少年の門出に
ファンタジーカテだけど恋愛要素あり
電気も蒸気機関もないけど、
なんとか鉱石から魔力を抽出して走る列車はある。
料金高め――みたいな世界観で読むとしっくり来ると思います。
駅の待合室の引き戸を開け、先刻14歳の祝いを終えたその少年は、硬直した。
それは夜半遅くに自分以外の人間が駅の待合室に居たせいかもしれないし、
待合室のベンチに座るその人物が見慣れない”旅人”だったからかもしれないし、
もしかしたらその旅人が女性だったからかも知れなかった。
その旅人は見るからに旅慣れていて、羽織っているマントも
頭に巻いたターバンも、遮光と断熱に優れた素材で、
鉱山群が延々と連なり、日が暮れてから気温が凍るように下がる
この地方にうってつけの物だ。
マントの下はシャツの上に軽皮鎧を纏っていて、
すぐに手に取れるように置かれた片手長剣と同様、
行き届いた手入れでは隠せない傷が、歴戦の貫禄を発している。
カバンはあちこちにポケットと取っ手が付いたショルダー型で、
分厚いトカゲ皮のそれは、野犬程度の牙では通らないだろう。
どの装備も、さほど大柄ではない彼女が携帯するに無理がないもので、
よく使い込まれ、また手入れされていた。
首まで上げられたマントの下から見える肌は、
普段から覆っていることが多いのかあまり焼けておらず、
少年と比べても白い色がのぞいている。
少年の方は旅支度にしてはかなりの軽装で、真新しい装備が多い。
薄手のマントは継ぎ当て等はあっても縫い目が新しく、
その下の服装は、この地方の人間がよく身につける、
体の線を隠すようなゆとりの多い衣装で、
足に履いているしっかりとした作りの岩山羊革製サンダルからは、
膝から下の屈強な足があらわになっていた。
目に見えるところに携帯する武器はなく、
荷物もカバンではなく口を紐で縛って担ぐ革袋だった。
四肢は逞しく体も小さくないが背は低く、
この地方に住む民族としては至って平均的な男性の体型だ。
旅人は片手サイズの赤茶けた革表紙の本を片手で広げていて、
黄色い瞳が可笑しそうに文字を追っている。
少年の思考と体が固まったままでいると、
少しして旅人は本から目を上げた。
「すまない、特別な意味が無いなら戸を閉めて貰えないか?
寒い夜はあまり得意じゃないんだ」
少し高めの、明らかに女性と分かる声だ。
固まっていた少年はびくりと肩を震わせると、
もたもたと待合室に入って戸を閉め、
一直線に旅人の座るイスと対角にあるイスに座った。
待合室に入ってしばらく、少年は落ち着きなく列車の時刻表を見たり、
備え付けられた燃焼時計(決められた長さの縄や蝋などを燃やし、
燃え尽きた長さで時間を図るもの。
ここでは可燃鉱石の粉末と着色剤を球状に、
何層にも固めて特殊なランプの中で燃やし、炎の色で時間を判別するもの。
対の色彩時刻表と見比べて時間を図る。
移動しながら時が計れるため、船乗りや星が見えにくい地域で重用される。
時計の精度は燃料の出来に由来する)と色彩表を見比べたり、
何度も自分の荷物を確認していたりしたが、やがて諦めたように大人しくなり、
時折旅人へ盗み見るように視線を向けては、ばつが悪そうに視線を足元へ戻した。
幾度目か、少年が旅人に視線を向けた時、
ふと旅人も本から目を上げ、二人の目が合った。
少年はビクリと肩を震わせると、今まで以上に狼狽えながら、
肩をすぼめて視線を真下に落とした。耳が赤い。
旅人はクスリと笑うと、右手に持った本をパタンと勢い良く閉じた。
「どうした少年、”この本が”気になるのかい?」
旅人から目を逸らしたまま、少しして赤い耳のままコクンと頷く。
本当は本などどうでも良かったのだが、他に言い訳を思いつかなかった。
旅人はそれを見て満足そうに頷き、
本を膝の上に置いて表紙の文字を指でなぞった。
「少年はよく本を読むのかい?」
「い……いいえ」
「なら、何でも良いから読んでみるといい。
読書は教養、教養は人間性だよ」
気まずそうに答えた少年の目を、旅人は真剣な眼差しで見つめ、
最後に打って変わってニッコリと微笑んだ。
頬を赤くした少年は視線をゆらゆら居心地悪そうに逸らした。
自分よりずっと大人な彼女が、何故か自分よりずっと純真に見えた。
「大昔、とある時計職人が世界中を巡っては、
その地方に合った時計をずっと創っていったんだ。
――そこのランプ時計もそれだ。
そしてその旅で見たものを、故郷の恋人に手紙で書いて送った。
職人がどこでどんな時計を作ったか、
どんな風に悩んで、どんな風に工夫したか、
この本にはそんなことがずっと綴られている。
……私みたいな放浪の身の者で、
この本を読んだことが無い人間なんていないだろうな。
どこかの国では学校の教科書
――子供に字や地理なんかを教える、技能書のように使っていると聞いたよ」
「技能書……ですか」
「ああ、この本を使って子供たちが色んな事を勉強するんだ。
この本は職人の子孫が、自分の両親が書いた文通をまとめた物なんだが、
手紙だからいろんな事がまるで日記みたいに、それなりに詳しく書いてあってね、
読み物としても学術書としても素晴らしいものだよ。
地図の代わりに使ってる物好きも知っている」
少年は黙って旅人の方を見つめたまま、高めの女声に耳を傾けている。
まるで親の話を聞くような真剣な眼差しだ。
「私としては、この本の見所は時計職人が毎度々々、
まるで十代の少年のようにワクワクしながら次々移っていく所だね。
次はどんな所だろう、どんな食べ物があるのだろうと。
ほんのちょっぴり去っていくのを惜しみながらね。
そんな事を、本当に楽しそうに、
読んでいるこっちまで嬉しくなるくらいに、
いっぱいに書いてあるんだ。
そうそう、毎度といえば、手紙には
絶対に恋人への”語り”が入っているのも魅力だと思うね。
歯の浮くような物から、じんわりと心に染みるものまで色々とね」
少年は視線をずらさないまま、ゆっくり姿勢を正した。
いつの間にか前のめりで椅子から落ちそうになっている。
”貴女の笑みもその職人と同じくらい楽しそうですよ”
とも思ったが、まだ14歳の少年が口に出すことは無かった。
「この物語……というより手紙群は、一冊だけじゃなくて、
何十冊もあるシリーズ物なんだが、
この本には丁度この地方の事が載っている」
「え!? ど、どんな風にですか?」
「――月光が」
旅人は視線を扉についた窓に移した。
澄み切った夜空には雲一つなく、真銀に光る弓なりの月が、
窓の中央で絵のように凛と光っている。
「月光が、綺麗だと。どんな言葉を連ねても、
どんな絵に描いても、どんな文章で記しても、
一片たりともあの月を表現できない、と」
そうつぶやくように言って、旅人は目を閉じた。
「『愛しい君へ 今日ディアモート山地へ着いた。
ここは連なる山々が全て鉱山で、
ここに暮らす者は男も女も石を掘って暮らしている。
手足のたくましい者ばかりだ。
そう、この地方が何故”月光”と呼ばれるか知ってるかい?
世の人々はここで採れる良質な銀が由来だと思っているが、
それは大きな間違いなのだ。
――月が、月光が綺麗なのだ。
曇った日には霞んだ様に煙って朧げで、
晴れた日には凛と苛烈なまでに冷たい。
足元に眠っている膨大な銀塊がくすんで見える程に。
陽光よりずっと暗くとも、陽光よりずっと鋭く、
見入ってしまうほど危うく、美しい』
――私もね、ここに月を見に来たんだが……
彼とは同意見だよ。私には何をどうしたって、
あの月の美しさを他人に伝えられそうにない」
「他の場所では月はああじゃないんですか?」
「ああ、ここ以外ではどんな場所でもここまで綺麗な銀月を見れはしないよ。
生憎私は専門じゃないから詳しくは分からないが、
高所で空気が綺麗だったり、地磁気や魔法力場も関係するんだろう」
旅人は静かに語ると、微笑んで少年に顔を向けた。
少年はぎこちなく目線だけを逸らした。
「ところで少年、君は列車に乗ってどこまで行くんだい?」
「……ミューターまで」
「そうか、初めてでずいぶん遠くまで行くんだな」
「初めてじゃないですっ、……列車にくらい乗ったことはあります」
「――そうか、すまなかった、随分緊張しているように見えたんでね」
また耳を赤くする少年を横目にクスクスと笑うと、
旅人は唱えるように諳んじた。
「『それの事をこの地方の人間は”引き潮”と呼んだ。
驚いて呆然とする私を、彼らは笑って見ていた。
よそ者の反応を見て楽しんでいるのだろう、人の悪いことだ。
が、”様変わり”とは洒落ている。私もこの名に相応しい時計を創らねば』」
不思議そうな少年に、旅人は得意げに続ける。
「君が行くミューターに着いた件の職人が書いた一通目の手紙だよ。
私も昔行ってみたが、本で読んだ後でもやはり驚愕だったよ。
でないと旅なんてしていられないけどね。
……知っているかい? ミューターとあの町が何故呼ばれるか」
可笑しそうに笑う旅人の顔と膝の上を交互に見比べる
何か言いたそうな顔を見て、旅人は急に優しい笑みになり、
「どうした少年、この本が気になるのかい?」
「はい」
少年が即答すると、旅人はしっかりと頷き、
膝の上の本を両手で取ると、まるで王冠を乗せるかのように恭しく、
立ったまま、ベンチに座る少年に差し出した。
「少年、君の門出の記念だ、持って行くといい。
――始めに断っておくが、私は決して放浪を勧めはしない。
だが、だからこそ、君はこの旅を心に刻みこむといい。
件の時計職人のように、克明に。出来れば文字にして。
それはきっと老いた君の宝になるだろうから」
少年はしばらく目を泳がせていたが、意を決したように旅人の眼を見つめ、
剣を授かる英雄のように仰々しく本を受け取った。
「――来たかな?」
遠くから、地鳴りに似た重い何かが動く音が、少しずつ近づいてきていた。
少年がランプ時計に目をやると、ランプは薄い紫色に灯っている。
列車の来る時間だ。
「少年、列車は初めてでは無いと言ったが、夜に乗ったことは?」
「ありません」
「なら車窓に近い席に座るといい。
まるで夜空を横切って星々を追い越していくように
篝火が窓の外を飛んでいって綺麗だから」
そう言って旅人は立ち上がり、ターバンやマントを整えると、
鞘がつながったままの剣帯を締めた。
「じゃあな少年。実は私は友人を迎えに来ていただけで、
今回は列車には乗らないんだ」
待合室の戸にかけた手が一旦止まり、思い出したように振り返る。
「そうそう、その本には君の行くミューターの町の話は載っていない。
別の巻になっているんだ。……でも、面白さは保証する」
そう言って出ていこうとするのを、今度は少年が呼び止める。
「……その、色々ありがとう御座いました。
貴女の旅が無事でありますように」
旅人は振り向かずに頷くと、こんどこそ待合室を出、後ろ手に戸を閉めた。
閉められた戸の窓には少し端に寄った月が、
変わらず少年を見下ろす。
列車の音がどんどんと大きくなる。
少年はしっかりと本を抱えて立ち上がり、待合室を後にした。
久しぶりの執筆で、リハビリ感覚で書いたらこんなことに。
待合室で大人の女の人におどおどする
中学生を書こうとしてただけなのに……ドウシテコウナッタ
えー、ここまでお読みいただき、
誠にありがとう御座いました(平伏)