龍魔決闘編 第2話
◆ エイエンEYES ◆
雲海を越えて尚高く。
天の頂と言ってよい高空にまで昇る。
それでも魔王は着いてきた。平然とした顔で。
信じ難いことだ。
龍王八仙でも私しか至ることのできぬ領域だぞ。
どれほどの魔力があの黒翼に込められているのだ。それすらも見えんとは。
「これ以上昇ると天界へ届いちまわないか?」
「天界をも狙うつもりか、魔王よ」
「話にもならない……何かもう、疲れる」
天界など歯牙にもかけないということか? それとも、更に多くを望むのか?
どちらにせよ、流石に疲労があるようだ。当然だ。ここは空気が酷く薄い。
いかなる生物も生存の叶わない世界であるぞ。
それだけではない。四大元素の力もまた希薄だ。
光と闇の属性力は強まるが、この時刻は光のみ。闇の力はやはり薄い。
この者は闇と炎を使うという。「竜殺し」とはいえ弱体化は免れまい。
私は違う。
この身は天の龍にして、存在の内部に森羅万象の力を強く秘める。
この世界風に言うならば風と水の力だ。ゆえに雷気を操れる。
「それで? ここでいいのか?」
「こちらの問いだ、魔王よ。ここで戦えるつもりか?」
「戦えないところに連れてきたつもりかよ。割と小賢しいのな」
違う。私は貴様が飛べる最高高度で戦おうとしただけだ。
それがどこまでも平気な顔をしているから、ここに至っただけのこと。
高度を下げることも構わん。構わんのだが。しかし。
「……口のきき方を知らんようだな、魔王。小賢しいとは」
「愉快に世界を見てるなぁ、龍王。見苦しいぞ。そろそろ死んだらどうだ?」
「後悔しろ、エスメラルダの人形めが!」
雷撃を放つ。乱れ撃ちだ!
魔王はヒラリヒラリと不規則に飛んで回避していく。
しかし枝葉のように広がる電光までは躱せまい。幾度も火花が光る。
やはり、三龍による大電撃を防いだのは城の力か。
城を構成する全てから強力な付加魔法の気配があった。
光都を落とし、アルテイシアを害するために建造されたものなのだろう。
「面白いことを言ったな、龍王」
魔王は静止した。声音が……雰囲気が違う?
あれほどに電光を浴びたのに、傷どころか装いに焦げ跡1つ無いだと?
「エスメラルダとは、確かエルフの女王の名だな?」
「そうか、お前は自らの出自を知らないのだったな」
「お前は知っているのか、龍王」
ふと憐憫の情が湧く。
今や世界にとって危険すぎる存在と堕したこの者だが、思えば悲惨な来歴だ。
滅ぼす必要はある。しかし、母の名も知らずに死ぬのも哀れだ。
「聞くか、魔王よ。私の知る事実を」
「聞こう、龍王よ。お前の知る事実とやらを」
語る。この天空の舞台で。
語るにつれ、やはり哀れみを覚えずにはいられない。
大魔導師イリンメルによる人造人間の創造。
エルフ女王エスメラルダによる「存在」の抽出と「抜け殻」の破棄。
イリンメルに拾われたるのちの地下培養槽への放置。
不憫なものだ。この者には何もない。
何もないが故に狂ったか。闇に身を染め、悍ましい外道と成り果てたか。
穢れの果てに魔将を囲い、兄でありながら妹を殺めに来たのか。
終わりを齎そう。この蒼穹の中に。
それがせめてもの情けだ。歪みは正すべし。魔は折伏すべし。
「はっはっは」
何だ……笑っているのか?
「傑作だな! あはははは!」
気でも触れたか、魔王。
「そういう経緯で、俺はあの地下に目覚めたのか。成程ね! 凄いな!」
……絶望なのだろうか。
己の満ち足りなさの原因を知ったか。己の存在が過ちであると知ったか。
秩序に馴染まぬ自らの孤独を、異端の非を自覚したのか。魔王よ。
「この世界は素敵だな!」
「な……に?」
何……何だと?
何故、そんなに朗らかに笑うのだ?
「理不尽こそ世の中かと思えば、どうしてどうして、奇跡は起こるんじゃないか」
「どういう……何を言っている?」
「失っていたんだ。そして失った先に、ちゃんとあったんだ。何て素敵なんだ!」
空に遮るものとてなく響き渡る、嬉しげな笑い。
そこに陰は……ない。惹きつけられさえする。
ふと気付いたように、気の置けない友を相手にするように、私に語りかける。
「成功し続けることはできない。誰もが失敗を経験する。そうだろ、龍王」
何のことだ。だが、看過できない言葉ではある。
何故なら私も大いなる失敗を経験したからだ。
故郷世界……私が、私たち龍王八仙が管理監督していた、あの美しき世界。
森羅万象に些かの乱れもなく、万物が融和し、円環を描いていたあの世界。
絶対悪たる邪龍を幽閉し、無限の平穏が確立したはずの世界。理想郷。
失われてしまった。虚無の夜の中に。
愛してやまなかった全てを消し去り、欠片の情動もなく、次の世界を創られた。
無空に私たちは勝てなかった。守護の使命に失敗したのだ。
「だからこそ、再起が大事なんだ。立ち上がる力だ。その先へ進む力だ」
「先……先とはどういうことだ」
「失敗する前に戻ってどうする。先へ行くんだ。失敗の先にこそ未来が開ける」
蒼天に透き通り、染み渡るかのような、その言霊。
これは……私は今、何を見ている。聞いている。何なのだ。これは。
「時は常に流れてゆく。元の岸を目指すな。先だ。失敗を受容しろ。進歩するんだ」
魔王、お前は……私を知っているのか?
どういうことか、お前の言葉は私のこれまでを思わせる。
理想郷を取り戻すべく、再び世界に現すべく行ってきた諸々を。
歯がゆいほどに上手くいかぬ、悠久の日々を想起させる。
幾つの失敗を重ねただろう。もう一度、次こそはと、何度理想を追ったろう。
無空の存在に怯える心を奮い立たせ、何度、試みただろう。
魔王よ。
お前はあの日々を、戻らぬものを戻そうとする愚かと言うのか。
龍王の長、即ち故郷世界の神であった私が、失敗を認められずにいただけだと?
「生きていることと、生きることとは、違う」
「……どう、違うと言うのだ」
「在り方が違う。気高さが、誇りが、気概が、勇気が、全て異なる」
ニヤリと、どこか悪戯っ子のように笑って、私を見た。
「自分をカッコいいと思わせたい奴と、自分をカッコいいと思いたい奴の差だ」
「私が前者だと、そう言いたいのか」
「自分で考えろよ。自分のことだろうが。龍王」
大気が暖かな波動で満ちている。何だこれは……この心地よさは。
魔王を中心に、何か得体の知れない、淡い光が放射されている。
光属性ではない……火? 違う、水……闇……分からん、何だこれは。
人は白昼の下に在るとき、自らを鎧って弱きを隠すものだ。
光とはそういう側面を持つ。しかし、これは違う。この光は。
むしろ……闇……なのか? この「命」としか表現のしようのない燐光は。
「俺は、世界が理不尽に満ちていて、俺を打ちのめそうするものだと思っていた」
「違うというのか。この世界が、優しいものだとでも」
「希望があると気付いたんだ。反作用のように。奇跡は起こるんだと」
先ほどから言う、奇跡とは何なのだ。
滅ぼさんとした私ですら同情する、そんな生い立ちに何の奇跡がある?
「俺は母に全てを奪われたようだ。その女が母である事実でさえ、な」
魔王は満面の笑顔で「しかし!」と続ける。
「俺は母を得たぞ。その命でさえ惜しみなく差し出し、愛してくれた母さんを」
嬉しそうに、この上なく嬉しそうに、宣する。
「これは奇跡だ。俺はそうと知らず、奇跡を与えられていたんだ」
泣くのか、魔王よ。
世界の天たるこの場所で、世界の奇跡を謳って涙を流すのか。
「先を目指して良かった。あの暗い地下に目覚め、ここまで来て、良かった」
美しい。私は今、美しさを目撃している。
これは、この落涙の世界賛美は、奇跡だ。奇跡に違いない。
私もまた1つの奇跡を体験しているのだ。これが……世界なのか。
「龍王よ」
「何だ、魔王よ」
「俺はこの上ないモノを既に得た。お前はどうだ?」
私は……どうなのだろうか。
脳裏に浮かぶのは、1人の少女の姿だ。
美しく、純粋で、優しく、私の理想を共有してくれた娘……アルテイシア。
今、あの娘は母の狂愛に囚われている。
子とは親の所有物ではないというのに。
1人の独立した人格だというのに。
親とは見守る者であるのに。
ただ子の在るを喜び、その行く末を寿ぐ者であるのに。
私もまた加害者だ。
無垢なあの娘に理想を語り、苦吟を漏らし、どこへ導いたというのだ。
龍王たる我よ。
お前は、アルテイシアを利用しているではないか!
あの娘に……あの子に……父とすら呼ばれたお前は!!
何て……ことだ。何てことを、私は……。
おお……視界が歪む。頬が濡れる。泣くことができたのか、私は。
後悔だ。悔恨の涙だ、これは。私は私を許せない。
アルテイシアに、自分自身の為の人生を、生きさせてやりたい……!
その為には、今の私では駄目だ。
誤謬に沈み愚昧の己を増長させた私は、禊がなければならない。
この奇跡の天空に、私は誇りを新たにしなければならない。そのために。
「魔王よ。私と戦ってくれるか?」
一音一音に愛情を込めて、私は願った。
眼差しには友情を、表情には信頼を、それぞれに込めて。
自らの頑迷固陋を恥じつつ。誠心誠意に。
「わかった。天上の決闘と洒落込もうじゃないか、龍王よ」
感謝を全身に表現して。
「我こそは龍王八仙が長、天のエイエンなり。いざ、尋常に勝負!」
◇ WORLD・EYES ◇
天に神威の光が明滅し始めたその頃。
地においては、戦士の最強を決する戦いが繰り広げられていた。
ギ・ジュヨンロの黒装に対し、デイは武装は黄色。
黒戦士が右に剣、左に斧を構えるに対し、黄戦士は右に鉄の短棒を構えるのみ。
その棒こそ『雷王鞭』。彼の雷を増幅する鋼の硬鞭である。
既に両者は百合以上を交えた。
互いに体術の極限を。
黒は剣術の極意を、黄は棒術の極所を。
黒は斧の究極を、黄は拳の真極を。
2戦士の攻撃はどれもが一撃必殺。
地を見よ。砕け、穿たれ、裂かれた、その死闘の痕跡を。
そして互いの有様は……ほぼ無傷だ。
「合気」という言葉がある。
互いに隙なく油断なく、相手に心を動かされず、しかし相手と合致する。
「相抜け」という言葉がある。
相打ちとは違う。互いの技は相殺し、或いは互いに届かず、傷をつけない。
2つの極致が具現化した結果だ。
武をもって敵を討つ道を志し、暴に堕落せず、極みへ至った戦士。
その練磨の力は拮抗し、ここに死から遠ざかるという矛盾を示している。
「楽しいなぁ。ずっとやってたいくらいだ」
黄色が言う。
間合いも遠く対峙しているが、その構えは解かない。
一呼吸でも気を抜けば、合気崩れ、死あるのみ。
「だけどよ、それだと怒られるんだわ。親父に」
バチリ、バチリと何かが弾ける音が生じはじめた。電光だ。
彼こそは雷のデイ。父である天のエイエンには劣るも、雷気を操る。
そう、彼は今の今まで、その力を使っていない!
純粋な戦士としての戦闘に終始していたのだ。それで互角。ならば?
「んじゃ、いくぜ!」
突き出した左手から雷撃が放たれた。
刹那に万里を進む、その回避不能の一撃を……回避した!?
剣だ。
剣を地面に突き立て、それを避雷針の如くに利用し、身を翻したのだ。
即座に体勢を整え、その重鎧からは想像もできない速度で黄色へ突進する。
黄色は硬鞭を構える。それにすら電光が閃いている。
互いの得物が触れたなら、それだけで黒を襲うだろう。
相抜けは起こりえない。ただ黒が敗れるのみだ。
黒は、しかし疾走する。その左手には斧。
黄色は硬鞭で迎えようとして……迎えられない!
止まらないのだ。
黒は尚一層の加速をもって横を擦り抜けた。
そのまま振り向きもせずに、背後から斧を一撃、黄色の背中を大きく裂いた。
「なろぅっ!」
黄色が振り向き様に硬鞭を薙ぐも、空を切る。いない。
下だ! 黒は地面に仰向けに寝そべっている。
「何ぃっ!?」
鉄鎖が首に巻きつく。速く、硬く、頑丈に束縛された。
ギ・ジュヨンロ……魔界大平原に魔獣を相手取った歴史を持つ。
黄色は思わず首に手を添え、身を引いた。
それは仕方のないことかもしれない。首を繋がれたことのある龍などいない。
だがそれは、彼の敗北を意味した。
「う、うおぅっ!?」
黒は斧を空へ投げた。その柄には鉄鎖。
束の間の、しかし恐るべき絞首が実行されたのだ。黄色の体が浮くほどの。
構えなく、地に足つかず、視線も定かでない、その数瞬。
近接戦闘の達人にとって、それはむしろ長すぎる時間であった。
両手刀でそれぞれに腕を折ることを皮切りに。
頭突き、膝蹴り、肘打ち、右拳、左拳、右拳、左拳、右拳、回し蹴り。
倒れたそこへ。短剣を腹から地へ突き立て、足で腕を潰し、槌で両膝を砕く。
打撃音の遂に絶えたそこへ、ザクリと、舞っていた斧が大地へ刺さった。
「い、色々持ってた上に……」
驚くべきことに、黄色は生きていた。
身動きもなく話す。苦痛に顔を歪めながら。
「アンタ、格闘も、や、やれたのか、よ……超、強ぇ……」
黒に言葉はない。ただ静かに見下ろしている。
「ゆ、油断、したなぁ……」
そう、油断したのだ。
黄色は……デイは、己に雷気あるをもって驕ったのだ。
剣の届かぬ遠くからの攻撃。魔術師よりも戦士にこそ、その価値がわかる。
価値がわかるがゆえに。黒が、ギ・ジュヨンロが純粋戦士であるがゆえに。
己のもつ雷撃の威力を過信したのだ。安心したのだ。それを油断という。
地上の最強戦士を決するこの戦い。
それは、純粋戦士の完全勝利をもって、決着したのである。




