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旧日本陸軍における木製戦闘機の開発過程と技術的特質

作者: もろこし
掲載日:2026/03/27

もし日本にモスキートやLaGG-3のような本格的な木製戦闘機が存在していたら……そんな世界線で技術開発史とその影響を考察する研究論文(嘘)です。


体裁がガチの論文(風)になってますので、人によっては卒論とか修論のトラウマが復活する恐れが有ります。ご注意くださいw


査読コメントや質疑応答は感想欄で受け付けますので、よろしくお願いいたします。

旧日本陸軍における木製戦闘機の開発過程と技術的特質

Wooden Fighters in the Age of All-Metal Aircraft: Innovation in the Imperial Japanese Army



■Abstract


 本稿では、大日本帝国陸軍における木製戦闘機の開発過程を、戦間期および太平洋戦争中の技術革新、産業的背景、運用評価に焦点を当てて考察する。


 1930年代までに航空機の構造は木材から全金属構造へと大きく移行していたが、日本はフェノール樹脂接着防水合板の採用により、高性能木製航空機を独自に開発した。本研究では、この技術の起源を初期の水上機フロート構造に遡り、特に合板メーカーと中島飛行機などの航空機メーカーとの国内産業連携の重要な役割を強調する。


 熱圧着樹脂含浸積層構造の導入により、軽量で耐久性があり、空力的に効率的なモノコック構造の機体が実現した。これらの革新は、九〇式戦闘機の採用成功につながり、その後の陸軍戦闘機にも影響を与えた。


 本稿ではまた、これらの航空機の構造強度、耐損傷性、整備性など、連合軍による好評価についても分析する。さらに、イギリスとソ連の木製航空機との比較から、収束的および相違的な技術的経路の両方が明らかになる。


 最後に、戦時中の日本における木製航空機の大量生産がもたらした、より広範な経済的および環境的影響について、資源代替効果や林業部門への長期的な影響を含めて考察する。


This paper examines the development process of wooden fighter aircraft within the Imperial Japanese Army, focusing on technological innovation, industrial background, and operational evaluation during the interwar period and the Pacific War. While aircraft construction had largely shifted from wood to all-metal structures by the 1930s, Japan uniquely advanced high-performance wooden aircraft through the integration of phenolic resin–bonded waterproof plywood. The study traces the origins of this technology to early seaplane float construction and highlights the critical role of domestic industrial collaboration, particularly between plywood manufacturers and aircraft companies such as Nakajima. The introduction of heat-pressed, resin-impregnated laminated structures enabled the realization of lightweight, durable, and aerodynamically efficient monocoque airframes. These innovations culminated in the successful adoption of the Type 90 Fighter and influenced subsequent Army fighters. The paper also analyzes the favorable evaluations of these aircraft by Allied forces, emphasizing their structural strength, damage tolerance, and maintainability. Furthermore, a comparative perspective with British and Soviet wooden aircraft reveals both convergent and divergent technological paths. Finally, the broader economic and environmental impacts of mass-producing wooden aircraft in wartime Japan are discussed, including resource substitution effects and long-term consequences for the forestry sector.


Keywords:

wooden aircraft, Imperial Japanese Army Air Force, phenolic resin, plywood technology, Nakajima Aircraft Company, monocoque structure, World War II aviation, material substitution, military industrial history


 


■1.はじめに


 第一次世界大戦を皮切りに第二次世界大戦から現代に至るまで、航空機が戦争において重要な役割を果たしてきたことは衆目の一致するところである。航空機とそれを支える技術は戦争と戦間期を通して急速に発達した。特に第二次世界大戦中における発達は目を見張るものがあり、現代の航空機に至る大きな流れはここで確立されたといって良い。


 航空機の出現当初、その材質は主に木であったが、鋼管羽布張りを経て第二次世界大戦の前にはジュラルミンを主体とした全金属製が主流となった。現代ではFRPやカーボン樹脂も用いられてはいるが、ジュラルミンやチタン合金などの金属が主流である点は変わっていない。


 しかし第二次世界大戦期において、日本・イギリス・ソ連の3か国においてのみ、一度は廃れたはずの木製機が積極的に生産運用されていた。どの国でもその性能は当時の全金属製機と比べて遜色なく第一線の主力機として用いられている。各国の木製機は個別に開発・発展したものであり、技術的には近しいものの関連性はない。


 本稿では我が国における旧陸軍を中心とした木製機の開発過程とその社会的影響について考察する。



■2.フェノール樹脂と耐水合板の開発


 現代の航空機の祖先であるライトフライヤー号は、発動機の出力が低く低速であったこともあり華奢な木製フレームが剥き出しの構造だった。その後より軽量で強靭な構造を求めて第一次世界大戦では木製フレーム布張りが主流となり、さらに鋼管フレーム布張りへと進化していく(1)


 そして第一次世界大戦後には全木製機は一部の水上機にのみに用いられる技術にまで衰退していた。これはシュナイダーズ・トロフィーなど当時の高速水上機の機体がフロートを兼ねる艇体構造が多く造船の技術が適用されたことと、高速度を目指して平滑な表面が求められたためである(2)


 全金属製機が主流の時代となっても、しばらくは水上機のフロート部分には木が使われていたが、フロート部も機体と同様にジュラルミンに置き換えられていくこととなる。


 水上機のフロートがジュラルミン製となるまで、当時のフロートは鋼管フレームに合板(ベニヤ板:plywood )貼った構造だった。


 例えば、1914年(大正三年)の青島攻略で用いられたモーリス・ファルマン式複葉水上機や、1917年(大正九年)に開発された横廠式口号甲型水上練習機も、そのフロートには合板が用いられている(3)


 合板の歴史は古いが、1837年(天保八年)に丸太をかつら剥きするロータリーレース機を用いた生産法が考案されてから欧米で大規模に産業化された。我が国でも1907年(明治四十年)に浅野吉次郎が独自にロータリーレース機(ベニヤレース機)を開発したことを皮切りに合板の生産と活用が広まった(4), (5)


 無垢材より均一で強度も高い合板はジュラルミンにくらべて軽量でもあり航空機の構造材や外板として十分なポテンシャルがあった。


 しかし当時の合板には致命的な欠点があった。


 薄板を貼り合わせる際に使用する接着剤として膠やカゼイン樹脂が使われていたためである。どちらも天然由来の接着剤であるが、加水分解されるため耐水性に乏しい。このため耐水性が問題視され以後の水上機は徐々にジュラルミン製フロートを備えるようになっていくこととなる。


 だがこの当時、すでに極めて耐水性に優れた樹脂が存在していた。フェノール樹脂である。


 フェノール樹脂は1907年(明治四十年)にレオ・ヘンドリック・ベークランドによって発明された合成プラスチックの一種である。ベークランドはこの樹脂をベークライトの名で販売したため、日本ではこちらの名前の方が広く一般に知られている。


 このフェノール樹脂は、高い電気絶縁性・耐熱性・断熱性・難燃性・接着性・耐水性という特性をもつため、瞬く間にあらゆる所で使われるようになった。


 我が国でも、ベークランドと親友であった高峰譲吉の斡旋により、1911年(明治四十四年)に三共合資会社においてフェノール樹脂の生産が始められている(6)


 当時、フェノール樹脂を用いた商品は二種類あった。ひとつはフェノール樹脂の成形品、もうひとつは紙にフェノール樹脂を含浸し積層した積層板である。とくに積層板は絶縁材として画期的な商品であった(7)


 だが成形品としてのフェノール樹脂の売り上げは今一つ伸び悩んでいた。これはフェノール樹脂が熱硬化性樹脂、つまり昨今のプラスチックと逆で熱を加える事で硬化する樹脂だったためである。このため硬化した樹脂を切削加工する用途が多く、売れる商品はブロック材や棒材がほとんどだった(8)


 この状況が変わったのが合板接着剤としてのフェノール樹脂の活用であった。


 海軍に水上機のフロート用合板を納入していた浅野吉次郎の浅野木工場が、1922年(大正十一年)に三共合資会社に対して合板の接着剤としてフェノール樹脂を用いる研究開発を打診した。


 当時、海軍からは合板の耐水性を問題として今後は合板を機体の主要部に使用しないという決定を申し渡されていた。事実、海軍が合板を再び機体に使用するのは太平洋戦争も末期になってからである。


 市場でも合板はその低い耐久性から非常に低い評価を受けており、合板をあらわす「ベニヤ板」という言葉がそのまま低品質をあらわす意味になるほどだった。このため浅野吉次郎は合板の信頼と売り上げを回復する方法を模索していた。


 同時期に三共合資会社も新たなフェノール樹脂の販路を探していたことから、両者の思惑の一致がこの共同開発に結び付いたものと考えられる。


 フェノール樹脂が熱硬化性である点が課題であったが、硬化温度が120度から180度とそれほど高くないため翌年には電熱線と蒸気を併用した過熱加圧プレス機の試作機が完成する。それで製造された合板はこれまでのものと比較にならないほどの耐水性と強度を示し関係者を喜ばせた。そして翌年に耐水ベニヤとして商品化され合板の悪いイメージを徐々に払拭してくことになる。




■3.新たな木製機とその工法


 浅野木工場は海軍にもこの新しい耐水合板を売り込んだが、残念ながら合板に対して徹底的な不信感をもった海軍の方針を変えることはできなかった。それでも浅野木工場は横廠式口号甲型水上練習機の生産で取引のあった愛知航空機と中島飛行機にこの耐水合板の売り込みを行った。


 愛知航空機は海軍の意向に従うということで門前払いに近かったが、中島飛行機は逆に興味を示した。これは海軍とやや疎遠であった中島知久平が、海軍が見捨てた合板を使って機体を作ってやろうという意趣返し的な意味があったと思われる。


 中島飛行機と浅野木工場はこの新しい耐水合板を用いた機体製作の共同研究を開始した。そして合板製造工程が加熱加圧プレスであるため、型を使用すれば平板だけでなく任意の形状の合板も製作できることに気付く。


 しかも合板自体が十分が強度を持つため骨組みを必要とせず、外板自体で形状と強度を同時に得ることができる。耐水合板は従来の合板よりは重いがそれでもジュラルミンの半分の比重であり、工数削減と軽量化を同時に達成できる画期的な手法であった。


 実際の工法は以下の通りである。


 まず、機体を1メートル程度の部分に分割した型を用意する。そこにフェノール樹脂を含浸した薄板を必要枚数重ね加熱加圧を行う。最後に出来た部品をフェノール樹脂接着剤で貼り合わせ加熱炉にいれて硬化させる。


 加熱によるフェノール樹脂の硬化には30分ほどかかるものの、骨組みを製作し外板をリベットで貼りつける従来の工法に比べれば作業時間を大きく短縮することが可能であると予想された。




■4.九〇式戦闘機の誕生


 1927年(昭和2年)、日本陸軍は次期主力戦闘機の開発を中島飛行機、川崎航空機、三菱重工業、石川島飛行機の4社に命じた(9)


 中島飛行機はフランスから技術者を招き、翌年に日本初となる全金属製で単葉の試作機「NC1」を完成させた。この機体は鋼管フレームにジュラルミンの外板を貼るという当時としては最新の構造であったが、さらに中島飛行機は、このNC1とほぼ同じ線図で耐水合板を用いた全木製の試作機「NC2」も同時に製作する。


 そして陸軍の試験において、中島飛行機のNC1が急降下試験で空中分解したのをはじめ、各社の試作機が強度や性能面で問題を指摘され失格となる中、唯一中島飛行機の木製機NC2のみが強度・性能の両面で問題が無かった。しかも機体表面が滑らかであったことから速度性能は他より抜きんでていた。


 1930年(昭和四年、皇紀2590年)に陸軍はこのNC2を「九〇式戦闘機」として採用した。この九〇式戦闘機を装備した飛行第二大隊、独立飛行第三中隊は第一次上海事変において米国機を装備する中国空軍を相手にその良好な性能を遺憾なく発揮した(10)


 なお、同時期に中島飛行機は海軍向けに九〇式艦上戦闘機(A2N)を開発している。こちらは英米の機体を参考にした従来通りの鋼管羽布張りの複葉機であった。中島飛行機は海軍に対して全木製の戦闘機も提案していたが拒否されている。これは当時の海軍の合板に対する不信感が相変わらず根強かったことを示している。


 ちなみに1932年(昭和七年)、フェノール樹脂を生産していた三共合資会社のベークライト部門が独立し日本ベークライト株式会社となったが、中島飛行機との協力関係はその後も継続されている(11)




■5.木製戦闘機の系譜


 九〇式戦闘機の採用後も中島飛行機は陸軍に対して積極的に全木製戦闘機の提案を続けていく。


 後継機の九五式戦闘機の選定では川崎航空機に敗れたものの、その後に陸軍に採用された九七式戦闘機、一式戦闘機「隼」、二式戦闘機「鍾馗」、四式戦闘機「疾風」はすべて全木製の戦闘機であった。試作機ではあるが陸軍初のジェット機であるキ201「火龍」もまた木製機であった。


 この間に合板の材質や加工技術も進歩し、強度や信頼性も全金属製を凌駕するレベルに到達している。海軍の木製機嫌いは相変わらずであったが、陸軍は逆に絶大な信頼を寄せていた。


 陸軍は木製機の信頼性だけでなく、その防御力やメンテナンス性についても高評価を与えている。


 フェノール樹脂が含浸された合板は難燃性であり木製機でありながら被弾時にも炎上することが少なかった。また合板由来の均質性と、桁でなく面全体で強度を持つ構造から破口が拡大することがなく、金属製のように桁の破損による翼の折損も発生しにくかった。


 またその破口も現地のありあわせの木材で簡単に塞ぐことが可能であり部隊や整備員の評価も高かった(現地修理時の接着剤には自然乾燥が可能なカゼイン樹脂を使用していた)。




■6.連合国による評価


 太平洋戦争開戦前の時点においては、欧米諸国は日本陸軍の戦闘機が木製であることを認識していなかったと思われる。欧米が木製機であると認識したのは1942年後半に南方戦線で撃墜した機体を調査した時が初めてであった。


 その後、九七式戦闘機、一式戦闘機、二式戦闘機、四式戦闘機を1943年から1944年にかけて飛行可能な状態で鹵獲し、TAIC(米海軍航空情報部)が評価を行っている。


 飛行特性や性能についての評価はそれぞれの機体で異なるが、木製である点については全ての機体において極めて高い評価を受けている。例えば二式戦闘機のTAICレポートにおいて木製に関する部分は以下の様に書かれている(12)


「Tojo(二式戦闘機の連合国コードネーム)は、他の日本陸軍機、Nate(九七式戦闘機)やOscar(一式戦闘機)と同じく全木製の機体であるが、その点について不安は全く感じない。420マイル(時速675キロ)で急降下を行っても異常振動や翼面異常もみられない。引き起こし時や宙返りなどの強いGに対しても問題はなく、機体強度については全ての米軍機を上回っている」


Ki-44 - Tojo 2, TAIC 155, GENERAL REMARKS

The Tojo aircraft, similar in construction to other Japanese Army fighters such as the Nate and Oscar, employs an all‑wood airframe. This feature is not considered a source of weakness. Dive tests conducted up to an indicated airspeed of 420 mph disclosed no abnormal vibration and no evidence of structural failure or wing deformation. The airplane successfully withstood high acceleration loads encountered during abrupt pull‑outs and looping maneuvers, with no adverse effects noted. Structural strength is rated as exceptionally good and is considered superior to that of all U.S. aircraft examined to date.




■7.連合国の木製機について


 これまで我が国の木製機開発について述べてきたが、ここで同時期の連合国の木製機についても触れておきたい。


 冒頭で述べた通り、日本の他に一線級として木製機を運用した国としてはイギリスとソ連が挙げられる(フランスも木製機を運用していたが二線級の扱いであり、技術的にも特筆すべき点が無いため除外する)。


 イギリスの木製機としてはデ・ハビランド社の DH.98 モスキートが有名である。これは双発複座の多用途機であり、その高速性が売りであった(時速約668キロ)。その機体はほとんど木製であったが、その工法と材質には日本と大きな違いがあった。


 日本機がフェノール樹脂を用いていたのに対し、モスキートには当初はカゼイン樹脂、その後にユリア系樹脂が使われている。いずれも加水分解されるためフェノール樹脂に比べて耐水性に劣り、太平洋戦線においては南方特有の高温多湿環境で機体が破損分解する事例が多発している。


 また工法の面でも違いがあった。日本機が樹脂を含浸した薄板を積層し加熱加圧して硬化成形していたのに対し、モスキートは張り子のようにオス型に樹脂を塗った薄板を一枚ずつ貼り付けて積層成形するという非常に手間のかかる工法を用いていた(13)


 樹脂の含浸と圧縮が無いため軽量ではあったものの、その強度は日本機に比べて大きく劣っていた。


 デ・ハビランド社はモスキートの後継機であるDH.103ホーネットからようやくフェノール樹脂を用いたが、その工法は基本的にモスキートと変わらなかった。


 次にソ連であるが、その木製機としてはLaGG-3とLa-5が有名である。どちらも日本機と同様に一線級の戦闘機であるだけでなく、その材質や構造に至るまで日本機と類似点が多い。


 ソ連はデルタ合板と呼ばれる木材を使用していたが、これに用いる樹脂は日本と同じくフェノール樹脂であり、薄板に含浸し加熱加圧して硬化成形する工法も同一であった。ただしソ連機の場合は機体強度を重視したためか日本より各部が分厚く設計されており機体が重くなっている。このためLaGG-3はややアンダーパワー気味であった(14)


 LaGG-3は1942年(昭和十七年)に亡命機体が日本陸軍によって鹵獲、試験されている。日本陸軍は合板や機体強度について一式戦闘機に比べても遜色ないと評価するとともに、あまりにも日本機と技術的類似点が多いことからスパイ活動で日本から技術が盗まれたのではと疑っている。


 戦後に公開された資料によりソ連の木製機は独自の進化を遂げたことが明らかになったが、その開発が1939年(昭和十四年)のノモンハン事件後から始まっていることから、日本の九七式戦闘機に触発されて研究が開始されたものと現代では考えられている。


 このように、日本・イギリス・ソ連の木製機は同時期に存在していたものの、開発過程における関連性はなく、それぞれ独自に進化したものと言える。




■8.戦時経済への影響


 我が国における木製機の生産は、戦時経済に様々な影響を与えている。その影響には良い面と悪い面があった。


 まず良い面としては、戦時中のアルミニウムの消費が抑えらえた点である。1943年(昭和十八年)から1944年(昭和十九年)にかけて日本のアルミニウム生産量は最大となり、戦時中を通して合計およそ45万トンのアルミニウムが生産された(15)


 中島飛行機は戦時中におよそ1万機の木製戦闘機を生産したが(16)、これによって節約されたアルミニウムの量はおよそ1万5千トン程と見積もられている。つまりアルミニウムのおよそ3パーセントが節約できた計算となる。


 それほど大きな数字ではない様に感じられるが、これは戦闘機1万機に相当する量であり海軍の零式艦上戦闘機の総生産数に匹敵する。戦時中の資源統制の面で、この1万機の戦闘機に使用するアルミニウムが節約できた点は非常に大きな効果があったものと思われる。


 次に悪い点であるが、これは日本の製材業・木材業・林業政策に大きな傷痕を残した点である。


 長期化する日中戦争と欧米諸国との緊張の高まりから、まず1937年(昭和十二年)に商工省による輸入材(米材・南洋材)の配給統制がはじまった。


 次いで1939年(昭和十四年)に農水省による国内材の規格統一と県営検査体制の強化がはじまる。これは木材の称呼・寸法・品等・検尺・取引単位・材積計算・結束等の要目を規格化したものであった。


 一見正しい規制のように感じられるが、当時の木材業では正量取引を行わないのが一般的な商習慣であり、規格化は商習慣の廃止のみならず木材業自体の成り立ちに響くものであった。翌1940年(昭和十五年)には国内材の公定価格制もはじまり木材業は実質的に自主的な商いが出来ない状況となる。


 さらに立木売渡命令、製材業・木材販売業の販売許可制、国策会社の設立と続き、1942年(昭和十七年)に製材業・木材業の営業が禁止されたことで、多くの会社が廃業に追い込まれた。


 そして1943年(昭和十八年)から軍用材の増産が始められ、1944年(昭和十九年)には非常伐採計画と称して里山や民有林の集中伐採が進められた。これまでの常識であった山野保全の考えは打ち捨てられ、全国各地に禿山が出現することとなる。


 これらの動きは商工省と農水省によって行われたが、実態は航空機・舟艇・陣地資材等で耐水合板を大量に使用する陸軍が主導したものであった(17), (18)


 こうして終戦までに日本の木材業・製材業・林業、そして山林は壊滅的な打撃を受け、その復旧に長い年月を要することとなる。




■9.戦後への影響


 戦後、農地の解放は大々的に行われたが、山林の解放は行われなかった。


 戦時中の統制で決められた枠組みは変わらず林業の国家統制は戦後も続いた。1947年には経済安定本部(現経済企画庁)がまとめた「林業総合非常対策要綱案」では、私有林の制限(5町歩制限案)と森林の国家管理・強制伐採が盛り込まれたほどである。


 ただし木材業・製材業・林業が壊滅的な打撃を受けたとはいえ、戦時中の統制は前時代的な商取引を一掃され近代的な材木市場が現れたことと、国有林の統一的な管理が行われるようになった点だけは良い点と言えるかもしれない。


 木製機の生産技術については、その生産を主導した中島飛行機は戦後CHQにより完全に解体されたものの技術は現在にも受け継がれている。


 中島飛行機の浜松製作所では、元々周囲に製材所が集まっていたこともあり航空機用の耐水合板部品の生産拠点でもあった。ヤマハ(旧日本楽器製造)は木製プロペラや一部機体部品の製造を下請けしており、この時の技術は今もピアノなどの木製楽器の製造に活かされている(19)


 そして中島飛行機を祖にもつスバル(旧富士重工業)は、戦後に全木製モノコックボディのスバル1500を発表した。この車は軽量で強度もあり性能も高かったが、プレス溶接構造にくらべて量産性に劣ったため結局量産化はされなかった(20)。この時の経験が後のヒット作であるスバル360に繋がったと言われている。




■10.さいごに


 フェノール樹脂の国産化、耐水合板の開発に端を発した木製機の製造技術は中島飛行機を中心発展した。これはイギリスやソ連など木製機を活用した連合国と比較しても十分に世界最高水準に匹敵するレベルに到達していたと言える。


 木製機の生産が社会に与えた影響としては、アルミニウムを抑制し木材に関する古い商習慣を一掃したというプラスの面もあったが、同時に国内の木材業・製材業・林業に大きな打撃を与えたというマイナス面もあった。


 戦後、世界を見渡しても木製機はほとんど作られなくなってしまった。その製造技術も一部を除いて活用されていない現状は非常に残念なことである。昨今のESGへの関心の高まりから、木製機の技術が正しく評価され環境対策にも活かされることを期待したい。




■参考文献


1) Horia Salca, A recollection: early aircraft construction, the prerogative of wood craftsmen, March 2022, European Scientific e-Journal

2) "The Schneider Trophy and vintage seaplane", https://www.hydroretro.net/indexen.html

3) 斉藤昇, "中島飛行機の想い出", https://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/nakajima/nakajima-saito/naka17-20.html

4) 大橋俊明, 「合板」について, 2020, 東京木材問屋協同組合

5) 合板百年史, 2008, 日本合板工業組合連合会

6) "高峰譲吉博士研究会", https://npo-takamine.org/

7) "利昌工業株式会社の歴史", https://www.risho.co.jp/goroku/ceo_analects/tg119.html

8) i-MAKER, "フェノール樹脂の特性と用途", https://i-maker.jp/blog/bakelite-8670

9) 野沢正, 日本航空機総集 中島篇, 1963, 出版協同社

10) 戦史叢書第 074巻 中国方面陸軍航空作戦, 1974, 防衛庁防衛研修所戦史室

11) 住友ベークライト社史, 1986

12) US NAVY Technical Air Intelligence Centrem, TAIC Repot #155 Ki-44 - Tojo 2, 1943

13) 中川裕幸, "木製飛行機~英国人の発明(後)", https://nakagawa.gr.jp/wp-content/uploads/2021/01/p-tantei1809.pdf

14) 世界の傑作機 NO. 143 ラヴォチキン戦闘機, 2011, 文林堂

15) 吉田英雄, アルミニウム産業の発展 第一次世界大戦から第二次世界大戦まで, 2020, UACJ Technical Reports Vol.7

16) 高橋泰隆, 中島飛行機の研究, 1988, 日本経済評論社

17) 三井昭二, 戦前・戦時の日本林業と林政, 1996, 森林科学 Vol.18

18) 小野浩, 戦前期の木材業の組織化と日中戦争期の自治的統制, 2025, 西南學院大學經濟學論集

19) 日本楽器製造(株)社史, 1977

20) 富士重工業三十年史, 1984

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― 新着の感想 ―
隼も木造なんですね。桁ではなく面で支える構造ってことは、史実では主桁が邪魔で配置できなかった翼内機銃が搭載できることに?ひゃっほぅ。……あ、でもそうすると翼が重くなって横転速度が落ちたり? そして木…
赤トンボには使ってましたから……史実では英ソと異なり碌な水冷エンジンが無かったので仕方無いですね。 高峰博士経由のベークライトの他、植民地の台湾ではバルサが育ち、模型飛行機や航空機、自動車の内装に用…
中島が木製機に入れ込んだ世界線かぁ その影響が戦後まで山野に残るとは、またリアルなお話になってますね。
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