる一撃を。
全魔力を込め……られない!?
魔力が身中から放出できない! か、身体も重い!?
どういうことだ、これは……な、ま、まさか!!
「怒ったでしょう? 魔力の解析は全て終わりました」
な、何ということだ……!
私を、私の全体を薄皮のように何かが覆っている!
それは私の魔力と完全に同調して……それでいて私の意志に反して……
魔力を発揮しない、という選択を強要させている!
これは……そうか、これが……《魔力封栓》。
シディーソの使う《存在隠匿》と並び、2つきりの精神魔法の禁呪の、もう1つ。
精神魔法とはもともと、魔法の才無き者たちが自衛のために開発した技術。
身を隠すこと。相手を無力化すること。
それこそが至上目的であり、その究極こそが《存在隠匿》と《魔力封栓》。
「大人しくそこで待っていなさい。我が主の降り立つ、その時を」
「ま……魔王が、我が、父……天龍に、勝つと、でも?」
「勝負になると思っている時点で、勝負にならないのですよ」
衝撃的な推論に思い至る。
まさか……いや、しかし、そんな馬鹿なことが……。
あの、三龍の合力をもって放たれた神威の雷が。
あれが、まさか、魔王の力で防がれていた? 単独で? 城の力でもなく?
もしもそうならば……いかな父上とて、勝てるわけがない。
「世界は驚きに満ちています。その最たるもの、生きた伝説こそ我が主」
「や、やはり、あの雷は……」
「雷? ああ、主が片手間に弾いていたアレがどうしたのです?」
人の悪い笑みで言う、その内容。
一撃目は静かに瞑想しているときに。
二撃目は開発物の解説に感銘を受けているときに。
そしてあの三撃目は。
出陣前の腹ごしらえと称して、必死の形相でスープと格闘していたときに。
何の衒いもなく、ごく当たり前に。むしろスープがこぼれたことに慌てながら。
魔王。
何という存在なのか。
そして、成程、何と滑稽なことか。私たち龍王は。
「は、ははは、はは、は、はは!」
重く動かしづらい口で、笑います。
これが笑わずにいられますか。痛快無比です。
素晴らしい! 素晴らしいじゃないですか、魔王!
私たちが下らなく思えるなんて、こんなに素晴らしいことはありません。
重過ぎる使命を背負って足掻く私たちが、下らないだなんて。素晴らしい!
私たちは、世界の主席の座を降りられる!
畢竟、それは解放を意味します。
神へ対抗する筆頭で在ること……この緩慢なる死を、絶望を、逃れられる!
「あちらも勝負が決した様子。あとは待つばかりです」
苦労して首を動かすと、おやおや、兄上ともあろう者が完膚なきまでに。
しかしまぁ、私も人の事を言える立場ではありませんねぇ。
何とも愉快なことです。この敗北には意味がありますから。ははは。
振り仰げば。
とてつもない力の波動が、この地上にまでも届いています。
これは父上の気配。それがかくも連続で振るわれつづける事実。
魔王にはそれらが……全く通じていないということ。
ああ……もうすぐです。もうすぐ。
永遠に続くかに思えたこの旅が。
叶うわけもない、しかし止められない、神へ抗う大責務が。
終わります。終わってくれるのです。きっと、もうすぐに。
魔王よ。
魔王を生んだこの世界よ、幸あれ。
◇ WORLD・EYES ◇
その光景を絵にすることなど出来まい。
その光景を歌にすることなど出来まい。
だが、ここに言葉をもって表そう。筆舌を尽くそう。
初めに遠雷の音。
昼も夜も定かならぬ灰色の空の明滅。
天地開闢のそれを思わせ、何かの始まりを感じさせるような、その鳴動。
雲間から姿を見せたのは、長く大きな、龍。
太古の財宝のような黄金鱗は、所々が剥げ、裂け、痛ましい。
瞼を閉じて意識もない。まるで世界の苦るしみを体現しているかのようだ。
しかし、その落下は緩やかだ。
ゆっくりと……音もなくゆっくりと……降りてくる。
海中へ沈んでいく何かを思わせる。そこへ差す、光があった。
雲間から幾筋もの光芒。
傷ついた龍を、大地を、世界を照らすそれは、穏やかだ。
影を駆逐しない。天からそっと添えられた御手のような、その光。
予感を生じさせる。
これまでの全てが、その神々しき荘厳さゆえに、何かを予感させる。
来るのではないか。何か崇高なるものが。天は雲の内に何を隠す。
そして、現れた。
星空の翼を大きく、大きく広げて。
神……という言葉以外で、どう表現したらよいのか。その大いなる存在を。
戦乱の世に降り立つに相応しい、軍装の、美しき美しきその者。
魔王アルバキン。
彼は後の歴史に罵倒される。
在りし日々が忘れ去られ、再びの戦乱に塗れる、数千年の先の人々に。
邪悪であると、禍々しきであると、呪わしきであると、恐るべきであると。
嘆くがいい。
見れず、聞けず、知りえない自分たちを。
そして見よ。
この時代を生きる幸運を得た人々よ。刮目し、無心に、空を。天を。
後光を背に、彼は世界への降臨を果たそうとしている。
彼がそこに現れただけで、平原の草木が、光都の人々が、活力を取り戻す。
命の波動。万物を安んじ、そっと背を支え、進む勇気を励ます力。
奇跡だ。
花はその蕾を解き、木々は葉を波立たせ、動物たちは争いを忘れて安らいだ。
人々は次々に、思い思いに、自らの知る祈りを捧げていた。
ああ……この敬虔なる瞬間を、どうして世界は記録できないのか!
この記憶を共有でき得るのなら、世界は喜びに満ちようものを!
浄魂の時は流れて。
龍が地に降り伏した。
それを待っていたのは4人の、人ならぬ人。
黒の戦士と黄の戦士。非武装の少年と青年。その誰もが畏まって在る。
魔王は、ついに、降り立った。
それは光魔戦争の終結を意味する。
この場にいる誰もが、すでに争う意味を喪失している。
神だ。神の降臨に際し、己の矮小さを競い合う必要がどこにあろう。
光都の門扉は既に開け放たれ、次々に人々が現れる。
畏敬から遠巻きに、しかしその魂を捧げんばかりの熱意で、見る。
跪く。ひれ伏す。泣く。祈る。全身全霊をもってして。
「じきに目を覚ます。今は眠るがいい」
魔王がかけたその言葉。
それは傷つき倒れた龍に対しての言葉だったのかもしれない。
しかし、世界はその内容に啓示を見た。
目覚めの時が、来る。自分たちに。
しかし焦る必要はない。急かされてはいないのだ。自分たちは。
神は……見守ってくれる。そう、親が幼子を見る、その眼差しで。
世界を祝福する者。
ああ……やはり。やはり彼は神ではないか。
ヒューム、エルフ、ドワーフ。
三族が数多の命を散らせて争われた戦乱は、ここに終わりを告げた。
強きを競い争うことの何と卑小なることか。真に大いなる者は既に在るのだ。
後日、1つの宣言がなされる。
アルバキンが世界に在ることを慶び、
アルバキンの名を世界に刻もう、高らかに。
即ち、『アルバキア宣言』。
戦乱に荒れたこの名も無き大陸は、その宣言以降、呼ばれることとなる。
神の降臨したる大陸……アルバキア大陸、と。
しかし、戦いは残る。
無血開城され、魔王軍の占拠するところとなった光都。
そこからたった1人だけ、抜け出し、姿を消した者がいる。
光主アルテイシア。
そしてその身中に潜む者……エルフ女王、エスメラルダである。




