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銀の滴祭

6月8日、校庭には白いテントと赤いのぼりが並び、地域住民と生徒たちのざわめきが重なりあっていた。 銀の滴祭――それは、かつて旭川市に居住していたアイヌの詩人、知里幸恵を称える日。極北中学校の敷地内に住んでいたこともあり、彼女の文学碑が設置され、彼女の誕生日に祭をすることになっていた。

設置された舞台では、エカテリーナたちがアイヌの礼装に身を包み、古式舞踊を披露する時間が近づいていた。

蓮は舞台袖で拳を強く握っていた。「研究会」としてはまだ正式に認められていない。でも、今日ここで何かを変えられる気がしていた。

太鼓が鳴る。

鈴の音が空へ跳ねる。

エカテリーナが舞う。蓮、澪、ゆりがそれに続く。

車椅子に乗った詩織も一緒に舞う。連の母が車椅子でも踊れるようにアレンジした舞だった。

連は踊りながら、太鼓の音が心臓の鼓動と重なることを感じていた。自分の中に確かに流れていた「何か」が、舞台の上で形になっていく。

「これが……俺の中にあったものだったんだ。」

幼い頃よく見た、母が踊る古式舞踊。 けれど、他の文化を受け入れられない者にその血筋をからかわれて以来、ずっと遠ざけていた。 今、こうして自分がそれを舞っている。しかも、ロシアから来た少女に背中を押されて。

「ありがとうな、エカテリーナ…」

蓮の踊りのステップは、どこかぎこちない。けれど、その一歩一歩が「赦し」と「受け入れ」の意思表示だった。

エカテリーナはこの土地に来て、初めて知った「居場所というもの」。 言葉も文化も違う場所に飛び込んできた彼女は、なぜかアイヌの民話や歌に懐かしさを感じた。 銀の滴のように、静かに心を潤すもの――それがユーカラだった。

「この文化は、守られるだけのものじゃない。生きていていいもの。」

だから彼女は舞う。 その動きの一つひとつが、「私はここにいていい」と、この場所に根を下ろす意思そのものだった。

澪は中学受験に失敗し、自分に自信を持てなくなっていたが、こんな大舞台でアイヌの舞を踊る日が来るなんて思わなかった。仲間と踊る舞は、こんなにも乾いた心を癒やしてくれるものなのかと感じていた。

ゆりは舞ながらも、このシーンをさらに美しい景色にさせるための演出効果を考えていた。「この舞と仲間たちなら、私の見たかった景色を見ることができる。」

そう確信した瞬間だった。

詩織の足は動かない。でも、仲間と一緒に舞うことができている。足は動かないが、心は自由に舞える。

「こんな舞は見たことがない。」観客の誰もが、連の母がアレンジした車椅子の動きを組み込んだ踊りを舞う詩織に目を奪われた。そして深く観客の心に染み込んでいた。

その観客の中に、ひとり頷きながら見入っていた男がいた。

立山啓二――この町で生まれ育った元教師で、現・教育委員会の委員である。

彼は、校長に尋ねた。「アイヌ文化研究会は、かなり前に部員がいなくなって廃部になったと聞きましたが、またこうして復活されたのですね。」

「いやいや、残念ですがまだ部員が4人しかいなく、正式な部ではないのですよ。今日は、彼らからどうしてもと頼まれ、特別に古式舞踊を披露してもらっただけです。」

「4人しかいない?はて、5人いますよね。」

「あの車椅子の子は、向かいの特別支援高等学校の生徒さんでね、なぜか一緒に活動しているのですよ。」

「なるほど、それで部員が4人、そして一人足りないから、正式な部活動ではないということですね。」立山が険しい表情で校長に言った。

祭りが終わった後、彼は校長のそばに立ち、腕を組んでこう言った。

「あの子たちがなぜあそこまで舞えるのか、わかりますか? あれは、心に火が灯ってるからです。・・・ただでさえ消えそうなアイヌ文化の灯火を彼ら必死に守ろうとしている。校長、部活動の意味はどう考えますか。私は、学校の勉強だけでは足りない何かを学ぶ場であると考えている。そう考えたとき、あれを“部”と言わず、なんと言う?」

「しかし、規則では5人となっているので・・・他の保護者たちの手前もありまして、例外は作らない方がよいかと。」

「旭川市はまだかもしれないが、教職員の負担軽減のため、部活動の地域移行化が進んでいることはご存じかな?部活動の地域移行化が行われている中学校では、他の学校の生徒も一緒に活動していると聞いている。この部は例外ではなく、部活動の地域移行化を見据えた先進モデルとして対応してもらいたい。」

立山は強い口調で言った。

「はあ・・・検討いたします。」校長は弱々しく返答した。

エカテリーナたちの舞が終わり、舞台から引き上げようとしていたとき、立山が近づいてきた。

「君たちの舞は、心に火を灯す舞だ。」立山のその一言は、ただの応援ではなかった。それは、大人たちが若者の情熱に心を動かされた、静かな敗北宣言でもあり、祝福の承認でもあった。

翌週月曜日、校長はエカテリーナたち4人を校長室に呼んだ。

「仁科 詩織さんだが、特別にアイヌ文化研究会の部員として認めます。これは例外ではなく、ひとつのモデルケースとして認めます。立派なモデルケースとなるよう頑張ってください。」

エカテリーナの目に、静かに涙が光った。 蓮はそっと頷いた――自分の中の誇りが、初めて真っ直ぐに立ち上がった気がした。

「そういうことになったので、アイヌ文化研究会を正式な部活にしてくれ。」

校長が教頭に言った。

「校長、それは難しいですよ。」

「なぜだ?」

「顧問がいないのです!顧問がいないと、保護者対応や万が一事故があったときの対応ができません。」

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