魔王領統治編 第2話
◇ WORLD・EYES ◇
荒野に不思議な建造物がある。
足付酒杯を逆さまに置いたような形状で、下半球は小屋程の大きさだ。
入り口らしきは穴が1つきりだ。大人には少々厳しい直径である。
内部は簡素。小さな水飲み場と、数枚の毛布が置いてあるだけだ。
退屈な造りである。
そう、マーマルにとって、それは非常事態以外に入る気もしない代物だ。
半球の中央から煙突のように伸びた先、その台座には1体の石像がある。
球体を基本に設計されたそれは、名を人造石丸という。
動力内蔵型の半永久駆動の兵士だ。弱いがしぶとい。
そして照明弾を1発装備しているのが特徴だ。このゴブレットの守護者だ。
同様の建造物が、大陸東部の荒野には幾つか存在する。
やがて「統治象徴」と呼ばれ、魔王の勢力圏であることを示す指標として広く
認知されるそれは、その実、マーマルの避難場所として設計されたものであった。
そしてその初となる利用者は、何とマーマルではなかった。
その日、1匹の逃亡者が荒野を走っていた。
狸のような、狐のような……毛の深いモコモコとした生き物だ。
体格はマーマル同様、小柄で細く、何よりも二足走行で駆けている。
コボルト族だ。
地霊の加護を受け損ねた亜人である。
鉱山・洞窟を住処とする彼らが大陸東部にいることは珍しい。
群れからはぐれたにしても遠い。その理由は「彼女」の装いで分かる。
実用性に欠ける派手なチョッキと、鎖の付いた首輪。
彼女は見世物だった。
コボルトの多くはドワーフに隷属しているが、更にヒュームへ売却された個体だ。
移動サーカス団の所有物の1つとして生き、今、逃亡者として駆けている。
追手への恐怖、魔物への恐怖、そして飢えと渇きによる恐怖。
迫る死に喘ぎながら、彼女はその不思議な建造物へ辿り着いた。
入る。彼女の鋭敏な嗅覚は、内部に水の匂いを嗅ぎとっていた。
飲む。それは汲み上げた地下水だ。美味しい。渇きが満たされていく。
お腹が鳴った。身体は正直だ。彼女は悲しそうにお腹を肉球の手で押さえた。
食べ物が、あった。
中央に太すぎる柱のように直立している物、それにツタ植物が巻きついている。
幾つも実が生っている。鶉の卵大の、白くてヌタヌタした食感の実だ。
食べた。採るそばから口に入れる。喜び。満たされ、死が遠ざかる喜び。
毛布すらある。
寝た。眠った。貪るように、生きることを欲していた。
翌朝、彼女は激しい物音によって目覚めた。
恐怖と不安に震えつつも、穴から外を窺う。
戦いの光景だった。
彼女の見知ったヒューム、つまり追手が、2人がかりで丸い石像と戦っていた。
悲鳴を上げて中に戻る。そして穴を閉じた。蓋があったのだ。鍵もかかる。
再び外を窺ったとき、そこには何もいなかった。
追っ手も、石像もいない。争いの跡があるから夢でもない。
わからないにしろ、怖かった彼女は、蓋を閉じて毛布にくるまることにした。
彼女は知らない。
石像は建物上部の台座に戻っただけだし、追手は逃亡しただけということを。
そして疾風のように騎兵隊が現れ、追手を殺したことを。
知らないままに、隊を率いる女性に保護され、彼女は魔王城へと移送されたのだ。
魔王城にて、とある主従は会話する。
主は、読書疲れから安楽椅子にだらしなく座る、さながら美の化身。
従うは、宰相でも執事でも小姓でもない、微笑む魔の少年。
「どういたしましょう、と言われてもなぁ……今どうしてんの?」
「そのままジステアに世話させています」
「捨て犬を拾った気分だ。今更放り出すのも何だけど……どうでもいいなぁ」
ため息を1つ。魔王は「犬より猫」派だった。
「ではウイ様の遊び相手として遇しましょう」
「お、いいねソレ。お前らしくない発想にも思えるけど」
「ジステアに『巡察騎兵隊』を任せたことで、ウイ様の遊び相手が不足していますから」
『灰の騎兵団』とは別に組織した、灰色驃騎兵50騎からなる部隊だ。
ジステアを指揮官とし、地域巡察や小規模の荒事処理を担う雑務係である。
「あの女騎士、何気に便利な奴だよな」
「主のお役にたちたい一心でしょう。もう2人についても同様です」
「フォルナとリリルか……」
フォルナはドンキホーテの指導を受け、戦士として長足の進歩を遂げている。
魔剣を完全に使いこなすに至り、その単体戦力は骸骨英雄騎士並だ。
今は騎兵団の下士官待遇だが、戦術指揮習熟の暁には副官就任を目されている。
皇帝リンペリールは、現在は名をリリルと改め、思わぬ優秀さを発揮している。
彼女は神聖魔法の使い手なのだ。それを活かした保健任務は利便性が高い。
いわゆる家事全般にも強く、人が変わったような溌剌ぶりで働いている。
魔王城の住環境に革命をもたらしつつある彼女は、さながらメイド長か。
「あいつ等、何か目がキラキラしてんだよな。特にリリル。涙ぐんだりするし」
「ヒューム世界の束縛から解放され、主に仕えられる幸運に歓喜しているのですよ」
「何だそりゃ……まぁ、役に立つ分にはいいけどさ」
身を起こし、魔王は1枚の仕様書を手に取った。
「人造石丸の敵性判断機能、良いんだか悪いんだか」
「マーマルのみを識別する機構は、現時点では構築不可能です」
「だよなぁ……ま、信号弾が上手くいっただけでも良しとするか」
主従は頷きあうと、次の議題へと移行していく。
それこそは魔王軍の執政の光景であった。
◆ トリスティアEYES ◆
私はトリスティア。死に損ないのお婆ちゃん。
魔法大学学長であり、今はロンバルキア大公国の相談役でもあるわね。
長生きしたばかりに、見たくもないものをたくさん見せられているわ。
カルパチアを二分するこの大乱。
しかもどちらの勢力も皇室を蔑ろにしてる。
その癖相手には渡したくないから、競うように捕まえようとして……失敗。
都を逃げ出すなんて大胆なことだけど、ランベラ辺りの考えかしらね?
あの子は何でも大きく出ること好きだから。野心もあるし、素敵ね。
中立派を糾合して皇室復権の妙手を狙ったんだろうけど……でも、それも失敗。
今のこの平原に、中立が許される場所なんてあるわけないじゃない?
極東の荒野へ落ちていくことになっちゃったわね。
あんまり可哀想だから、うちの国からは追撃部隊を出さなかったけど……
まさかフランベルクの追撃隊が全滅しちゃうなんてね。
更には黄色棍棒旗まで壊滅したって話だし……何なのかしら?
「草」の報告も奇妙。
荒野には監視施設らしき妙な建物があちこち建てられている。
正体不明の騎兵の姿も確認できた。
ならば新興の勢力が存在するという結論になるのだけど……
物資の移動がまるでないのは何故?
商人や職人の流入がなくては何もできないでしょう?
1師団に勝利するところから判断して、戦力規模は2万くらいかしら?
その兵站1つとったって、荒野で賄えるものではないわ。魔境まで後背に抱えて。
何をしているのかしら、ランベラは。
例えあの子が天才だからといって、こうも私の想像を超えられるもの?
それとも噂通り、皇帝ともども捕らわれたとでも言うの?
フランベルクで実しやかに流れる1つの噂……
皇帝は魔女に攫われて荒野へ。その先には魔女の飼い主である魔王がいる。
英雄に率いられた我らが帝国は、捕らわれの先君・美しき女性を救出するだろう。
色々と質問をしたくなるような煽動文句だけれど、ねぇ?
魔境は確かにある。それも特に凶悪なものが。「塵の森」。
あそこには大魔導師がいるという伝説もあるけれど……それが魔王?
……何にせよ、とんでもないことになるのは間違いないわね。
魔の名を冠する勢力であれば、何であれ、聖神教団が許すはずがない。
既に『聖印騎士団』が召集されているという情報もあるわ。
いい機会だから教団の実戦力を観察したいわね。
あの秘蔵っ子たちも出てこないかしら。『六鍵』とかいう子たち。
神聖魔法には無いはずの無属性魔術を使うらしいじゃない?
大公様はどうしたいかしら。
とても敬虔な方だから、教団と一緒に突撃したいかしら。
それとも、そちらに耳目が集まっているうちに西側で帝国を叩くかしら。
私は、どうさせたいかしら?
全く、こんなお婆ちゃんなんだから、色々悩ませないで欲しいわ。
死ねないじゃない、面白くて。
◇ WORLD・EYES ◇
滅事、という言葉がある。
敵勢を文字通り全滅させる軍事行為のことを指すため、生まれた言葉だ。
魔王軍の作戦のみがそれに当たる。
その忌むべき第1回目が起きた現場は、現在、珍奇な空間となっていた。
植生の焼き払われた広場の中心には櫓が建っている。
そこに礼装で1人立ち、性別不詳の指揮者が指示を飛ばしていた。
「はい、ダメ! 美しくできないなら死ねよ! もう1回!」
全方位、骸骨騎士と骸骨戦士である。
総勢9000体余りのその不死属性兵こそ、『骨の軍楽団』だ。
武装はしている。しかし楽器をこそ最も重要視しているのは明らかだ。
大型の金管を抱えた骸骨など、腰に武器とも知れない短棒を提げたきりだ。
「ダメ! 全然ダメ! 歩く時に頭上下し過ぎ! 音量も弱い! 死ぬの!?」
見物者がいるなら「どうやって吹いているの」と聞きたいだろう。
妖気である。
不死属性としてその身にまとう妖気をば、吹き入れている。
だからか、その楽団の響きには妖艶な音色が混じる。
鎮魂を願うようでいて高揚、怨嗟を放つようでいて喜悦……捉え難い幽玄。
「そう! 今のはイイよ! 次はこう、まぐわい蕩けあう感じで! 逝く感じで!」
不可思議な盛り上がりを見せる一団である。
恐ろしいようで滑稽、道化のようでいて高尚……指揮者も恍惚として熱血。
そんな彼らの音がピタリと止んだ。
指揮者の傍らに影のような人影が現れている。
言葉を交わすこと数度、指揮者は頷き、影は沈むように消えた。
「さあ皆、次はお遊戯の時間だよ? お友達を増やしにいこう、陽気な妖気で!」
高らかに鳴り響く金管の響き。
勇壮とも悲響ともつかないそれを合図に、『骨の軍楽団』は進発したのである。
荒野を疾走する騎兵の姿がある。
100騎ごとに別れ、広い範囲を互いに伝令を出しつつ東進していく。
ロンバルキア大公国軍の軽騎兵大隊600騎だ。濃緑の軍装で統一されている。
途中、奇妙な建造物を幾つか発見するが、それは無視する。
上からの命令によれば、近づかなければ害のない代物だということだ。
後に続く本隊、即ち聖印騎士団20000騎のための斥候である。
大公と教団との信頼関係にも関わる任務だ。
慎重な上にも慎重を重ねなければならない。ならないのだが……
敵はあらゆる点で想像を絶していた。
賑やかである。視覚より先に聴覚がその存在を知らせる。
派手で豪奢で勢いがよく、それでいて侘しく胸に切ない妖しい楽曲。
各隊はほぼ同時にその軍楽団を発見することとなった。
恐るべき姿である。視界が衝撃的に過ぎていて、非現実感が強い。
骸骨による大部隊だ。10000体近くはいるだろうか。
不死属性がこれほど集まっている様子は、誰も初めて見る。
それらが一糸乱れぬ集団行動をとっている上、軍楽を奏でているとなると……
古典的ではあるが、軽騎兵の誰もがつねった。身体のどこかを。
彼らの困惑は、いつしか酩酊に近い愉悦となっていた。
妖気を音源とし、魔の指揮するその音色は……魔力である。
魔魅の響きが魂を揺さぶり、あやし、掌の上のものとして弄ぶ。
彼らは集まり、そして囲まれていた。
四方に広がる幻想の風景と、四方から聴こえる夢想の音楽。
恍惚としたままに、彼らは刺された。
斬られた。断たれた。抉られた。殺されに殺された。
野蛮にはされない……骨が砕けてしまうから。綺麗に、丁寧に殺められていく。
600人分の人骨と、600匹分の馬骨。
そう、馬すら魅了するこの骸骨たちにとって、欲しいのはそれだけだった。
肉をどうするのか。
切り取ってまとめていくのだ。
その手つきは優しくすらある。聞こえやしないか、彼らの無音の声が。
ほら、手伝ってあげるよ。早く骨にお成りよ。一緒に奏でよう、素敵な音楽を。
作業を飾る壮麗な曲目は、鎮魂歌なのか……はたまた誕生歌なのか。
少なくとも、その骨になる運命のものたちは、嬉々として立ち上がるに違いない。
新たなる仲間たちと音楽を奏でるために。
次なる仲間を、友達を迎えるために。
魔王城にて、とある主従は会話する。
主は、何への警戒か強力に《施鍵》した扉の内側でビクつく、現人なる美。
従うは、雄々しく勇ましく誇り高く直立する、白髭の老騎士。
「そういう戦い方をするのか、あいつらは……えげつないな」
「大変に効率のよい戦術でありますな。殿はお好きかと思いましたが」
「まあね。『勿体無い』の国の人だったからな、俺は」
両手を合わせて「いただきます」と唱えた魔王である。
何をいただいたのかを鑑みれば、それはいかにも魔王の所作であった。
「しかし敵本隊には通じませんぞ。数が違うため押し切られます」
「け、けど、アレは嫌だぞ!? もうやらないからな、アレは!!」
「主砲は今回、使えないそうです。まだ再建造の途中ということで」
「そ、そうか……良かった……」
自勢力の攻撃力低下を喜ぶ魔王である。
狂気も3人揃うと「役」ができるらしい。魔王すら怯えるほどの。
「その代わりというわけでもないのですが、殿、ご親征をいただきたく」
「ん? 我らが『灰の騎兵団』10000騎では不足なのか?」
「敵兵20000など物の数でもございませんが……妙な気配がするのです」
ふと、魔王が眉根を上げた。
「魔将の気配が、僅かながらするのです」
「ほぅ……敵勢の中にいるのか、魔将が」
「いえ、そうではないのですが……ううむ、我輩もどう表現して良いやら!」
聞けば他の魔将も上手く説明のできない事態とのこと。
魔王の決断は早かった。
常に身に帯びているダガー2本の他に、サーベル1振り、槍1竿を手に取る。
夜をまとうかのように外套を肩にかけ、フードの奥へと美貌を潜ませた。
「いくぞ、ドンキ」
「はは!」
魔王アルバキン、親征である。