‐歪な朝 Ⅱ‐
私は、素足のまま、薄汚れた競技場へと進んでいく。
少なくとも五百メートルは離れていると思われるその距離からでも、
荒い息遣いが嫌と言うほど耳に届いて来て、気分が悪い。
そっと、武器が並んでいる机に手を伸ばす。
短剣、長剣、弓矢、短銃。
幾つもの武器が、ずらりと無機質に並べられている歪な机。
私はその中から、短剣と短銃を手に取った。
今まで幾つもの武器を試してきたが、私が一番合っているのはこれらしい。
私は短銃をポケットの中に入れると、短剣を手の中で器用に回した。
ぎらぎらと。刃先が輝く。
やらなくちゃ。
復讐のために。
ただそれだけのために。
私はやるんだ。
ぎぃ、という不気味な音を立てながら、開かれる檻。
そして半分無理矢理一人の男が競技場に連れてこられた。
男は半分退屈そうな面倒くさそうな、しかし半分欲望と殺戮に満ちた目をして、
私の目を見つめている。しっかりと、まるで全てを見透かすかのように。
私はその眼を見つめ返し、そしてにまりと口元を歪ませた。
高揚感?
破壊衝動?
違う。
これは、仕事。
そして、ゲーム。
「殺し合い」と言う名の、ゲーム。
「うわあああああ!!」
男が駆ける。
その手には、長剣。
私は回していた短剣を持ち直すと、体勢を低くした。
そして、集中。
全神経、起動開始。
全細胞、応答セヨ。
敵は一名、性別男、身長百七センチ前半、体型は痩せていて細い。
スピードは遅め。すべての神経細胞を殺戮へと転換サセヨ。
集中セヨ。すべての動きを読み取れ。
風の動き、変化、全てを理解し判断し行動セヨ。
男は大きく剣を振るう。
私はそれを寸前で避けると、次は体をよじり男の胸の中へと体を吸い込ませる。
そして、何の躊躇もなく、手に持っていた短剣で男の喉元を切り裂く。
「あぐぅっ!!」
どうやら男は反射で一瞬身を引いていたらしい。
思っていたよりも傷は浅かった。
しかし、傷口からの血は止まらない。
男は苦痛に顔を歪めながら、傷口を必死で抑える。
「はあぁ、あがぁ……」
乾いた唇から漏れる息は、痛みからか若干震えている。
通常、このような場合、一般人なら自分の罪に心を痛めるのだろう。
自らの手で、人を傷つけてしまったという罪悪感。
良心が痛む、と言う言葉が一番合っているかもしれないが。
しかし、私の場合は、もう何も感じない。
歪んでしまった心はもう二度と元には戻らない。
零れた水は、もう二度とコップには戻らないのと同じように。
もう戻らない……戻せない。
「……終わりよ」
色褪せた黄ばんだワンピースのポケットに手を突っ込み、短銃を取り出す。
撃鉄を起こし、ゆっくりと引き金に指を伸ばす。
何故なのだろう。
自分の手で、終わらせるのがどうしても怖い。
別に、ナイフに伝わってくる肉を切り裂くあの感触が嫌いなわけではない。
好き、とまではいかないが、嫌いでもないはずだ。
自分がやってのけたのだという達成感が味わえるのは確かなのだから。
それなのに、最後は絶対銃でとどめをさす。
これが私の最後の……理性?
「し、死にたくないぃいいいい!!」
男が最後の力を振り絞って、私に襲い掛かってくる。
その瞳は狂気に満ちていて、すでに理性など何処かへと消えてしまっていた。
あるのは、ただ生きたいという、本能のみ。
私はゆっくりと、引き金を、引く。
「さようなら」
ぱん、と響く乾いた銃声。
男の瞳から、光が消えた。
どさりと崩れ落ちる肉体。
溢れだす鮮血。
消えていく命の灯。
今彼の頭の中には、何が浮かんでいるのだろうか。
憎悪で渦巻いているのだろうか。
それとも……
愛しい家族との思い出を、走馬灯の中で漂っているのだろうか。
そう。
私も同じ。
もう既に。
堕ちてしまった。
禁断の世界に。
足を踏み入れてしまった。
もう二度と抜け出せない。
……私は……誰なのでしょうか。
家族すら失い。
自分すら失い。
光の差さない牢獄の中。
自由を奪われ。
こうやって。
殺戮人形と化している私は。
一体。
誰なの?
あの頃の私は……いつ、死んでしまった?