37 今まで以上に
「━━━━だからアレでいてヨエルは割と小心者なところがあるというか、語気の強い言葉も大体裏返しっていうか、さ」
「ほんの少しだけ、少しだけですよ。わかる気がします」
レーナはいつの間にか、エリオットの語るヨエルの過去の可愛い話だったり少しの失敗談に心を奪われていた。
あんなに尊敬できる人でもなんだか彼の語りを聞いているととても身近な人に感じられるような気がして、ついついうれしくなって聞き入ってしまう。
それに今まで感じていたヨエルの性質を裏付けするような内容が多く聞けば聞くほどもっと知りたくなってしまう。
「そうだ。ここまで来たらあの話もしようかな」
「どんな話なんですか?」
「うーん、話したら僕がヨエルに怒られる話」
「それは大変ですね」
そう言いつつも、エリオットは話し出そうとした。しかし、唐突に乱暴に開かれた応接室の扉の音によってその会話は中断される。
反射的に振り向くと、そこにはレーナとエリオットの二人が共にいることについて驚いているらしいヨエルの姿があり、レーナは咄嗟になんだか少し後ろめたいような気持ちになってしまった。
彼はレーナのそんな気持ちを察することはなくずんずんと歩いてきて、レーナの側につき兄に言った。
「レーナが来ていると聞いて急いで来れば……兄上! 妙なことを話してないだろうな!」
「もっちろん、なんにも。ただの世間話だよね? レーナ」
確認するように問いかけつつも、エリオットはレーナに向かってウィンクをおくって合図する。
つまりはそういう事にしておけという事だろうか。
しかし聞いてしまったものは仕方ない、レーナは嘘をつくことが苦手なのだ。
そのうちヨエルにばれるだろうし、なによりヨエルの過去の話はこれから話題になる可能性が大きいので、少し迷って曖昧に笑う。
するとレーナの反応を見てヨエルはすぐに察して「兄上……」ととても低く機嫌の悪そうな声を出して、ジトッとした目線でエリオットを睨みつける。
「後で覚えておいてくれ……まったく油断も隙もない」
「うんうん。ま、そう言われるとは思っていたからね。別にいいけど。それで? レーナに話があるんじゃないの? レーナも心配していたんだってわかるでしょ」
「っ……それは、もちろん。わかってる」
「じゃあ、後はお二人でどうぞ。あ、そうそう。込み入った面倒な話はしておいたから。君の魔法も、ライティオ公爵家の事も、王族との禍根もね」
「……」
言うだけ言ってエリオットは適当に退室していく。
最後にレーナに対して小さく手を振っていたので、レーナも合わせて小さく手を振って、出来るならばまたヨエルの昔話を教えて欲しいと思った。
「…………はぁ、悪いな、レーナ。絡まれて面倒だっただろ。兄上は昔からああなんだ」
しばらくの間を置いてヨエルはそんなふうに言い、今までエリオットが座っていた場所に腰かける。
深くソファに沈み込んで、少し気まずそうにどう話を切り出すか考えている彼にレーナは少し気さくな気持ちで口を開く。
エリオットのおかげで心配の気持ちも緊張もほぐれた。彼がどういう選択をしようとも、レーナは悲しくはあるけれども取り乱したりはしないだろう。
「……」
「……ヨエル様、王城に行ってサラ王女殿下の降嫁の話をされてきたのですよね。いかがでしたか?」
自分の気持ちが前に出すぎないように質問をした。
レーナが話しづらい事があるときは、いつもこうしてヨエルが聞いてくれる。今日はその反対だ。
「とても素晴らしい人だと私も王都で聞きました。直近では、魔法学園を首席で卒業されたとか」
「ああ、そうだったな」
「はい。ですから、とても、その……良い人だと思います」
彼の話したいことが何かわからないうえでフラットな言葉を言うというのは難しくて、自分の望みが見苦しく出てしまわないように逆にサラ王女の事を褒めるような言葉になってしまった。
すると、ヨエルはふとレーナを見た。それから少し驚いたような顔のまま言う。
「まさか、俺がそちらに靡くかもしれないと不安に思ってたのか……?」
「……はい。それはもちろん、だって……足りない私よりもとても……」
そこから先は、うまく言葉にできなくて詰まってしまう。
しかしヨエルはそんな様子のレーナを見て、それから切り替えたように短く息を吐いて「俺は」と切り出す。
「俺は、これでもずっと君に好意を伝えてきたつもりだ。ただまぁ、難しいな。でも、いいんだ。レーナ、俺は君の……君だけの事を愛してる。それはほかの誰かがアプローチしてきたことによって変わるものじゃない」
その表情はとても愛情に満ちあふれていて、少し笑みを浮かべて口にする様に胸の奥が熱くなる。
「これからも伝えていくから覚悟してくれ。俺は君がいいんだ。足りないところがあるところも、ひどく純粋なところも、その君の綺麗なまなざしも、君を構成しているものなら全部を愛している、好きだよ」
「…………驚きで言葉が出ません。私はそれほどのことをヨエル様にしたとも、思っていません」
「そうか?」
「はい。いつも私はもらってばかりで、ヨエル様に釣り合うとも自信を持って未だ口にできません」
彼の言葉に素直な返答を返す。
釣り合うために頑張っていても、まだまだだと思い知らされるときがある。
始めたばかりですべてがうまくいくわけがないと思っていても、彼の隣に完璧な人が並ぶ可能性を示されるとレーナは不安になってしまう。
「俺からしてもあんまりに自分が醜いから、君に釣り合うとは考えられてないがそれを聞いてどう思う?」
「そんなことなどありえないと思います」
「だろ、じゃあお互い様だな。レーナ。お互い様同士、これから釣り合う人間になるために努力をしていくってことでどうだ?」
そう言ってヨエルは手を差し出した。
彼はいつもそうして、足りないレーナのことを導いてくれる。
図書館でアメーリアにこれ以上、自分が賢くなっていることを知られたくない、けれども誰にも助けを借りずに知識を得ることは難しい、そう悩んでいた時にも迷惑をかけないならと条件を出してそばにいてレーナを導いてくれたのは彼だった。
これ以上ないほどの恩がある。手を取るのはその恩に反するかもしれない。
それでも、誰かに彼がその笑みを向けて手を差し伸べるぐらいならば、彼を欲しいと思う。
その反する気持ちは苦しくてけれども同時に、これが恋とかそういうものなのかと思う。
胸が苦しいなんて恋愛小説で読んだようなありきたりな気持ちを抱えながらレーナは手を取った。
「よろしくお願いします。精一杯頑張ります」
「おう。結婚しよう」
「……は、はいっ」
そうしてレーナは尊敬ではなく、生まれたばかりの恋愛感情を持ってヨエルと結婚の約束をすることになった。
以前よりもうまくやれる気もしないし、一概に一緒にいたいからそれでいいと望むような簡単な話ではなく、なんだか前進しているのか後退しているのかわからない。
けれどもわからなくとも彼と一緒ならば怖くはない、むしろこれからもたくさんの感情や情報を知って学んでいくことを今まで以上に幸福に思えるのだった。




