ロシアから来た少女
北海道旭川市の3月上旬はまだ真冬だった。日中もプラスの気温になる日は少ない。母と一緒に旭川空港に降り立った13歳の少女、エカテリーナー・ソロコワはロシアからやってきた。そして、この春旭川市の中学校へ入学することなっていた。ロシア人の父と日本人の母が離婚し、母は、生まれ育った実家に身を寄せるために旭川市にやってきた。13歳の少女、エカテリーナ・ソコロワは、父も母も好きだったが、日本のある文化に強い興味を抱いていたことから、母と一緒に暮らすことを選択していた。エカテリーナは、日本人の面影があるハーフであったが、青い瞳に白銀の髪をもっており、雪の精霊のような雰囲気をまとっており、旭川の雪景色に溶け込んでいた。
エカテリーナが強い興味を抱いている文化、それは、アイヌ文化だった。エカテリーナが大好きな漫画、ゴールデンカムイの影響でアイヌ文化へ強い関心を持ち、アイヌ文化を日本で本当に学びたいと強く思っていた。
そして母の生まれ育った旭川市はアイヌ記念館を始めとした、アイヌ文化を学ぶための資料が充実しており、エカテリーナが入学する予定の極北中学校にもアイヌ文化の資料室があった。この中学校は母の出身校であり、敷地内にアイヌ文化に大きく貢献した「知里幸枝」を称える文学碑があるという。そして、アイヌ文化を研究する部活もあるとのことであり、エカテリーナは絶対その部に入ろうと強く決意していた。
そうして迎えた4月8日の入学式、エカテリーナはその容姿から注目されていた。
「外人だよ」
「えっどこの国?」
「日本語話せるのかな」
「顔が小さい!スタイルいい!うらやましい」
様々な視線がエカテリーナに注がれるが、エカテリーナは平然としていた。
「私はロシア人でも日本人でもない。そう、アシリパさんのような強いアイヌ人になる。」エカテリーナはそう考えることで、強い気持ちを持つことが出来た。
入学式の後のオリエンテーションで、部活動に関する説明があった。一通り説明が終わったが、アイヌ文化の部活動は紹介されなかった。
動揺するエカテリーナは、その場で立ち上がり、強い口調で担任に聞いた。
「アイヌ文化の部活は、ないんですが?」
「ない。今紹介した部活動だけだ。」
「そんな・・・あんな立派な資料室や文学碑があるのに、なぜないんですか?」
「うーん・・・先生じゃわからないな。教頭先生に聞いてみる。」
エカテリーナは職員室に呼ばれた。教頭先生は学校の部活動の記録を調べてくれた。
「あー・・・10年前まではあったが、今はなくなっているね。毎年部員が減って、とうとう廃部になったみたいだね。」
「そんな・・・私はアイヌ文化を研究したいんです。今、部活がなければ、作ってもいいですか?」
職員室にどよめきが立った。なぜロシアから来た女の子が、そんなにアイヌ文化に興味を持っているのだろうか。
「部活動は5人以上の部員と顧問となる先生が必要なんだ。その条件がクリアできれば部活動として認められる。」
「わかりました。教頭先生、必ず集めて見せます。約束ですよ。」
エカテリーナは一人でアイヌ文化研究会を立ち上げる決意を固めた。クラスではそんなエカテリーナの行動が噂となっていた。
「入学した早々、やらかしてるな。」
「あんなに悪目立ちして、いじめが怖くないのかね。」
「そもそもアイヌってなんなんだよ」
「どこかの国会議員が言っていたように、アイヌ衣装を着てコスプレをしたいだけじゃないの。知らんけど。」
クラスメイトは冷ややかな反応だった。しかし、エカテリーナのその真剣な行動を気にする少年がひとりいた。地元育ちで、アイヌの血を引く少年、風間 蓮だった。
彼はアイヌ人として生まれたが、幼い頃アイヌ人ということで、差別された過去から、アイヌ人としての誇りを失っていた。
エカテリーナはアイヌ文化研究会を立ち上げようとしたが、何から手をつけていいかわからなかった。
「アイヌ文化の素晴らしさをみんなに伝えたい。でもどうすればいいんだろう。」
母に相談すると、近所の愛星公民館で、アイヌ古式舞踊を習う講座があることを教えてくれた。
「エカちゃんが、踊りをマスターしてみんなの前で披露すれば、アイヌ文化の魅力が伝わるかもよ。」
エカテリーナは早速その講座を申し込んだ。その講座は、アイヌ記念館から講師を派遣してくれ、本格的なアイヌ古式舞踊を習うものだった。
エカテリーナには天性の踊りのセンスがあり、あっという間に上達していった。ある日、エカテリーナは講座に参加するため、公民館へ行ったところ、同級生の風間蓮をみかけた。
「あれ?風間君じゃない。どうしたの?」
「今日はたまたま荷物運びの手伝いで来たんだ。」
風間連の叔父は、アイヌ記念館の館長であり、連の幼い頃からいろいろ面倒を見てくれる優しい親戚だった。
連も幼い頃はアイヌ人としての誇りを持ち、叔父のような立派なアイヌ人となり、その文化の継承者になりたいと思っていた。
しかし、ある日の出来事が連の心を閉ざしていたのだった。
「知らなかった。風間君の叔父さんがアイヌ記念館の館長だったなんて・・・すごい。うらやましいわ。」
「うらやましい?何を言ってんだ。君はアイヌ人が差別されていることを知らないのか。」
「知らない。知りたくもない。そんな無駄な情報、私にはいらない。今は情報があふれている。その中には汚物のような見たくもない情報がある。風間君は汚物が好きなの?」
「好きなわけないよ。」
「じゃ、そんな情報は見なかったことにしなさいよ。何も困る事なんてないわ。」
「そんな簡単に割り切れるものじゃないよ。」
風間は目をそらした。
「ねえ、私アイヌ文化研究会という部活動を復活させたいの。協力してくれないかな。」
「協力ってどうすればいいんだよ?」
「部員として入ってほしいの。絶対5人以上集める。顧問もみつけてみせるわ。」
風間連はエカテリーナの青い瞳に射貫かれるように立ちすくんでいた。