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「ここは……?」
眠っていたのか俺は? だがここは一体?
(GPSによる位置測定は……駄目か。機能が停止しているわけではないようだが、衛生の障害か? レギオン基地が消滅したことによる弊害だとすれば復旧は見込めんかもしれんな)
使えないものは仕方がない。
そう考え、かけられていた毛布をどかし、寝かせられていたベッドから起き上がる。
周囲を見渡すとどうやら民家のようだが、これは何というか。
(異常なほどに古くさい作りをしているな)
まるで、古い西洋を題材とした映画か何かのセットのような部屋。
それが俺の印象だった。
(しかし、映画のセットにしては妙に生活感がある。何ともちぐはぐなものだ)
視線を動かし、周囲を観察した後、ふと何気なく視線を下にやると、俺の目が信じられないものを視界に入れた。
「なっ……!? なんだ……これは……?」
思わず口から言葉を漏らし、自分の両の手の平を見つめる。
目線の先にある両手は、何の変哲もない男の手。
筋肉が筋となり浮かび、血色のいい肌の下にはうっすらと血管も見える。
だからこそ異常だった。
「馬鹿な……これは夢か?」
自分で見たものが信じられず、何の変哲もない人の血の通う手で己の頬をぺちりと叩く。
「ま……まさか……?」
再度走る衝撃。
軽い痛みがこれは夢ではないことを告げるが、そんなことはどうでもいい。
ふらふらとした足取りで、部屋の隅に置いてあった小さな鏡の元へと歩き、ひったくるようにしてそれを自分の顔の位置まで上げる。
「俺の……顔……?」
そこにあったのは、信じられないものを見たと言わんばかりに目を見開き、唇を震わせる男の顔。
痩せぎすで黒い髪をしており、鋭い目つきで鏡を見つめる黒い瞳はどこか陰を感じさせられる。
その顔は、自分が組織で何度か見たシャイニングマンの人としての姿。来栖大地の顔とどこか似ていた。
「一体、俺に何が起きているんだ……」
俺は、改造手術の途中で組織から逃げ出したシャイニングマンこと大地とは違い、ドクター・ヘドロによって完全な人造人間として作られた。
それ故、嫉妬や憎悪といった感情を抱き、弟であるシャイニングマンを憎み、争った。
自分は人には戻れない。なぜ自分ばかりが。
そんな負の感情に突き動かされ、拳を向けていたこともあるというのに。
「は……はは……それが、こうもあっさりと」
自嘲するような笑いが口から漏れる。
人としての自分。とうに失われてしまったはずのその姿。
このどことも知れぬ場所で、渇望しても渇望しても手に入らなかったはずのものが己のものとなったと、どくりどくりと脈打つ心臓が、そこから送られる血流の熱さが、そして、頬を流れる一筋の涙が確かに伝えていた。
(しかし、結局ここはどこなんだ?)
自分の身体が人に戻っていた衝撃からひとしきり落ち着いたところで、当初抱いた疑問へと思考を戻す。
(俺は……あの天使とかいう奇妙な相手に勝利し、それから……エーテルの枯渇により気絶したのか?)
俺の全身を流れる、血液とはまた違うエネルギー。それがエーテルなのだが、あの天使との戦いの際、ゴッドブレイカーを使うために体内に残ったエーテルを限界まで搾り出したのを記憶している。
エーテルとは俺が戦うためのエネルギーであり、俺が動くための活力の源でもある。
それが、一時的とは言え枯渇に近い状態となり、体内のセーフティーが働いて強制的に意識を落としたのだろう。
(すると、俺をここに運んだのは、あの黒髪の女か?)
俺がここに来た際、助けを求めてきた黒髪黒服の女。
何故、天使の姿をした者に狙われていたのか? 修道女のような服を着ていたが、宗教関係者なのか? そして、女が俺に向かって言っていた魔神という言葉。
今思い返しても不思議なことだらけだ。
(まあ、その辺は本人に聞けばいい。時間は……あれから丸一日が経過したという所か。消耗していたとは言え、流石に休みすぎたようだ。さて、問題はあの女が近くにいるかということだが……)
現在の時刻を視界の脇に映して確認し、続けてセンサーで周囲の動態反応を探す。
人の姿であることが関係しているのか、どうもシャドウメタルであった頃よりもセンサーの性能が落ちている気がするが、この姿でいるためには慣れるしかないのかもしれない。
(人の姿を得る代わりの代償か……だとすれば安いものだ。おっと、これか?)
ここからさほど離れていない位置に、動体反応が一つあった。
大きさや温度から人間であろうことがわかる。
(ここでこうしていても始まらない。行ってみるか)
警戒を全くしないというわけではないが、もしあの女に俺を襲うつもりがあるのだとしたら、意識を失っている間にどうとでも出来たはずだし、油断を誘う為だとしたら、この後に待っているのは直接的な攻撃ではなく誘い込むための懐柔だろう。
第一。
(あの涙と言葉、嘘ではあるまい)
己を置いて逃げろと行った時の強い意志を伴った瞳を思い出し、続けて。
(飯を作ってもらわんといかんからな)
意識を失う前の約束を思い出し、ベッドを後にしたのだった。
「おい、女」
「ひゃっ!? あ、魔神様、目を……覚まさ……れ……?」
女は、俺が寝かせられていた部屋のある家から僅かに離れた場所で何かに祈りを捧げていた。
よほど集中していたのか、俺が声をかけるまで誰かが近付いているということも気付いていなかったのだろう。
「集中するのは構わんが、警戒は怠るな。いつまたあいつらが襲ってくるとも限らんのだからな……ん? どうした?」
女は、大きく目を見開き、口をぱくぱくと開け閉めしながらこちらを指差していた。
自動でスキャンされた情報が脳内に飛び込む。
(体温の上昇、発熱、脈の向上。極度の緊張にある? 何があった? まさか!?)
女は指を指している。
だがそれは俺に対してではないのかもしれない。
だとすれば、女が見つめ、指差しているのは。
(背後か!?)
慌てて前方へと飛び退き、反転して女を背後に庇いつつ先程まで自分の背後であった場所を睨みつける。
体の反応が鈍い。
もし今、あの天使から狙われれば、俺はまだしも女を守ることは難しいかもしれない。
つうっと頬を冷たい汗が流れる……が。
(何もいない?)
視線の先にはあちこちが崩れ落ちた家屋は飛び込んだが、大きな動体反応は一つもない。
虫や小動物といったものはいるかもしれないが、もし危険なものであるならば、体内のエーテル感知器が何らかの反応を示すはず。しかしそれも何の反応も返さない。
「……驚かせるな。一体どうしたと言うんだ?」
振り返り、背後の女を見る。
先ほどよりも近付いたからか、こうして見ると黒髪黒目ではあるものの、日本人とはどこか違う容姿。
年の頃は10代後半といったところか。
少女から女の階段を登り始めた頃特有の体付きは、整った容姿と相まって、恋愛沙汰などに興味の湧かない俺であっても色気を感じさせるものだった。
「あ……あ……? え? ひゃ……」
女は、相変わらず要領を得ないことを口走り、体温は更に上昇を続けている。
流石に普通ではないと感じた俺は、女の身に何が起きているのかわからず、強く問い詰めた。
「……? おい、しっかりしろ! どうした? 何があった!?」
すると。
「きゃ……」
「きゃ?」
きゃ? なんだ?
脳内にある『きゃ』から始まる危険なものを検索。
最も危険なものとして、キャトルミューティレーション計画という単語が検索結果として脳裏に映し出される。
キャトルミューティレーション計画。
レギオン所属の吸血怪人チュパカビュラスが作戦指揮し、実行に移された計画。
チュパカビュラスの能力を使い、一般市民の血液や肉体の一部を搾取することを目的としたもの。
過去の記憶が蘇り背筋に冷たいものが走るが、続く記憶を思いだし、余分に入りすぎた力を肩から抜く。
キャトルミューティレーション計画はシャイニングマンの手により阻止され、吸血怪人チュパカビュラスも倒されたではないか。
第一、シャイニングブレードに斬られ、虫の息だったチュパカビュラスに止めをさしたのは、計画が気に入らなかった俺ではないか。
よくよく考えてみれば、女も俺もどこかを切り取られてなどいないし、血液が抜かれていることもない。
他にも大量の検索結果が脳裏に映し出されるが、どれも可能性が低いものばかりしかなく、俺が途方に暮れていると、女は真っ赤な顔で片腕を上げていた。
もしや空に何らかの驚異があるのかと空を見上げるが、そこにあったのは雲一つない青空のみ。
正に八方塞がり。
俺がそんなことを考えていたその瞬間。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああっ!!」
「なっ!? ぐはっ!!」
女は悲鳴を挙げると、強烈な平手打ちを俺に喰らわせたのだった。
「も、申し訳ございません……
「構わん。悪いのは俺だ」
今いるのは俺の寝かせられていた家の居間。
そこで、テーブルを挟んで俺は真っ赤な顔をした女と対峙していた。
「ですが、その……ほ、本当に申し訳ございません!」
「だから構わんと言っている。服を着ていなかった俺が悪いんだ。お前が謝る必要はない」
そう。女が挙動不審になり、俺に平手を食らわせた理由。
簡単なことだ。俺が、首につけたマフラー以外は何も身につけていないという全裸とほぼ変わらない格好で女の目の前に現れたから。それだけのことだった。
ちなみに今は、俺が起きたベッドの脇に用意されていた簡素な衣服を身にまとっている。
「あ……あうぅ……」
意味不明な言葉を漏らし、再度俯く女。
先ほどからこの調子で、現在の所ようやく聞き出せたのは、俺が自称天使というあの男に勝利した後、気絶した為、女が慌ててここに運んだということだけだ。
ちなみに、今の俺が人の姿をしている理由についてだが、気絶した時には既にこの姿だったらしい。当然その時の俺には自覚もなく、女にもそれ以上のことがわからないとのことで、他には答えも出そうにないと判断し一時的に棚上げしている。
(フゥ……人前に出る時は服を着る。そんな子供でも理解していることを完全に失念していたとは、自分で自分が情けない)
俺は口では強く言っているものの、内心落ち込んでいた。
人体改造されシャドウメタルとなった時から、マントなどを羽織ったことはあるものの、必要のない衣服は着用していなかった。それこそ、十年以上も素っ裸で過ごしていたようなものだ。
だが今は違う。
人としての姿を手にしたのがいくら久しぶりだとは言え、裸で他人の前に出るなどそうそう許されるものではない。
しかし、こうしていても話は始まらない。今回のことは素直に反省し、思考を切り替えなくては。
「幾つか質問したいことがあるのだがいいか?」
「は、はいっ! なんでしょう魔神様!」
俺の声に、飛び跳ねるように赤い顔を上げた女を見ながら、幾つかの質問の中で今まさに飛び出した単語に関して質問することにした。
「お前の言う『魔神サマ』とやらだが、なぜ俺をそう呼ぶ?」
俺は人ではない。改造人間だ。過去、虐げた人々から悪魔と罵られたこともある。
しかし、この女の言う『魔神サマ』といった言葉にそういった侮蔑の色は見られない。
むしろ信奉する何かに向けて言っているような、尊敬の念の篭った色だ。
「え? いえ、あの……なぜと問われましても、魔神様は魔神様ですので……あっ! もしや……も、申し訳ございません! 私などが恐れ多くもお名前をお呼びしてしまってお怒りなのですね!? お許し下さい! どうか! どうか!!」
言うが否や、女は赤かった顔を真っ青にし、頭をぶつけるかのようにテーブルに擦りつけ許しを請い出した。よく見ると肩も震えているのがわかる。
何故こうなるのか、本格的に何がなんだかわからない。
「落ち着け……怒ってなどいないから頭を上げろ。まず言っておくが、俺はお前の言う『魔神サマ』とやらではない」
「お許し……え?」
謝罪の言葉を区切り、顔を上げた女はぽかんと口を開けてこちらを見つめた。
どうでもいいが、ころころとよく顔色の変わる女だ。
「俺の名はシャドウメタル。ドクター・ヘドロによって作り出され、秘密結社レギオンに所属していた改造人間。それが俺だ。レギオンの名ぐらいお前も知っているだろう?」
本来であれば、俺がレギオンに所属していた事を告げる必要はなかったのかもしれない。
だがこれは俺なりのけじめのようなものだ。誰に対しても隠す気はない。
これは、悪の手先となり、人々を苦しめた俺に対する当然の罰。
俺はこれからもその罰を甘んじて受けるつもりだ。
「…………」
「…………」
部屋の中を沈黙が支配する。
俺は確かにこの女を助けた。それは事実だ。
しかし、この女が俺の過去を知り、拒絶するというのであれば仕方のないこと。
それだけのことを俺はしてきたのだ。
他でもない、己の意思で。
「……あの」
「……なんだ?」
いつの間にか下に向けていた視線を上げ、女の顔を見る。
そこにあったのは、恐怖、失望、怒り、悲しみ。そういった表情……ではなく。
「シャドウメタル様のお名前は天使との戦いの際にお聞きした為、存じております。ですが、その……どくたー? へど……ろ様? それと、れぎおん様、でよろしかったでしょうか? その、学がなくお恥ずかしい限りなのですが、私が存じている教えの中にそういったお名前は無かったため、宜しければどういったお方なのかお教えいただいてもよろしいでしょうか?」
ただただ疑問だけが浮かぶ顔。
あまりに予想外の反応に、俺の口から驚愕の言葉が漏れる。
「なんだと……?」
「ひっ!? 申し訳ございません! お許しを! お許しを!!」
俺の言葉が叱咤するものだと思ったのか、再度、真っ青になってテーブルに頭をこすりつける女。
今度は頭を上げろと声をかけることができないまま、俺は固まっていた。
(ここが日本ではないとしても、ドクター・ヘドロやレギオンの存在を知らないという可能性があるのか?)
日本を本拠地とする組織ではあるものの、支部は世界中に存在する秘密結社。
田舎の子供であっても、悪といえば必ず名が挙がるほどの代名詞。
連日テレビや新聞を賑わせ、人々を震え上がらせる恐怖の存在。
それがレギオン。
それを、この女は知らないという。
「あ……あの……」
「あ、ああ。すまない、頭を上げてくれ」
目に涙を浮かべ怯えながらこちらを見上げる女に対し、ようやく俺は頭を上げるように言う。
女の目には恐怖の色はあるものの、嘘を言っているようには見えないし、発汗状況や体温などから察するに、極度の緊張状態にはあるようだが、これもまた嘘を付いている人間特有のものとは違う。
つまり、この女の言うことは。
「もう一度聞く。お前はレギオンを知らないのだな?」
「は、はい。申し訳ございません……」
知らないことが本当に恥ずかしいと言わんばかりに悲しそうな顔で俯く女。
導き出されたのは、この女がレギオンの存在を知らないということが真実であるというもの。
であるならば、この女だけが特別なのではないかという可能性がある。
「いや、怒っているんじゃない。安心しろ。……ちなみに、お前だけが極端にそういった情報を知らない可能性は?」
「ここは田舎ですので、その可能性は捨てきれませんが、私が王都の教会にいた頃にもそういったお名前は聞いたことがなく……」
「……王都?」
質問の答えの中に日常ではよく聞かない単語が飛び出した為、思わず口を挟んだ俺に対し、女は不思議そうな顔をしている。
「は、はあ。私は過去に王都ジュデッカにおりましたが」
「王都……ジュデッカ……?」
ジュデッカという地は存在する。だがそれは決して王都などではない。聞いてから即座に脳裏に出た検索結果が正しければ、それはただの島だ。
ぞわぞわと背中に虫が這い寄るような悪寒が忍び寄る。
ぐらりと目眩のようなものを感じ、思わず片手で頭を抑える。
「ど、どうされたのですか魔神様!? もしやまだお気分が優れないのでは!?」
「……い、いや、大丈夫だ。その、なんだ……そ、そうだ、飯を……何か食べるものをもらえないか? 倒れる前にも言ったが、実はかなり腹が減っていてな」
慌てる女に対し、上手くまとまらない思考の中でどうにか返事をしながら、俺は自分の予想が当たっていないことを祈りつつ、女の顔をじっと見つめた。
「あぁっ! そうでした! 重ね重ね申し訳ございません! 今すぐにご用意いたします!」
そう言って慌ててパタパタと台所と思われる場所へ行く女を見やりながら、俺は自分の予想が的中したことに対し頭を抱える。
改造手術を受けた際、俺に埋め込まれた翻訳装置。
女が口を動かす時と、実際に俺に届く言葉の差異を見るに、どうやら翻訳装置は正常に動いているらしく、女の使用している言語も俺の普段使用している日本語へと変換し、脳へと届けているようだ。
それ自体は問題ない。レギオンの作戦で海外で行動し、現地人と会話した時にも同じように装置は作動していたのだから。
だがここで大きな問題が一つ。
先ほど女が使用していた言語が何なのかを脳内のコンピューターから抜き出し、視界に移した結果、表示された答え。
『ゲヘナ語』
過去のデータのどこにもなく、俺自身も聞いたことのないこの言語。
そして、その謎の言語が翻訳装置へとインストールされた日時は、俺の記憶違いでないとすれば、レギオン基地を消滅させた時とほぼ同時刻。
(ここは……まさか……)
世界中のどこにもないはずの都。
異常な強さの天使という存在。
レギオンの存在を知らない者。
映画のセットのようなこの家。
反応しないGPS。
要領を得ない会話。
謎の言語。
ずっと感じていた様々な違和感は俺の脳内でぐるぐると回り続け、結果、受け止め難い一つの答えを導き出した。
(地球では……ないと言うのか……?)