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 私は、なすすべもなく天使に壊され、焼かれ、崩れていく村をただぼんやりと見つめていた。

 村に住んでいた人々は先程まで叫び、嘆いていたはずだが、今は物言わぬ肉塊となり、ゲタゲタと笑う天使の胃袋の中へとおさまりつつある。

 物語の中にしかないと思っていた天獄。それが今、現実のものとなり、私の視界を覆い尽くしていた。


 現実を拒絶し、記憶を遡る。


 今日は特別なことなど何もない、普通の日常の始まりだった。

 朝起き、身体を清めた後に聖堂にて魔神様へと祈りを捧げ、朝食を口にし、近所の人々と笑顔で挨拶を交わし、日課となっていた山菜採りを行う為に裏山へ行き、昼頃には普段と変わらない程度の山菜を採ることができ、そろそろ村へ戻ろうと思っていた矢先の出来事だった。


「空が……割れている……?」


 異変の始まりは、ぴしりという何かがひび割れたかのような嫌な音。

 音の出処を探し空を見上げると、音の原因が目に映った。

 

 雲一つない青空。その中に、巨大なひび割れが出来ていた。

 手に持っていたかごが手から離れ、とさりと音を立て地に落ちる。

 そうしている間にもひび割れは徐々に広がり、ある程度の大きさになった瞬間、ぱりんと軽い音と共に大きく砕けた。

 ひび割れの向こう側を僅かに垣間見た瞬間、私の背筋に悪寒が走る。

 

「うっぷ……げえっ! ゲホッ! うぶっ!」


 悪寒と共に私を襲う嘔吐感。たまらず朝食と胃液が混ざり合った吐瀉物を吐き出した。

 井の中に残っていたもの全てを吐き出し、それでも足りず、血すら混じった胃液を地面へとぶちまける。

 そうして私が起こった事を深く考えることもできず、ただ地をのたうち回る間にも事態は進行していた。


 天から光が落ちる。

 

 それはぞっとするほどに美しく、それでいて恐ろしい光景だった。

 光と共に天より落ちてくるのは天使の軍勢。

 偉大なる魔の神により、天の獄に封じられし恐怖の使者。

 

 ソレが最初に私たちの村を襲ったのは偶然だったのだろう。

 落ちた場所の近くにあった。ただそれだけのこと。

 ただそれだけのことで、村は蹂躙された。

 

 裏山に登っていたのが幸運だったのか不幸だったのか、吐瀉物に口の周りを汚す私が目を上げると、天使達により蹂躙される村がとても良く見えた。

 私の見ている前で、巨大な炎により今朝笑顔で挨拶を交わした隣人の家が燃やされた。私の寝起きしている教会の尖塔が打ち壊され、裏山まで響くほどの大きな音をたて地に落ちた。村一番の戦士は何をすることも出来ないまま村を囲う柵とともに火の中に消えた。

 

「あ……ああ……」


 何をすることもできない私は、自分の大好きだった場所が、人がただ壊されていくのを見つめることしか出来なかった。

 首から下ろした胸に光る魔神様のシンボルに祈ることもできず、ただただ震えることしかできなかった。

 

 絶望だけがそこにあった。

 

 私が長い放心から我に返ったのは、村をあらかた蹂躙した天使が裏山にいた私を見つけ、物を掴むように持ち上げ、村で破壊を続ける他の天使へと差し出された後だった。

 

 そして時間は始まりへと戻る。



 膝をついた私を、口の周りにべったりと赤い色を付けた天使がはっきりとわかる笑みを浮かべ、舐めるように見据える。

 周囲にいる他の天使の仕草を見るに、どうやらこの天使の群れを率いる者のようだ。

 それに気づいた私は立ち上がり、届かないと分かっていても声を上げるしかなかった。

 

「返して……私たちの村を、皆を返して!」


 随分と前からこぼれ落ちていた涙を更に増やし、髪を振り乱して叫ぶ。届かないと分かっていても言葉の刃で斬りつけるかの如く叫ぶ。

 そうすることしか出来ない私に、目の前にいる天使は不思議そうな顔をしたあと、何かを思いついたかのような笑顔を浮かべ、にちゃりと嫌な音を起てて口を開いた。

 

「生きてたのはお前以外、もうぜーんぶ殺しちまったから無理だ」


 見ていたのに、わかっていたことなのに、どこか現実感のなかった私は、そこでようやく思い知った。

 ああ、みんなころされてしまったのだ、と。

 

「うあ……ああああ……うあああああ……」

 

 力を失った膝がかくんと曲がり、喉から嗚咽が漏れる。

 それを見た目の前の天使を含めた周囲の天使全てがげたげたと笑う。

 哀れな私を見て楽しそうに笑う。

 

 泣き続ける私を一頻り眺めたあと、天使は当然の決断を下した。

 

「最後はお前で終わりだ。いい声で鳴けよニンゲン」


 涙で前がよく見えないが、己を包む気配で分かった。


 ああ、ここで私は死ぬのだと。

 何もできないまま食われて死ぬのだと。

 泣き叫び、苦しみながら死ぬのだと。


 私は、

 

「許さない……お前らを許さない!」


 死にたくない。

 

「助けて……誰か助けて……」


 嫌だ。死ぬのなんて嫌だ。こんな天使などに食われるのは嫌だ。復讐も出来ず死ぬなんて嫌だ。

 だから願った。救いを。

 力なき者への救いの手を。


 そしてそれは。

 

「あぁ? 誰が助けてくれんだ? 言ってみろやニンゲン!」


 聞き入れられることはなかった。


「ぎゃっ!?」


 天使からすれば軽く撫でた程度のことなのかもしれない。だがそれは私にとっては頭が吹き飛ぶかのような衝撃を伴った攻撃でしかなく、天使に頭を横から打ち付けられた私は悲鳴を上げ、まるで炉端の石を放ったような勢いで吹き飛ばされた。

 数度地面を跳ね、それでも止まらず地を滑り、ようやく止まったのは崩れた瓦礫に打ち付けられてから。


「あぐ……あ……」


 まともに声を上げることもできない私は、ずきずきと痛む頭を押さえることもできず、ただぼんやりとこちらへと歩いてくる天使を見ることしかできない。


 それを見ながら、私は考えていた。

 

 なんて人は弱いのだろう。

 向けられた暴力に歯向かうこともできず、救われることもなく、食われることしかできない。

 ならば何故、私たちは産まれたのだろう?

 人を愛し、産み、育て、笑い合ってきた日々に何の意味があったのだろう?

 何の価値もなかったのか? 人は無意味な存在なのか? 家畜に何かを思い、考えることなど必要がないのだろうか?


「おーし、まだ生きてるな? よしよしいい子だ。じゃあ、特別にてめえは踊り食いにしてやるよ。感謝しろやニンゲン…………あ?」


 否。断じて否だ。

 

「ケホッ! あぐ……っ! ま、負けない……絶対に人間はあんた達なんかに……」


 今が駄目ならば時を待て。

 逃げ延び、牙を研ぎ、力を溜めて奴らに突き立てろ。

 死んではいけない。今ここで死ぬわけには行かない。

 なんとしてでも生き延びてやる。

 

「ほー。逃げるつもりか。いいぜいいぜぇ。俺は活きがいいニンゲンは好きだ。それでこそ食い甲斐があるってもんだ」


 今もふらつく頭を振って立ち上がり、今出せる全力の早さでその場を逃げ出す。


 足を動かせ。頭を働かせろ。背中を見せても構わない。今あるだけの力を振り絞れ。

 頭を打ち付けられたことにより未だおぼつかない足に喝を入れ、転ばないように慎重に、それでも今出せるだけの最高の速さで逃げろ。

 そうすればきっと生き延びられる。

 

「だが残念。逃げられないんだなぁこれが」

「うあ……あ……」


 だが、そんな想いなど所詮は奇跡でしかない。

 背中の翼で空を飛び、私の目の前へと降り立った天使は、私の中にあった最後の希望すら粉々に破壊する。

 心が折られそうになり、膝がまた力を失い崩れそうになる。

 

「いっただっきまーす」


 だがまだ私の心は完全には折れてはいない。

 

「うああああああああっ!」


 地面を転がされた時、密かに手に握り締めた鋭い断面を見せる手のひら大の石。

 何の変哲もないただの石ころでしかないが、それは私に残された最後の牙。

 それを、大口を開ける目の前の天使の顔面へと叩き込んだ。


「はっ……はっ……」


 大きく肩で息を吸う。

 天使は油断しきっていたのか、私の持つ牙は的確に顔へと当たった。

 どんな生き物であれ、目というものは弱点だ。それ以外にも、顔にあるどの部位であったとしても傷を受ければ怯みもする。

 私の希望は繋がった。これで、少しだけかもしれないが時間が稼げる。


「なんだこりゃ? 石?」


 そう思っていた。


「う……そ……なんで……」


 そこにあったのは、傷一つない美しい顔をした天使の姿。

 ずきりと痛む手のひらを見ると、細かく砕けた石の破片は目の前の天使に傷を負わせることなく私の手のひらだけを傷つけ、流れ出た血により赤い色に染まっていた。


「石ころで俺たちをどうにかできるなんて考えてたのか? マジか? おいおい嘘だろ?」


 心底不思議そうに私に尋ねる天使。

 

「うわー、マジか。はー……逆にびっくりしたわ。やっぱ長く生きとくもんだな。改めて思うわ」


 そう言って天使は美しい顔をぐにゃりと醜悪に歪め、笑みを作りこう言った。


「ニンゲンって馬鹿だな」


 今度こそ私の心は完全にへし折れ、跡形もなく砕け散った。


「…………」

「あれ? もう抵抗しねえのか? ふーん。まあいいか。じゃあ今度こそいっただっきまーす」


 言葉すら出せない私を、満面の笑顔で大きく口を開き捕食しようと天使が迫る。

 もう枯れ果てたと思っていたのに、それでも瞳に自然と涙が浮かび視界が揺れる。

 ぱちりと瞬きをすると、溜まっていた涙が頬を伝い落ちていく。



 こうして、私の人生は終わった。



 そうなるはずだった。



「あ? なんだテメエ? どっから湧きやがった?」


 瞬きをしたほんの一瞬。その刹那。

 どこからか現れた誰かが私と天使の間に入り、こちらを向いて立っていた。

 

「……え?」


 訳が分からない私の口から自然と声が出る。

 

 そこにいたのは人型の何か。

 成人男性と同じぐらいの大きさで、全身を黒い鎧に包み、その首には赤い布が巻いてある。

 全身を覆う黒い鎧は村の各所で燃え盛る炎に照らされ、鈍く光を照り返し、赤い布は熱さを伴った風を受けはためく。

 どこで受けたのか全身に傷を負い、黒い鎧はあちこちが壊れ、ボロボロで。

 その姿はどこか幻想的で、そして儚く。


 だが、目に宿る赤い光は力強く。その何者かが生きている事を何よりも雄弁に知らせる。


「……おい女」

「え? あ、はい」


 黒い鎧の何かは言葉が喋れるようで、口元どころか頭全てを覆う兜をつけているにも関わらず、くぐもることのないよく通る声で問い掛けた。

 一瞬、自分が話しかけられた事に気づかなかった私が場に似合わない間の抜けた返事を返すと、黒い鎧の誰かは私に更に問いかけた。


「助けは必要か?」


 問いの意味が解らず、ぽかんと間抜けに口を開ける私。

 そして、ゆっくりと次第に問いの意味が脳裏に染み渡る。

 この眼前の誰かが誰なのかはわからない。もしかすると天使の味方なのかもしれない。もし敵でないとしても、これだけの傷だ。何の抵抗もできないまま、天使の新たな食料となるだけなのかもしれない。


 だが。


「助けて……」


 私は助けをも求めた。

 この、誰ともしれない黒き鎧をまとった名も知らぬ戦士に。




 まず最初に目に入ったのは炎。

 次に目に入ったのは、頭から血を流し、涙を浮かべへたりこむ黒服をまとった黒髪の女。


「あ? なんだテメエ? どっから湧きやがった?」

「……え?」

(どういうことだ? どこだここは?)


 二つの声を無視し、言葉なく己に問いかけるが答えは出ない。

 俺は死んだはずだ。レギオン基地の地下深くで己の魂を燃やし、地球を破壊せんとする爆弾を道連れに。

 光の中で己の心臓が止まったのを感じたはずだ。

 己の生み出した爆発の中、傷だらけだった身体は砕け散り、消滅したはずだ。

 だが、俺の心臓は今も力強く脈打ち、傷を負ってはいるものの、手足も欠けることなく揃っている。

 

 俺は死んでいない。今もこのどことも知れない場所で生きている。

 

 装置の破壊に失敗した? いや、それはない。確かに自分と共に消えていったのを記憶している。

 だが、だが、だが。

 幾つもの疑問が高速化した至高の中で疑問を繰り返す。

 

 そんな混乱の中にあったが、それを強引に断ち切った。

 どうやら、俺にはまだやらねばならないことがあるようだったからだ。

 

「……おい女」

「え? あ、はい」


 俺の目の前で呆けた顔をしている謎の女。

 そして、声のみで姿は見ていないが、まるで形があるようにも感じる背後からの強烈な殺意。

 この場にあって言わなければならないのは、以前の俺では決して言わなかった言葉。

 それは。


「助けは必要か?」


 弱き者への救いの言葉。

 破壊することしかできなかった俺がシャイニングマンから教えられた、力あるべき者が背負わなければならない言葉。

 俺の言葉に女は一瞬呆然としていたが、その顔を悲しみにくしゃりと歪めたあとはっきりと俺にこう言った。

 

「助けて……」


 いいだろう。取り引きは成立した。振るおうではないか。この、破壊することしかできなかった力を。

 

「任せろ」


 弱き者のために。

 

「誰だか知らねえけど天使サマを無視してんじゃねえぞコラぁ!」


 叫びと共に、背後の殺意が限界まで膨れ上がり爆発した。

 視界の至る所に警告が表示され、警告音が鳴り響く。

 警告で埋め尽くされたような視界の中で、俺は必要なものだけを抜き出していく。

 

(まともに受ければ危険か)


 警告と共に瞬時に高速化した思考で読み取るそれは、十全であったとした場合の俺が受けたとしてもただでは済まないであろう破壊する為の力の塊。

 しかしそれは、まともに受ければの話でしかない。

 

「シャドウブレード!」


 気合と共に口にした言葉により、右手に収束する闇の力。

 コマ送りのような世界の中で遅れることなく姿を現したそれを、迫り来る何かに向けて振り払う。

 

「ハァッ!」

「なっ!? なんだそりゃ!?」


 右手から伸びるのは黒き闇の剣。

 シャイニングマンの使うシャイニングブレードと打ち合っても決して欠けることはない俺の牙。

 振り返りつつそれを振るわれたそれは、俺の頭を叩き割らんとしていた暴力の塊を軽々と弾き飛ばした。

 

「先ほど、自分のことを天使などと言っていたので、どんな阿呆がいるのかと思ったが……ふむ、確かに天使だ」


 ここに来て俺はようやく敵意を向ける者の姿を目に入れた訳だが、確かにこれは天使としか形容しようのない相手だった。

 そこにいたのは2メートルほどの身長の男。

 金色の髪と瞳をしており、服というよりも大きな白い布と言うべきものを身体に巻きつけ、それを腰に巻きつけた同色の帯で締めているだけ。

 そして、頭の上に浮かぶ白い輪と背中にある純白の翼。

 顔も人間とはどこか隔絶した程に美しく、どこか作り物じみてさえいる。正に天使だ。


「羽根を飛ばしてあの威力か。器用なものだ」


 目を足元にやると、先ほど剣で弾き飛ばした小さな羽根の一つが、その身を半分ほど地面に埋め突き刺さっている。

 だが、一見何の変哲もない鳥の羽根でしかないそれは、目から入った情報により脳内で弾き出した分析結果によると、地球上にあったどの物質とも相容れない謎の物質により構成されている恐るべき兵器であった。

 

「テメエ……俺様の羽根を簡単に防ぐってことはニンゲンじゃねえだろうが、魔族にしちゃあ見覚えがねえ。何もんだコラ?」


 魔族? 天使がいるのなら魔族とやらもいるのだろうか?

 ……まあ、なんだっていい。問われたことに正直に返してやるとしよう。


「俺の名はシャドウメタル。貴様を倒す者の名だ。その身に刻んで滅ぶがいい」




 長きに渡り繰り広げられることとなるシャドウメタルと天使の最初の死闘は、今ここに幕を開けたのだった。

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