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「フッ!」


 天使によりほとんどの家屋が破壊された村から少し外れた小さな広場の中心で、夜の闇を切り裂くかのごとくイツキの小さな気合いの声と共に鋭い刃が走る。


「シッ! フッ!」


 裸体を晒す上半身からは汗が滝の様に流れ、筋肉の筋を伝い地に落ち、幾つもの跡を残す。

 もしこれを第三者が見ていれば、その鋭い動きに目を見張っただろうが、暗い闇に包まれたこの場所にいるのは彼一人。

 観客のいない中、彼はひたすらに刃を振るう。


「ハァッ!!」


 どれほどそうしていたのか。

 最後に一際大きな気合の声を上げ、大上段から何かを打ち落とすかの如く刃を下に走らせた後、ようやくイツキは残心を解き大きく息を吐く。


「フゥー……」


 動きが止まったためか、それまでも流れていた汗が更に吹き出すかの如く、顔と上半身に球を作っては落ちていく。

 歴戦の戦士が見ても舌を巻くような動きをしていた彼だが、表情は暗い。


(やはり身体の動きが鈍い)


 彼の動きは確かに早い。だがそれは人間としてみたのであれば、だ。

 改造人間シャドウメタルであった頃の動きは、人の姿となったイツキにはどう足掻いても再現できるものではなかった。


(本来の三割……いや、二割というところか)


 冷静に今の自分の力を測るイツキ。

 そして、もし今、あの天使に襲われたのならばと想定する。


(奴らどころか、戦闘員一人にさえ勝てるのか俺は?)


 イツキの脳裏に黒いスーツに身を包んだレギオン戦闘員の姿が浮かぶ。


 いつもシャイニングマンに容易く倒される戦闘員だが、その力は決して弱くはない。

 洗脳により破壊衝動を増幅され、肉体は薬物投与などにより強化されており、更には一見柔らかそうにも見える黒いスーツには、量産型ではあるもののエーテル回路が仕込まれ、筋力の増強を促し、防刃防弾性にも優れている。


(ましてや、あの化け物が相手では……)


 続けて浮かんだのは、目も鼻もなく、巨大な口だけのまるでぬっぺらぼうのような下級天使兵の姿。

 イツキの感想として、下級天使兵の力量は力だけ見れば下級天使の力は戦闘員よりも下。

 装備も槍のみと貧弱であり、そこだけを見れば大した脅威ではない。一対一であれば今の人の姿である自分とが戦っても勝利できるだろう。しかし。


(あの数。そして、飛行能力が問題だ)


 もし集団で現れ、背中の翼で飛翔し、四方八方から槍で突かれた場合、今の自分に防ぐ手立てはない。

 流石に一撃や二撃でやられはしないだろうが、それが無数となれば話は別。しかも、シャドウメタルとしての硬い外殻とは違い、今の自分を守るのは指で押せば形を変える程度の硬さしかない皮膚に、防刃性などあるとは思えない服のみ。


(あれほど求めたものが手に入ったというのに、な)


 望み焦がれた人としての姿。それがようやく手に入ったというのに、今度はイツキの足枷となり彼を苦しめるというのは何たる皮肉か。

 そして、イツキを悩ませているのは、全体的に落ちているパワーだけではなかった。


(これでは、ブレードではなくナイフだな)


 イツキは手に握っている小さな黒い刃をじっと見つめる。

 人の姿となったイツキが生み出したシャドウブレードは、いつもの長い刃を光らせる頼もしき相棒ではなく、なんとも頼りない小さな刃の付いた短刀のようなものだったのだ。

 しかもシャドウブレードは短くはあるものの出せたからまだマシな方で、センサーや映像装置などを除く他の兵装に関しては使うどころか出すことも出来ない始末であった。


(無いものを嘆いても仕方がないとは言え、これでは少しばかりキツいな)


 流れていた汗はいつの間にか収まり、冷たい夜風がイツキの弱い身体をせせら笑うかのように流れていく。

 しかし、この悪条件ばかりが重なる中にあって、イツキの目は死んでいなかった。

 夜風を浴び冷たくなる体温とは裏腹に、瞳の奥には熱い炎が燃え盛る。


(だが)


 まるで手負いの獣のような光を眼に宿し、口に獰猛な笑みを浮かべる。


(最後まで守って見せようじゃないか)


 イツキの脳裏には一人の女の姿があった。




 時は少し遡る。


 イツキは、エーテルを使い作り出していたホログラムを消し、表情を消したまま口を開いた。


「これが、俺の今までいた場所。そして、今までしてきたことだ」

「……」


 テーブルの反対側に座るヘルもまた表情を消し、じっと虚空を見つめていた。

 イツキが彼女に見せたのは、地球という星や地球上の様々な国。そして、レギオンの中で己がしてきた非道の数々の記録であった。

 十年以上という長い間、悪の組織の一員として過ごした日々。それは決して短いものではない。

 その年月を数時間に濃縮した映像は、イツキ自身からしても反吐が出そうな程に目視し難いものであった。

 しかし、ヘルはそれらから一度も目をそらすことなく、声もあげずにただじっと見続けた。

 とは言え、見終わった今、ヘルの顔色は悪い。


「わかっただろう? 俺は化け物だ。お前を救ったのも偶然の産物でしか無い」


 シャイニングマンがこの場にいれば、それは違うと声を上げただろう。兄はレギオンに騙されていただけなのだと涙を流しながら叫んだだろう。

 だがここに彼はいない。

 いるのは、地球の事を何一つ知らなかった女と、己の罪を受け止め、まるで死刑囚のように粛々と罰を待つ罪人のみ。


「寝床を用意してくれたことも、食事を用意してくれたことも感謝している。しかし、俺はお前の言う魔神などではない。ただの血に汚れたドブネズミだ」


 表情はない。だが、言葉の一つ一つに力を込め、まるで血を吐くようにイツキは口を動かす。

 そして、尚も己の罪を吐き出そうとイツキが言葉を続けようとしたその時。


「俺は……ん?」

「……」


 ヘルが無言でイツキの手を握りしめた。

 ヘルの手は震え、顔はうつむいており表情は見えない。


「……すまない」


 イツキはヘルの震えを感じ、恐怖しているのだと判断した。

 きっとまた頭を下げ、許しを請うのだろう。涙を流し、謝罪を繰り返すのだろう。

 そう思い、この何一つ悪いことなどしていない彼女が無意味に頭を下げる必要などないと感じたイツキは短い謝罪の後に席を立とうとした。

 しかし。


「……離してくれないか?」

「……」


 イツキの手は、未だ震えるヘルの両手に強く掴まれたままだった。

 そして、手を離してくれと言うイツキの言葉に、顔をうつむかせたままのヘルがいやいやをする子供のように首を横に振る。


「俺を怖いと思うお前は正しい。お前が俺に何かを謝る必要も、頭を下げる必要もない。そして、俺を引き止める必要もない」


 引き止める必要もないとイツキが言った瞬間、ヘルの肩がビクリと震え、俯いたままヘルはようやく言葉を漏らした。


「……逃げるんですか?」

「……何?」


 イツキの眉がぴくりと上がる。


「逃げたいのは君だろう? 俺じゃない」


 心外だと思っているのか、若干強い口調になるイツキ。

 だがこの言葉にもヘルは俯いたまま首を横に振る。


「イツキ様、どうか……人から逃げないで下さい」


 絞りだすようなヘルの言葉に、イツキは心底不思議そうな顔をする。


「俺が人から逃げようとしている? 何を……」

「今も……今だって逃げようとしているではないですか!」


 俯いたまま、言葉をテーブルにぶつけるかの如く叫ぶような声を出すヘル。

 ここでようやくイツキは自分の手がヘルと同じように震えているのに気付いた。


「何を……怖がっているのですか?」

「違う! 俺は……俺は……」


 ヘルの手を振り払い、己の右手で顔を覆うイツキ。

 ぽたり、ぽたりとテーブルの上に数滴の涙が落ちた後、ようやくヘルが顔を上げた。


「イツキ様は私の知らないチキュウという場所で確かに罪を犯したのかもしれません。いえ、罪を犯したのでしょう」


 瞳から大粒の涙をぽろぽろと零しながらヘルは言う。


「だからと言って、なぜ人から目を背けるのですか! 差し出された手を振り払うのですか!」


 イツキの瞳が大きく見開かれる。

 彼の脳裏に浮かぶのは、レギオン基地の中で弟の差し伸べた手を掴んだ己の姿。

 あの時、確かに彼は差し出された手を掴んだのだ。しかし今、地球とは違うこの場所で、彼はヘルの手を振り払ってしまった。

 その事に自責の念に駆られ、イツキは開いていた目をきつく閉じる。


「イツキ様。あなた様はただ己の身体に刃物を突き刺し、傷を負ったと泣き叫び、痛いのだから放っておいてくれと言っているにすぎません」


 イツキの口からぎりっと奥歯を噛み締める音が鳴り、狭い室内に響き渡る。

 彼は何も言い返せない。まさしくヘルの言う通りだと思ったのだから。


「口先だけで罰を望みながら、本当はただ傷付けられるのが怖いだけなのではないですか? 化け物などと罵られたくないのだと心の奥底で泣いているのではないですか?」


 瞳からは涙を流しながらも、ヘルの言葉は止まらない。

 胸の中に溜め込んでいたものを全て吐き出すような彼女の言葉の刃はイツキの心の奥底をえぐった。


「イツキ様。人から逃げないで下さい」


 ふとヘルの様子が変わる。


「私から逃げないで下さい」


 イツキの瞳がゆっくりと開かれると、涙は流しているものの、その表情は聖母のようなほほ笑みをたたえ、彼を見る瞳はどこまでも優しいヘルがいた。


「だが……俺は……」


 ヘルから逃げるように顔をそらそうとしたイツキの頬に、少し冷たい彼女の右の手の平がそっとそえられる。


「イツキ様はご自分で仰る通り魔神様ではないのかもしれません。ですが、約束してくれたではありませんか」

「約……束?」


 不思議そうな顔をするイツキに、ヘルは「はい」と短く答えた後、微笑んだまま一筋の涙を頬に伝わせ言った。


「『助けて』」

「っ!?」


 ヘルから言われたのは、イツキがこの世界に飛ばされた後に彼女から言われた言葉。

 天使は倒した。それにより、どれぐらいかはわからないが、今こうしてゆっくり話しているということは、すぐ何らかの危機があるわけではないだろう。

 第一、あの時は襲いかかる天使から助けて欲しいという意味であり、何もこれから先ずっと助け続けろという意味ではない。

 そんな事はイツキもヘルも承知だ。

 しかし、ヘルは使い終わったはずのそのカードを今ここで再度切ってきた。

 それがイツキを留まらせる唯一のカードだと信じて。

 どう考えても分の悪いギャンブル。その勝敗は。


「『任せろ』」


 全てを受け止め、それでも彼に手を差し伸べた彼女の勝利に終わった。




「ひっぐ……っぐ……」


 私はあまりにも罪深い。

 今こうして横になっているベッドは私の家のものではない。当然ながら、この家だって私のものではない。

 この家の本当の持ち主は、今度子供が生まれると本当に幸せそうに微笑んで教会でお祈りしていたご夫婦。

 ご夫婦は産まれてくる子供が健康に育ちますようにと祈り、私はその祈りが必ず地の魔神様へ届くと笑顔で言っていた。

 しかし、奥様のお腹の中にいた子供も含め、みんな天使に食われ死んでしまった。


「私は……なんて……」


 服だった布切れを貼りつけた、死体とも呼べないようなご夫婦の肉塊を埋めたのは私。

 イツキ様が目覚める前に、ご夫婦も、そして他の村の皆も全て埋めた。

 もしかしたらという奇跡を願い、生き残った人がいないか探したが、誰一人として生きているものなどおらず、それどころか四肢が一つでも残っていれば奇跡というような酷い惨状だった。

 その光景を思い出し、胃からせり上がってくる物を感じた私は、向かうのが何度目なのかも忘れた流しへと足早に駆け出す。


「うぶっ! げえっ!」


 村中にぶち撒けられた血と肉片の数々を前にし、私は何度も嘔吐した。

 今だってそうだ。イツキ様と一緒に摂った食事など等の昔に全て戻し、口から出るのは血の混じった酸っぱい液だけ。

 食料だって、廃墟のようになった家々からこそ泥のように集めた貴重なものだというのに。一欠片だって無駄には出来ないというのに。私の体はどこまで罪深く、臆病なのか。


「ハッ……ハッ……うげぇっ」


 大きな声を出しちゃいけない。

 イツキ様にこれ以上心配なんてさせちゃいけない。

 己の罪に押しつぶされそうな優しいあの方に、私などの心配などさせちゃいけない。


「逃げてるのは……どっちよ……」


 遠い世界からこのゲヘナへと迷い込んでしまった彼を口先三寸で丸め込み、これからも危険に投げ入れようとしている浅ましい自分を切り裂きたくなる。

 偉そうなことばかり言って、その実はただ自分は弱いから守ってくれというあまりにも醜く自分勝手な願い。


「私は……最低だ……」


 この世界のことを何も知らないというのに、私が教えようとすると、もう遅いからと私を休ませ、自分は訓練すると言い外へ行ったイツキ様。

 きっと不安だろう。心細いだろう。混乱しているだろう。

 なのに私を優先し、文句も言わずに守ってくれようとしている。


「眠らなきゃ……眠らないとイツキ様に心配されちゃう……」


 自分自身に暗示をかけるように呟くが、どうやら眠りという名の救済はまだまだ私には訪れそうにもない。

 まるで、闇が私を押し潰そうとしているようだった。

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