光魔大戦編 第3話
◇ WORLD・EYES ◇
夕暮れの丘に戦塵の舞う。
白き3人と薄汚れた10人との対決は、今、終わろうとしている。
閃く片刃剣が男の首を飛ばした。短槍を握りしめたまま、ドウッと身体が倒れる。
大地が血を吸う。見下ろす白き者の、その表情の陰鬱さ。ハイゼルだ。
その隙をつこうと動いた女が、苦痛の声を上げて肩を押さえた。
革鎧の分厚い部分が拉げている。石礫だ。凄まじい速度で命中したのだ。
グラシアの術である。矢が無くば飛礫か。被弾した女はその右腕を垂らした。
「何故、お前たちは抗うのだ。こうまでも」
倒れ伏していた男の顔がパックリと両断された。死を擬態し、ナイフで狙ったのだ。
恐るべき切断力を見せつける刃……だが、ハイゼルの声音は沈んでいる。
見る。女は骨折した利き腕を諦め、左で短剣を構えている。目は絶えず隙を伺う。
「絶望を知らないからなのか。本当の絶望を。抗い得ない存在を」
不思議だ。
この状況において、絶対的優位において、どうして声が震えているのか。
視線も揺れ動き、息もやや荒い。唇すら小刻みに……ああ、何としたことだ。
ハイゼルは、泣くことを堪えている。
何が悲しいのか。何が怖いのか。何が辛いのか。
その剣は全てを断つ。その身は風の如く駆け、跳ぶ。全能感すらあろうに。
彼は、しかし耐え難いのだ。責めたてられるのだ。
抗う勇気は余りにも尊い。
白く諦めた身にそれは色濃く映る。鮮やかだ。眩しい。
自らの弱さを後ろめたく覚えさせる。それは脱力だと。怠惰だと。
遂に、ハイゼルは一歩を退いた。
見えるのだ。彼には見える。その窮鼠とも言える女の背後に、大きなものが。
ゴルトムント男爵の、トリスティア老の、無数の兵の、無数の民の。
気高い意志が見える。強く在らんとする気概が見える。誇りが見える。
人の尊厳が輝いている。
涙は出ない。だが泣いていた。嗚咽が漏れる。
首を嫌だ嫌だと振る。更に一歩を後ろへ。震えは全身に及んでいる。
これは敗北だ。勝つを諦めた人間には容易く訪れるものだ。
女はそれを勝機と見た。
短剣を腹に構え、身体ごとぶつかろうと動く。
そこへグラシアの術が、飛礫が放たれた。目で追えぬほどの速度だ。
女は反応しきれずに、その頭を……砕かれなかった!
見えない壁があるかのように石が弾け飛んだ。呆ける女とハイゼル。
「《魔力壁》だと……?」
暮れなずむ丘に長く伸びる3つの騎影。
戦いを見下ろす位置。逆光にあってその3騎の人相は知れない。
銀甲冑の騎士なる男、紅甲冑の戦士なる女、杖持つ魔術師なる女。
いや違う、それだけではない!
銀の騎士が手を掲げるや否や、たちまち現れる5000の騎兵。
速やかなるその威、静かなるその圧。灰色の兵装。
魔王軍「灰の騎兵団」である。
「光国軍に告げる」
銀の騎士が驚くほどの声量で話す。
ジャンだ。彼こそは『灰の騎兵団』副長。後の『五門徒』。かつての帝王。
「我らは魔王軍。現在、ロンバルキア大公国は我らに安全を保障されている」
それは衝撃の発言だ。
その意味するところは、大陸への影響が大きすぎる。
魔王が、ヒュームの1国家を認め、外交を為した!
「ゆえにその者を保護する。妨害すれば排除する。後退せよ」
返答は無数の礫をもってなされた。
数十の小石が殺人的な加速でジャンに迫り、そしてその全てが防がれた。
ジャンは何もしていない。まるで意に介さない。
魔術師の杖が夕闇に妖しく燐光を発している。《魔力壁》の展開。
ランベラだ。ヒューム最強の魔術師であり『青の旅団』団員。後の『五門徒』。
同時に放たれたものがある。
無形のそれは衝撃の塊。大気を弾き、地上へ真空世界を作るもの。
灰色の軍勢の頭上でそれは弾けた。絶気の結界。
紅の戦士とランベラとが即座に馬を走らせた。
前者は大剣の一振りで、後者は無形の魔力で、それぞれ大気の海へ帰還した。
大剣には魔力の発露が見受けられる。2人だけが生き残るのか。
否。通じないのだ。
ジャンと灰色の騎兵たちとは、ただ悠然とそこに在る。
静かだ。音もなく動きもなく……いや、ジャンが軽く指を差した。
その先にはロケナン。
灰色の騎兵が5騎、声すら上げず疾走を開始した。
右へ撫で斬り、左へ撫で斬り、上から斬り落とし、斬り上げ、最後に……
両断せんと構えられた薙刀は振るわれなかった。既に肉片が散在するのみだ。
同じ頃、グラシアもまた襲われていた。
ランベラが仕掛けたのだ。火線が幾筋も放たれる。グラシアが避け走る。
「《光雨》」
足元の石がフワリと浮き上がろうとし、阻まれた。加速することもなく。
《魔力壁》だ。地面と水平に、押さえつけるように壁が形成されている。
風が石を持ち上げる、その最も力を必要とする瞬間の勢いを殺している。
「ほらアンタ、生きてんなら手伝いなさいよ!」
力比べに歯軋りしつつ、ランベラが怒鳴りつけた。
革鎧の女は即座に走り出した。魔力を集中する白い女へ、怨敵へ。
短剣を腹部へ突き通す。刃を返し、胸部へかけてギリギリと切り上げていく。
蹴倒して引き抜き、首へ突き立てる。地面へ縫いとめる。
キュヒィイイイイイイィイイイイィィ!!
突如として耳鳴りのような音が響いた。
グラシアであったものの耳から、鼻から、口から、傷から。
何か霊威あるものが吹き出し、空中に人型を形成しようとしている。
「《火炎流》」
帯状の炎が直撃した。風がそれを散らそうとするも、押し包む。
風が千切れ、散らされ、弱まり……やがて消え去った。
中位風霊アエレイを一撃のもとに倒す。
それを為したランベラを人界の強者と評するならば。
同様に潜んでいたはずのそれを、容れ物ごと斬り裂いた騎兵たちは?
人よ知れ。彼らは灰色驃騎兵。
魔王の魔力によって形成され、維持され、稼動する機動兵器だ。
薙刀の切っ先に至るまで全てが魔力転換物質。星気をも斬り、魂をも啜る。
そして、ハイゼル。
風宿りの剣を振るう白き化物人は、今、魔剣持つ紅の狂戦士と戦っていた。
戦士がそれを望んだものか、徒歩兵同士の激突である。
フォルナだ。魔剣アリオクの所持者であり、『鱗の兵団』団長。狂戦士の異名。
「ぅぎいいいぃぃいい! ぅるぐぉおおおおおお!!」
大剣……その魔剣は大剣のはずだ。全長は戦士の身長ほどもある。
しかし、そうだというのに、何たる速度で振るわれるのか!
撓る細剣でもあるまいに……それとも軽いのか、それは。
「っ!?」
避けきれず受けた剣、ハイゼルのそれは彼方へと弾き飛ばされた。
重い。やはり大剣だ。即座に魂狩る暴追撃は、大気を薙ぎ払うにとどまった。
白い体躯が舞う。後方へと。一跳びで遠く、二跳びで剣の行方へ。
追う。魔剣戦士は獲物を逃がさない。飢狼だ。地を蹴掘りながら追い駆ける。
そこへ放たれるは大切断の烈風。剣閃の飛来。
軍を崩すその一撃に向かってフォルナは跳んだ。
身を捻り、紙一重をすり抜ける。その決断、身のこなし。修羅の巧妙。
しかし風圧は? 切断に付随する錐揉みの暴風。身のこなしはそれをも凌ぐ。
魔獣だ。それは一匹の魔獣なのだ。
四つんばいに着地し、身を屈めて突進していくその姿よ。純粋なる凶暴よ。
再び打ち飛ばされた剣はハイゼルの腕をも伴った。驚愕のその顔へ。
「ぃえあっ!!」と、鼻から上が斬り飛ぶ。
「っしゃらあっ!!」と、体の残余も3つに叩き斬られた。
それでもなお。
ブツ切りのそれらの間に揺らぐ、靄のようにも見える何かへ。
「ぅおお……るぁあああっ!!!」
大地よ裂けよと言わんばかりの猛撃が加えられた。
魔剣の魔力か、爆発のように土煙がもうもうと……そして魔戦士だけが残る。
風霊であったものも、ハイゼルであったものも。
全ては飛び散り、消え去った。何もない。
それは……誰かの願いでもあったことか。
光国遠征軍、壊滅の瞬間であった。
◆ クヴィク・リスリィEYES ◆
城に在って、眼前に風景の流れる様を見る……やはりいいものです。
ゆくゆくは眼下に雲海を眺めてみたいものです。主ならできます。ふふふ。
灰狐城が行きます。
荒野を抜け、今や平原を西へ。光都を目指して。
光主を打ち払うために。伝説の金字塔を打ち建てるために。
ヒュームの使者が魔王城に来たことが切っ掛けとなりました。
現存する唯一のヒューム国家のその王。ロンバルキア大公とやら。
平伏し、自らの命を対価として乞うたのは、言上の時間。
主はそれを許しました。そして語られたのは光国の在り様。
掲げられた国是。政体の詳細。光主の魔王討伐完了宣言。
再びの大軍派兵。西の虐殺。そして東進を続けるその目標には魔王城。
それらを説明し、次いで自らの立場を表明しました。
自分たちは魔王様へ軍を向けたことはなく、ただ斥候を教団に貸与したのみ。
自分たちはカルパチア皇国の属国、臣下であり、今は危急の体制にあるのみ。
皇帝は魔王軍に在り、それは自分たちが魔王軍の傘下であることを意味する。
そして、最後に1つの宣言をもって終わりました。
忠誠の証として、そして人間であることの証明として、光国軍を打倒する。
援軍は求めない。命乞いに来たのではない。ただ、我らの戦いをご照覧あれ。
願わくば……もしも願うことが許されるのならば、力を。
魔王を蔑視し、人間を省みないあの女に、力を示されんことを。
そこまでを語り終え、彼は死にました。
予め毒を服していたようです。命の支払い。決然としたものです。
主は直ちに軍の進発を下命しました。
もとより光国は我らに弓引いた存在、いずれは滅ぼす予定でいましたからね。
主は灰狐城に在して西進、一路光都へ。
配下の陣容としては、主の補佐として私。ジジィと『灰の騎兵団』5000騎。
御姫と『青の旅団』100人は、団としては今回が初陣となりますね。
別働隊として、騎馬のみで編成された部隊を皇都へ。
ジャン指揮下『灰の騎兵団』5000騎。騎乗可能なフォルナとランベラも随行。
援軍ではないですし、そうしようにも間に合いません。残敵を討つためです。
留守居としては……いささか素行が不安ですが、トジフォと『骨の軍楽団』。
またぞろ数が増えたりするのでしょうね。荒野は既に音楽の魔境と化しました。
城兵としては『青の旅団』の残りと『鱗の兵団』。まず問題ないでしょう。
魔王軍として初となる遠征。
平原に威を振るうアルフヘイム光国を滅ぼす軍旅です。
それにしても……ふふふ。
遥かなる妖精国。
伝説に謳われる諸族融和の理想郷。精霊すらも相克なく舞う神代の世界。
その名を冠する国家が大軍を有する大矛盾。笑殺物ですね。
円卓会議。ふふふ。
人間の固定席と、亜人の非固定席。うふふふ。
相談役として精霊と……龍王! はははは! あっはっはっは!!
龍王とは! 寄りにもよって! 龍王! 龍王!
世界を俯瞰する者、竜の指導者、万物の調停者。
八卦の秘儀をもって世界を渡る者……龍王八仙。
既に天界にでも去ったかと思えば、まさか現世界に潜んでいたとは。
しかも1種族に加担し、嗤うべき国家の後ろ盾に収まっているとは。
うふふふふ。相変わらず耄碌してんな、クソヘビどもが!
魔界の歴史書に曰く。
原初、世界は食物連鎖という命の法則で循環していた。
日を浴びて草木育ち、草食動物がそれを食み、草食動物を肉食動物が喰らう。
死した肉食動物を虫が分解し、それによって培われた土が草木を育む。
そこには喜びがあった。生も死も、確かな充実として存在していた。
芽吹き種生む喜び。食し、時に逃げ切る喜び。捕まえ喰らう喜び。蝕む喜び。
「おぞましい」と評した者がいた。クソヘビだ。
子ヤギが裂き喰われるを「哀れ」と言い、虫が群がり溶かすを「汚れ」と言い。
草食動物には魔力を与え、虫には滅びを与えた。
その選択が招いた結果が、魔界。
魔力を得て増長した草喰らい。殺されていく肉喰らい。喰らうでもなき殺し。
死体は残る。腐敗することもなく。枯れていく。滋養なき土に草木は滅ぶ。
草喰らいは肉を喰うを強いられる。同族のだ。肉喰らいは喰えた代物ではない。
肉喰らいは死体を喰うを強いられる。草喰らいは既に強者であり獲物ではない。
歪む。変質する。奇怪へ。魔界へ。
草喰らいは強力な魔物となった。魔力が凝縮された結果だ。
肉喰らいは弱体な魔物となった。微弱ながら魔力を吸収していった結果だ。
世界に魔物たちが跳梁跋扈する。殺しあう日常。弱肉強食の修羅世界。
魔に魅入られ狂った世界。即ち魔界。殺し殺される地獄世界。
そして、大天災の七日間。
魔界は傾き、堕ちた。日から遠く、暮れなずむ空は夜すらも訪れない。
半ば滅び、半ば残った、中途半端な斜陽の世界として今は在る。
……クソヘビ、お前らは知るまいな?
魔界を魔界と唾棄し、去ったお前らには、知る由もない。
生きているんだぞ。この瞬間にも。魔界には生き物の歴史が続いている!
ふ、ふふふ……少し激してしまいました。らしくありませんね。
ですが、全ては厳然たる事実です。私たち魔将には知らぬものとてない。
魔界に力の秩序を打ちたてんとし、磨耗して、諦めていった私たち。
72魔将は忘れませんよ、龍王。貴方たちが何をしたのかを。
貴方たちは忘れているのでしょうね。そもそも自覚もないのかもしれません。
世界に馴染むことなく、世界を体感することもない貴方たちは、盲目です。
無知を覚えぬ無恥。進歩なき無智。それが貴方たちです。
その貴方たちが祝福するのなら……光国は滅ぶべきでしょう。
在るべきを定めることは傲慢です。
在るべきを強いることは侮蔑です。
在るべきを定められ、強いられることは屈辱です。
自らで在らんことを欲する、それこそが「在ること」なのです。
敢えて断言しましょう。光国は間違っています。
いずれ自壊自滅することは明白ですね。実際、ドワーフは離脱した様子。
それどころか、場合によってはエルフも分裂するのでは? 兆候はあります。
光主アルテイシア……やはり無事ではなかったのですね?
その光輝はエルフ、ドワーフの誰をも魅了して止まなかったと聞きます。
拙い理想をもそれと気付かせないほどの求心力……今や皆無です。
主との対決で失いましたね? 何か、自らの在り様を定めるほどの、何かを。
ふふふ。やはり主は魔王であらせられます。
あの対決で、主は何も失っていません。より強大になって戻りました。
伝説にも言います。魔王とは一度隠れたるのち、大魔王として再臨すると!
……魔炎殿のことだけは、残念です。
あの方が何故消滅したのか、それはわかりません。主も多くを語りません。
しかし、主のためにその身を捧げた事は間違いないのでしょう。
主は変わりました。
新たなる属性力。どこまでも強大化していく魔力。それらもそうですが。
お人柄が変わりました。良い方向へ。私たちにとって望ましい方向へ。
この世界への関心。
いつも、どこか計り知れない遠くを、先を見据えていた主が……
興味を示しています。私たちの生きるこの世界を、その視界に入れています。
その証か、ついに、私の念願の1つも叶いました。
使うことを許可されたのです。ついに。主の名を歴史に残せるのです。ついに。
光国亡き後に、誕生するは主を仰ぐ世界……即ち、アルバキア。
それは新たなる伝説。
戦乱に沈もうとするこの大陸に屹然と立ち上がる指標。
主がここに在る証明であり、諸人の存在を鳴らす鐘楼ともなるべきもの。
魔王の君臨する証。アルバキア。それを打ち建てる為に……西へ。




