32 純粋な目
図書館を開いたばかりのころ、ヨエルは自分と伝手を作りにくる人間の多さにうんざりとしていた。
本を読もうと向かっても人に囲まれて、それどころではない。
ヨエルと王族の間の禍根について多くの人間は知らないので、とても王族に重用されているように見えるヨエルのことを多くの人間が利用目的で近づいた。
しかしもう二度と誰かに都合よく利用されるつもりはないと心に決めていたし、なにより他人を利用しようとする人間全員に対する恨みつらみが重なって、荒み切っていた。
誰かがヨエルの図書館をほめると、何の功績もない人間に褒められたところで嬉しいわけもないと返したし、誰かがヨエルへと思想を問いかけると、質問するしか能のない人間に教えるつもりなんかないと突っぱねる。
そうしていると次第に話題に乗ってやってきた、本を読む気もないような人間たちはいなくなり、残ったのはこの場所の主であるヨエルに敬意を示して本を読むだけの静かな人々だ。
しかしその中にも変わり者が一人。
静かになった図書館でぶつぶつと声を出して本をよむ厄介者がいた。
時たま使用人に言葉の意味を確認して指で追って、絵のついた子供向けの本を読む彼女を最初は子供かと思った。
しかし、よく見てみれば十三、四歳の少女であり、あっけに取られて目で追っていた。
すると彼女は目が合うと、ぱっとこちらをみて「こんにちわ!」と元気な笑みを浮かべる。
「レーナお嬢様、淑女の挨拶はごきげんよう、ですわ」
「そうでした。ごきげんよう、こんにちわ」
「ごきげんよう、だけで問題ありませんわ」
「はい。ごきげんよう」
「ええ、そうです」
二人は、朗らかな笑みを浮かべてそうやり取りをしてヨエルに頭を下げる。
ぱっと顔をあげてヨエルを不躾にもじっと見つめるレーナの姿を見て、周りの貴族たちも出来るだけ興味を持たないように努める様なふうで意図的に目を逸らす。
「……」
その様子を見てすぐに合点がいった。
彼女の事情を詳しく知っているわけではないが、病気を抱えながらも伯爵夫人となったローゼ・ヒューゲルの事、クレメナ伯爵家の事情は資源枯渇の問題に密接にかかわりあっていて、それなりに知られた話だ。
このレーナと呼ばれた娘がどういう子かということはわかる。しかしどうしてこの場に出てきているのかという疑問もあった。
基本的に疾患のあるものは、公の場に出すものではない。
もちろん、一般貴族に解放していると謳っているこの図書館は貴族であれば誰でも利用が可能だ。しかし彼女は果たして普通の貴族というくくりに入っているのか。
思う所は山ほどあった。
あったのだが、彼女のきらっとした飴玉みたいにまん丸の瞳に見つめられてヨエルは人の目などいつぶりに見ただろうかとそんなことを思った。
「私は、レーナと申します。クレメナ伯爵家です」
短い定型文を口にして彼女は驚いて固まったヨエルを放置して、くるっと方向転換して馬車に向かっていこうとする。
「あっ、レーナお嬢様少しそちらでお待ちください。申し訳ありません。わたくしの主は少々、ほかの令嬢と違い、無礼な態度を取ってしまうことがありますが、ご迷惑はおかけいたしません。主にはあなた様のような身分の高い方に声をかけてはいけないと強く言いつけておきます。それでは」
「……」
急いでレーナを追いかけていく侍女の姿に、扉を開いて勝手に馬車に向かっていくレーナ。
光られた扉の向こうから太陽の光が差し込んで少し眩しい。
くるくるとした彼女の髪が靡いて揺れている。
その様子を見てヨエルは、知りたいと思った。
興味本位からか、それとも純粋な好意からか、打算にまみれた思考の中ではよくわからなかったけれど彼女と話がしてみたいと思った。
だってあんなに、まっすぐに見つめてきたのだから、母が死んでから初めて人としっかり目を合わせたような気がする。
いつも大人や知恵のある賢い人間に手玉に取られないように、その瞳から何を考えているのか読み取るために瞳の裏の感情を読むためにしか目を見ていなかった。
だからこそ、移った彼女の純粋な瞳が美しくて興味をそそられたのだった。




