11 最良
アメーリアはレーナがライティオ公爵家から帰宅後にすぐに終わらせた仕事や課題を持って執務室へと向かった。
レーナ自身がこれからは跡継ぎとしてきちんと活動していくことを望んでいたので、さっそく簡単な課題と仕事から始めたのだがすぐに彼女の実力が明らかになった。
「わ、わぁ~……今日もすぐに終わってしまいましたか……未だに……毎度驚いてしまうのは僕の適応能力が低いからなんでしょうか……」
事務長のエイベルはそんなことをつぶやきながら書類を確認していく。
アメーリアもその様子を眺めるが、内容的にも彼が手を抜いているとは思えない。
「いいえ、そんなことありませんわ。わたくしもレーナお嬢様の才覚にここ最近は驚いてばかりですよ」
「そうですよね。まさかこんなに出来る人だとは……うぅ、なんだか自分の今までの行動がお嬢様にどのように映っていたか心底心配で胃が痛くなりそうです」
「大丈夫ですよ。エイベル様、きっとこのお屋敷に勤めている全員が同じ気持ちですわ」
「アメーリアもそう思いますか……。それにしてもこれを即日に終わらせるとは……必要な計算や知識も頭に入っているのでしょう……仕事をしているときの様子はいかがでしたか?」
不安そうにしながらもエイベルは書類を纏めつつ、アメーリアを見上げる。
聞かれて思い出すが、苦戦している様子はなく、むしろ楽しそうにしていたような気がする。
「とても意欲的に取り組んでいました。いつの間にか終わらせていたので時間もそれほどかかっていないと思います」
「わかりました。ではもう少し踏み込んで難易度をあげましょうか。実際領主の仕事というのはそれほど実務的な技術は必要ないのですが、せっかくの意欲を台無しにしてはいけませんから」
そう言ってエイベルは気合いを入れ直して執務室の本棚の方へと向かう。
その様子をみて用は済んだのでアメーリアは部屋を出ようとしたが、ふいにロバータが入室し、アメーリアは用件があったことを思い出して彼女に話しかけた。
「ロバータ様、お疲れ様ですわ。今、少々時間をもらってもよろしいでしょうか」
彼女も今日のレーナの事を気になっていた様子で、すぐにアメーリアに向き直る。
「はい。まだライティオ公爵家での報告を受けていませんでしたね」
「ええ、明日、きちんと書面で報告いたしますわ。ただ、急ぎご報告を。ライティオ公爵子息であるヨエル様との交流があるのももちろん事実でしたし……どうやらとてもレーナお嬢様は気に入られているように感じました」
「気に入られている、とはどのようにですか」
「それが……婚姻を望まれるほどに……だった様子ですの」
「な、なんですって?」
「レーナお嬢様の気持ちを慮り、お嬢様の返答をもらってから話を持ち掛けるつもりがあるということでまだお嬢様は返答をしていませんが、とてもヨエル様からは好意を感じました」
「あの気難しい公爵子息が? ……レーナお嬢様に? これは一大事です、すぐに旦那様にご報告をしなければ」
ロバータはとても焦った様子で身を翻そうとする。
しかし、アメーリアはすぐにロバータを呼び止めた。
「待ってくださいませ。レーナお嬢様は、自分が良いと思っている相手がいると伝えて欲しいとわたくしにおっしゃいました。レーナお嬢様はきちんとご自身の考えを持って自分で答えを出そうとしていらっしゃいます」
すぐに彼女が報告をして指示を仰ごうとしたことは、今までなら当たり前のことでレーナの判断はあまり重要視されてこなかった。
それは、無知である彼女を守るための事でもあるが、今は状況も変わってきている。
彼らの関係はとても尊いもので、こちらの判断だけで勝手にすべてを決めて話を進めることは、すでに正しい判断ではなくなろうとしている。
そのことをアメーリアはここ最近、彼女とともに過ごしてきてありありと理解していた。
彼女は何も知らないわけではない。だからこそ、アメーリア達も変わってゆかなければならないと思う。
そして旦那様も向き合うと口にして約束した以上、ゆくゆくは変わっていく必要がある。
それを先回りして、すべて潰してしまうほど、アメーリアは盲目的にレーナを守ろうとしていない。
「今ここで、旦那様に求婚のことを伝えてすべて先回りしてしまえば、レーナお嬢様の今後を奪うことになってしまいますわ。ロバータ様」
アメーリアは懇願するような気持ちで口にする。
すると、その真剣さが届いたのかロバータも一度、きちんと立ち止まってアメーリアに向き直る。
「……ですが、貴族同士の婚姻はとても重要な決定です。判断を仰げる旦那様がいる以上、こういうことは報告して失敗しないように慎重に事を進めるべきではありませんか、アメーリア」
その言葉もまた間違っていない。アメーリアもそのことは重々承知だ。
けれども、旦那様の判断もすべてが正しいわけではない。レーナの変化に身内でありながらも目を背けていることを鑑みれば、彼が今のレーナの事をきちんと見ずに決めてしまう事も十分にあり得ると思う。
だからこそ、余地を残したい。
彼女が一番に変化を伝えてくれた自分たちがそれをサポートしたい。
「その通りですわ。しかし、だからこそレーナお嬢様が良いと思っている方がライティオ公爵家のヨエル様だという事をお伝えするだけにとどめるべきですわ。
そうすることで旦那様と考える機会と対話を出来るようにするべきだと思いますの。それならば、レーナお嬢様が心を決めた時にはすでに別の婚約者が決まっているという行き違いにはならないと思いませんか」
「たしかに、お嬢様の要望がある状態で勝手には旦那様もお決めにならないと思いますが……もし、近隣の大領地であるヨエル様からの好意を無下にするようなことになり不遇な扱いを受けるようになったら……」
「そういう可能性があることを、わたくしたちから貴族同士の関係性の難しさや、慎重性の重要さをレーナお嬢様にお伝えしましょう」
今までは、まったくなかった選択肢だったが、今ではそれを取ることができる。
レーナも努力をしていて、一人前になりたいと望んでいる。その望みを応援するためにも新しい選択肢を選んでいくべきだ。
「……」
「レーナお嬢様が望んだ以上、わたくしは彼女の望みを体現したいのです。その方がこれからきっとたくさんのことを彼女自身で解決できるようになります。その方がずっと貴族として生きていくためには重要なことではないでですの?」
「……そうですね。ええ、その通りです。アメーリア、ありがとうございます。焦るとついつい、今までの習慣が出てしまってよくありませんね。変えて行きましょう。習慣もこれからも」
ロバータは最終的にアメーリアの提案に同意し、深く頷く。
この選択肢がどういう結末をもたらすかはわからない、もしかしたら、さっさと婚姻話を纏めてしまった方がいいのかもしれない。
しかし今の確実で的確な判断よりも必要なことがある。成長していく主にとって長い目でみて最良であればいいとアメーリアは思うのだった。




