28 説教
「お父様、そうしてまた、マイリスにしたように完璧を求めて破綻を招くおつもりですか」
思ったよりもずっと冷たい言葉が口から出て彼は、目を見開いて、それから顔を青くする。
「お父様はいつも変わりません。そんなに間違えることが恐ろしいのですか」
父がこんなに間違いを恐れるようになったのは、元からの性質かそれとも今までの経験のせいなのだろうか。
疑問には思うが、心当たりはある。それは過去の事、十五年ほど前の出来事だ。
周期的に魔法的な資源の不足によってこの国は経済難に見舞われる。
それは過去の歴史からわかっていたはずだが、わかっているからといって完璧に対処できるかと言われたら別の問題だろう。
案の定、クレメナ伯爵家の経済状況も悪化し、すでに生まれている幼いレーナと、オーガストが自分のわがままを押し通して娶ったローゼは何の役にも立たなかった。
そこで流されるままに、オーガストは平民の豪商と渋々ながら縁を結ぶこととなった。
貴族と血を交えたという事実、それからの得意先をこれからずっと確保するための戦略的に、その商家はしばらくの間クレメナ伯爵家を助けるという話で娘を一人嫁がせて子供をもうけた。
それがマイリスだ。
けれどもマイリスの母親はオーガストに興味などない。それに貴族でありながらも品のない生活をしていたローゼにあきれ果てて、家を出てしまったのだ。
そうして残ったマイリスをオーガストは何とか普通の貴族令嬢として育てようと厳しい教育を施した。
しかし一方では、レーナとローゼには何も望まずにただ奔放でいることを許容した。
元からそういう性質だと誰もが思い込んでいて、誰にも厳しく接されない年上の姉であるレーナと、母もなく父に必要に厳しくされ、そばで幸せそうに自由に暮らす異母姉と継母を見ていたマイリス。
そんなマイリスはある日、レーナにつかみかかって引き倒し、怒鳴りつけた。
『なんで、レーナばっかり! レーナばっかりずるいわ!! お父様にも、お母様にも優しくされて! 私の事は誰も優しくしてくれないのに!!』
そう妹が叫んでいたのを思い出す。
その時にもすでにレーナは彼女が何に怒っているのか、どうしてこんな目に遭っているのかを理解していた。
けれども母はそうはいかなかったのだ。
魔法封じの枷がうまく動作していなかったという問題もあったし、何より自分の大切な子に手を出されて、パニックになってしまった。
ローゼもレーナと同じ風の魔法を持っている。彼女が魔法を使うと小さなマイリスの体なんて簡単に吹き飛んで、ついでにダイニングも滅茶苦茶になる。
使用人たちにも被害者が出て大惨事だった。
大人に仕返しをされて怯えるマイリスは部屋の中に引きこもり、頭を抱えたオーガストはどうしようもなくなってローゼと離縁し自分も王都のタウンハウスに移るという暴挙に出た。
そういう理由があってマイリスは、いろいろと欠けている物をレーナを見下すことと、それから人と体を重ねることによって補い、レーナは静かな良い幼い子でいることでクレメナ伯爵家のバランスは保たれていた。
なのでもとはと言えば……。
……言いたくないけれど、お父様の責任も大きいのです。
そう考えてレーナは目の前にいる父を見つめる。
彼がどういう人なのか、レーナは知らないし、たくさんの策を巡らせても駄目だったのかもしれない。
けれどもあまりにも無責任でいつまでも彼が変わらない事、それはオーガストの罪だろう。
「間違いを起こしてもやり直せばいいのではありませんか。私はそう思います」
「っ、だ、だがレーナ。取り返しのつかない事がこの世には山ほどあるんだ」
「少なくとも、私のヨエル様に対する思いや行動は取り返しがつかない事ではありませんし……それに過去の事も取り返しがつかない事だったとは思えません」
「も、もういいんだ。こ、これからはレーナ、君をただ支えて……今度こそ私が幸せにして見せる。それで、良いだろう過去のことなど……」
ぐっとやせ細った手を握りしめ父はレーナを苦々しくも見つめた。
もういいんだと勝手に終わらせたことにして、誰にも目を向けず一人で勝手に絶望して手を伸ばしてこなかった父。
それでも今度こそ幸せにしたいと望んでいる。それが本当に終わった事ならばその選択肢はあっていると思うし、レーナだって手を取ったかもしれいない。
けれども今のレーナはそれを正しい事だとは思わない。
足りない事があるなら補って、失敗したならやり直して、すれ違ったのなら振り返って話し合うべきだ。
今のレーナにはそれが出来る。すれ違ってそのままになった母や父やマイリスともやり直すことができるし、間違えてでも前に進みたい。
それに、レーナはオーガストのように一度伸ばした手を放してしまうようなこともしたくない。
父も、いい加減自分の間違いを認めて向き合って前に進むべきだ。
認めないままではいつまでたっても前になんて進めない。
「お父様は人を引っ張っていくだけの技量をそもそも持っていないのではありませんか。だから、誰かを幸福にしようと手を引いたところで失敗して首が回らなくなって無責任にもいなくなる」
母は、変わった人で、学がなく、他人の選択肢に大きく左右される性質を持つ。
もちろん、だからすべてを決めてすべての責任を負って幸せにしてくれなければいけなかったなどと傲慢を言うつもりはない。けれどもそのことを理解していたはずだろうと思う。
それにマイリスの事をマイリスの実家と話し合って決めることもできただろう。
レーナの事も、マイリスと二人きりにする以外の方法を見つけることができただろう。
なんせとても良い従者たちに恵まれていたのだから、人の意見を聞いて完璧になんかとらわれず出来ることを少しずつでもやっていくべきだった。
自身に技量が足りなかったのならば多くの人に補ってもらえばいい、そうして人は当たり前を演じているのだ。
レーナは最近そう思う。
「ですが、失敗したからって何ですか。怒られるかもしれませんし、笑われるかもしれません、それでも取り返しがつかないことなどないでしょう。私の幸せを考えてくれるのは嬉しいです、でも!」
レーナは父にもっと見るべきものを見て欲しいし、レーナを見て賢くなったことが分かったのなら、今度は対等に意見を求めて欲しい。
引っ張っていって幸せにしてほしいだなんて思わない。
「私には私の考えがあります。母にも、マイリスにも、従者たちにも、お父様のやるべきことは、勝手に切り替えて今度こそと空虚な栄光を思い浮かべることではなく、自分の犯した失敗の責任をとることです」
「……」
「それがあなたと対等になって、私のマイリスの姉として、ローゼの娘としてあなたに言いたかったことです」
きっぱりと言い切ると、オーガストは呆然としていて、目を見開いたままだくだくと汗をかいて言葉を探している。
納得してくれているのかどうかはわからない。でも心にあったことは言い切った。
彼と話すべきだと思っていたことを一方的に伝えるような形になってしまったが、それでもうまく言葉を選べたと思う。
……それに、元の話に戻りますが、ヨエル様が王都にやってきた途端にそういった話題が出るのはなんだか腑に落ちません。
こういう話があればヨエル様、自身が知っていてもおかしくないはずなのに一切話題にも出ませんでしたし、図書館を運営していただけで姫を降嫁されるなんてそれは本当に正しい理由でしょうか?
なにかレーナの知らない事情が裏で動いているような気がしてならない。
それに何か事情があったのだとしても、彼はレーナの力になってくれた、彼が助けを欲しているようなことがあればレーナもすぐに駆け付けたい。
だからこそ正しく状況を見定めなければならないだろう。
「……アメーリア、ライティオ公爵邸への馬車を準備してください。ヨエル様には会えなくとも、何か事情が聞けるかもしれませんから」
硬直して、考え込んだ父を放って、レーナは部屋を出る。
あまり期待はしていないし、またどこかへ逃げ出すかもしれない、そうなったらマイリスにどう説明をしようかと考えていたのだった。




