ドラゴン討伐編 第3話
◆ ドラゴンEYES ◆
退屈であった。
最後に暴れたのは200年以上も昔だ。
下位ドラゴンの運命とはいえ、このような雌伏は好かない性分である。
ダンジョン59階における守護鎮座。
この契約期間はまだ300年以上残っている。
初めに大量の魔力結晶を供物として頂戴した。
期間中も、鎮座するこの場所へは、地上やダンジョンから滔々と魔力が流れ落ちてくる。
例え侵入者を喰らわなくとも、その魔力を吸い続けることで中位への進化が可能だ。
それはわかっているのだが……いかにも暇である。
竜族の中でも短気の方なのだ。
一方で好奇心旺盛でもあるから、地上がいささか気になった。
詳しくはわからないし、小さき者どもの歴史など泡のように虚しいが。
風雲急を告げようとする大陸の有り様に、少なからぬ関心を抱いているのだ。
くすぶるような今日、この日。
侵入者は思わぬ場所から現れた。背後である。
雇用主の魔術師だろうか。いや違う。
マスター・アミュレットもなければ、あの者のように圧倒的な魔力もなく、種族も違う。
つまりは敵だ。
それを裏付けるように、その者の背後から2匹の魔物が躍り出た。
雷雲の獅子と炎の虎。
天井近くまで飛び上がったそれらは、雷撃と火線とを雨のように降らせてきた。
我は巨体であるから、避けることもできない。
いや、避ける必要もない。実にこそばゆい攻撃だった。
必殺のブレスを放つこともなく、ゆっくりと体勢を整える。
楽しい戦いの時間である。
魔術師はと見れば、いつの間に敷設したものか、防御魔法陣の中で息を潜めている。
いつでも殺せる。ならばまだ殺すまい。
小気味よく飛翔・攻撃してくる2匹に対し、まずは尾の一撃をお見舞いした。
轟き唸る打撃が2匹をかすめる。
感触はあまり無かった。非実体系の魔物か。しかし無傷ということもない。
稀なる機会だ、もう何振りかした後に、ブレスで吹き飛ばしてくれよう。
衝撃。
思わず周囲を見渡した。突然、視界が赤黒く染まった気がしたのだ。
これは……魔力だ! 何という不浄の気配であることか!
先の魔術師ではない。そ奴は今や本性を現して浮いている。ふん、魔将か!
……が、しかし、この魔力は魔将のものではない!?
見つけた!
いつの間にいたのか、広間の片隅で、これも何故か敷設済みの魔法陣に魔力を注いでいる。
こ、これは……何と大きい……もはや止められない。
これは高位召喚術!!
広間は俄かに沼へと変貌した。
違う、まさかこれは……「古代粘菌王」か!!
まずいぞ、既に逃れようもなくまとわりつかれている。
我が鱗の隙間に染み込み、恐るべき強酸が肉を焼く!
おのれぇ!
まずは召喚者を焼き捨てて……何ぃっ、い、いない!?
≪魔力隠蔽≫だと!? 馬鹿な! このスライム王を片手間に使役できるとでも……違う!
こ、これは契約のための召喚ではないか!!
未契約のままに放置したか、この災厄とも言うべきスライム王を!!!
おのれええぇえぇぇえ!!!
◆ アルバキンEYES ◆
よーしよし、いい子だ。いい感じだ。
59階は今や怪獣大戦争の様相を呈している。すげーすげー。
俺は現在、60階に続く階段まで下がって待機中だ。
59階の様子は、使い魔・雷火を潜ませて、視覚を共有することで観戦している。
あそこにいたら、焼けるか溶けるかしちゃうからね。
うーん、すげー迫力だ。何かドラゴンがどったんばったんしてる。
ブレスで焼き払いたいだろうが、足元に召喚してやったからな。
焼くのと溶かすのとの大消耗戦だ。ざまぁ。
このまま共倒れしてくれると一番安全に終わるんだが。
ま、ドラゴンが勝つだろうな。
相性と状況でもって接戦中だが、基本的な実力差がある。
かなりのダメージと疲労は期待できるが、まぁ、それだけの話だ。
現在、数珠は20個中8個が灯っている。
目眩ましの結界で1個分、獅子と虎の積極攻勢で2個分を消費した。
そして化け物スライムの召喚で9個分もの魔力を消費してしまった。
回復しないといけない。
止めの一撃には、恐らく丸ごと8個分の魔力が必要になる。
そこへ至るまでにも幾つか魔法を使うから、このままじゃマイナスだ。失神しちまう。
すーーーーーーっはーーーーーーーーーー。
すーーーーーーっはーーーーーーーーーー。
◆ クヴィク・リスリィEYES ◆
暗い階段の壁を背に、アルバキン様が黙想を為さっています。
大器でいらっしゃるが発展途上でもある主にとって、この戦いはいささか荷が重い。
密閉空間でのドラゴンとの近接戦闘。
魔術師にとっては死刑宣告と言ってもいい状況なのですから。
それにしても……先の戦術は心が躍りました。
私を囮とし、下僕も囮とし、更には私の真の姿すら時間稼ぎの一助として、魔法陣敷設。
素晴らしく狡猾です。
しかも、私は2度もブレスにさらされかねない危機がありました。
勿論、魔将たる私はドラゴンに勝てないまでも、そう容易く滅ぼされたりもしませんが。
それにしたって冷酷です。素晴らしい。
現在大暴れしている「古代粘菌王」。
あれはドラゴンの幼生体を何匹も餌食としており、魔界でも危険な魔物とされています。
個体数は少ないのですが、何しろ粘菌ですから、欠片でも残ればすぐにまた増殖します。
知性も皆無のため、アレを召喚する魔術師など聞いたことがありません。
それをまさか、ある種の兵器または罠のように用いるとは……物凄まじい発想です!
ふふふ……あのドラゴンの怒号ときたら、もう。
さて、と。
そろそろ第二幕の始まりでしょうか。
もはや詐術の通じない次幕では、私の出番はありません。
主の切り札は、闇属性の上級攻撃魔法《虚数封殺》。
極細の1点に高重力圧縮体を形成し、周囲の空間ごと消滅させるという強力な魔法です。
範囲を強固に確定しなければ術者をも巻き込みかねず、魔方陣は必須条件となります。
ですから、身動きのできない相手の処刑や、頑強な器物の破壊などで用いられる魔法です。
威力としては十分でしょう。
しかし相手は怒り狂う手負いのドラゴン。
ふっふふ。
この緊張と高揚!
私は主の切り開く一々に、今までに無い充足を感じ続けているのです!
◆ アルバキンEYES ◆
階段を1段1段、ゆっくりと登っていく。
舞台は整ったんだ。
後は大きいのを1発くれてやるだけだ。
雷火を通じて状況は見えている。
ドラゴンは予想以上にボロボロで、あちこち鱗が剥げてやがる。
粘りに定評のあるスライムさんの粘着で、脚部の傷はかなりのものだ。
あと1発だ。
皆、見てるか?
俺たちは皆して馬鹿だったかもしれないが、あんな目に遭う謂れはなかったよな?
ちゃんとしてなかったかもしれない。
甘ったれてたかもしれない。
けど、誰かを傷つけて喜ぶような人間じゃあ、なかった。なかったんだ!
俺は皆だ。
アルバキンというエルフは、俺たちの憤怒が人型をとっているに過ぎない。
150年以上を経て、
この世界に産まれようとしている俺という魔術師は、
たった1人にして、
2000万人からなる復讐戦団だ!
さぁ、行くぞ……1世紀半の練磨をここに結実させてやる。
アイツを滅ぼす、最初の1歩を踏み出すんだ!
◆ 雷火EYES ◆
現状確認。
魔力リンク、戦闘モード。データリンク、戦術情報共有スタイル。
アイ・ハブ・コントロール。
積極レーダーに反応、敵味方識別、敵。脅威度A。
マスターアーム、オン。
ハーロー、ドラゴン。
こちらアルバキン様の守護剣ナンバー2、雷火でぇぃす。
これより状況を開始しまぁす。
◆ アルバキンEYES ◆
「《影分身》」
十数体の幻影を散開させて、次の詠唱に入る。
この広間は酷く暑い。
スライムたんを焼き尽くす時に加減を誤ったな、このトカゲ野郎。
グワアアォオオオオオオオオ!!!
来る! 1発火葬の大ブレスが!
「《重力変化》」
ふっううっ!?
自分でやっといて何だが、死ねるな、このGは!
自分を高重力で射出した。ドラゴンの頭上にまで跳んだぞ!
この高速移動だ、奴め、まだブレス吐いてやがる。
もう1発、同じの詠唱だ……!
気づかれた!
いや、大丈夫だ、同時に飛び上がった雪風と雷火が上手く陽動している!
行ける!
「《重力変化》」
トン単位で加重した槍だ、突き刺されぇえぇぇえ!!
ズブリ、ズブ、ズブブブブ……
肩から入った、もらった!
展開しろ! 陣槍!
よし!
雪風、雷火、陽動しろ!
後は時間との勝負d「げふぉぅっ!?」
ど、ドラゴンって殴るのかよ……まずい、これ内臓破裂してねーだろうな……
ぶつけて肩も折れたな。
いや、むしろ凄いな。凄いよこれは。
イリンメルさん、この鎧、ドラゴンの爪も通さねーぜ!!
「穿粛々……削縮々……」
自分の体内から広がる魔法陣、そりゃ驚くよな。
しかもわかるんだろ? そいつが致命的な魔力を循環させてるっつーのがよ?
無駄だよ、その外環は金剛強度の空間結束陣だ。
ズタボロのてめー如きが破れるもんかよ!
喰らえ!!
「《虚数封殺》」
◇ WORLD・EYES ◇
大陸で最も尊い、光輝溢れるその白亜の城において。
まるで城の化身であるかのようなその男は、ふと、遥かな遠くを見やった。
「どうかいたしましたか? 大公様」
隣を歩いていた少女が、そんな彼へ不思議そうに問いかける。
眩い光の差す中、その少女は驚嘆すべき美を周囲に放っていた。
それ自体が発光しているかのような金色の髪が、豪奢に波打っている。
角度によって光彩を煌く、虹色としか言いようのない瞳は円らで、神の宝珠のようだ。
女神もかくやという顔には、幼さと女らしさとが、触れれば壊れるような釣り合いで在る。
クリスタルが鈴鳴るような美声をつむぐ唇は、伝説に言う「サクラ」の花弁を思わせる。
神が愛した。
彼女の美を語るには、その一語に尽きるのかもしれない。
「いえ……お気になさらず、姫」
「そうなのですか?」
「少し神経が高ぶっていたようです。何しろ、気の抜けない相手ですからね」
ニコリと笑う、その男もまた美しい。
白銀の騎士と黄金の姫。
そこは美しいものを美しく配し、美しく存在させるためだけにあるかのようだ。
「お辛いのですか?」
「そんなことはありません。光栄ですよ。彼女もまた英雄ですからね」
クスリ、と今度は少女も笑う。
少女はエルフのようだ。男もまた、小さく角をもつ辺り、超越的な何かなのだろう。
「大魔導師イリンメル様、ですか……私もお話しできれば良いのに」
「貴方には貴方の、私には私の役目というものがあるということです」
2人の歩くその世界は、常に輝きに満ちている。
◆ クヴィク・リスリィEYES ◆
ベッドに横たわるアルバキン様。
身じろぎ1つせず、ただひたすらに、己の魔力を集中させています。
輝きを増す生気之指輪。
あれから10日が経ちました。
あの日、主が放った一撃は見事にドラゴンを殺しました。
深く突き刺さった槍は体幹を含む致命的範囲に魔方陣を展開、それを消失せしめました。
千切れかかり、地に堕ちた首。
驚愕と苦悶とに凍りついた、地上最強を自負する種族の顔。
本来ならこの先も悠久の彼方まで存在したはずの時間……それを断ち切られた絶望。
ふふ、うふふふ。
戦闘直後の主は、それはもう酷い有様でした。
胸部と肩を中心に骨折まみれ。内臓器官にも損傷があったらしく、吐血が止まりません。
しかし私は何ら心配をしていませんでした。
主は「竜殺し」です。
なぜ「竜殺し」が伝説となるのか。
それは強者が「竜殺し」になるからではなく、「竜殺し」が強者へと変貌するからです。
霊格、という言葉があります。
魂魄の等級、宿業、レベル、段位……表現こそ違え、差している内容は同義ですね。
先天的に差があり、同時に後天的にも差が生じるそれは、いわばその者の総合力。
その伸びゆく力の限界をして私は「器」と表現しているのですが、ま、それは別のお話。
出合った時、既に主は恐るべき霊格を備えていました。
そしてそれは後天的な伸長で間違いありません。
想像を絶する規模の「非業の死」を踏み台にしたのでしょうね。
怨嗟、憎悪、絶望、悲嘆、狂乱……あらゆる負の想念に彩色され、それを糧とした魂。
しかも全てが純粋無垢な、剥き出しの感情なのだからたまりません。
魂を領土に例えるならば、主は単独で特大世界を保有するに至っています。
そこへ新たに加わるはドラゴンの魂。
生物世界の頂点に君臨する、最も高貴にして最も強靭な、森羅万象の秘儀の一端。
受け止める「器」さえあれば……そして主には、その「器」がおありになるのです。
魔王へ。
私は歓喜を感じて止みません。
主の行く末には暗黒の伝説が広がっています。
どんな本にも書かれていない、その先の世界が!
束の間の休息をとる主よ。
再び立ち上がったとき、貴方は新たなる力を得ていることでしょう。
今までは無理だったあらゆるものが、選択可能なものとして、眼前に広がることでしょう。
さぁ、主よ。
これまで以上に、貴方自身を開発していくのです!