16 演奏会
「それじゃあ、クレメナ伯爵令嬢もいらしたことですし、演奏会を始めますわよ」
「やっとできますね。ルビー様」
「わたくし今日の為にたくさん練習を重ねてきましたのよ?」
令嬢たちは自己紹介もそこそこにルビーが言いだしたことにたいして当たり前のように反応を返す。
そして長テーブルの一番端にいる令嬢が静かに立ち上がって、そばにいた侍女が彼女の所有物だと思われる持ち運びが可能なサイズのハープを用意した。
テーブルから少し離れた位置に椅子が用意されて、膝の上にハープを乗せて彼女は「今回は新曲を用意してきましたの」ととても嬉しそうに言って他の令嬢たちも背筋を伸ばして彼女の演奏を心待ちにしている様子だった。
……このような趣旨は招待状にかかれていませんでしたが、こういう形のお茶会もあるのですね。勉強になります。
レーナは始まった演奏に耳を傾けつつも自分も貴族令嬢らしく、領地に戻ったらもっとたくさんのたしなみを身につけなければと思った。
しかし、一曲終わると、拍手が上がって彼女は自分の椅子へともどっていく、それから次はその隣にいる令嬢が前の椅子に座り演奏を披露した。
…………これは、もしかして。
察しがついたレーナがぐるぐると思考を巡らせていると、隣に座っていた令嬢がこっそりと話しかけてきた。
「あ、あの。レーナ様」
「……はい」
「レーナ様はなんの楽器をお持ちなんですか? そ、その少し気になって」
彼女はリリー・モンクトンと言って男爵家の跡取り娘らしい。以前に何度か舞踏会などで顔を見た。
ほかにも今日が初対面ではない子たちは何人かいるが、レーナの遅刻で機嫌を損ねてしまったのか、目を合わせてもらえない。
こんなことになっても話しかけてくれる彼女に、少しうれしく思いながらもレーナは首を振って答えようとした。
「そこ! 人の演奏中におしゃべりをするなんてどういう了見ですの?」
けれども苛立ったルビーの声に指摘されて、ほかの令嬢たちも鋭い視線を向ける。
「す、すみませんっ」
「申し訳ありません」
「集中してくださいませ」
そんな会話があって、何の手立ても建てることもできずに次々と少女たちは短い曲を演奏して、いつの間にかリリーもそつなくこなし、レーナの番になった。
「さあ、クレメナ伯爵令嬢。前に行って、素敵な演奏を披露してくださいませ。招待状に書いてあったでしょう? 今日はそういうお茶会なんですのよ」
「……」
言われて、レーナは一度考えてみる。
……歌でも歌ってみましょうか。
ただ、そういう問題ではないだろう。そもそも、このお茶会の主催者、ルビーは目的が違う。
「あらぁ? ご存じない? もしかして、招待状が読めなかったのかしら!」
「読みました」
「なら、知らないはずないでしょう? わたくしはきちんと招待状を送りましたわ。わたくしが悪いっていうの?」
「いいえ。けれどミスは誰にでもあるのではありませんか」
ルビーの言葉にレーナは淡々とした口調で答える。
彼女の目的はレーナを貶めることだろう。言い訳や指摘をしてもきっと話は良い方向に進まない。
「ルビー様、い、いいじゃありませんか。いつもだったら、絶対に演奏をしなければならないというわけでも、な、ないのに」
「リリー……余計なことを言わないでくださる? あなたはわたくしがクレメナ伯爵令嬢に意地悪をしているって言いたいの?」
「そ……そういうわけでは……」
「じゃあ、黙っていなさいよ。クレメナ伯爵令嬢、それでどうなんですの? あなたが変わり者で人と違って普通じゃない事、知らないとでも思いましたの?」
「……」
「クレメナ伯爵家なんて私生児と障碍者しかいない貴族なんてとても言えない最低の家系のくせに、一人前の顔をして社交界に参加して、場違いでしょう?」
ルビーは勝ち誇ったような表情でレーナをにらみつけるように見つめて続けた。
「こんなふうにわたくしたちに迷惑をかけるのですわ。足りない人間は、足りないらしく何も主張せず隅の方で大人しくしていてくださいませ」
言い終えると勝ち誇ったような表情をして、ルビーはすぐに表情を切り替える。
そしてレーナは先程ふと香った香水の正体に気が付いて合点が行った。
……そうでした。ティアニー侯爵家とは因縁があったのでした。私がもう少し気を配っていたら防げたことだったはずです。
ティアニー侯爵家はスズランの香水を作っている、あの家系だ。
そして彼女は間違いなくアーベルの本命だった女性。
むしろ気がつかなかった方が悪いまであるだろう。
「さて、皆、せっかくの楽しい演奏会をわたくしが、変な子を招待したせいで雰囲気を悪くしてしまってごめんなさい。そうですわ、代わりと言っては何ですけれど、お兄さまを呼んできますわ」
「あら、珍しいですね」
「ええ、久しぶりで楽しみです」
ルビーは立ち上がって侍女たちと部屋を出ていく。
しばらくして戻ってくると、彼女の傍らには難しい表情をした少し年上の男性がいた。
ルビーと似たような赤い髪をしているが、その様子はどこか自信がなさげで、お茶会に集まった令嬢たちの目線を受けて困っている様子だった。
「ではアンドリューお兄さまこちらに、お兄さまの素敵な演奏をみんな聞きたがっていますの」
「…………ルビー、僕は何度も言ってるけど、音楽は」
「いいでしょう? 久しぶりに、お願いですわ!」
アンドリューのすぐ隣には従者が付いていて、彼は熟考するタイプなのかすぐに反応を返さない。
それに彼が口を開くとかぶせるようにしてルビーが頼み込んで、アンドリューは周りの令嬢たちに視線を向ける。
皆が一心に見つめるその様子に、苦々しい表情をしてそれから「一曲だけで許してほしい」と告げて今までの令嬢のように、ハープを弾き始める。
しかしその演奏はとてもうまいとは言えない。
きちんと習ったことのないレーナが思うのだからきっときちんと弾ける彼女たちからすると、もっと粗が目立つのではないだろうか。
メロディの合間に変な音が混じってしまったり、リズムが一定ではなく時折、心配そうにそばにいる従者へ視線を送っている。
使用人は何かを言っているようにも見えるが、具体的に何を言っているのかはわからない。
ともかく、弾いている曲自体は難しそうなのに、ミスがとても初歩的な気がして妙な演奏だった。
しかし終わった後に令嬢たちはとても良かったとばかりにたくさん拍手をして、それからアンドリューが去ったとに、皆はくすくすと笑いだして、それから淑やかな令嬢たちは声をあげて笑った。
「いくら男の人が不器用だっていても、あんなふうに不格好な曲はわたくしアンドリュー様以外知りません!」
「本当に、唯一ですわ。笑いすぎて涙が出てしまいそうっ」
「まったくでしょう? お兄さまは少し、そこの足りない子と同じように”悪い”のよ」
……私と同じように、悪い……というとどこか悪くてああいうふうだという事ですね。
ルビーは彼を馬鹿にできて心底、嬉しそうに言って自分の集めた令嬢たちの反応に満足して続けた。
「それなのに、男だってだけで跡取りのつもりでいるんだから滑稽ですわ。ほかにはない産業を持った特別なティアニー侯爵家を継ぐのはわたくしですのに」
その言葉から、レーナを必要以上に貶してお茶会に誘ってまで貶めた理由が少し見えてくる気がする。
普段からも足りない部分のある兄に対するうっぷんがたまっていて、さらにはどこまで事情を知っているか知らないがアーベルもレーナの関係で交流をもてなくなった。
彼女の中ではこれは正当な復讐のつもりなのだろう。
……ただ、私にとっては宣戦布告……で間違ってないですよね。ヨエル様。
彼の事を思い浮かべる。
離れていてすぐに相談しに行けるわけではないが、彼ならそういうだろうと考えてレーナは静かに決意を固めたのだった。




