生者の見た夢 ー 輝
「来ないで!!」
その声に、伸ばしかけた手を下ろしてしまう。
——ああ、彼女は、僕の同類だ。
親友のように、環境のせいで死ぬことを強制された人じゃない。自分の判断で、心の底から、”死にたい”と思っている目をしている。
僕は、そんな人にかける言葉を、知らない。
少しは大人になれたかと思ったけど、僕自身、あの時から全く変わっていなかったようだ。
少女は、自分の腕に目を落としながら続けた。
「初めは、こ・れ・で十分かと思ってた。
自分が、生きてるんだ、って自信を持ちたかった。…生きてていいのか、知りたかった。
でも、足りない。まだ足りなかった、信じきれなかった。
…ねえ、私は、どうするべき?」
あくまで、いつでも落ちることのできる位置に立って話す少女の悲痛な叫びに、僕はただ立っている事しかできない。
のどがかすれたように、言葉が一つも出てこない。
「死ぬ時が一番、生きてていいって許されていると感じる時ってのもおかしな話?
そんなのは、私が一番よくわかってるよ。」
少女はそこで、下を見る。
僕は慌てて、何かを言わなきゃ、と考える。
そうしないと、会話という手段で少女をつなぎとめておかないと。彼女は、手の届かないところに行ってしまう気がしたから。
自分の手の届くところで、自分のせいで、人が死んでいくのを、僕はもう見たくない。
「自分を傷つけるときに、まだ生きているってことが分かる。腕に走る痛みで、自分の体を、命を感じられる。その痛みと引き換えに、生きる権利を手に入れられるように思う」
少女は感情の見えない目で、こちらを見ている。
僕の言葉に耳を傾けてくれていることは分かるけど、同時に、下手なことを言ったら彼女はもう聞いてくれないということもわかる。
僕は慎重に言葉を選び取って、言った。
「君も、そう思う?」
「あなたに口を挟まれることじゃない。私が私の物をどうしようと、それでどう思おうと、私の勝手」
その言葉が、僕の心に火をつけた。怒りとも悲しみとも、羨みともとれる感情が渦を巻く。
それは僕が、ずっと言いたかった言葉だ。
友に助けられたこの命だからこそ、言えなかった言葉なんだ。
気が付くと、僕は、自分の手首に目を落としていた。
自分で刻んだ傷跡が、友の死の償いになりはしないかという淡い期待をはらんだ傷口が、僕を見つめ返す。
何度思ったことか。
友に、また会いたいと。
何度思ったことか。
友のもとに、逝きたいと。
でも。僕の命は、僕の物であって僕の物じゃないから。
あの時、親友に救われたその時から。僕はこの命を、いくら恨んでも捨てることができなくなった。
…アイツは、言ったんだ。
『これで、君の命は、君だけの物じゃない。
僕の代わりに生きる君は、勝手に死んじゃ、だめだよ?』
だから、僕は言う。胸を張って言える。
「君の体は君の物?
違うでしょ。それは、物じゃない。君自身なんだ」
『私が私の物をどうしようと、それでどう思おうと、私の勝手』そう言い切れる少女を眩しく思って。
おそらく一生残る、親友のかけた呪いに思いをはせて。
久しぶりに感じる、感情の高ぶりに身を任せて。
僕は、言う。
「君は、自由だ。君の命は、自由なんだ。
死ぬな、と縛る人もいない。生きるな、と言う人もいない。
君の命はまだ、自由で、まっさらで。いつでも失える、失っていいものなんだよ。
もう一度君に聞こう。君が死ぬのは、今じゃなきゃダメなのかい?」
少女は僕の言葉に、虚を突かれたのか一瞬だけ目を見開く。
それから、言った。
「今がいい。
そうしないと、私は私から逃げ出したくなる」
そう言われたものの、僕はどうしても、彼女に死んでもしくなかった。
ふと、不思議に思った。
何でそこまで、他人の死が嫌なのか?
ちょうどその時だった。彼女に聞かれたのは。
「人が死ぬのは、見ていてつらいことなの?
あなたが責任を感じるなら、もしいやだと思うならここじゃないところで死んでくる」
辛いこと。
辛いことなんて、思ったことはなかった。
人の死ぬのを見て、見て、見て。数えきれないほどの命を見てきたという自覚は、ある。
そういえばいつの間にか、むき出しの命が散って、死んでいくのを見ても悲しくは思わなくなっていた気がする。
何でだろう。
「………そうか。妬みだ」
「え?」
「自分は友の呪いで死ねないのに、目の前で死ぬ人を見ると、抜け駆けされたようで嫌なんだ。
自分の命を自分で使える人を見ると、邪魔してやりたくなるんだ」
気が付いた。
僕がこの場所を見つけた時、自殺するのにいいな、と思った。
けど寸前で、目の前に親友が現れた。あいつは『死んだら許さないよ』と言って消えてった。
だから腹立ちまぎれに、「自殺の名所」という投稿をしたんだっけ。
その時も僕は、できるだけ多くの命をこの世にとどめておきたかったんだろうか。
きっと、そうなんだろう。
「……あははっ! 死に際に人を道連れにしようとするのは聞いたことあるけど、この世に縛りたいっていうのは珍しいね。
…いいよ。あなたのせいで。もう死ぬ気分じゃなくなっちゃった。今日は、やめとくわ。
また私から逃げたくなったら来るから、それまでは安心しててね」
少女はひとしきり笑うと、リストカットの跡が見える腕をひらひらさせながら橋のたもとへと歩いていく。
その足取りが来る時よりも軽いものであることに気が付いたのは、本人ただ一人だった。
そして残された僕は、橋の端に腰掛けると、空を見上げる。こんな感傷に浸ってる姿なんて似合わないな、と自分でも思う。
雲が、綺麗だ。
「ねえ。僕はこうして生きてるけど、それで満足なの?
まったく、御大層な呪いなんて残していって、はた迷惑な死人もいたもんだね。
……サーニウ、君のもとへは、まだ行けそうもないや」
ふと口をついて出たつぶやきは、風に乗って流れていく。
その先にもし、天国というものがあるのだとしたら。
この世に数多ある命の中で、一つ一つが光を放つ。
それは虫も、人も、そして僕も。
すべてが等しく輝き続ける。
僕にはすべてが眩しく見えて、その輝きに自分を見失いそうになる。
一つの命が失われた。友がこの世を去った。
それでもこの世界は、少しも変化することなく輝き続ける。
そのことに気が付いたとき、自分の存在が、意味のない命に思える。
同時に、気付く。
その輝きは、自分には確かなものとして見えている。
自分の命の価値なんて、それだけで、十分じゃないか。
この想いよ、君に、届け。




