マサク・マヴディル編 第3話
◆ アルバキンEYES ◆
1歩、また1歩。
慣れっては恐ろしいもんだ。もう随分と歩いちまった。
義務と責任の右足。願望と期待の左足。交互に繰り返す。
ニオの歌声を呼吸しながら、俺はどこまで行くのか。
黒い炎の回廊……何かへの参道……いや、産道ってことすらあり得るか?
この先にあるのは、俺が魔王アルバキンとして在った世界か。
俺は、アルバキンだ。
ニノザはああ言ったが、日本に戻る気なんてない。
義務と責任の上でもあり得ないし、願望としても皆無だ。
遠くなり過ぎたよ、あの池袋は。幸せであったと懐古できるものでもないが。
……俺は、有馬勤は、何を思って逃げたんだっけ?
蟲毒の罠に……拒否もできたはずのアレに引っかかった理由はなんだっけ?
どうして現実を直視しないでいたんだっけか? 世界を捨てちまえる程に。
どうでもいい……ことでは、ないな。
自分のルーツを知ることは極めて重要だ。
自分に興味を持たない人間が、どうして自分を解き明かし、進めていける?
ニノザの奴は知っていたっぽいな。
あいつと俺との差が、そのまま有馬勤とアルバキンとの差である気がする。
時間と共にこの差は広がり続けるだろう……再会なんてあり得るのか?
外の知は広範に、内の知は深奥に、か。
今は世界への復帰が最優先だし、その後はアイツへの復讐が最重要。
でも、それらが全部果たされたなら……その時は、内面への道を歩もう。
「屑箱」はきっと誰の心の内にもある。
自分が自分であるために捨て去り、忘れ去った諸々の何かの行き着く先。
そこへ潜ろう。暗い鏡に独り向き合うように、静かに読もう。自分を。
これも願望だよな。
自分の為に、自分の時間を使いたい……贅沢なことを考えるようになったぜ。
慣れってのは本当に恐ろしい。浅ましい。痴がましい。
……ごめん、ニオ。
そうだよな。俺の幸せをそんなに願ってくれてんだもんな。
自虐すりゃ許されるってもんでもないし、な。
さて、先を急ごう。
コツは掴んだんだ。ある程度は浅ましく行こうじゃないか、なぁ、蛙。
生きるってのはそもそもそーゆーもんだろ。ゲコゲコじゃねーよ。
どう足掻いたって許される身じゃないんだ……停滞だけは絶対駄目だ。
よー、蛙よ。悪いがお前も飲み込ませてもらうぞ?
おめーの正体も大体見極めた。化けモンの切れ端だ、おめーは。
この道を一緒に来た以上、どちらかでしか在れないからな。喰らわせてくれ。
進もう、全部背負って。飲み込んで。
咎をも糧にする自分を認めて。そんな自分の幸せをすら追い求めて。
魔王ってなアレだろ?
どんな時でも不敵な笑みを浮かべてるモンだ。
楽しかないが、笑って征くぞ。
それくらいの見得を切らなきゃな!
他の誰にでもなく……ニオにさ?
こんなに愛してくれてるんだ。カッコつける義務もあろうってもんだぜ。
◆ ガンドレットEYES ◆
正直、冗談ではないのぅ。
ドワーフは泳げんのじゃ。鰓もなければ鰭もないからの。
それが……この天井の先には海があるかと思うと……し、尻が痒くて堪らんぞぃ。
「ふっ、まるで新兵のようだぞ。歴戦の将たる身が泣こう」
軽口を叩きよるわ、ジャンめ。
「水中呼吸機能」があるとかぬかしておったが……ヒュームか?
「余計なお世話じゃ。水の恐ろしさも知らんで将が勤まるか」
「ほう、金言頂戴しよう」
「優しそうに見えて殺傷力は火と変わらん。油断させる分だけ性質が悪いじゃろが」
「ふむ……軍律のことか。火の法と水の法。法治全般に通ずる話だな」
鋭い目つきじゃ。
戦闘中の方が、興奮や愉悦が混じる分、幾分柔らかいの。
「お主は政治経験があったようじゃの?」
「それなりに、な……」
「詮索はせんがの。お主の『各種機能』とやらの方がよっぽど謎じゃしな」
「俺が望んでつけたものではないが……便利といえば、便利」
魔王軍の技術力と言うべきか、狂気と言うべきか。
役にはたつがの。ここ海底神殿へ来る際も、その機能とやらで助かった。
古代遺跡の最下層にあった水中艦。
船というだけで恐ろしいのに、水中を行くための船などという狂気の遺物じゃ。
魔術的な運用方法じゃったが、問題はその出港方法。
誰かが残って、壁開放の桿を操作せねばならん……と思えば。
こいつ、腕が伸びよった。こう、みょおんっと。
単純にして奇怪な機能よの。あの班長殿がギョッとしておったくらいじゃ。
うむ、班長殿。あれは傑物じゃの。
遠目にみた魔王様とどこか通ずるものがある。
表面に見える冷静と、奥に秘めた徹底的な破壊衝動……鞘入る刀剣の威。
あの化物巻貝との対決の際に見せた術。あれは召喚術じゃな。
聞いたことがある。暗黒魔法には魔物を使役する秘術があるとか。
最初のは大刀を持つ骨の手が幾つか見えたの。
次のは、身をくねらせる魚の如きものがチラと覗けた。
最後のは、団子虫のようなものじゃな。ワシも丸齧りされそうな巨大さじゃが。
全て、元素系の力ではなく、物理的な力で障害を討ち砕いておるの。
思えば攻撃魔法にもそういった傾向があるかのぉ。
果断の御人、じゃの。魔術師というよりは剣士の発想じゃ。
……ふむ。
やはり罠はない。ビオランテも大人しいものだしの。
ここは文字通りの神殿か。何を祀ってのものかは知れんが。
だからか、のぅ。
それとも海の底だからなのか……ううむ?
「き、綺麗すぎませんか? ここ……」
「ワシも言おうと思ってたとこじゃ、ビオランテ。掃除されとるかもしれん」
「え、えええ!?」
水を打ち、掃き清めた節がある。
神聖なる場所には当前の行為じゃな。ここが海底であることを除けば、の。
「ここって水霊系の魔力が飽和状態なのよね……感知は無理よ?」
ランベラも探ってはいたようじゃの。優秀な魔術師じゃ。
魔王軍においては客人ということでが、積極的ではないがの。よく気がつく。
班長殿は……ふむ、何やら耳を澄ませとる。
或いは風霊系の魔法も使っているかもしれんの。音は風じゃ。
暗黒魔法の使い手にして元素魔法も使う。そういう所も魔王様に似とるのぅ。
「右手の通路の奥、何か動くものの音がする。こちらへ来る。伏せよう」
柱の影、別の通路へ曲がったところなど、各自で隠れる。
しばらくして姿を現したのは……何とも珍妙な……生物とも言えぬ様の……樽?
滑らかな無機物でできた酒樽に、ワシの親指のような丸っこい脚が4本。
上面からは箒が逆向きに生えとる。あれは……触手的なモノかの?
全体としては、ドワーフの幼児が工作した磯巾着もどき、かのぉ。
ノソノソと歩ってきて、箒的なモノをぬるっと伸ばして……掃除しとる。
これは……どうしたもんかのぅ?
班長殿も難しい顔をしとるわぃ。襲う……のも、どうかと思うしの。
そもそもあれ、生物かどうかもわからんぞぃ。
「もし……少し、よろしいか?」
おお、班長殿が動いた! 通常の言語の他に、魔法言語も織り交ぜとるの。
急に襲われても例の術もあるし……ううむ、何とも間抜けに見えてしまうぞぃ。
酒樽箒に真剣に話しかける闇エルフ。笑うまい。笑うまいぞ。
樽は、何と、震えておる!
タプンタプンと水音がする。やはり何か液体がつまっとるのか?
「我々は魔王軍の者だ。この神殿の奥において、魔王を迎えるべく参上した」
ひと際大きく樽が揺れた。驚いた……のか?
箒が痙攣しつつ伸びる伸びる。何というか……感情表現豊かな樽じゃの。
話は通じとるようじゃな。
ん? おお?
箒が独りでに濡れた。それを筆先にして、床に字を書きよる!
これは……魔法文字じゃのぅ……ワシら肉弾戦派には厳しいの。
うむ、よし、ジャンも困惑顔じゃ。仕方のないことだて、落ち込んではいかんぞぃ。
「案内するそうだ。警戒は怠らず、後を追う」
班長殿はわかったようじゃ。ランベラもか。ビオランテは……こっち側じゃの。
何、集団行動とは役割分担が大切なのじゃ。班長殿が分かれば、良い良い。
では行くかの!
◆ ディヤーナEYES ◆
驚いた……まさか上級魔法文字とは。
全部は理解できなかった。意味合いとしては間違っていないと思うが。
魔界文書で読んだことがある。
深海の魔境「厭の底」には偉大なる種族が独自の文明を営むという。
霊妙不可解にして魔道の奥義を秘匿する……ハイパーイース族。
彼ら……なのだろうか?
前方を歩く奇妙な物体は、恐らく乗り物の一種だ。
内部の液体、もしくは液体に潜むものが本体。強い水の属性力を放っている。
案内されたのは円蓋の大空間だ。
床があるのは手前だけで、水面が波1つなく広がっている。底は見えない。
正面の奥には門がある。大きい。ドラゴンでも出てきそうな、荘厳な大門だ。
ここが終着点であるようだ。
床に水で字が書かれる。
《是……越界御門……如何…也》
……やはり全部は解読できない。だが、何か重要な門ではあるようだ。
或いは、この門こそが魔王の出現する場所なのだろうか?
「ここで待たせてもらってもよいだろうか?」
これより先がない以上、やはりここが終着点だ。
後は待つより他にどうしようもない。
参謀殿もそれをお望みなのだろう。
思い思いに、その場に腰を落ち着ける。
格式ばって長時間を待つ必要もないだろう。警戒を怠らず、身体を休める。
奇妙なる乗り物も去った。それが軍勢を引き連れてきても対応できるように。
今は休みつつ……待機する。それが最善だ。
「誰1人欠けることなく到着したこと、まずは祝着だな」
「そうですよね! わ、私とか、本当に足手まといで……」
「あら、役に立ってたわよぉ? 危険探知機ですものね」
「そっ、それはっ」
「わっはっは! 良い班だとワシは思っとるぞ。采配の妙じゃて!」
緊張の糸を少し緩める。班員たちの雑談は半ば意図的だ。
1週間ではきかない……2週間、或いは3週間近くかかったか。ここまで。
参謀殿にいただいた霊薬を使いつつの探索行は、時間感覚が曖昧になる。
各員の戦力は優秀だった。
総合力ではウチが群を抜いているが、それぞれの特技が上手く活かされた。
采配の妙……恐らく、ウチの戦力を最長時間維持するための班員配置。
召喚術は消耗が大きく、濫用できない。暴走の恐れもある。
その切り札をなるべく使わずに来れたのは、班員が優れていたからだ。
まだ油断はできないが……しかし。
ウチたち5人は、ここに魔王へ面会する資格を得たのだろうか?
絶対的強者にして、あの恐るべき魔将を複数臣下とする魔導の大王に。
会えるのだろうか。一撃で万を超える軍勢を滅ぼす、その畏怖すべき存在に。
この中で、遠目にでも魔王を見たことがあるのは、ガンドレットだけだ。
彼の話に聞く魔王は……余りにも凄まじい。
大軍を率いる光主なる光の英雄に対し、単身で相対し、自らの剣すら預ける度量。
不意打ちをものともせず、敵対する全てに対して恐怖を与えずにおかない魔力。
その結末も謎だ。ガンドレットも全てを見たわけではないとのことだが。
ただ……この世の終わりを感じた、と語った。
個人の死生観すらを越えて、世界の終末を覚えさせる力……破滅の現人神。
それが、一方では無垢なる者たちの親愛を集める。敬慕され、景仰される。
虐げられ、踏みにじられた者たちに誇りを、自信を、勇気を与えている。
魔王。
在り方を問う絶対存在。
その面識を得た時、ウチはどうなる? どう変わる? どう在り得る?
魔王……ウチは貴方に会いたくて、ここに来たんだ。
◇ WORLD・EYES ◇
存在を秘された深海の、その最底に沈み眠る海底神殿。
現世界において最も『深淵』に近い、その場所で。
今、1つの礼拝が成就しようとしていた。
5人の巡礼者が、黒く凪いだ水面で隔てられ、巨大な門扉に向き合っている。
種族も、性別も、装備もバラバラの5人は、しかし1つのことが共通している。
祈り、だ。
一様に表情は緊張している。
まるで眼差しで門を開けようとでもするかのように……作法も無く、呟きも無く。
祈っている。現れようとする何かに、自らの存在の全てを賭けて、祈る。
門からは魔力が溢れ出し、その大空間を満たすどころか圧迫しているのに。
微動だにせず、祈る。何故? 何を望んで? 何を目的として?
音を、聴くためだ。
絶対なるその何者かに、自分の全身全霊を叩きつけたい。
在り様をぶつけ、響きかえるその音色を聴きたい。確かめたい。存在の音を。
答えを与えてほしいのとは違う。試したい。自分にしか鳴らせない、その音を。
だから祈る。
既に禊ぎは済んだ。彼らの身は修羅に洗われ、霊薬で潔斎し、自問も終えた。
祈る。後は対面を待つばかりだ。その為にここへ来たのだから。
おお、見よ!
待つのは彼らばかりではない。水面は、水面に見えたものは、群集だ!
波ではなく無数の手が、泡ではなく無数の口が、煌くような無数の眼が。
形無き踊りで、声無き歌で、この予言の日の到来を歓喜している!
彼らこそは偉大なるハイパーイース。
個にして全、全にして個なる英知の魔力生命体。
海底神殿の守護者にして礼拝者、そして特等席で降臨を待ち続けた者たちだ。
「闇の子来る時、門は開き、越界の大王が降臨するだろう」
ハイパーイース族に伝わる予言だ。
魔界がまだ世界の中心だった頃、1枚の海草に刻まれ、それも大海に消えた。
それを知るものなど、多世界においても、たった1人のみ。
魔界図書館の全てを識る魔将、クヴィク・リスリィ。彼がいるきりだ。
おお、門が開く!
煙るような、質感すら伴う大魔力。
その魔力に耐えかねたように、門扉が開いていく。
押しのけるようにして現れたのは……おぞましき化物だ!
ドラゴン……ではない。
筆舌し難い色合いと質感の、巨大なる4足の身体。尻尾は無い。
顔が……いや、顎が異様なまでに大きく、その癖、牙の1つも見えない。
何よりも、その円らなる目!
感情もなく平坦平穏に、純粋無垢に、破壊欲だけが満ち満ちている!
この化物の前には世界など単一の破壊対象でしかないだろう。
これか?
これが待ちに望まれた存在なのか!?
無論、否! 否だ!!
黒い炎が立ち昇った。
音も無く、風も無く、ただ猛勢をもって化物を包み込む。
化物の内部からも噴出してくるのか、この熱の無い大火は。
誰が知ろう、これこそは魔炎疾風。
かつて「塵の森」にその威力を見せ付けた、まさにあの黒炎ではないか!
苦悶の鳴き声の1つとてなく、化物は消滅した。
いや、変化した? 違う……吸収されたのだ。その力の全てを、彼に。
1人の男が、立っていた。
夜闇を髪に撫で付けて長く垂らし、双眸は月光の如く燐光を発して静穏。
顔立ちは不思議だ。誰でもないと同時に、誰でもあるようで……親しく尊い。
そして美しい。唯一無二の美しさだ。それは、そう……絶界の美貌。
永劫を感じさせる白色の肌を、黒い炎が包んでいる。
慈しみ、撫で愛でるようなそれは、まるで産着のようだ。
一糸纏わぬ彼は今ここに誕生でもしたものか。魔炎が彼を寿いでいる。
やがて、炎は消えゆく。
最後の瞬間まで、火の欠片すら彼の身に触れ、祝福しながら。
「母さん」と呟いた彼の言葉は、誰の耳にも届かなかったろう。
彼は涙を流していた。炎を見送る、その静かで美しい煌き。
約束は果たされた。
予言は時を迎えた。
願いは成就した。
魔王アルバキンは、ここに再び、誕生したのである。




