魔王領統治編 第3話
◆ ハイロウEYES ◆
白き聖なる軍旗が空を埋めている。
ロンバルキアは無論のこと、フランベルクも我らを止めること能わず。
我らこそ光の軍勢、我らこそ聖神の地上代行者なれば。
私はハイロウ。
聖神教会の司祭にして『六鍵』の1人。人呼んで「光盾」のハイロウ。
神の栄光を知らしめるべくここに在ります。
「斥候からの連絡が途絶えたな……何かあったか」
我が兄が眉根を寄せています。
兄もまた『六鍵』の1人。人呼んで「光剣」のハイゼル。
光輝に選別された身でありながら、いつも気苦労の絶えない様子です。
「粛々と進めば良いでしょう。敵は自ずから姿を現します」
「……フランベルク帝国第5師団の顛末を聞いていないのか?」
「神の加護なき軍勢と我々とでは比較になりません。ましてや私がいます」
「無暗に使うなよ、ハイロウ。『聖法』は無限ではない」
「私は私の判断で奇跡を行使します。それが信徒を救うのですから」
兄の慎重癖にも困ったものです。
選ばれた人間にはそれに足る資質があり、その資質を体現することは義務です。
その辺りのことがわかっていませんね。兄は。
「そんなに心配ならば、二手に分かれて進みましょう」
「……どういうことだ?」
「1万で先発します。どんな敵も防いで見せますので、側面から当たって下さい」
「『聖法』を前提にしているが……悪くない方法ではある」
『聖法』。
私たち『六鍵』のみが使用できる、神の力の具現とも言える奇跡。
人間相手に用いるには大きすぎる力……兄には躊躇いがあるのですね。
その使用の是非を判断できることも含めて、『六鍵』だと思うのですが。
まあ、いいでしょう。
方法や経過はどうあれ、結果は想定されているのですから。
「わかっているとは思うが、油断するなよ。ハイロウ」
「兄上こそ抜かりなく」
『六鍵』の中でも最も加護厚い兄だというのに、まるでわかっていません。
今回のことで少しは自信を持ってほしいものです。
弟として、戦果は全て兄に譲るつもりなのですから。
「ハイロウ麾下10000騎、進軍します」
◆ アルバキンEYES ◆
ふーむ。
確かに妙な雰囲気の奴が1人混じってるな。
金髪さらりで目元涼しげ、白と金の装備、優しげな微笑み……リア充臭ぱねぇ。
いや、違う、そこじゃなくてだな。
こいつ、接続してないか?
灰色驃騎兵や使い魔と似ている感じだ。
自分以外のどこか・誰か・何かと魔力的な導管が繋がっている気がする。
だとすると油断できないな。接続先次第じゃ大出力大容量ってこともあり得るぞ。
魔将の雰囲気ってのはわからないが……
「主よ、いかがでしょうか?」
「お前らの違和感が何かはわかったよ。詳細はわからんが」
「我々には希薄ながら同類の気配が感じられるのですが……」
「雪風に気付かないくらいだ、さして脅威とも思えないがな。一当てしてみるか」
まだ遠いからなぁ……懐かしの雪風誘導ミサイルでも使ってみるか。
観察しやすいように、とりあえず1匹のみで。
「≪影狼≫」
◇ WORLD・EYES ◇
曇天を劈く一撃があった。
黒い流星のようなそれは牙狼の形を成している。
暗黒の魔力を練り固め、決然たる殺意を塗りこめた……《影狼》だ。
獰猛に牙を鳴らしつつ飛翔したそれは、眼下に獲物を確認した。
術者の認識に導かれて……目標へ。疾く。速やかなる死を。一撃を。死を!
ドゴオオオォオォォォォンッ!!!
地を揺するほどの衝撃。耳を破るほどの爆音。
瞬間的には瞼を貫くほどの閃光も生じた。
濛々たる土煙が上がる。
その茶色が収まった後に見えてきたものは……
茫然と立ち尽くす大多数、落馬し苦痛に呻く少数、深刻な負傷をして蹲る極少数。
そして、中央にたった1人。
潰れた馬にまたがる形で尻もちをついた、金髪の青年がいた。
酷い有り様だ。
下半身は泡吹く馬の血潮で赤色に染められ、上からは大量の土砂を浴びている。
彼自身も負傷しているようだ。
顔を庇うように掲げた両手はともかく、足が不自然な方向へ曲がっている。
呆けているが、痛みを感じる余裕がないのか、それとも感じられなくなったのか。
即死者が1人もいないことは奇跡か?
違う。違うことが直ぐに証明される。
次弾が飛来したのだ。今度は火の球だ。一抱えほどもある大玉だ。
上級火霊の助力を得て発動するとされる≪大爆砕炎球≫だろうか?
何にせよ致命的な大量破壊魔法である。
青年も気付いた。絶叫とともに何か魔法を使う。
彼の両手から光が噴出した。先程の一瞬にも輝いたものだ。
光は青年を半球状に包み込んだ。眩いまでの障壁……≪光盾≫と言う。
聖神教団に所属する僧侶の中でも、特に選ばれた6人がいる。
彼らが用いる奇跡の魔法を『聖法』といい、使い手を『六鍵』と尊称する。
信徒たちから最大級の尊崇を集める存在であり、神の化身とすら思慕される存在だ。
その『六鍵』たる青年が振るう、奇跡の術。
豪雨のように降り注ぐ矢から味方勢を守りきったこともある、光の技。
哀れむべきか、蔑むべきか……
彼は≪光盾≫で自分だけを守った。
閃光、轟音、爆炎、爆風、爆熱、衝撃、粉塵、飛礫。
一撃で百人単位の死傷者が出る。青年以外に。
終わらない。何発も連続で飛んでくる。生産され続ける凄惨。青年以外に。
経典に言われる世界の終わりが来たかのような災厄。
恐怖にかられて逃げ散った者たちには、灰色の風が死を運んできた。
後世、魔王軍の代名詞として恐怖される『灰の騎兵団』10000騎である。
碌な抵抗もできず、簡単に、短時間で刈り取られていく命たち。
抵抗を示すも、数合と合わすことなく討たれていく命たち。
この場所において死は平等だった。誰もが死んでいった。青年以外は。
青年は泣いていた。哀悼や後悔ではない。それは赤子の泣き方だった。
自分の置かれた状況に恐怖し、自分を悲しみ、自分への助けを要求する涙と嗚咽。
しかし彼の周囲には何もない。助けてくれるものは何もない。ああ、既に光すら。
頭を抱えて血の海に泣く青年。
彼に近づいてくる者がいる。馬上にあって鎧もなく、フードも目深い何者か。
この地獄にまるで似つかわしくない、もしくは似つかわしすぎる美声が響く。
「魔術を使え」
その魂を鷲掴みにする響きに、青年がのろのろと顔を上げた。
「闇で圧死させる魔法を放つ。先程の魔術で防いでみせろ」
言葉とともに吹き付けてくる魔気。
青年の中で、人であるために大事な物の、その最後の1欠片が砕け散った。
涙を、鼻水を、涎を撒き散らしながら、ヒイヒイと、首を振り続ける。
いや、既にその域も終わった。ヘラヘラと薄笑いを浮かべ、揺れている。
馬上の魔人はため息をついたようだった。
どこからともなく黒衣・赤髪の少女が現れ、埃を払うような軽さで、殺めた。
薄笑いのまま転がる、かつては信仰の対象ですらあった青年の、その首。
馬首を返そうとし、しかし思いとどまって遠くを見やる。
猛烈な勢いで来襲せんとする軍勢がある。
その白い軍勢を迎え撃つべく集結し始める灰色の軍勢。
奇しくも、この場所から白い軍勢の先頭へ、遮るものがない瞬間だった。
「《爆炎球》」
直径にして先程の5倍以上という、巨大な火球が産まれた。
常識外れの大きさだ。一体どれ程の破壊力を秘めているものか。
これが中級魔法ならば、先程のものは?
あれは《火球》なのだ。初級の、本来であれば拳大の。
放つ。唸りを上げて飛来する、その恐るべきもの。
ああ……これは戦争だろうか?
否、違う。これは断じて戦争ではない。戦闘ですらない。
これはきっと……災害だ。
圧倒的な破壊的力に対して、人間の持つ何物も無力だ。ただ壊される。
炎と衝撃による蹂躙。灰色の殲滅。
死、死、死、そして死。
万死で大地を覆わんとしたその災厄に、しかし敢然と抵抗した者たちがいる。
僅かに数十騎まで数を減じつつも、隊伍を崩さない一隊だ。
その中心には白銀の騎士……いや、聖騎士と言うべきか。
『六鍵』の次席、人呼んで「光剣」のハイゼル。
その手には閃光を放つ何かが握られている。
「光剣」。光輝そのものを束ねて剣と成し、全てを断つ。
その威力は凄まじい。
灰色の騎兵を薙刀ごと切断し、両断する。振るう度に撃破していく。
進路は西だ。
光剣が倒す以上に仲間を殺されつつ、死に物狂いで退路を得ようとしている。
それが作戦のようだ。隊は急速な風化作用のように磨耗し、それでも光を守る。
立ちふさがる騎兵がいた。
灰色の軍勢の中にあって、ただの2騎だけ色の違う内の1人だ。
紅の甲冑は、血色の中にあっても殊更に赤い。
その手には禍々しき妖気を放つ大剣。どこか野獣を連想させる造形だ。
白の3騎が斬りかかり、一振りで全員が薙ぎ倒された。
全員即死だ。1人などは20歩以上先へ跳ね飛ばされてしまった。
振り抜いた姿勢をそのままに、再度込められる力。
馬が大きく踏み込み、その首を地面を食むように下げる。
恐るべき横薙ぎが一閃した。更に3人がバラバラに吹き飛ぶ。
遂に光剣が仕掛けた。
調整のできるものなのか、大剣と同じ長さになったそれが紅騎兵を襲う。
何をも断つその一撃……その来歴に終止符が打たれた。
受け止めたのだ。大剣が。
見よ、大剣にもまた紫煙のように暗黒の祝福が揺らめいている!
光剣と魔剣。
相反する属性の対決……ではない!
相克の際に生じる烈光は全く見られない。
何故だ、この瞬間にこそ相応しい現象であろうに!
退いた、聖騎士が。しかもその手の光剣が消失している。
紅騎士は僅かに戸惑った。間合いを喪失したのだ。その刹那が勝負を決める。
閃光と爆発。
投げたのだ、再び生じた光剣を。
否、それは「光の投槍」とでも言うべきものだった。
切断力は爆発力へ。
1人1種しか使えないはずの『聖法』をかくも使い分ける者、ハイゼル。
彼こそは聖神に最も愛されていると言われるはずだ。天才中の天才だ。
馬を失い、吹き飛んだ紅騎士は、今やピクリとも動かない。
魔剣を手放さない点は流石と言うべきか。
ハイゼルは追撃しない。一瞥するのみだ。
即座に隊を率いて出発、一路西へと駆け去っていく。
追撃が止んだわけではない。捌きつつ、数を減らしながらも、西へ。西へ。
魔王軍による「第二滅事」。
それは「光盾」のハイロウ率いる1万騎に対してのみ適用された言葉だ。
「光剣」のハイゼル率いる1万騎はその範疇に含まれない。
ほぼ全滅ではある。しかし、ハイゼルを含む13騎の生還は厳然たる事実だ。
その13騎こそ、歴史上記念すべき、対魔王軍初の生還者であった。
◆ アルバキンEYES ◆
逃がしたか。
まあいい、大体わかった。あの接続の正体。
《影狼》にも、連続《火球》にも耐えた防御力。
《爆炎球》の炎をすら斬って避け得た切断力。
それら全てが、あいつら個人の能力を遥かに超えている。
しかも、だ。
妙やたら光っちゃいたが、あれ、闇属性だろ? フォルナ戦が決定的だったな。
感触としては無属性っぽくもあったが、いやいや、ありゃ闇だわ。
専門家……でもなくなってきたけど……俺のことは騙せないぜ?
ってことは、だ。
魔将と接続してやがるな?
確か下位魔将でユニークな奴が1人……というか1体いたはずだ。
そいつ自体は何の能動的能力も持っちゃいない、システムその物みたいな奴。
魔将ワット・バッスリー。
魔力を蓄える機構、言わば魔力銀行だな。そういう魔方陣の付喪神。
こりゃクリリンと相談だな。
本体の場所がわかりゃニオ様お出ましだが……ん? いや、待てよ?
貰っちゃおう。勿体無い。
人間、何事からも学ぶべきだ。トットちゃんの戦術をパクろう、そうしよう。
ということは、まず……クリリンと相談だなぁ、やっぱり。
◇ WORLD・EYES ◇
第一滅事ではフランベルク帝国が、第二滅事ではロンバルキア大公国が。
両者を合計すると4万人近くもの死者数である。全て正規兵でだ。
これは両者をして、大陸東部からの撤退及び不干渉を決定するに足る大損害だ。
もとより何の生産性もない、死の荒野である。
出兵しても利益どころか損失のみだというのに……破滅を感じさせる事件だ。
視線を転ずれば、常に領土を狙いあう敵がいるのだ。
帝国にあっては現状は一方面、潜在的には二方面に。
大公国にあっては一方面だが、虎の子と言える精鋭が壊滅している。
東に巣くう正体不明の勢力。
怨敵には違いないが、奴らは荒野から出てくるそぶりも見せない。
ならばまずは北を、あるいは南を平定し、それからでも良いではないか?
互いのそんな意図を確認しあうかのように、南北の戦いは激化していく。
所変われど相手変われど、やることは常に1つ。殺人を伴う暴力だ。
魔王をして「ヒュームは野蛮」と言わしめたことは、一面の真実かもしれない。
例えば、平原にはかつてケンタウロス族という亜人が生息していた。
ヒュームと平原を二分する存在であったが、今は絶滅している。争いの結果だ。
ドワーフの勢力圏には、隷属的とはいえコボルト族が存続している。
エルフの勢力圏にはインセクター族が少数ながら独立して存在している。
マーマルは独自の勢力圏を持たない弱い立場だ。海には別種族も存在する。
ヒュームの勢力圏ほど、他種族、特に亜人を駆逐した土地はない。
彼らの国教である聖神教も極めて独善的な思想・価値観を展開している。
その教義はともすればエルフやドワーフまでも亜人と分類するのだから。
だからだろうか?
第一滅事に続く第二滅事は、1つの革命として大陸中へ駆け巡った。
生還者がいたことが返ってその大敗北に現実感と尾ひれとをつけたようだ。
噂に曰く。
大陸極東に魔王が誕生し、既に独自の勢力圏を得た。
その統治は敵に非情にして味方に慈悲。独善を叩いて寛容を約す。
圧倒的な力をもつ魔王の前には全てが無力な存在。それは平等を意味する。
見よ、マーマルを。知なく力なき彼らは既に魔王の庇護下にある。
彼らこそ真っ先に馳せ参じ、魔王へ誠意と臣従を示したからに他ならない。
弱き者は弱さを差し出せ。強き者は強さを差し出せ。
全ては平等に無価値であり、それゆえに魔王の加護を受けるに値する。
何故なら魔王こそは絶対者。価値を決め、授ける者なのだから。
噂は様々な土地で、様々な言語で語られることとなった。
誰しもの……特に、弱く虐げられたものの希望であったのだ、その内容は。
かくして、見捨てられていた土地は今や世界の注目の場所となった。
魔王在りし大陸極東。
魔王軍の統べし、大陸東部。
ここに歴史は大きく動き出す。
戦乱へ。既存の秩序が粉々にされ、かき回される、激動の時代へ。
そのためにこそ現れたのだろうか? 異世界に出自をもつ魔王よ。
しかし努々油断することなかれ。
秩序を固持することを使命とする者もまた、現れようぞ。
黄金の髪を持ち、光と風を力とするその輝ける者は……大陸極西に既に在る。
油断することなかれ、魔王よ。闇とは光に勝てぬものなのだ。