13 勘違い
レーナが一生懸命笑みを浮かべて、それから図書館の外へと去っていく様子を見てヨエルの中にはごちゃごちゃになった感情が渦巻いていた。
なんだかどす黒い感情もある気がするが、レーナが去っていった扉を見つめていると彼女の必死な笑みが思い浮かんで、なんだか涙が出てきそうな程である。
……俺の何が悪かったんだ?
これからのことへと目を向けようと考えるのに、頭の中に浮かぶ疑問は彼女には絶対に言うまいとしていたことだ。
「ヨエル様、お屋敷の方へと戻られますか? それともまだこちらに? それなら僕、新作の小説を……って、え、すごい怖い顔ですよ」
「…………」
「レーナ嬢と何かありました?」
レーナが返ったのと同時に従者のデールがひょっこりと現れて手元にもっている小説を見せてくる。
しかし今はそれにかまってやろうという気になれずにヨエルは人相の悪い顔をしていた。
……俺より条件がいいやつがいるのか? この短期間でそれを提示できるほどクレメナ伯爵は有能だったか?
頭の中にある知識を引っ張り出して可能性を考えてみる。
しかし、彼女の事情を知ったうえで自分がと名乗りをあげそうだという人間に心当たりはないし、そうなると単純に他の可能性を見てみたいとレーナが思ったからというのが一番高い可能性だろう。
なんせ彼女は、大衆に認められて、より良い婚約者を見つけたいと願って王都に行くのだからそういう事だろう。
「振られた」
「ええ?! ……あ、ごめんなさい」
ヨエルの言葉を聞いてデールは反射的に驚きの声をあげる。
いくら人の往来が多く話を出来る場所だとしても、一応この場所は学びの為の場所だ。
あまり騒がしくするのは喜ばれることではない。
しかしヨエルがこの場所の責任者であり騒がしくしていても誰かに注意されるということはありえないのだが、それでも賑やかすぎる場所にするつもりはない。
それをデールもわかっているのでぱっと口を押えてそれから小さく謝罪する。
その様子を見てとりあえず彼の言おうとしていたことを片付ける。
「小説を持っていくのか? なら手続きを済ませてきてくれ。俺はもう自室に戻る」
「はい、ま、待っていてくださいね! 絶対、すぐに話を聞きますから!」
「ああ、急がなくていい」
あわただしく司書の元へと向かって行き、本の貸し出しを受けるデールはとても急いでサインをして本を手にしたまま戻ってくる。
彼を伴って図書館の裏口を出た。
「それでそれで、なんで振られたんですか! レーナ嬢は、どこからどう見てもヨエル様の事を好いているのに!」
「……」
……それは俺もそう思う。
口にするとあまりにみっともない気がして心の中だけで同意する。
ただ顔に自信があるとか、好かれるための行動をしていたとか、身分的にも申し分ないはずだとかそういう事ではなく、単純にそう思うだけの積み重ねが二人の間にはあったと思う。
「それにヨエル様ですよ。王都の令嬢たちだってヨエル様がいれば誰でも自分の婚約者をほっぽってそばに寄ってくる、身分も魔法も、王族からも覚えめでたい完璧な結婚相手だっていうのに」
デールは指折り数えて自分の主の良いところをあげつらう。
悪い気分じゃないが、振られた後だと思うと自分の従者に無理をして言わせているような気になって、彼の言葉をさえぎるように可能性を口にした。
「レーナは、あまり貪欲な方じゃないが、単純に上昇志向がある子だ。図書館にだって自分の意思で来ていた。だからこそ、自分の目で見てどこまでやれるか確認したいから俺を振った……んじゃないか?」
「でも、ヨエル様よりいい人なんて、どのご令嬢に聞いてもそう簡単に出てこないのでは?」
「それは……だからそういう事を知らないから王都に行きたいと思ったんだろ。実際手元にあるものよりも遠くにある手の届かないものの方が価値が高そうに見えるものだ……はぁ、安直に好意を伝えたのが良くなかったのか?」
「ヨエル様よりいい人がいるかもしれないから、ヨエル様を振ってレーナ嬢は王都へ行かれるという事ですか?」
「まぁ、そうだ」
「では、レーナ嬢はもったいない事をしましたね」
「いや。……完全には振られてない、王都に行く間も手紙のやり取りをしてくれるし戻ってくるようなことをほのめかしていた」
「……」
「補欠……みたいな扱いって事だろうな。あの子は割と頭がいい。飲み込みも早いし、人の機微にも敏感で、俺はいつも取り繕えている気がしない」
ヨエルの言葉を聞いていて、デールは少し彼女を思い浮かべてみる。
補欠、というかキープみたいな目にあわされて、凹みこそすれプライドを傷つけられて怒るでもない珍しい主と、そんなことをするようにも見えないレーナ。
彼女はいたってデールから見れば普通の令嬢だ。
特筆すべき点は特にない、しいて言うなら純粋そうだとか、少し幼げな様子があるとかそのぐらいだ。
「だからこそ、言ったんだ。どうせ隠せていないだろうから。ただそれでも駆け引きをするべきだったのか?」
そんなレーナに駆け引きを持ち掛けても意味はなさそうだと思うし、傍から見ると、なんだかすれ違っているのではないかということは想像に難くない。
「でもそんな小細工をしている間に横から攫われたらたまらないだろ? デール。あんなに可愛いんだから」
「はい」
「あんな飴玉みたいなまん丸な瞳で見つめられたら、どんなに斜に構えている奴でもついつい心を許してしまうだろ。そういうことだ」
ヨエルは当たり前のようにそう口にするが、デールはあまり納得感はない。
そういうことだと言われても、なるほどそういうことか、というふうにはならない。
飴玉という言葉から彼女のべっ甲飴みたいな瞳を思い出す。くるくるとした髪も光をはらむ飴玉のような瞳も、ほかの貴族令嬢たちと並べて比較すればむしろ地味な方なぐらいだ。
けれども主は彼女が大好きだ。
なにがあったかは詳しく知らないけれど、いつの間にか随分と丸くなってレーナが来ることをいつも心待ちにしている。
「そういうはずだったんだが……レーナが俺以上を探すなんて想定もしてなかった。彼女を好いている身としては追いかけて王都での活動のサポートぐらいはしてやりたいが……領地から出るのはな……」
彼女の事を話しているときは、明るい表情だったのに、ヨエルは王都の事を考えてかすぐに暗い表情をした。
ヨエルは王都に対して特別思う所があるのだ。
それは一番そばにいたデールは知っていることだが公にはされていない。そしてその理由で図書館に引きこもっていた。
「…………あ゛ー……クソ、俺の何が駄目だったんだ? 顔か? 声か? レーナは一度手に入れたらもういらなくなるタイプか?」
「ヨエル様は僕から見ても完璧ですよ!」
「……ありがとう。ただ、レーナにそう感じてほしかった……なんて女々しいな、あー」
頭をぐしゃぐしゃと掻きみだして吐き出すように言うヨエルにデールはフォローするようなつもりで元気よく返す。
しかし、その言葉には気弱な声が返ってくるだけだった。
たった一人の女性の事で一人になっても浮いたり沈んだり、ヨエルが抱いている感情はよっぽどだ。
母上を失ってから何に対しても必死になることはなく、常に平常心でそつなくこなしてきた主がなんてことのない一人の令嬢に振り回されて悩んでいる。
その様子は新作の小説よりも随分、デールにとっては面白い。「ヨエル様がそんなになるなんて本当に珍しいですね」と言葉にして彼のそばを歩く。
デールの事を恨めしそうに見下す彼に、満面の笑みを返した。




