光魔大戦編 第1話
◇ WORLD・EYES ◇
風が吹いていた。
強い北風だ。奇妙に背筋を怖気させる。埃が目を苛む。
風下に布陣したロンバルキア大公国軍4万は、防護柵の中で身を竦ませていた。
動けないのだ。
光国軍6万は見事な横列陣を敷いている。隙が無い。
エルフもドワーフも長槍を揃えて隊伍を組んでいる。
騎馬隊によって撹乱する定石は、おいそれと打てない。
さりとて射撃戦、魔法戦も不利だ。
エルフは弓に関して天賦の才がある上、風霊系魔法でこちらの矢を阻害する。
魔法に関してもエルフの方が強力だ。持って生まれた魔力量が違う。
接近戦だ。こうなれば接近戦しかない。
幸い光国軍は光主の親征ではない。陣地ごと滅ぼされることはない。
接近戦に滅法強いドワーフが、6万の内に1万しかいない。
そのことが大公国軍をして陣地での防御戦闘を決意させた。
もとより兵力は劣っている。東から援軍が来るまで耐え、停滞させればいい。
しかし、遠い。
光国軍は矢も届かぬ距離で堅陣を組んだままだ。
6万といえば今の光国にとっては全軍に等しい兵数。
大軍ではあるが、援軍のない孤軍でもある。時間が掛かるほどに不利だろう。
こちらに都合が良すぎる……指揮を執るレオノーラは不安に駆られていた。
「第一、第二騎兵隊を出すわ。用意させなさい」
「機動防御でしょうか?」
「攻撃する必要は無いわ。後方へ回って揺さぶりをかけるのよ」
こちらの狙いを暈すためにね、と付け加える。
敵の意図が読めない以上、こちらの意図を読みづらくしなければ。
把握される不利を嫌ったのだ。彼女は負け方を知る。
2000騎ずつの軽騎兵が東西へ進発した。
戦場を大きく迂回し、6万の後方へ回ろうというのだ。
エルフ、ドワーフは騎馬を運用しない。平原における速度の差は絶対的だ。
いや、違う。
いるではないか、光国軍の中に騎馬が。
白馬に跨った人物が3人、装備も揃って白尽くめだ。
ハイゼル、グラシア、ロケナン。
真っ先に光国軍へ攻撃を仕掛けた3人が、今、光国軍を率いてそこにいるのだ。
これを数奇と言わずして何なのか。表情もない。ただ白く風に吹かれている。
東へはがグラシア、西へはロケナンが。
それぞれ500人のエルフ兵を率いて迎撃に動いた。
速い!
その500人と1騎は疾風のような速さで直進する。
騎馬が速いのは馬の質で解釈できよう。しかし人は? エルフは徒歩兵だ。
人ではないのだろうか?
その両足は残像すら生じて地を蹴る。上半身は微かも揺らがない。顔は虚ろだ。
不死属性ですらまだ怨念という感情がある。では彼らは? 彼らは何だ?
軽騎兵たちは更に速度を……上げられない!
むしろ段々に遅くなる。落馬、転倒する者も出た。どうしたことか。
馬の不調だろうか。それもありそうだ。しかし、馬上の人もまた青褪めている。
彼らはその原因を自問する時間を与えられなかった。
東において。
「《光雨》」
徒歩兵たちの矢筒から独りでに1本の矢が飛び出した。ゆえに、その数500本。
ふわりと浮いたのも束の間、爆発的な初速でもって空中に放物線を描く。
狂猛なる隼の飛翔。響く風切り音はその鳴き声か。
この矢は曲がる。
避けようとしても曲がり、打ち落とそうとしても曲がる。刺さらずにおかない。
この矢は貫く。
肉を刺し骨を削り突き抜ける。そして更なる目標へ。初速のままに。
折れ、落ち、静まった。その次の瞬間には。
「《光雨》」
第二波だ。命を刈る風だ。死を刻印する雨だ。
それでも、それでも息をする者たちへ、刺突剣。エルフ兵だ。
まるで騎馬突撃のような……いや、彼らもまた矢の1本と見るべきか。
全滅だ。
2000人が死に、2000頭の馬が痺れる体に苦しんでいる。
そう、痺れているのだ。馬ほどの体格の生き物が走れなくなる量の……毒。
西において。
「《光砲》」
動きを鈍らせる2000騎の頭上で、何かが炸裂した。
馬ごと地に叩きつけられる。衝撃波か。だがそれだけだ。致命傷には至らない。
よろめきながらも体勢を立て直さんとして……驚愕の表情を浮かべる。
そこでは音がしない。息ができない。身体も何かがおかしい。
何かが自分から漏れていく感覚。そして、目と口内とが熱く泡立つ。
パタリ、パタリと人と馬とが倒れていく。まるで糸が切れた吊り人形のように。
誰も起きない。狩人は来るというのに。そら、来てしまった。
1人頭、4つの首。
無音の内に作業を終えた頃、辺りを風が吹き荒れた。音も戻る。
無かったのだ。先ほどまでそこには空気が無かったのだ!
恐るべし。
《光砲》。それは特定範囲に持続的な真空状態を生じさせたのだ!
空気無くば音も無い。呼吸もできない。気圧無くば涙や涎すら沸騰する。
息を止めるのとも違う。肺の空気すら奪取される。意識など保てないのだ。
風霊系魔法とはかくも傍若無人であったか。
地上とは即ち空気満ちる世界。海に水が満ちるように。
風を、大気を掌握されたのなら……この地上に生きる誰が抗えよう。
そう、抗えなかった。
勝敗は光国軍が布陣したその瞬間に決まっていたのだ。
風を操り、麻痺毒を徐々に送り込む。風を操り、毒を散らせず陣地に対流させる。
待つばかりだったのだ。害虫を駆除するように、ただ遠巻きに、何の痛痒も無く。
大公国軍の陣地は屠殺場と化していた。
動けず怯えるヒュームたちを、エルフたちが迅速に殺めていく。
これが種族の違いによる無慈悲というものか。無感情に、ただただ処理していく。
否。やはりそれはこの世界の常識に非ず。
その天幕を見よ。
物資集積のためのものか、陣の片隅に設営されたそれへ、1人のドワーフが入る。
戦棍には血の一滴もついていない。兜と髭との間に覗く双眸は怒りに燃える。
「駄目でござる。もはや貴軍は全滅を免れぬ有様」
彼の視線の先、うず高く積まれた木箱の影に隠れるように、誰かがいる。
武装もなく、苦悶の表情で荒い呼吸を繰り返す。女性だ。橙色の髪。
震えるのみで動かない。いや、動けない。眼光は業火の如く。
「身代わりの方も討たれ申した。もはやこれまで」
ちらりと後ろを見る。天幕の入り口には何名かのドワーフ戦士が集まっている。
その表情は憤怒。敵への恨みだろうか。違う。この怒りは何かしら気高い。
彼らは歩哨なのだ。警戒している。味方であるはずのエルフたちを警戒している。
「拙者どもは荷駄隊。ここの物資を接収するだけでござる。よろしいな?」
虐殺は終わったのだろうか。
荷車が運ばれてきた。ドワーフたちが渋面で作業していく。
死体は集めて焼く。戦死者は不死属性と疫病、二重の災いを招く。
その横を、呆けたようにエルフが行く。手伝いもしない。
血まみれの身体。その肩に、背に、頭上に、透けて見える妖の存在。
風霊だ。クスクスと笑うように揺らめく。笑う? この惨劇の中で?
これは「滅事」ではない。
繰り返し強調しよう。これは「滅事」ではない。
2つの点でこれは異なっている。
1つ。全滅ではない。
積まれ運ばれていく物資の中に、木箱に身を潜める生存者がいる。
彼女が生き残るならば全滅ではない。だから「滅事」ではない。
2つ。笑った。
大量殺人の後に、その過程を反芻し、その数を数え、笑った者がいた。
例えそれが元素精霊であってもだ。笑ったのだ。殺したことを喜んだのだ。
「滅事」とは、魔王という人の形をした災厄が起こす現象だ。
手を出した者が滅ぶ。殺されるのではない。自らの非力に滅ぶのだ。
そこに勝者はいない。優越感も達成感もない。そういうものだ。笑うなど。
光国軍。
彼らは果たして英雄の軍勢なのだろうか?
戦後処理を終え、すぐに東進を始めたその6万。
黄金天使の戦旗は常にはためき、軍の先頭を行くものは白馬に白装束。
エルフの美しさも相まって、それは神聖な光景ですらあるはずではないか。
だが、この白色は血風を帯びる。
無念の怨嗟で血色に染まる彼らには、その自覚も覚悟も垣間見えない。
兵士の、戦士の目ではない。人でなしだ。人形だ。綺麗な人形たちの行進だ。
それに追随するドワーフ軍の、その表情。
怒りだ。怒りしかない。彼らは未知を恐れない。奇怪に怯えない。巌の精神。
そして多くが武人だ。武人は武を尊び暴を蔑む。彼らの目に映るエルフは?
次第に開いていく、エルフ軍とドワーフ軍との距離。
それはそのまま表してやしないか? 両者の溝は埋められたはずでは?
アルテイシアが居ない。
光主は光都に在る。軍の進発を見送りもした。
だが、アルテイシアが居ない。居ないのだ。
鉱山の暗がりに頑固として、世界に半ば背を向けて生きてきたドワーフ。
彼らが感じた眩しさを、希望を、光明を、今の光主は発していない。
あれは何か違うものだ。そしてエルフたちも変わってしまった。
静かに不和を育てつつ……
光国軍はカルパチア皇都を目指す。光国の領土を回復するために。
◆ ゴルトムントEYES ◆
やってくれちゃったな。
やってくれちゃったよ、エルフ。いやもう、やってくれちゃうからさ?
おじさん、手前らを皆殺しにするわ。
怒ってないよ? ただね、ちょっと本気になっちゃっただけなんだ。
戦争ならね、適当にやるんだ。疲れるし。勝つと殺すは同義じゃないしね。
程ほどにして、敵にやっつけにくいと思わせればいい。それは勝ちなんだ。
だがよ、手前ら、ヒューム舐めてんだろ?
確信しちゃったよ。敵とも思ってない。
虫けらか、下手すりゃ雑草、最悪じゃ石ころくらいの認識だろう。
アルフヘイム? 全ての種族の融和と協調?
ふっざけんじゃねえぞ、コラァアアアッ!!
「減らしました。残ってるでしょう。この席座りなさい」ってか、コラ。
舐めくさりやがって。てっぺん来たわ。同じ空仰げんわ、手前ら。
殺す。二度と森に帰れると思うな、この外道どもが。絶対に殺したる。
手前らはやっちゃなんねぇことをやった。
魔法も毒も、手段としちゃ下種だが、戦争じゃ仕方ねぇだろう。
勝つためにはいくらでも汚ぇことをやるもんだ。そこに貴賎はねぇや。
だがな!
無力化し、抵抗できない敵を皆殺しにするってのは違ぇぞ!!
手前らがやったのは「駆除」だ。「撤去」だ。「削除」だ。
同じ人間がやっていいことじゃねぇっ!!!
手前らは死ななきゃなんねぇ。生かしておくこたぁできねぇ。
そのお目目にヒュームっちゅうもんを見せ付けて、殺さなきゃなんねぇ。
怒ってねぇよ? ドタマに来てるだけ。本気で殺すだけ。
さぁて、どうやって殺すかな? おじさん、本気だから色々やるよ?
まずドワーフは味方につける。
というか、もう味方だ。こっちの諜報員に向こうから接触してきたんだから。
流石に潮時だもんな。聖神教団も追放されたし、何の問題もない。
光都に篭ったところでドワーフがいれば落とせる。
全部だ。エルフが平原に築いた全てをぶち壊してやらにゃならん。
次に婆さんだ。
あの陰謀婆を戦力として扱う。何が隠居だ。何が相談役だ。韜晦しやがって。
ヒュームで唯一、火霊系の上級魔法を使えるじゃねーか。死ぬまで火ぃ出せや。
ありとあらゆる方法で焼いてやるぞ、エルフ。
そっちが毒ならこっちは罠だ。火計だ。焼いて畑の肥やしにしてやる。
最後に、魔王。
やっぱり生きてやがったな、そうだろう思ってたぜ。流石は魔王ってもんだ。
アンタにゃどーあっても出張って貰うぜ? アンタはある意味希望なんだ。
エルフ女王を滅ぼしてくれや。
ありゃあ化物だ。俺たちにゃあ殺せねぇし、そもそも死なねぇ。
だがアンタなら違うだろ? アンタなら、アンタならどうにかできる。
並び立つでもいいと思ってたが、アンタ1人でいいことになった。
アンタなら、いい。俺ぁアンタになら頭を下げる。
化物のような力を持っていても、アンタは、人間なんだ。
生きるってのは死ぬってこった。
生き物ってのは産まれた瞬間から死に始めるんだ。
それが生きるってことだ。死なねぇアイツは生きてもいねぇ。化物だ。
アンタは、違う。
アンタは多分死ぬ。今も自分の死を建設し続けている。俺たちと同じだ。
だからわかるんだ。生きることの価値がわかる。命の意味を知っている。
強かろうが弱かろうが関係ねぇ。
ヒュームだろうがエルフだろうが、実は関係ねぇ。
だが、生物と化物は対立する。
駄目だ。生きない連中と共に生きれるわけがねぇんだ。
光国軍を名乗り戦旗をひけらかすエルフたちよ。
手前らは化物側についたんだ。それがハッキリしたんだ。本気にもなる。
化物の軍が平原を行く……許せるはずがねぇ。許しちゃ人間じゃねぇ。
あらゆる手段を用いて、殺す。殺し尽くしてやる。
「あら、男爵。もう出発したのかと思ったけれど。どうしたのかしら?」
婆さん。口調も表情もお見事だが、眼光は隠せねぇぜ?
アンタもわかっちゃいるんだろ? こりゃあ、戦争を超えちまったってよ?
「使者を立てていただきたく」
「光国に交渉の窓口があるかしら?」
「魔王へ降伏してください」
言葉遊びしてんじゃねぇって。勘違いすんな。試されてるのは婆さんだぞ?
アンタの返答次第じゃ、俺はアンタを殺さなきゃならねぇ。大公もな。
「……本気ね?」
「無論」
「わかったわ。全て任せて頂戴。男爵もわかってるわね?」
「遅滞戦術。離間。火計。そこへ至る過程も説明しますか?」
「いいわ。貴方も私も、自分のやることをわかっていればそれで十分よ」
よし、いい子だ婆ぁ。こっちは任しとけ。
美姫でも宝物でも大公の首でも、何でも贈って頭擦り付けてこい。
俺も何でもやるつもりだ。部下も死ぬし、俺もどっかで死んでくる。
やってやんよ。ゴルトムントおじさんの本気の殺しをな!




