12 受け入れるために
レーナはヨエルが提案してくれた事を何度か反芻して考え直した。
ヨエルもレーナもお互いの事をよく思っている。彼は跡継ぎではないし、レーナは新しい配偶者を探している。
この状況で良いと思っている相手を婚約者に選ぶのはとても必然的なことだ。
しかし問題はあると思う。
ヨエルはあえて言わなかったと思うが、彼はとても普通の人で図書館を開いて多くの貴族に尊敬されているし、頭もいい。彼の名前を聞いて好意的な反応を示す人間がほとんどだ。
レーナはどうかというと、とても普通は言い難い遠い場所にいて、多くの事を知っていることを示せたことはたしかだが、それは屋敷の中の身内相手にだけだ。
今でも社交界でのレーナの評価は足りない令嬢のままだろう。
それについてきちんとするのは内側の事が落ち着いてからでいいかと思っていたが、ヨエルの提案に向き合うからにはレーナは自分の問題を先送りにして彼との関係性を手に入れたいとは思わない。
彼と関係を結ぶのならば、レーナは真摯でありたい。
そう結論付けて図書館に向かった。
この図書館は、入口付近の閲覧机のたくさんある場所は、貴族たちの交流の場所としても使われている。
本棚の近くの奥へと行くと比較的静かで集中して本を読める空間になっていた。
なので今日も二人で閲覧机の方に向かい合って腰かけてレーナは話を切り出した。
「私、父についていって王都へと向かおうと思います」
昨日の今日ですぐに決めたことだったので驚いたのかヨエルは頬杖をついたまま、一つ二つと瞬きして、気の抜けたような声で言った。
「なんで」
「私は人よりも足りない状況から脱することが出来ました。屋敷の人達といろいろなことを相談したり、一緒に何かに取り組めるというのはとても楽しいことです」
「あ、ああ」
「それだけで良いような気も本当はしているんです。交流できる友人もいるし落ち着く大好きな空間もあって私はとても今充実しています」
視線を逸らして本棚を見る。この場所が開いたばかりのころは知識を得たい人よりも人脈が欲しい人の方が多いイメージだった。
だからこそ、レーナは少々その場で簡単で誰もが読める本を一生懸命に読むのが恥ずかしかったが、しばらくすると知識を欲している人が多くなって、ヨエルに話しかける人も随分と少なくなった。
なのでこうして見回してみても誰かと目が合うということはなく、それぞれが自分の目的に夢中だ。
自分が得たいもの為に夢中になっているから、レーナのような変わった人がいてもさほど気にされない。
だからこの場所が好きだった。
「……それだけじゃ、ダメなのか?」
彼がつぶやくように問いかける。その言葉になんだかとても寂しそうなニュアンスを感じ取ってレーナはちゃんと思いを伝えなければと言葉を重ねた。
「ダメじゃないです。それでも良いんですが、私は……きちんとした婚約者を迎えるために認められたいと思っているんです」
婚約者はもちろんヨエルの事だ。そう口にするのは、少し難しいのでごまかした言い方になったが。
彼はちゃんとした人だ、レーナなんて比べ物にならないぐらい遠い人なのだ。
そんな彼と関係を結ぶのに、自分は跡取りとして一人前ではないだなんて恥ずかしいだろう。
「私はもっと多くの人に認められて、誰もがクレメナ伯爵家の跡取りはきちんとしていると思ってくれるようになりたい。そうでないと……素晴らしい人と一緒になるのは難しいです」
「っ、あ、そうか。なるほどそういう事か」
「そうなんです。一人前だと皆に認めてもらえるように、たくさんの貴族たちと交流をしてきます。なのでしばらくは図書館へ通えなくなりますが手紙を送らせてください、ヨエル様」
一人前だと皆に認めてもらえてやっと彼の提案に応えるだけの資格を得ることができるだろう。
だからこそ、レーナは王都に行きたい。ただ、この場所にたくさんくるという約束は早々に破ることになってしまいそうで、その代わりに案を考えた。
長い間、彼と交流を断ちたくないとも思うので手紙を送ることは得意ではないが、やり取りをしてほしいと思う。
……でもなんだか落ち込んでしまいました。やっぱり図書館に来なくなることが嫌なのでしょうか。
彼は、レーナの言葉にすぐに返答を返さずに、難しい表情をしている。しかしその根本にあるのは悲しい気持ちだというのは察しが付く。
もちろん、おこがましい考えではあるが、彼はもしかすると少し寂しがりのような気がするので手紙という案も出した。
それに彼と婚約するうえで、今のままのレーナでは”足りない”。
もっと彼と婚約して納得がいく自分になるためのとても大切なことだ。
「手紙……手紙な。うん。嬉しい。待ってるって言ったの俺だしな。何番目でもいい」
「?」
「気にしないでくれ、それにしても手紙なんて珍しい。君は文字を書くのは嫌いだと言ってただろ」
彼は、なんだか必至に自分の顔を手で少し隠そうとしていて、その様子でレーナは泣いているのかと心配になった。
まさかそんなに寂しがるとは思わなかったので、とにかく何番目というのはそんなことを考えたことはないのでわからないが、慰めるように手を取って彼の顔を見上げた。
「あなたは、私にとって唯一です。私の尊敬する人です、導いて話を聞いてくれた……教師のような」
もちろん、泣いてなどいなかったし、急に手を握られて驚いた様子で彼はレーナのことを見つめている。
それからまた傷ついたような顔をして「教師か、ありがとな」と笑みを浮かべる。つないだ手はゆっくりと離れていって、なんだかレーナまでとても寂しい気持ちになる。
彼は、ごまかすように笑っていて、何かレーナは間違えたかもしれないと思う。けれどもその間違いがどんなものなのかわからないし、わからないまま踏み込んで彼に嫌われたらと思うととても怖い。
ヨエルと一緒にいるために、認められたいと思っているのに彼に嫌われたら本末転倒だ。
「……」
「君に送るための良い便箋を買わないと、今から選ぶのが楽しみだ」
「便箋……私も選ぶのが楽しみです」
彼の言葉に合わせて言葉を紡ぐ。もうすっかり悲しみの影も残していないヨエルは切り替えるのが早くて大人な態度だ。
いつも通りの表情から読み取れることは多くない。レーナも笑みを浮かべてみるけれど、うまく笑えているかはとても心配な事項だった。




