EP3. 目撃者
特急「北海」編成図
荷物車/機械室 - 普通車 - 普通車 - 普通車 - 普通車 - グリーン車 - 食堂車 - 個室グリーン車
⇐至札幌(1号車側) (8号車側)函館⇒
車掌室の簡易なデスクの上には、列車の運行表や無線機が無造作に置かれている。その前に立つ佐伯は、持参していた小型のノートを広げ、軽くペンを回していた。
『杉浦の失踪と福田車掌の応答なし......どちらも偶然の出来事とは考えにくい。この列車内で二人が消えるなんて、普通の状況ではありえない』
佐伯は先ほど宮﨑が口にした「杉浦が何かに怯えていた」という言葉を思い出す。彼女の証言によると、杉浦は昨夜から落ち着かない様子を見せていたらしい。それは仕事のストレスか、それとも別の何かか。
『怯える理由があったのか、それともあくまで本人の思い込みだったのか......いずれにせよ、杉浦が何か問題を抱えていたのは間違いない。しかし、彼が姿を消した今、その手がかりをどう探るべきか』
佐伯は無線機に目を向けた。大森が福田を呼び出そうとするも応答がない状態が続いている。
『福田車掌もただ検札が遅れているだけではないだろう。彼の行方不明が単独の問題なのか、それとも杉浦と繋がりがあるのか......』
「佐伯さん、もう少しこの話を整理してもらえますか?」
宮﨑がやや控えめに声をかける。
「そうですね」
佐伯は一度ノートを閉じ、改めて宮﨑と向き合った。
「杉浦さんの失踪と福田車掌の応答なし、これが偶然の重なりかどうかを明らかにする必要があります。ただ……」
その時、不意に車掌室の扉が勢いよく開いた。
「すみません、遅くなりました」
息を切らしながら、細身の男が現れた。胸元の名札を見ると、「福田」と記されていた。薄く汗をかいた額を軽く手で拭い、視線を部屋の中にいる二人に向ける。
一瞬、彼の表情に違和感が走った。佐伯と宮﨑を見た福田は、軽い困惑の色を浮かべる。
「……あの、どちら様でしょうか?」
「私は佐伯涼介と申します。探偵です。この列車で起きた異変について、大森車掌に協力を頼まれております」
佐伯が冷静に自己紹介をすると、宮﨑も続いた。
「私は宮﨑と申します。杉浦の秘書を務めています」
「探偵……?」
福田は目を細めた。わずかながら、その口調に疑念が混じっているのが分かる。
「ええ、そうです」
佐伯は柔らかく答えた。
「失踪事件の解明にご協力いただければと思います。まず、福田さんがここに来るまでの経緯を伺えますか?」
「ええ……」
福田は一歩踏み込むと、大森の椅子に腰掛けた。その仕草にはどこか緊張感が漂っている。
「1号車の最後尾で検札を終えた後、乗客の方に『荷物車から異音がする』と報告を受けました。それで確認に向かったのですが、雪の影響でドアが凍りついており、開けるのに手間取ってしまいました。そのため戻りが遅くなりました」
「荷物車から異音……?」
佐伯は視線を伏せながら言葉を反芻する。その間、福田の視線が宮﨑に一瞬だけ留まったことを、佐伯は見逃さなかった。
「ちなみに、その荷物車の異音について報告した方について覚えていることは?」
「ええ……黒いコートを着た中年の男性で、眼鏡をかけていました。声は落ち着いていましたが、やや急ぎ足でその場を離れていきました。」
佐伯は福田の回答に耳を傾けながらも、彼の仕草にわずかな不安を感じていた。説明を終える福田の指が机の縁を小刻みに叩いている。視線も終始落ち着かず、どこかぎこちなさがある。
『この焦りは、単なる遅延のせいではない』
「なるほど」
佐伯は表面上は冷静さを保ちながらも、福田の挙動を観察し続ける。
「では、現在の状況を簡単に説明します。杉浦さんが姿を消し、私たちはその手がかりを探している最中です。福田さん、杉浦さんの様子に何か気になる点はありませんでしたか?」
「杉浦さんですか……。いえ、特には……」
福田はそう言いながらも、言葉の端々に歯切れの悪さが見え隠れする。
車掌室の外では雪の音が窓を叩きつけている。佐伯はペンを持ち直し、目の前の男をしっかりと見据えた。
・・・・・・
4号車 普通席
福田の話を聞き終えた佐伯は、車掌室を後にし、静かに車内を歩き始めた。窓越しに広がる白い雪景色は、列車内の空気とは対照的に穏やかで美しい。だが、佐伯の心中はそれとは正反対にざわついていた。
『杉浦が姿を消した理由。そして、福田車掌の不可解な行動......。これらが無関係であるとは到底思えない。だが、繋がりを証明する材料がまだ足りない』
佐伯は宮﨑の証言を反芻しながら4号車へと向かう。頭の中で繰り返し浮かぶのは、この状況が事実上の「密室」であるということだった。函館駅を出発した列車は、それ以降どの駅でも客扱いをしていない。つまり、杉浦が消えたのは列車内である可能性が高い。
4号車の通路は、普通席の乗客たちで程よく埋まっていた。佐伯は乗客一人一人を観察しつつ、歩みを進めた。目を閉じている者、小説を読んでいる者、静かに窓の外を眺める者――どの顔にも杉浦の面影は見当たらない。
『杉浦が車内にいるという確証が持てない。そうなると、別の可能性を考えなければならないか』
佐伯は足を止め、通路の端に立ったまま窓の外を眺めた。ちらつく雪が闇の中に吸い込まれるように消えていく。その光景に一瞬、胸騒ぎを覚える。
『車内放送を使って情報を募るべきかもしれないな......』
思案を続けながら、佐伯は6号車の車掌室へ戻ることを決意した。
・・・・・・
6号車 車掌室
再び車掌室の扉を開けると、大森と宮﨑が振り返る。佐伯の姿を確認するや否や、二人は彼に詰め寄った。
「あ、佐伯さん!」
「佐伯さん、何かわかりましたか!?」
「いいえ、杉浦さんの手がかりになるようなものは見つかりませんでした」
佐伯の言葉に、宮﨑は肩を落とし、再びパイプ椅子に腰掛ける。その表情は落胆と不安が入り混じったものだった。室内の空気が一気に重くなるのを感じながら、佐伯は口を開いた。
「大森さん、車内放送で情報提供を呼びかけられませんか?乗客の中に、杉浦さんを目撃した方がいるかもしれません」
「情報提供ですか……」
大森は眉をひそめながら考え込む。
「放送はできますが、個人的な理由で使うのは......」
「もちろんです。しかし、このままでは状況が何も進展しません。ご協力いただけませんか?」
大森は渋々ながらも頷き、無線機を手に取った。
『お客様へ、再度お呼び出しを申し上げます。この列車内、もしくは駅におきまして、杉浦様と思われる人物を目撃なさった方は、6号車の車掌室までお越しください』
放送が終わり、静かになった車掌室には、社外に吹きすさぶ風の音と、一際大きくなった車内の喧騒が響いていた。
・・・・・・
数分後、車掌室の扉が開き、二人の乗客が現れた。一人は中肉中背の男性で、「吾野竜介」と名乗った。もう一人は白髪交じりの女性で、「寄居夏江」と自己紹介した。
「私は4号車でこの方を見かけました」
吾野は穏やかな口調で話し始めた。
「ただ、姿が一瞬だったので確信は持てませんが……黒いコートを着ていたと思います」
「私は、発車直前の函館駅で見かけました」
寄居が続ける。
「何かを気にしながら、ホームを歩いていたんですが、私も詳しくは......」
佐伯は二人の証言をメモしながら、寄居の証言に引っかかりを感じた。
『発車直前の函館駅で歩いていた?』
「失礼ですが、お二人の座席は?」
「私はさっきも言いましたが、4号車ですね。後ろの方ですよ」
「私は8号車の個室グリーン車です。もうすぐ発車するのに、普通車側に歩いていったので、気になっていたんです」
そう話す二人は、それぞれの切符を見せた。佐伯は二人に礼を言い、次の行動を決めるために考えを巡らせた。
目撃者の二人がそれぞれの座席に戻っていった後、宮﨑と大森が口を開いた。
「先ほどの吾野さんの証言と寄居さんの証言を照らし合わせると、杉浦様の行動が矛盾しているように思えますが......」
「確かに......何がどうなっているんでしょう」
二人の声を聞きながら、佐伯はメモした証言を見比べていた。
『吾野の証言は、宮﨑が言っていた杉浦の服装と合致する。となると、杉浦は普通車に潜伏しているはずだが......怪しい人物は見当たらなかった。寄居の証言が正しければ、彼は普通車に潜伏しているか、それとも......乗り遅れたか、このどれかだ』
佐伯が思考の海に沈んでいく中、宮﨑が大森に声を掛ける。
「大森さん、函館駅の監視カメラの映像を確認できますか?」
狭い車掌室内に、緊張が走ったような気がした。特に福田と大森は顕著であり、福田はじろりと宮﨑をにらみ、大森は難しい表情で首を横に振った。
「監視カメラですか?......一応聞きますが、なぜでしょう?」
「もしかすると、杉浦様はもうこの列車内にはいないのかもしれません」
その言葉に、周囲の人の間に動揺が広がった。
「杉浦さんが車内にいない?説明していただいてもいいですか?」
大森の言葉を皮切りに、佐伯が自身の考察を述べる。
「先程の寄居さんの証言が正しいとするならば、杉浦は函館駅の構内にとどまっていると思われます。札幌方面に向かう特急列車が来るのは、まだ先のはずですし。それに、もし杉浦さんが列車内にいるならば、目撃証言が複数出ているはずです。しかし、吾野さんと寄居さん以外の目撃者がいないのは、不自然と言わざるを得ません」
宮﨑の言葉に、大森は顎に手を当てて声を絞り出す。
「......確かに、彼はまだ函館駅にいるかもしれません。ですが、監視カメラの映像となると......」
「駄目だ!!」
その時、車掌室の隅で話を聞いていた福田が声を荒げた。突然の大声に全員の視線が福田に向く。
「そんなこと、車掌の一存でできるわけないだろう!そもそも、お前みたいな部外者に映像を見せるなんて言語道断だ!」
怒りをあらわにする福田を見る佐伯の目は、至って冷静だった。
「そもそも、俺は部外者が列車内での出来事に干渉すること自体に反対なんだ!こんなやつ信用できるか!」
そこまで言うと、福田は車掌室を出ていこうとした。
「ちょっと福田さん!どこ行くんですか!?」
「車内の点検だ!」
止めに入ろうとした大森を突き放し、福田は食堂車へと消えていった。残された三人の間には、重苦しい雰囲気が漂っていた。
「......福田さん、出ていっちゃいましたね」
宮﨑が若干の怯えを含んだ声を上げた。確かに、彼の剣幕は異常なほどに強かった。
『あの時の福田の目、なぜか焦りの色があった。私を自由にさせたことによる処分を恐れているのか?それとも、何か知られたくないことがあるのか?』
佐伯は至って冷静にこの状況を俯瞰していた。彼の双眸は、福田が歩いていった普通車を睨んでいた。
車掌室に目を戻すと、大森が考え込むような素振りを見せていた。
「大森さん、どうかしましたか?」
「いや、今日の福田さん、何かいつもと違う気がして......」
「いつもと違う、とは?」
「言い方は悪いですが、いつもの福田さんはもっとこう...怠惰な性格なんです。気に入らないことがあったらネチネチ詰めてくるタイプなので、あそこまで感情的になるのは珍しいんです」
「ふむ......」
佐伯はメモをとりつつ、福田の一連の行動に違和感を募らせていた。
次回: EP4. 臨時停車




