大魔王君臨編 第1話
◆ ランベラEYES ◆
あは、あはははは。
何なのこれ、何なのこれ。
私が泣いてるわよ。感動に打ち震えてるわよ。喜びに咽ってるわよ。
なーんだ……私ってきっと、この場に立ち会うために生きてきたのね。
心に凝固まったつまらない何もかもが、雲散霧消して、風が吹き抜けてる。
私の心って、こんなに広くて涼やかだったのね……久しく忘れてたわ。
何て誇らしいんだろう。素晴らしいんだろう。私が私で在ることが嬉しいなんて。
魔王の復活……いえ、降誕と言うべきかしら。
先触れのように現れたあの化物は、きっと世界すら滅ぼしかねない存在。
この場に飽和していた水の属性力を凌駕し、吹き飛ばすほどの水の邪霊ね。
それを一瞬で無力化してのけた火は……あれは『魔炎』。
マーマルの子が抱えてきて、シディーソに連れられていった、あの『魔炎』ね。
呪詛の神様みたいなそれが、まさか、魔王降誕の祝い火になるなんて……!
そして、魔王。
闇と、火と、そして水の属性力が循環する未知なる摂理の大魔力。
生命の躍動を感じさせる波動。万物を包み、育み、進ませようとする気配。
あの時感じた、圧倒的なまでの死の恐怖とは違う。
崇高な存在を前にした畏怖、畏敬、尊崇……そして愛慕。
屈服とか従属とか、そういうちっぽけなことじゃないのね。魔王軍って。
これはきっと感謝。自分らしく在ることを認可し、応援してくれることへの。
雄大で大らかで、広大で大いなる、そういう空気を吸うことなのね?
うん、私は魔王軍の人間になるわ。決めた決めた。
ガンドレットが言っていたことに納得だわ。さっぱりしちゃったら戻れない。
この「解放」を知った人間なら、誰だってもう……ってわけでもないか。
自分で自分を決められない人間には、辛いのかもね。
決めてもらいたいって奴はたくさんいるもの。
そういう奴に限って、文句ばっかりだったりするんだけどね。
あーあー。
班長も、ガンドレットも、ビオランテも、ジャンでさえ。
身動きもできないで震えちゃって……ま、私もそうだったけどさ。
あら、あれは?
小柄な全身鎧が歩いていくるわ。大陸で見るどの鎧とも似ていない形式。
兜の奥に揺らめく青い光……人間……ではないわね。あれも樽みたいな物?
手には大きな箱。その表面には上級魔法文字で「王」を意味する1字。
魔王の前に恭しく膝をつき、箱から取り出したのは不思議な服。
深い深い蒼色は黒へ透き通っていくようで……夜空の色ね。でもどういう作り?
魔王はそれをどこか懐かしむように着装していく。誂えたかのよう。
次いで取り出したのは、黒く厳かな鎧。
これも胸部や脛こそ見知った形だけど、肩や腰周りは独特でしなやかな造り。
小さい札をたくさん組み合わせたような……そもそも普通の素材でもなさそう。
最後に、深紅の外套。
金の縁が植物の文様を描いていて美しい。赤にも濃淡の細紋が品良く飾ってある。
この素材も凄そうね。揺らめくように火属性の魔力が立ち上ってるわ。
それはきっと、この深海に住まう未知の種族が用意しておいた献上品。
どれほどの時の果てに、この瞬間を迎えたのだろう。彼らは。
宝物を運び、着装を手伝ったモノも、この日のために造ったのでしょうね。
彼らの歓喜がこの空間を満たしている。
黒い水面はさざ波立っていて、まるで空から大群衆を見下ろしているみたいだわ。
今日この日は、彼らに約束された降誕祭なのかも。
魔王が1歩を踏み出した。
水面に触れるようなその1歩は、美しい波紋を生んだ。魔力の波動だわ。
また1歩、もう1歩。体重を感じさせないその歩みごとに広がる無数の波紋。
あれは……会話ね?
反響し無限の円を重ねていく1つ1つが、思索であり、交信であり、親和。
無言で行われる王と民との濃密な交流。高度に魔術的で、神秘的な政治の形。
え……っていうか、魔王、こっち来るんだけど!?
そ、そうよ、私は傍観者としてここに居るんじゃない。
謁見なのよ。拝謁なのよ。何か急に緊張してきたんだけど!
ジャンもガンドレットも跪いて頭を垂れてる。うん、それ、正解。
ビオランテは……あら意外。両膝をつき、手を組んで、真っ直ぐに魔王を見てる。
てっきり泣きべそかいてるかと思ったわ。根っこの強い子だったのねぇ。
でも、問答があるとしたら、やっぱり班長よね?
5人の代表だし、最強だし。あの闇エルフなら……って、おぉい!!
ちょ、何でへたり込んでるかな!? 何その蕩けた表情! そういう人だっけ!?
し、しっかりしなさいよっ。威儀ってのがあるでしょっ! せめて口閉じてっ!!
ああああ、駄目、駄目、間に合わないぃぃぃっ!
◆ アルバキンEYES ◆
いやはや、生まれ直したと思ったら……
のっけから色々あるなぁ、おい。盛り沢山だな。
まず、すげー種族が隠れてたもんだよ。
偉大なるハイパーイースだっけか。こいつら。偉大でハイパーとか累乗だよね。
水属性の生物としては最強クラスだな。群体だと魔力が精霊王超えてるよ。
あと言語。
魔法詠唱が会話になってると言うか。漢文と古文と現代語が混在というか。
ぶっちゃけ、日本語だよね? しかも色々と残念な日本語だよね!
例えばさ、さっきの水面徒歩中もさ……
「いと嬉しぃぃぃいいいいい!! 是本懐也ぃぃぃぃいいい!!」
「我驚嘆す我驚嘆す。至急頬抓り乞う。頬抓り強め乞う。我驚嘆す」
「マジ燕雀寄り集まって鴻鵠の志に触れてるんですけど。いと感動なんですけど」
「てか先刻の蛙何なの? 空気読むことを欲す。水属性の品位あらまほし!」
「同意超同意。大王御前超歓喜会場。蛙居場所皆無。超皆無」
「大王、今我の頭上なんですけども! 嬉しや! 頭上なんですけども! 嬉しや!」
テンション高いよね!
物凄くテンション高い奴らだよね。ハイパーだからね。色々台無しだよね。
でも贈り物は超嬉しや。我歓喜なんですけども。いと裸だったからね。
まず和服だってのに驚いた。高いよね、着物。
水属性が半端ないし。これ多分、反物を織る段階で相当魔力使ってる。
軽く分析しただけでも……
生気・星気自動回復、水属性加護、病毒遮断、などが付加されてるよ。
んで、鎧が戦国武将的でまた驚いた。
当世具足……しかも南蛮胴具足って奴だよな、これ。超カッコいいんですけど。
金属もやばい。闇属性が極めて強い。普通の奴が装備したら死ぬんじゃないか?
付加魔法は軽量化とか硬化とか、普通っぽいな。闇属性加護も勿論ついてる。
最後はマント。
これ……凄い純度の魔法物質だわ。魔呪の金糸で何某かの炎を封印したものか?
痛々しい残滓もある。これの作成過程でかなり死んだろ? 無茶しやがって……
でまぁ、パンツも無しで全部装備してみたわけだが。勧められるままに。
この装いはさぁ……一言で言うとさぁ……うん、彼だよね。
織田信長だよね!?
どこぞの第六天魔王だよ、これは。物凄く悪偉そうだよ!
ハイパーイースってどういう種族だよ。そういう世界の生き残りか何かか?
言語といい、この甲冑といい、この世界的に文化が規格外過ぎねーか?
そうそう、あとコイツだよ。甲冑持ってきた甲冑人形。
これって中にハイパーが何体か入って動かしてる。ロボットみたくもある。
水生のあいつ等からしたら、潜水服ならぬ潜気服ってとこなのか?
これも凄い技術だ。指とか実に繊細に動く。蝶結び余裕レベル。
うちの技術陣が放っておかない気がするなぁ……危険な香りがするなぁ。
こいつら、ついてくる気がするし。凄くするし。
とにかくクリリンだな!
クリリンと相談しなきゃならん。色々と。そりゃもう色々と。
今までみたいに魔法の研究だけってわけにはいかない。それじゃ駄目なんだ。
これまでのアルバキンは、19999999人の死者の代表だった。
動く死人だったんだ。赫怒すら超えて、アイツを滅ぼす為だけに駆動する機構。
でも、それじゃ半分なんだ。足りない。届かないんだ。アイツに勝てない。
生きなくちゃならない。
生きる喜びと苦しみとから目を背けていては、生まれた責任を果たせないんだ。
アルバキンとしての生を受け止めなくちゃ、もう1歩が踏み出せないと知った。
俺は、とりあえず飯を食うところから始めようと思ってる。
それはきっと、生き物としての第1歩のはずだ。
赤子が母乳を吸う、その「始まりの生」にすら俺は届いていないんだ。
全てはそこからだ。アルバキンの人生をそこからスタートさせるんだ。
まあ、身体的な第1歩は水面の上で、しかも色々と賑やかだったけどな。
この世界に生まれるのも二度目ともなると面白いもんだ。
今思えば、随分と寂しい誕生だったよな、ダンジョンの樽ん中は。
ともあれ。
今、俺の目の前には5人の人間がいる。
ハイパーに言わせりゃ、俺の登場を告げる闇の使徒とのことだ。
「闇の使徒」ねぇ……要はクリリン辺りの手筈によるお迎えだろ?
「待たせたようだな」
ここは深海の底らしいし、とっとと帰るとしよう。
前のときは、ドラゴンを倒し、迷宮を抜け、森を越えた。
今回は、化け蛙を吸収し、海を渡る……途中に迷宮とかあるのか?
ま、大丈夫。油断はしないさ。二の轍は踏まない。
俺はもう振り返らない。そんな贅沢な時間は、やるべきことをやってからだ。
しっかりと生きて、そして堂々と死んでみせる。
見ててくれ……母さん。
◆ ジャンEYES ◆
「待たせたようだな」
これが魔王の声か。
俺としたことが、思わず泣きそうになる。
何故だ……この響きは、父に、友に、姉にすら似る。俺の魂を揺さぶる。
クリストフとして生きた俺は死んだ。
今この神話の瞬間に臨んでいるのは、ジャンという俺だ。
「誰かたち」の魂を継ぎ、魔王軍に砥がれた一振りの剣だ。
その剣たる俺が、涙を堪えている。
魔王の全てが俺を熱し、打ち、雌伏の時の終わりを告げている。
魂を燃やせと、立ち上がれと、雄飛せよと突き動かす。
込み上げる衝動が、遂に溢れた。
「魔王よ、絶対なる者よ。問うても良いだろうか?」
全身全霊を込めて、顔を上げる。許可なき行為。
だが、人の決めた小さな約束事を遵守したからといって、それで安寧できるか?
無理だ。魔王とは全ての摂理を睥睨する立場にある。逃げ場などない。
何という姿なのか、魔王とは。
動揺する心を必死で制御する。父が友が姉が……俺の失った全てがそこに在る。
尊い。何と尊い姿なんだ。在り難い、とはこういうことか。胸が熱い。
「俺は貴方の剣としてここに在る。貴方の敵とは何れに在るのか」
「この世界には見当たらないが」
おお……これこそは魔王の言葉!
自らを討ったと称する光国も、その背後にいるあの女、エルフ女王ですら。
敵ではないのか。敵として眼中に在ることを許されていないのか。
「どこへ……征かれるのか」
「この先だ。先でなくてどうする。お前はここに残るつもりなのか?」
未だ見ぬ何かへ、何処かへ、先端へ、行く末の先へ。
魔王の征旅とは何と遠大なのか……かくも絶対的でありながら、革新者なのだ。
そして、俺が後に続くことを認めている。喜びだ。俺も先へ征けるのか!
「我が身命の全てをもって、その旅路に付き従います」
「好きにしろ」
ここに魔王との契約は成された。
「誰かたち」よ、俺は進むぞ。
この大いなる存在を仰ぎ、誇り高く雄々しくな!
◆ ガンドレットEYES ◆
ジャンめが抜け駆けしおった。
いかに鋼鉄の不動心たるドワーフと言えども、動揺しておったわぃ。
このまたとない機会、ワシとて黙っている気はないのじゃ。
「魔王様、ご尊顔を仰ぐのは二度目となり申す」
「ドワーフ……あの女の軍か」
「左様でござる。今は軍を抜け、魔王軍の末席を暖めており申す」
ワシは一度魔王様に刃を向けた。その事実は消せん。
敵を滅ぼすことに躊躇無く猛烈な御方じゃ。場合によってはここが死に場所かの。
だが、同時に武の御方でもある。ワシはこの場で禊がねばならん。
「よく生き残ったものだ」
「妹様にもそう言われ申した。幸運の老骨を御裁定をいただけましょうか?」
「マグと会って生きているか。ならば生きるといい」
お認めくださったか……!
年甲斐も無く、目頭が熱くなるものがあるの。
「キカオクベシ」と、不思議な文言も添えられた。魔術的なものかのぅ?
これでワシは、最初の1人となったわけじゃな。
魔王軍に参加し、魔王様の言葉を戴いた、最初のドワーフ……誇らしいのぅ。
部族の連中に語って聞かせたいくらいじゃ。大酒を喰らいながらの。
……一度、山岳へ戻るかのぅ。
あそこは外界の情報がよく聞こえてこない土地じゃ。
ワシは、最初の1人として、今日という日の神話を伝道する義務があるやもしれん。
選択肢をつきつけるのではない。魔王様を知る機会を与えなければならんのじゃ。
魔王様は何も決め付けん。
全ては向き合う側次第じゃ。その意味を、尊さを知らねばならん。
使命じゃな。ワシは今、自らの使命を自覚したぞ。
◆ ビオランテEYES ◆
魔王様が、いるです。目の前に。
綺麗です。大きいです。吸い込まれそうです。でも慣れてます。
これは、神と向き合う心持ちなのです。敬虔なる勇気が必要なのです。
大いなる存在を前にしたとき、下らないものは全部消えるです。
魂だけがそこに現れるです。それは人の真価なのです。
祈るとは、そういうことです。私はいつもそうしてきました。
「お前も何か問いたいのか?」
「はい、魔王様。どうしてもお尋ねしたいことがありましゅ」
「ありましゅ」
か、噛みましたあああぁぁぁ!!
なしてっ、なしてっ、ここで噛むとかないでっちゃ!?
あわわ、落ち着くです落ち着くです、どうしたら落ち着くです!?
「ありましゅ」
あ、カチンときたです。
魔王様、表情こそ凛々しくて優しげで深く遠い星空のようで……
でも肩がプルプル震えてるです。ひ、ひどいです。
「あ、あります!」
「そうでしゅか」
「ほわちゃああああああ!!」
お、思わず立ち上がっちゃいました。だって意地悪です!
真面目な顔しておちょくってくるとか、神父様とそっくりです!
魔王様なのに神父様みたいとかどういうことです!?
「悪い悪い、ついな」
頭をポンポンされました……ふにゃあ、気持ちいいです。
お父さんの手みたいです。優しくていつも微笑んでいたお父さん。大好き。
私を養うために戦場へ出て、死んじゃったお父さん。お父さん。お父さん。
「泣くほどか。女は度胸って言うぞ? ほら、いい子だから」
「お母さんと同じこと言うですね、魔王様。女は度胸」
「強く在ろうとする言葉は素敵だろ? 誰だって弱いんだから」
あう……涙が止まりませんです。
だってそれ、私が聞きたかったことの、答えになっているから。
ずるいです。流石は魔王様です。お見通しなんですね。
私が絶対的強者である魔王様に尋ねたかったこと。
どうしてそんなに強いのか。どうしたら強くなれるのか。強さとは何か。
その答えは……「誰しも弱い。だから強く在ろうとし続けねばならない」。
そういうことなのですね。魔王様すら、そうなのですね?
本当の強さって、そういうことなのですね? 才能ではないのですね?
不断の努力で目指すものが「強さ」ということ。
目指し続けるその姿勢が「強い」ということ。
お父さん、お母さん、ビオランテは今強いですか?
貴方たちに愛された私は、貴方たちの願い通りに、強く在れていますか?
私は、貴方たちの生きた証だから、もっともっと、強く在りたいのです。
涙が止まりません。
戦死の知らせを聞いたときに流さないと決めた涙が、どんどん出ますです。
魔王様が軽く抱き寄せてくれました。うう……もっと泣けます。暖かいです。
私は、魔王様と生きたいです。
魔王様に頼りたいんじゃないのです。
見てて欲しいんです。今はこんな泣き虫の私だけど、きっと強くなるから。
強く在れたとき、その姿を見て欲しいんです。
お父さんとお母さんの愛してくれた私が、強く世界に在る姿を……見て?
その為なら私、何でも頑張れます。お願いします。頑張りますから。




