大魔王君臨編 第2話
◆ ディヤーナEYES ◆
身体に力が入らない。
これか……これが魔王を前にするということ……何ということなのか。
周りは気付いているのだろうか?
我々のいるこの空間で、一度世界が滅びかけ、魔王によって救済されたことを。
多世界を渡り歩く「越界人」、偉大なるハイパーイースが魔王に臣従したことを。
新たな属性力……火と水を闇で仲介した何かが、魔王の中に生まれたことを。
何という、何という場にいるのだ、ウチは。
ここは人間の居ていい場所ではない。神の座所だ。絶対の……絶対者の御前だ。
成程、相対的な全てが無意味だ。比較優位を根拠として在れるはずもない。
自分とは何か。
そんな原初の問いが、分かったつもりでいたものが、激しく心を振動させる。
ウチが愛し探求するウチは……ウチが知るゆえにウチである、このウチは……
ああ……ウチは1人の子供だ。
暗い谷の底で、高い高い空を見上げて膝を抱える、幼子だ。
誰にも愛されず、捨てられた命。誰かに大事にしてほしかった命。
誰も大事にしてくれないから、自分だけは自分を大事にして……止まっていた。
孤独に慣れただけだった。本当の意味では強くなっていなかった。
愛されたかったんだ、ウチは……そうじゃないと空には届かないのに。
慣れて枯れて構えて、愛されない辛さから目を背けていたんだ。
これがウチの正体か。
魔王という巨大な鏡が映すウチは……何て悲しいんだ。
こんなにも悲しく哀れだったのか。臆病な幼子が身を鎧っていただけなのか。
魔王よ、絶対なる者よ。
ウチは貴方を愛してもいいだろうか?
愛され方を知らないウチは、愛されるために何をすればいいかわからない。
けれど愛し方は知っている。ウチはウチの事を一生懸命に愛してきた。
この愛を、貴方に向けてもいいだろうか?
愛することは、自分だけでは寂しい。それを知ってしまった。
だから、それを教えてくれた貴方を、ウチは愛していきたい。
許してもらえるだろうか?
嫁するだなどと、おこがましかった。
愛されたいなどと、恐れ多いことも願わない。
ただ、貴方を愛したい。ウチの愛を、寂しくないものにしたい。
どうか……魔王よ。
「構いやしない」
ああ、ああ!
魔王が許してくれた。ウチは魔王を愛しても……いいんだ!
何だろう、身体がポカポカと暖かい。凄い。誰かを愛するってこんなにも。
「構いやしないんだが……何というか……涎はどうだろう。大人として」
ん、へ?
口元に手を添える。ぬるりとしてダラリとしていた。
「ありょおおおおおおぉぉ!?」
「奇声が流行ってるのか……是非もなし」
「その2人だけです。一緒にされたくありませんわ」
ら、ランベラめ! まさかこの難局にあって裏切るとは!
くっ、ふ、拭くもの……拭くもの……ありがとうビオランテ。お前は涙が凄いな。
しかしウチは涎。何ということだ……どうして人生初の涎が今この時に!
心を静めろディヤーナ。凪いだ水面のみが月を映す。
過ぎた失敗は思うても覆らない。垂れた涎は……すするわけにもいかない。
教訓にしよう。垂涎口に戻らず。失敗はどうあがいても無駄なのだ。
こういうときは、まず果たすべき義務を優先するのだ。
やるべきことをやったる後、様々にやりたいことの思案をすればいい。
物事は是か非かではない。より大事なものを見極めることが肝要だ。
「お見苦しいところを……我ら5人、魔王をお迎えに参上いたしました」
「お見苦しかったの、班長だけよ?」
「くっ……我々と共にお越しいただき、魔王城へ帰還いたしましょう」
「ありょおって……ぷ、くくく」
「ランベラぁっ!!」
魔王の御前であるというのに、何という緊張感のない……涎もそうではあるが!
ああ、魔王の顔が見れない。呆れられてやしないか。怒ってやしないか。
そもそも何の攻撃だ。何故こうもウチを追い込む、ランベラ!
「いやぁ、班長も女だったのねぇ。面白いもの見せてもらったわ」
「なっ、どういう……いや、それよりも威儀を正したらどうだ。御前だぞ!」
「いいい威儀とか……やめて、これ以上笑わせないで……ぷくくくく」
「ら、ランベラぁっ!!」
も、もしかしたらウチは、隙や失態を見られてはいけない人物に見られた?
何ということだ……これが涎の力なのか。恐るべし。恐るべし涎。
「気にするな。ずっと垂らしてるのでなければ、支障は無い」
「なっ」「ぶはっ、あはははははは!!」
あああ、違う。そうじゃない。ウチの第一印象が涎で決定なんて、そんな。
ランベラめランベラめ。いや違う。世界は理不尽なのだ。外へ原因を求めるな。
心を見つめろディヤーナ。ウチの心は……心は……華やいでる?
そうか。
これは、楽しいのか。楽しんでいたのか。ウチは。
魔王が微笑んでいる。
谷で見上げた月輪のようだ。しっとりと包み込むような光。影を焼かない。
見ればビオランテも、ガンドレットも、ジャンも、笑っている。
これは……心地の良いものだ。談笑、とはこういうものだったのか。
この5人にしたところで、こうも打ち解けた雰囲気になったのは初めてだ。
ウチたちは急作りの班。しかもそれぞれが何かを抱えて歯を食いしばっていた。
それが大人というものだと、それでも仕事を果たせばいいと思っていたが。
違うのだな。魔王がいるだけで、こうも違う。
何故ならウチたちは魔王軍……魔王を君主と仰ぐことで共通していたではないか。
和するのだ。魔王のもとで、ウチたちは和して生きれるのだ。
ああ……素晴らしい。
ウチは欲しくて堪らなかったものを、得た。
その気持ちが強すぎて認めることすらできなかったものを、得た。
誰かを愛し、仲間と和す。
「滓の谷」のディヤーナは、独りぼっちのディヤーナは、もういない。
ウチは魔王軍のディヤーナ。魔王を愛し、魔王軍を仲間とする闇エルフだ。
何と幸せなことなのか。ウチは……谷を出て、本当に良かった!
……涎も、忘れまい。ランベラの仕打ちもだ。
それはそれ、これはこれだ。もう垂らさんし、いつか仕返す。絶対だ。
◇ WORLD・EYES ◇
魔王が歩く。
他に近似とてない鎧を着、炎のような外套の裾を揺らめかせながら。
空間に放たれる圧は穏やかに甚大で、大海の水量を思わせる。
激しさも凄まじさも何もかもを包含し、ただただ大いなる、偉大なる気配。
先導するのは5人の人間だ。
闇エルフ、ドワーフ、ヒュームと……種族の定かでない2人。
一様に誇らしげだ。彼らは王の行進の先頭を行くのだ。栄誉であろう。
後の歴史は彼らを『五門徒』と呼ぶ。
魔王の使徒の中でも、奇跡に臨場した特別な存在として、敬い慕う。
やがてそれぞれに偉業を成し、死んでいく。彼らはその生涯を魔王に捧げたのだ。
魔王の後ろに続く者を何と表現すべきか。
小柄な全身甲冑。その鎧は魔王と同じく、大陸に類を見ない形状だ。
その所作は非人間的に滑らかであり、得体の知れない迫力がある。
更に後ろ。これはもう、尋常の風景ではない。
樽だ。4本脚の生えた、酒樽のようなモノたち。上蓋からは箒状の物が生える。
それが1000、2000、3000……際限なく5列縦隊で湧き出てくる。
整然と進む様は非生物的の極みだ。足音すらが揃っているのだから。
遠景には寒気すら覚えるその眺めだが、しかし、近景はその印象を困惑させる。
落書き、だろうか? 樽の側面に小さく文様が描かれている。
写実的な魚、抽象的な太陽、幾何学的図形、魔法文字、魔法陣、豹柄……
1体1体で違う。無地のものなどない。無茶苦茶だ。個性なのだろうか?
それら全てを確認することは無理だ。
彼らは際限なく出現する。既に8000体を超えた。止まらない。
既に先頭は神殿の出口へ至っているではないか。
ここは海底神殿。深海の地盤の、更に地下へと建築されている。
そこから出るとは、即ち、暴力的な水圧の世界へと身を晒すことだ。
光すら届かないその圧力の世界に、球形の巨大な何かが迫り出してきた。
金属で出来た立体魔法陣のような建造物。それこそは水中艦。
神聖エノク王国が遂にその仕組みを暴けずに封じた、古の魔導船だ。
船は行く。北へ航路を取って。
無数の小さな点がそれを追う。樽たちだ。脚から水流を噴射して進む。
後続に容赦ないその航行は列を乱す。船から遠ざかるほどに乱れは大きい。
ああ、しかし見よ、その遠景を。
箒星だ。
深海という暗闇を進むその一団は、魔力の燐光すら発し、長く長く伸びている。
流星だ。魔王という核を抱いて北上し浮上していく、それは流れ星なのだ。
星は進む、北へ。
魔王の帰還は見るものなき幻想の光景として、果たされるのだ。
絶大なる力を持つものの再臨。
それは大陸の平定を、乱世の静穏化を意味するだろうか。
悲しい哉、それは否だ。
魔王がかつてない水の属性力を纏い、率いて荒野に立たんとした正にその頃。
平原北部ではそれに優るとも劣らない力が発現していたのだ。
その属性力は、風。
アルフヘイム光国光都周辺は、今や現世界とは一線を画する光景となっていた。
吹く風の悉くに風霊の顔が、手が、羽が透けて見える。
下位のシュルフならともかく、中位アエレイ、上位ネニュファルの姿までも。
そこはもはや風の精霊界と言っても過言ではない。
光国とは、こういうものだったろうか?
その名の通り、光輝に満ちた理想郷を目指した国家ではなかったか。
諸種族の融和を掲げ、大自然の諸力に敬虔な国家ではなかったか。
風に護られ、風に苛まれるここは、まるで低気圧の中心だ。
対流する魔力は外界を拒絶している。支配的で高圧的だ。
不動の大嵐だ。弱き生物を薙ぎ倒し、省みることすらない世界だ。
大陸を俯瞰したとき、知るだろう。
既に大戦が始まっている。大きな2つの力が布陣しつつあるのだ。
魔王軍と光国。
荒野に3万対1人で行われ、魔王の消失をもって終わった対決など前哨戦だ。
次だ。次こそは両者の総力戦となって世界を震撼させるだろう。
しかもその内容は魔的であるに違いない。人間の戦争ですらないかもしれない。
光魔大戦。
後の歴史に知らぬものとてない未曾有の戦いは、こうして静かに始まりゆく。
現世界に留まらず、魔界や精霊界すらも座視できない大戦争。終わりの始まり。
その幕が徐々に、しかし確実に上がっていく。
◆ イリンメルEYES ◆
空き巣に入られた。
いや、こいつぁ、空き巣なんて生易しいもんじゃねぇ。
物盗るってレベルじゃねーぞ!?
ワッタシのダンジョン大攻略してんじゃねーわよぅ!
魔物全滅とか何なの? 揃えるのどんだけ大変だったかを知れ! そして死ね!
ドラゴンさんまで死んじゃってるじゃねーか!!
謝れ! しぶしぶ警備員してくれてたドラゴンさんに謝れぇぇぇええ!!
あと研究室とか何なの? 家捜しとかいう規模でなく空っぽなんですけど!
人造生命系の施設とかどーやって持ち出したん!? 強盗何人!?
培養プラントも空っぽ。
ワッタシの白ロリメイドちゃんで……誰かがあんなことこんなことしてたら……
殺す殺す殺す殺そう殺すこうおうs呼応こそルs頃クソ殺す殺す。
アルテイシアのお兄ちゃんもなかった。それはまあ、いいけど。
あ! あと雪風ちゃんと雷火ちゃんも無かった!
どんだけピンポイントでいいもん盗ってくんだよ畜生が!
ワッタシの萌え忍者が! 萌え忍者がああああああくそがあああああ!!
ありえない。ストレスがありえない。ストレスマッハで剥げ散らかりそう。
でも、不幸中の幸い。地獄に仏。
ワッタシの夢と浪漫溢るる「極楽階層」は手付かずだった。ビバ隠し階段。
地下61階から70階まで続く、ワッタシによるワッタシのための別天地。
お迎えありがとう、天使ちゃんたちいぃぃぃ!! チュウしようチュウしよう!
ワッタシの萌えを満たすべく創造された、100体を超える人造人間!
あひゃぁ……やっぱり自宅は落ち着くわぁ……涎垂らしても怒られないのがいい。
もう少し休んで、浪漫を満喫して、全てはそれから!
ワッタシはくじけないの、くじけないのがワッタシ。不屈のイリンメル。
ダンジョン再軍備してー、施設造り直してー、そしてそして!
ワッタシは禁断のレイヤー、和風カワイコちゃんを創る!!
デュフ、デュフフフフフ……あー、異世界来て良かった! ハーレム万歳!!
「お前には失望した」とか神様言ってた気もするけど、知ったことじゃねえええ!
日本では許されない、出来ないことをここでするんだ! それがワッタシの正義!
さ、まずはキャッキャウフフよぉん。もひょひょひょひょ!




